第29話 堕ちる空、迫る影
『警報。システム中枢に不正アクセスを検知。これより、排除モードへ移行します』
頭蓋骨の内側に直接響くような、冷徹で無機質なアナウンス。
その声が終わるか終わらないかの刹那、世界の色が反転した。
先ほどまで静謐な「聖なる青」に満たされていた制御室が、瞬きする間に「血管のような赤」へと塗り替えられたのだ。
ウゥゥゥゥゥン!!
鼓膜を物理的に叩くようなサイレンが鳴り響く。壁面に走る幾何学模様の回路が、警告を示す激しい明滅を繰り返し、部屋全体が生き物のように脈打ち始めた。
「うおっ!? 地震か!?」
ゼノが床に手を突き、獣のように低い姿勢を取る。
ギシギシギシッ……!
巨大な尖塔全体が、何かに締め上げられているかのような悲鳴を上げ始めた。
さらに悪いことに、物理法則そのものが狂い出す。
足元の床が大きく傾き、三半規管が暴力的に揺さぶられる。重力制御装置が暴走しているのだ。身体が風船のようにフワリと浮き上がりそうになったかと思えば、次の瞬間には鉛の鎖で縛られたように重くなり、床に縫い付けられる。
「まずいわ! 『星の欠片』を抜いたせいで、この島のバランス維持機能が止まってしまったのよ!」
リィンが傾く端末卓にしがみつき、悲鳴に近い声を上げる。
カイルの背後にあった巨大な水晶柱。そこから引き抜いた青い結晶こそが、この浮遊島を空に留めていた心臓部だったのだ。
島の心臓部を止めてしまった代償。それは、この空の孤島の「墜落」を意味していた。
「チッ……時間切れね」
エリスが舌打ちをした。
彼女は揺れる床の上でも体勢を崩さず、冷ややかな目で僕たちを一瞥した。
「殺し合う手間が省けたわ。……そのまま瓦礫と一緒に地上の染みになりなさい」
言い捨てると、彼女はカイルの手を引き、空間転移の魔法陣を展開して姿を消した。
「待てッ! カイル!!」
僕が伸ばした手は、虚空を掴んだだけだった。
「排除モードって……つまり、僕たちごとこの遺跡を自爆させる気かい!」
僕はポケットにねじ込んだ『星の欠片』――熱く脈動するその重みを確かめ、出口へと視線を走らせた。
目的の物は手に入れた。だが、生きて持ち帰らなければただの瓦礫だ。カイルを連れ戻すための「鍵」を、ここで失うわけにはいかない。
「逃げるよ! アイゼンまで全力疾走だ!」
僕たちは赤く明滅する回廊を駆け抜け、制御室を飛び出した。
だが、美しい庭園エリアへと戻った僕たちを待っていたのは、さらに悲劇的な光景だった。
カシャッ……カシャッ……!
先ほどまで、白い花を愛で、静かに水を撒いていた「庭師」のオートマタたち。
彼らが、その園芸用のハサミを凶器へと変え、カメラアイを赤く発光させて、僕たちに殺到してきたのだ。
「侵入者、排除。侵入者、排除……」
壊れたレコードのように、同じ言葉を繰り返す電子音声。
かつての穏やかな足取りは消え、不規則で痙攣するような動きで、ただ「殺す」ためだけに襲いかかってくる。関節からは油が滲み出し、駆動系が無理な稼働で悲鳴を上げている。
「くそっ、どいてくれぇぇッ!」
ゼノが咆哮し、大剣を一閃させる。
ガシャンッ!
錆びついたボディが紙のように両断される。
切断面から撒き散らされたのは、赤い血ではない。鮮やかな「青いオイル」と、激しい火花だった。焦げた絶縁体の臭いが、花の香りを塗りつぶしていく。
破壊された人形が、ガラクタとなって地面に転がる。
その手には、まだ摘み取ったばかりの、手折られた「白い花」が握りしめられていた。
「……やりたくねぇんだよ、こんなことは!」
ゼノが顔を歪めながら、次々と襲い来る人形を破壊していく。
何百年、何千年と、誰もいないこの庭を守り続けてきた彼ら。その最期が、自らが守り続けてきた美しい花壇を、自分たちの残骸とオイルで汚すことだなんて。
あまりにも残酷なシステムだ。
美しい廃墟は、瞬く間に鉄屑とオイル、そして硝煙にまみれた戦場へと変わっていった。
「……ごめんね。すぐに楽にしてあげるよ」
僕は走りながら、一体の人形の背後に回り込んだ。
錆びついた装甲の隙間に指を滑り込ませ、動力パイプを一息に引き抜く。
プスン……。
人形は糸が切れたように崩れ落ちた。
彼らに罪はない。ただ、暴走したプログラムという名の「呪い」に従っているだけだ。だからせめて、痛みを感じる前に眠らせる。
「感傷に浸っている暇はないよ! 止まれば殺される!」
僕は立ち止まりかけた仲間を叱咤し、出口を目指してひた走った。
崩れ落ちる柱、ひび割れる地面。楽園は崩壊し、地獄へと姿を変えつつあった。
息を切らして島の外縁部、アイゼン・ツヴァイを停めてある広場まで戻ってきた。
黒い鉄の愛車は、崩落する瓦礫の中で奇跡的に無傷で待っていた。迷彩塗装が解除され、黒光りする車体が頼もしく鎮座している。
「よかった、無事だ……!」
だが、安堵したのも束の間だった。
「……おい、あれは何だ?」
リィンが震える声で空を見上げ、絶句した。
島の周囲を覆っていた防護シールドの一部が、まるでガラス細工のように粉々に砕け散っていた。
そして、その割れ目から、巨大な「黒い影」が、ぬるりと侵入してきていたのだ。
それはドラゴンではない。
鋭角的なフォルムを持つ、漆黒の装甲に覆われた巨大な「武装飛空艇」だった。
全長はアイゼンの10倍以上。船体には、見覚えのある「アステリア王国の紋章」が刻まれているが、その色は禍々しい血のような赤に塗り替えられている。
「王国の飛空艇!? バカな、今の技術レベルで成層圏まで来れるはずがない!」
僕の中の技術者としての常識が、けたたましく警鐘を鳴らす。
僕がアイゼンを飛ばすために、どれだけの計算と改造、そしてドラゴンの素材をつぎ込んだと思っているんだ。既存の魔導エンジンでは、この高度の気圧と、あの魔力嵐には絶対に耐えられないはずだ。
なのに、奴らは平然と空に浮いている。
まるで、僕たちが知らない「未知の動力」を持っているかのように、静かに、そして圧倒的な威圧感でそこに存在していた。
「……追っ手か。しかも、僕たちよりも遥かに高度な技術を持った連中だね」
黒い船の底部ハッチが開き、そこから無数の影が吐き出された。
背中に人工の魔力翼を生やした、空戦仕様の「黒い騎士」たちだ。彼らはハイエナのように群れを成し、僕たちを包囲するように降下を開始していた。
「アルス、どうする!? 完全に包囲されてるわ!」
リィンが叫ぶ。
島の崩壊、暴走する警備システム、そして謎の超技術を持つ追っ手。状況は「詰み」に近い最悪だ。
だが、僕の心は冷え切るどころか、逆にエンジンのように熱く回転し始めていた。
「乗るんだ! 遺跡が落ちるのが先か、あいつらに捕まるのが先か……デッドヒートの始まりだよ!」
僕たちはアイゼンに飛び乗り、ハッチを閉めた。
「しっかり捕まっててくれ! 舌を噛むよ!」
僕は叫ぶと同時に、アイゼンのアクセルを床まで踏み抜いた。
ドォォォォンッ!!
竜血エンジンが咆哮し、四基のスラスターから青白い炎が噴き出す。
アイゼンは弾丸のように加速し、崩れ落ちる瓦礫の隙間を縫って飛び出した。
「逃がすな! 包囲しろ!」
「魔導砲、斉射!」
背後から、黒い騎士たちの怒号と、空気を焦がす熱線の雨が降り注ぐ。
ジュワッ! ドガガガッ!
アイゼンの周囲で石畳が爆ぜ、溶解する。シールド(障壁)が激しく明滅し、車体が悲鳴を上げる。
敵の攻撃は正確無比。しかも、その機動力は異常だった。空中に浮かぶ彼らは、重力や慣性を無視した鋭角的な動きで、執拗にアイゼンの死角へと回り込んでくる。
「なんなのあいつら!? 動きが人間じゃないわ!」
リィンがモニターを見ながら叫ぶ。
「ああ、間違いないね。あいつらの中身は人間じゃない」
僕はバックミラー越しに、追手の動きを観察した。
呼吸の乱れも、恐怖による躊躇いもない。完全に統率された群れの動き。あれは、カイルを縛っていた首輪と同じ。「思考を奪われた兵士」か、あるいは「人を模した生体兵器」だ。
「チッ、胸糞悪い連中だぜ! 大将、撃ち落としてもいいか!?」
ゼノが窓から身を乗り出し、ガトリング砲のグリップを握る。
「弾の無駄だ! 見てみろ、前を!」
僕が指差した先。
通路の前方が、地盤沈下によって完全に崩落し、断崖絶壁となっていた。その下は底なしの奈落。落ちれば雲海まで一直線だ。
「行き止まりだぁぁぁッ!?」
「いいや、道はある!」
僕はニヤリと笑い、コンソールの「重力制御スイッチ」を逆転させた。
「この遺跡の重力は狂っている。……なら、それを利用しない手はないだろ?」
ガシュッ!
アイゼンのタイヤが変形し、強力な磁力アンカーが展開される。僕はブレーキを踏むどころか、さらに加速して断崖へと突っ込んだ。
「うおおおおおっ!? 死ぬぅぅぅッ!!」
ゼノとリィンの絶叫が重なる。
だが、アイゼンは落ちなかった。
空中に飛び出した瞬間、僕はスラスターを上向きに噴射し、機体を強引に半回転させた。
ガガガガッ!!
衝撃と共に、アイゼンのタイヤが捉えたのは「地面」ではない。頭上にあったはずの「天井の回廊」だ。
「なっ……!?」
追手の騎士たちが驚愕し、動きを止める。彼らの常識では、獲物が突然「天井に着地」して走り出すなど予測できなかったのだろう。
「ははっ! 見ろよリィン! 空が下にあるぜ!」
ゼノが狂ったように笑う。
上下の感覚が破壊され、空へと「落下」していくような浮遊感。それとは対照的に、タイヤが天井の石材を噛み砕き、重力に逆らって火花を散らす際の、脳を揺さぶる激しい振動。
天地が逆転した世界で、僕たちは天井の柱をスラロームのように避けながら、猛スピードで疾走した。
「計算通りだ。重力制御装置が壊れたおかげで、今のこの空間は重力が乱れ飛んでいる。……つまり、壁も天井も、タイヤが接地すればそこが『道』になる!」
これぞ、職人特製の「パルクール・ドライブ」だ。
「アルス、前方12時の方向! シールドの亀裂が見えたわ!」
リィンの指示通り、崩壊するドームの隙間から、外の光が差し込んでいた。あそこが唯一の出口。
だが、そこには先回りした黒い武装飛空艇が、巨大な砲門をこちらに向けて待ち構えていた。
『逃げ場はない。投降せよ』
船体から放たれた無機質な警告と共に、主砲の充填音が響く。この距離で直撃を受ければ、アイゼンの装甲でも蒸発する。
「……投降? お断りだね」
僕はポケットの中の『星の欠片』を強く握りしめた。カイルをあんな目に合わせた連中に、膝を屈するつもりはない。
「ゼノ、リィン! 最後の賭けだ! 舌を噛むなよ!」
「おうよ! やっちまえ!」
「信じてるわ、アルス!」
「全・速・前・進ッ!!」
僕はスラスターの安全リミッターを解除し、全魔力をエンジンに叩き込んだ。アイゼンが限界を超えて加速する。
目指すは出口ではない。
敵艦の「主砲の射線軸」そのものだ。
ズドォォォォンッ!!
敵の主砲が発射された。極太の熱線が、一直線に迫りくる。回避は不可能。
だが、僕はハンドルを切らなかった。代わりに、以前ゼノのために作ったあの装備のスイッチを入れた。
「ゼノ! 『竜装の胸当て』、展開ッ!」
「へっ、待ってましたぁッ!!」
ゼノがハコ乗り状態で身を乗り出し、胸の装甲板を盾のように構える。ドラゴンの鱗を加工し、受けた衝撃を倍にして跳ね返す「反射装甲」。
カァァァッ!!
熱線がゼノの胸当てに着弾した瞬間、世界が白く染まった。
凄まじい衝撃波。だが、そのエネルギーはゼノの肉体を焼くことなく、装甲板によって増幅され、拡散反射された。
ズガァァァァァァンッ!!
拡散した熱線が、敵艦のブリッジを直撃し、さらに周囲の岩盤を吹き飛ばした。巨大な爆炎と黒煙が、出口を塞いでいた敵艦を包み込む。
「今だッ!! 突っ切れぇぇぇぇッ!!」
黒煙のトンネルの中を、アイゼンは一陣の風となって突き抜けた。
バシュッ……!
視界が開けた。
瓦礫と爆炎を背後に置き去りにして、僕たちは再び、何もない成層圏の静寂へと飛び出した。
「……抜けた……!」
リィンがシートに崩れ落ちる。
バックミラーには、黒煙を上げて傾く敵の飛空艇と、崩壊を続ける天空の孤島が小さく映っていた。
「……ざまあみろだ」
僕は震える手で汗を拭い、大きく息を吐いた。
勝った。いや、生き残った。
だが、心に残ったのは勝利の味ではなかった。あの塔の中で見た、カイルの虚ろな瞳。そして、道具のように使い潰された機械たちの残骸。
(待ってろよ、カイル。……そしてエリス)
僕は星空の下、小さくなっていく魔王城を睨みつけた。
(次は、逃げるためじゃない。……お前たちを『壊して治す』ために、必ずまた来る)
アイゼンは傷だらけの翼を広げ、地上への帰還コースへと機首を向けた。
手に入れた『星の欠片』。
これが、反撃の狼煙になる。
第29話 完
※次話は明日18:00に更新予定です。




