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第4話 双剣の魔法使い、燃え盛る合理性

国境を越え、魔王領の入り口となる「大樹海」へ足を踏み入れた瞬間から、世界は緑一色に塗りつぶされた。

 

ジュボッ、ジュボッ……。

 

樹齢数百年を越える巨木たちが空を覆い隠し、昼間だというのに薄暗い。

 

地面は腐葉土と湿った苔でぬかるみ、一歩進むたびにブーツが嫌な音を立てて沈み込む。肌にまとわりつくような濃密な湿気。そして、耳元で絶えず羽音を立てる無数の虫たち。

 

ここには、王都の整然とした美しさはない。あるのは、生と死が混濁し、腐敗と再生を繰り返す、圧倒的な「生命の熱気」だった。

 

「うわ、最悪。……湿気で髪が爆発しそう」

 

後方でフェイが不満げに声を上げる。

 

彼女は真紅のローブの裾を僅かに持ち上げ、泥を避けるように爪先立ちで歩いていた。その表情には、自然への畏敬など微塵もなく、ただ「汚いもの」を見るような生理的な嫌悪感が張り付いている。

 

「我慢してください、フェイ。ここは魔王城への最短ルートです。……予定より3分遅れています」

 

先頭を行くエリスが、地図を見ながら冷静に諭す。

 

彼女の歩調は乱れない。泥濘ぬかるみの上でも、まるで舗装された道を歩くかのように正確だ。彼女にとって、この森は「風景」ではなく、単なる「通過すべき距離」でしかないのだろう。

 

「皆様、虫除けの結界を維持していますから、離れないでくださいね。……外側は不潔ですわ」

 

聖女ミラの言葉通り、僕たちの周囲だけは透明なドームに覆われ、虫が寄ってこない。

 

だが、その結界の外側では、拳大の毒虫たちが虎視眈々と侵入の機会を窺っているのが見えた。

 

この清潔なカプセルの中で、僕だけが息苦しさを感じていた。森が、僕たちを「異物」として拒絶している気がする。僕たちが歩くたびに、森の静寂が悲鳴を上げているような錯覚。

 

数時間ほど歩いただろうか。僕たちの前進は、唐突に阻まれることになった。

 

「……行き止まりか」

 

僕たちの目の前を、巨大な「いばらの壁」が完全に塞いでいた。

 

大人の腕ほどもある太いトゲを持つ蔦が、幾重にも絡まり合い、高さ十メートル以上の緑の城壁を形成している。左右を見渡しても、その壁は森の奥深くまで際限なく続いているようだった。

 

「風で探りましたが……」

 

エリスが弓を下げ、眉をひそめて首を振った。

 

「この茨、数キロ先まで隙間なく続いていますわ。自然にできたものというより、森そのものが私たちを拒んで、意思を持って道を閉ざしているような……」

 

「魔王軍の防衛線ってわけか。……迂回していたら数日はかかるな」

 

僕は聖剣アークを抜き放った。

 

「切って進むしかない」

 

僕は切っ先に魔力を込め、目の前の太い蔦に刃を当てた。

 

ザシュッ!!

 

聖剣の切れ味は鋭く、鋼鉄のように硬い蔦も容易く切断される。切り口から緑色の樹液が血のように噴き出した。

 

「よし、開いた……!」

 

そう思ったのも束の間だった。

 

ズルズル、ギチギチ……。

 

不快な音が響き、切ったそばから切り口が蠢き始めた。切断された蔦同士が生き物のように絡み合い、瞬く間に再生していく。数秒後には、僕が切った痕跡などどこにも残っていなかった。

 

「なっ……再生速度が早すぎる!」

 

僕は再度、剣を振るう。今度は連続で、再生が追いつかないほどの速さで斬撃を浴びせる。

 

ザンッ! ザンッ! ザンッ!!

 

だが、結果は同じだった。切れば切るほど、森は活性化し、より太く、より鋭い棘を持った蔦が鎌首をもたげて再生する。

 

終わりのない徒労感。圧倒的な自然の生命力を見せつけられ、僕は自分の無力さと、じりじりとした苛立ちを感じていた。

 

(これじゃあ、いつまで経っても魔王の元へなんて辿り着けない……)

 

「ねえカイル、なんでそんな『原始的』なことをしてるの?」

 

僕の焦りをよそに、背後から呆れたような、それでいて楽しげな声がかかった。

 

フェイだ。

 

彼女は泥濘の中でも軽やかにステップを踏み、僕の隣に並んだ。その手には、彼女の身の丈ほどもある長い杖「イグニス」が握られている。杖の先端に埋め込まれた紅蓮の魔石が、薄暗い森の中で怪しく明滅していた。

 

「フェイ、原始的って……見ての通りだ。切ってもキリがないんだよ」

 

僕は額の汗を拭いながら答えた。

 

「だからよ。切るから生えてくるの。植物だって生きてるんだから、中途半端に刺激を与えれば反撃してくるわ。……カイルってば、本当に脳筋なんだから」

 

彼女は杖を指揮棒のようにくるりと回し、悪戯っぽくウィンクした。

 

「邪魔なら、消せばいいじゃない。……迂回なんて非効率よ。ここから目的地まで、直線距離で『トンネル』を開通させるわ」

 

「トンネルって……森を焼く気か?」

 

僕はギョッとして彼女を見た。ここは乾燥した荒野ではない。可燃物の宝庫である密林だ。火魔法など使えば、あっという間に制御不能な山火事になって、僕たちまで巻き込まれる。

 

「火事になったら大変だぞ。それに、この森の生態系が……」

 

「あはは! 心配性ねえ、カイルは」

 

フェイはケラケラと笑い、僕の肩をポンと杖で叩いた。

 

「あたしの魔法制御コントロールを舐めないでよ。無駄に燃やしたりしないわ。必要な部分『だけ』を、素粒子レベルで分解してあげるから」

 

「分解……?」

 

彼女が口にした「効率」という言葉に、背筋が粟立つような予感を覚えた。

 

彼女の瞳には、森への畏敬も、生命への配慮もない。この数千年の歴史を持つ森さえも、彼女にとっては単なる「計算式上の障害物」であり、削除キーひとつで消せるデータに過ぎないのだ。

 

フェイが一歩前に出る。彼女は杖を垂直に立て、両手を広げた。

 

「見てて。……世界で一番きれいな、あたしの炎を」

 

空気が変わった。湿った森の空気が、急激に乾燥していく。

 

周囲のマナが渦を巻き、フェイの杖の先端へと吸い込まれていく。だが、その詠唱は拍子抜けするほど短く、まるで鼻歌を歌うように軽かった。

 

「『共鳴せよ、赤方偏移。――熱量崩壊サーマル・コラプス』」

 

彼女が杖を、横一文字に薙ぎ払った。

 

放たれたのは、爆炎ではない。音のない、透明に近い蒼白色の閃光だった。

 

シュンッ……。

 

空気が一瞬で蒸発する、乾いた音だけが鼓膜を打つ。

 

熱さすら感じなかった。あまりに温度が高すぎて、熱が周囲に伝導する暇もなく、対象を物理法則の彼方へと消し飛ばしているのだ。

 

目の前の分厚い茨の壁が。数百年を生きた太い巨木が。そしてその陰に潜んでいただろう虫や小動物たちが。

 

悲鳴を上げる暇もなく、燃える過程すら省略されて「無」へと変換されていく。

 

灰すら残らない。煙すら上がらない。

 

ただ、フェイが杖を振った軌跡上の空間だけが、まるで神様が定規で線を引いて消しゴムでこすったように、世界から綺麗サッパリと消失していた。

 

光が収まった後には、森の中に定規で引いたような、直径五メートルほどの完璧な「円形のトンネル」だけが残されていた。

 

どこまでも真っ直ぐに、森を貫通して続く空虚な穴。植物の再生能力など意味を成さない。そこには再生すべき「種」さえ残されていないのだから。

 

「……嘘だろ」

 

僕は言葉を失った。

 

それは魔法というより、バグを起こした世界の一部を切り取ってしまったかのような、恐ろしいほど美しい破壊の跡だった。焼けた匂いすらしない。ただ、オゾン臭のような鋭い刺激臭だけが鼻を突く。

 

「はい、開通。……これで最短ルートよ」

 

フェイは何事もなかったかのように杖を下ろし、ふぅ、と息を吐いた。汗一つかいていない。数キロに及ぶ森を消滅させたというのに、彼女にとっては散歩のついでに小石を蹴飛ばした程度のことなのだ。

 

「さ、行きましょ。……あーあ、早くお風呂に入りたい」

 

彼女は僕の横をすり抜け、さっさとトンネルの中へと歩き出した。その背中は、あまりに軽やかで、無邪気で。だからこそ、底知れない恐怖を感じさせた。

 

「……行きますわよ、カイル様」

 

エリスが淡々と続く。彼女もまた、この異常な破壊を当然のものとして受け入れている。むしろ、「効率的で素晴らしい」とすら思っているのかもしれない。

 

「すごいですね、フェイ様! ……これなら、皆様のお召し物が汚れる心配もありませんわ!」

 

聖女ミラが無邪気に手を叩き、フェイの後を追う。

 

彼女たちの感覚は麻痺しているのか? それとも、僕がおかしいのか?

 

僕は震える手で聖剣を鞘に収めた。鞘の中で、アークが怯えるように微かに鳴った気がした。

 

(……怖いな)

 

僕は初めて、仲間に対して「恐怖」を抱いた。

 

魔王軍の脅威ではない。味方であるはずの彼女たちの、その圧倒的な「力」と、それを行使することへの「躊躇のなさ」に。

 

もし、僕が「邪魔だ」と判断されたら? もし、僕が「非効率だ」と切り捨てられたら? 彼女たちは、この森を消したのと同じような気軽さで、僕を「削除」するのではないか。

 

「……待ってくれ、みんな」

 

僕は重い足取りで、彼女たちの背中を追った。

 

トンネルの壁面は、高熱でガラス化し、鏡のように僕の姿を映し出していた。そこに映る僕は、ひどく小さく、頼りなく見えた。

 

(アルス……)

 

ふと、王城の地下にいる友人の顔が浮かんだ。

 

彼なら、この光景を見て何と言うだろうか。「酷い修理だ」と眉をひそめるだろうか。それとも、「効率的な解体だ」と苦笑するだろうか。

 

会いたい。

 

この息が詰まるような「完璧な行軍」の中で、僕は無性に、彼のいるあの薄暗くて油臭い場所が恋しくなっていた。

 

「カイル様? どうされましたの? 遅れていますわよ」

 

ミラの呼ぶ声に、僕はハッと顔を上げた。

 

「……ああ、今行く」

 

僕はガラス化した地面を蹴り、走り出した。

 

背後に広がる深い森が、傷口を塞ぐように再び蠢き始めていたが、もう振り返らなかった。

 

僕たちは進む。何もかもを破壊し、何もかもを置き去りにして。それが「勇者パーティ」の正義だと、自分に言い聞かせながら。

 

第4話 完

【次回予告】

第5話 必中の弓、因果の略奪

本日(金) 18:00 公開(2話同時投稿)

敵の動きを予測しているのではない。「結果」だけを先に決めているのだ。

弓使いエリスの瞳に映る、冷酷なまでの因果律。

■明日(2日目)

08:00 第6話

12:00 第7話

18:00 第8話


■明後日(3日目)

12:00 第9話

18:00 第10話

20:00 第11話(真の物語、始動)


※以降は毎日18:00に更新予定です。



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