第3話 招かれざる「客人」
その日の夜。
凱旋パレードの興奮も冷めやらぬ深夜の王城地下工房に、不躾な訪問者が現れた。
ガンッ、ガンッ、ガンッ!!
分厚い鉄扉を叩く、乱暴な音。
ノックではない。これはもう「襲撃」に近い。
「……はいはい。開いてるよ」
俺は作業の手を止めずに、肩越しに声をかけた。
こんな時間に、こんな無礼な叩き方をする奴は、世界広しといえども一人しかいない。
ギギギィィィ……。
錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、扉が開かれる。
そこに入ってきたのは、全身に包帯を巻き、ボロボロの私服を纏った青年――
昼間、数万人の民衆に手を振り、輝かしい笑顔を振りまいていたはずの「救世の勇者」だった。
「……よう、アルス。起きてるか?」
カイル・ロッド。
彼は疲れ切った表情で、工房の入り口に立っていた。
その手には、昼間のパレードで背負っていたはずの『聖剣アーク』が握られている。
いや、正確には「引きずられている」。
「起きてるよ。……君が来る足音が、階段の上から聞こえていたからね」
俺は作業台の上のランプの灯りを強めた。
カイルは無言で工房に入ってくると、ドサリと聖剣を作業台の上に投げ出し、そのまま近くの木箱に座り込んだ。
「……悪ぃ。また、やった」
短すぎる謝罪。
だが、それだけで十分だった。
俺は黙って、作業台の上の聖剣を見下ろした。
昼間、遠距離スコープで見た時は完璧に見えた。
だが、間近で見るとその惨状は明らかだった。
刀身には微細なクラック(亀裂)が無数に走り、柄の部分の革は擦り切れ、装飾の宝玉は光を失って濁っている。
まるで、寿命を使い果たした老人のようだ。
「……ひどいな」
俺は聖剣に触れた。
指先に伝わってくるのは、金属の冷たさだけではない。
キィキィ、と耳鳴りのような不協和音が、指先から脳へと直接響いてくる。
『痛い……痛いよぉ……』
『もう無理だ……折れる……次は折れる……』
聖剣の精霊が泣いている。
限界だ。これ以上、カイルの強大な聖なる力(出力)に耐えられないと悲鳴を上げている。
「オーガの変異種だろ? ……昼間のパレードの」
俺はウエスを取り出し、刀身についた黒い血を拭き取り始めた。
「ああ。……硬かった。普通の斬撃じゃ通らなくて、全力を出しちまった」
カイルが頭を抱える。
勇者としての責務。
人々を守るために、彼は常に全力を出さなければならない。
だが、その代償として、彼の武器は毎回こうしてボロボロになる。
「カイル、言ったはずだ。……君の出力は異常だ。今のこの世界の鍛冶技術じゃ、君の全力に耐えられる金属なんて存在しない」
俺は冷静に事実を告げた。
これは才能という名の呪いだ。
彼は強すぎるがゆえに、何も持てない。
普通の剣なら一振りで粉砕し、伝説の聖剣ですら、数回の戦闘でスクラップにしてしまう。
「……分かってるよ。でも、やるしかねぇだろ」
カイルが顔を上げた。
その瞳には、深い疲労と、それ以上に強い「渇き」のような色が宿っていた。
「目の前で誰かが襲われてるんだ。……手加減なんてできるかよ」
「だからって、道具を殺していい理由にはならない」
俺は冷たく突き放した。
職人として、道具を粗末にする使い手を許すわけにはいかない。
たとえ相手が親友でも、勇者でもだ。
「……ごめん」
カイルが小さく呟く。
その姿があまりに情けなくて、そしてあまりに不器用で。
俺は大きな溜息をついた。
「……貸して」
俺は聖剣を作業台に固定し、工具箱から専用の魔導ハンマーを取り出した。
怒っていても仕方がない。
壊れたのなら、直すだけだ。それが俺の仕事であり、この地下室にいる唯一の理由なのだから。
「今夜中に終わらせる。……明日の朝には、また新品同様にしてやるよ」
「アルス……」
「礼はいらない。……その代わり、そこで大人しくしててくれ。君の『溜め息』が鉄に混じると、純度が下がる」
俺は冗談めかして言い、ハンマーを振り上げた。
カンッ!!
乾いた音が響く。
一打ごとに、聖剣の悲鳴が小さくなっていく。
歪んだ魔力回路を叩いて正し、詰まった魔素の流れを疎通させる。
外科手術のような精密さと、鍛冶のような力強さ。
その両方を兼ね備えた、俺だけの「修理」。
カイルは黙ってそれを見ていた。
木箱に座り、膝を抱えて。
まるで、悪いことをして叱られるのを待っている子供のように。
(……まったく。世界を救う勇者が、こんな地下室で縮こまってるなんてな)
俺は心の中で苦笑した。
世間は知らない。
輝かしい勇者の剣が、こうして毎晩、泥臭い修理によって維持されていることを。
そして、その勇者自身もまた、傷つき、悩み、壊れかけながら戦っていることを。
「……なあ、アルス」
不意に、カイルが口を開いた。
ハンマーの音に負けないように、けれどどこか自信なさげな声で。
「俺、いつまで保つかな」
「……何がだ?」
「俺の体も、心も。……この剣みたいに、いつかパキッと折れちまうんじゃないかって、時々怖くなるんだ」
俺の手が止まった。
振り返ると、カイルは自分の両手を見つめて震えていた。
オーガを殴り殺せる豪腕が、今は小刻みに震えている。
限界が近い。
剣だけじゃない。
カイル自身の精神の摩耗も、危険域に達している。
俺はハンマーを置いた。
そして、作業台の引き出しから、一本の瓶を取り出した。
琥珀色の液体が入った、安物の蒸留酒。
「……ほらよ」
俺はグラスも出さず、瓶ごとカイルに放り投げた。
カイルは慌ててそれを受け止める。
「修理屋の特製オイル(燃料)だ。……錆びついた神経には、これが一番効く」
「……ははっ。酒かよ。未成年だぞ、俺たち」
「ここは王城の地下だ。法律なんて届かないよ」
カイルは苦笑しながら栓を抜き、瓶の口に口をつけて煽った。
ゴクリ、と喉が鳴る。
そして、「くぅーっ!」と息を吐き出し、少しだけ顔色が良くなった。
「……ありがとな、アルス」
「礼には及ばない。……その燃料代は、明日の朝食のパン一個で手を打ってやる」
「安っ。……世界を救う勇者の依頼料が、パン一個かよ」
「君の依頼料なんて、そんなもんだろ」
二人の間に、静かな笑い声が落ちた。
地下室の空気は冷たいが、ここだけは不思議と温かい。
俺たちはこうして、互いの傷を舐め合い、互いの欠けた部分を補い合って生きてきた。
俺は再びハンマーを握った。
夜はまだ長い。
この剣を直し、そしてこの不器用な勇者の心を少しでも軽くするために。
俺は今日も、影の中で鉄を叩き続ける。
第3話 完
【次回予告】
第4話 双剣の魔法使い、燃え盛る合理性
本日(金) 18:00 公開
18:00 第5話
■明日(2日目)
08:00 第6話
12:00 第7話
18:00 第8話
■明後日(3日目)
12:00 第9話
18:00 第10話
20:00 第11話(真の物語、始動)
※以降は毎日18:00に更新予定です。




