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第5話 必中の弓、因果の略奪

フェイが焼き払った森を抜け、国境を越えた僕たちが足を踏み入れたのは、かつて魔王軍の前線基地だったという――「鉄の墓場」だった。

 

視界を埋め尽くすのは、赤茶けた錆色と、崩れ落ちた石造りの要塞の残骸だ。

 

あちこちに突き刺さった折れた剣、ひしゃげた盾、そして風化してボロボロになった攻城兵器の残骸が、墓標のように立ち並んでいる。

 

ヒュォォォ……キィ、キィ……。

 

乾いた風が吹き抜けるたびに、錆びついた金属板が擦れ合う音が、まるで戦場を彷徨う亡霊の悲鳴のように荒野に響く。

 

鼻をつくのは、乾いた土埃の匂いと、微かに残る古い機械油の酸化した臭気。そして、どこからか漂う鉄のサビの匂い。

 

「静かすぎるな」

 

僕は聖剣アークの柄に手を掛け、周囲を警戒した。

 

物陰が多く、どこに敵が潜んでいてもおかしくない地形だ。魔王軍の残党や、住み着いた魔獣がいる可能性が高い。

 

だが、僕の斜め前を歩くエリスは、弓を手に持ったまま、散歩でもするかのように迷いなく歩を進めていた。

 

彼女の歩調は一定で、瓦礫が散乱する足元を一度も確認しようとしない。まるで、どこに石があり、どこが歩きやすいかを、あらかじめ知っているかのように。

 

「心配ありません、カイル様」

 

彼女は足を止めず、視線も動かさずに淡々と言った。

 

その声は、荒野の風音に消されることなく、澄んだ鈴のように耳に届く。

 

「敵影は3体。距離300メートル先の崩れた塔の裏です。……あと15秒で、こちらに気づいて襲撃を開始します」

 

「え?」

 

僕は耳を疑った。僕の強化された五感でも、まだ何の気配も捉えていない。

 

「なぜ分かるんだ? 魔法探知か?」

 

「いいえ」

 

エリスは立ち止まり、静かに矢筒から一本の矢を抜いた。

 

「『そうなること』が決まっているからです。風の揺らぎ、鳥の羽音、大気の密度……すべての変数が、その未来を指し示していますわ」

 

彼女の碧眼には、焦りも緊張もない。

 

まるで、すでに読み終えた本のページをめくるような、退屈なほどの「確信」だけがあった。

 

「来るぞ!」

 

僕が叫んだのと、瓦礫の陰から黒い巨体が飛び出したのは同時だった。エリスの予言通り、ちょうど15秒後だ。

 

「ガガガガガ……排除、排除……」

 

自律殺戮兵器――「ガーディアン」。

 

魔王軍が残した、全身が黒鉄の装甲で覆われた機械人形だ。高さは3メートル近くあるだろうか。痛みを感じず、恐怖もしない鋼鉄の兵士が3体、錆びついた大剣を引きずりながら、重戦車のような勢いで突っ込んでくる。

 

ゴオォォォォ……!

 

駆動音が唸りを上げ、地面が揺れる。その迫力は、生物の魔獣とは比較にならない「質量の暴力」を感じさせた。

 

「硬い……! 普通の矢じゃ弾かれる!」

 

僕は前に出ようとした。聖剣で装甲の隙間を狙わなければ、ダメージは通らない。

 

だが、エリスが一歩早く弓を構えた。

 

「お下がりください、カイル様。……もう『終わって』いますから」

 

ヒョウッ。

 

軽い弦音と共に、矢が放たれた。

 

だが、その軌道はおかしかった。彼女は敵を狙っていなかった。矢は、先頭のガーディアンの頭上、何もない虚空へ向かって、放物線を描いて飛んだのだ。

 

(外した……?)

 

そう思った瞬間だった。

 

「ガァッ!」

 

ガーディアンが僕の斬撃を警戒し、急激に跳躍した。

 

その飛び込んだ先――まさにその一点に、エリスの矢が吸い込まれるように到達していた。

 

ドォォォン!!

 

矢の先端に込められた風魔法が炸裂し、ガーディアンの唯一の弱点である「センサー」を正確に貫く。

 

「な……っ」

 

僕は息を呑んだ。

 

エリスは敵の動きを予測して撃ったのではない。まるで、矢がある場所に敵の方から当たりに行ったかのような、奇妙な「因果の逆転」を見た気がした。

 

「次です」

 

エリスは残る2体にも、次々と矢を放っていく。今度は足元の瓦礫へ、そして錆びた鉄骨へ。

 

カキンッ!

 

瓦礫に当たった矢がありえない角度で跳弾し、2体目のガーディアンの膝の関節(隙間)に突き刺さる。

 

体勢を崩したその機体が前のめりに倒れ込み、ちょうど3体目の進路を塞ぐ形になった。そこへ、鉄骨に当たって跳ね返った二本目の矢が、上から降り注ぐように落下し、もつれて倒れた3体目の首元の動力パイプを、寸分違わず切断した。

 

ガシャーン……。プシューッ……。

 

数秒前まで殺意の塊だった3体の鉄塊が、糸の切れた操り人形のように折り重なって沈黙した。

 

エリスはその場から一歩も動いていない。汗一つかいていない。ただ、弓を下ろして髪を払っただけだ。

 

「……すごいな、エリス。百発百中だ」

 

フェイが口笛を吹く。

 

「やっぱり弓の腕は大陸一ね!」

 

「ええ、無駄のない美しい軌道でした」

 

ミラも感心したように頷く。

 

「効率的ですわ。最小の手数で、最大の戦果を上げる。素晴らしい計算能力です」

 

仲間たちは称賛している。だが、僕は背筋に冷たいものが走るのを感じていた。

 

これは「弓の腕前」なんていう次元の話だろうか?

 

彼女は「狙って」すらいない。彼女が行っているのは、敵が「避ける」「反撃する」「耐える」といった無数の可能性(未来)を一方的に略奪し、「矢が刺さって死ぬ」というたった一つの結末だけを押し付ける、冷酷な作業に見えた。

 

「……カイル様?」

 

エリスが不思議そうに僕を見る。その瞳は、壊れたガーディアンを見ても、何の感情も映していなかった。

 

「どうかしましたか? 急がないと、予定時刻より12秒遅れていますわ」

 

彼女にとって、戦闘は命のやり取りではない。ただの「スケジュール調整」なのだ。

 

僕は震える手で聖剣を鞘に納め、「……なんでもない」と答えるのが精一杯だった。

 

戦闘――いや、一方的な「処理」が終わった広場は、再び静寂に包まれた。

 

僕は、エリスの矢によって破壊されたガーディアンの残骸に近づいた。分厚い装甲は紙のように貫かれ、切断された動力パイプからは、血液のように黒いオイルがドクドクと脈打って流れ出ている。

 

「見事な手際だ」

 

僕は称賛の言葉を口にしようとした。

 

だが、崩れ落ちたガーディアンの腕の隙間に、あるものを見つけて言葉を失った。

 

それは、錆びついた小さな金属製のカプセルだった。ガーディアンは、最期の瞬間まで、そのカプセルを自らの装甲で覆い隠すようにして倒れていたのだ。

 

「これは……?」

 

僕が手を伸ばすと、壊れたガーディアンのスピーカーから、ジジッ……というノイズ混じりの音声が漏れた。

 

『……マモ……ル……。タネ……マモ……ル……』

 

機械的な、しかしどこか必死さを帯びた電子音声。

 

カプセルの中には、わずかに土が入っており、そこから一輪の小さな白い花が芽を出していた。

 

この不毛の鉄の墓場で、彼らは数百年もの間、このたった一輪の生命を守り続けていたのだ。僕たちを襲ったのも、侵入者を排除するためではなく、この花を守るための威嚇行動だったのかもしれない。

 

「そんな……」

 

僕は胸が締め付けられる思いだった。

 

彼らは「魔王軍の殺戮兵器」ではなかった。ただの「庭師」だったのだ。

 

「エリス! 彼らは敵じゃなかった! ただ花を守っていただけなんだ!」

 

僕は振り返り、叫んだ。

 

彼女は弓を点検しながら、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。僕の手にある花と、動かなくなったガーディアンを一瞥し、表情一つ変えずに言った。

 

「それが、何か?」

 

冷や水を浴びせられたような衝撃だった。

 

エリスの声には、侮蔑も嘲笑も含まれていなかった。ただ純粋な「疑問」として、彼女は首を傾げているのだ。

 

「彼らが花を守っていた。……ええ、そうかもしれませんわね。それが今回の作戦行動に、どのような影響を及ぼすというのですか?」

 

彼女は淡々と、壊れたガーディアンの残骸を跨いだ。そのブーツが、黒いオイルを踏みしめる。

 

「敵性体は排除されました。障害はクリアされました。私たちは最短ルートで進行可能です。……この事実に、彼らの『動機』や『感情』といった不確定要素が入り込む余地などありませんわ」

 

「でも……! 彼らは戦うつもりなんてなかったかもしれない! ただ、この花を……!」

 

「カイル様」

 

エリスが足を止め、振り返った。その碧眼が、僕を射抜く。矢よりも鋭く、そして冷たい眼差し。

 

「『もしも』の話に意味などありません。……現実に、彼らは武器を持って立ち塞がりました。そして、私はそれを排除しました。残されたのは、私たちが生き残り、彼らが破壊されたという『結果』だけです」

 

彼女は弓を掲げ、荒野の彼方を指差した。

 

「世界は無数の選択肢パラレルで溢れています。撃つか撃たないか。当たるか外れるか。生きるか死ぬか。……その分岐点に立つたび、私は迷うことなく、私たちにとって最善の未来を選び取っています」

 

彼女は、足元で震えている小さな白い花を見下ろした。

 

「その花を守るために、カイル様が傷つく未来など、私には必要ありません。……だから私は、その未来ごと彼らを剪定せんていしたのです」

 

完璧な論理だった。反論の余地などない。

 

彼女は僕を守るために、僕たちの旅を成功させるために、最も効率的で確実な手段を選んだだけだ。

 

だが。僕の胸に残る、この鉛のような重さは何だ?

 

「……行こう、カイル」

 

フェイが背中を叩いた。

 

「エリスの言う通りよ。いちいち気にしてたら、魔王城まで身が持たないわ」

 

「そうですわ、カイル様。……さあ、浄化して差し上げましょう」

 

ミラが微笑みながら杖を振るうと、白い光がガーディアンの残骸と花を包み込んだ。

 

慈愛に満ちた光。

 

だが、光が消えた後、そこにあったのは綺麗な結晶体と化した「無機質なオブジェ」だけだった。オイルの臭いも、花の香りも、彼らの無念すらも、すべてが「浄化」されて消え失せていた。

 

(……違う)

 

僕は心の中で叫んだ。

 

これは救いじゃない。これはただの「消去」だ。

 

僕は聖剣の柄を強く握りしめた。手が震えている。

 

目の前の仲間たちが、魔王よりも恐ろしい存在に見える。彼女たちには「心」がないわけじゃない。ただ、その心の形が、あまりにも合理的すぎて、人間味という名の「ノイズ」を一切許容しないのだ。

 

(アルス……)

 

また、あの地下室の光景がフラッシュバックする。

 

『……ったく、また無茶しやがって』

 

ブツブツと文句を言いながら、僕の折れた剣を直すアルスの背中。

 

彼は決して「仕方ない」とは言わなかった。「道具にも心がある」「痛みがある」と言って、壊れた鉄屑にすら名前をつけて話しかけていた。

 

あの油臭い空間だけが、僕が人間でいられる唯一の場所だったのかもしれない。

 

「カイル様? 遅れますわよ」

 

エリスの声が、僕を現実に引き戻す。

 

「……ああ」

 

僕は一度だけ振り返り、結晶化したガーディアンと花に別れを告げた。

 

ごめん。僕には、君たちの想いを拾い上げることも、直すこともできない。

 

僕は前を向いた。

 

乾いた風が吹き抜ける鉄の墓場を、僕たちは進んでいく。完璧で、効率的で、そして決定的に「何か」が欠落した英雄として。

 

第5話 完


【第6話 虚飾の凱旋、剥がれない仮面

明日(土) 8:00 公開

豪華な食事。最高級のワイン。けれど、カイルには味がしない。

徐々に失われていく「人間としての感覚」。勇者というシステムが、彼を侵食していく。

明日(土) 8:00 公開

12:00 第7話

18:00 第8話


■明後日(3日目)

12:00 第9話

18:00 第10話

20:00 第11話(真の物語、始動)



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