第28話 天空の孤島と、忘れられた庭園
キィィィィン……。
アイゼン・ツヴァイ(参式)の紅蓮の翼が、真空の闇を滑るように切り裂いていく。
成層圏を突破し、さらにその上空へ。
そこは、生物の呼吸を許さない「死の静寂」に満ちた世界だった。エンジン音も、風切り音も、全てが希薄な大気の中に溶けて消えていく。聞こえるのは、コックピット内の計器が奏でる電子的なビープ音と、自分たちの心臓が早鐘を打つ音だけ。
「……見えてきたよ」
僕は操縦桿を握る手に力を込めた。手袋越しに伝わる微細な振動が、アイゼンの緊張を伝えてくる。
フロントガラスの向こう、星々の海に浮かぶ巨大な影。
それは、ただの岩塊ではなかった。
青白く発光する半透明のドーム状シールドに守られた、巨大な人工の浮遊島。かつて地上にあった文明が、空へと逃げ延びた箱舟なのか、それとも地上を監視するための神の座なのか。無機質で、それでいて神々しい威容。
「あれが……魔王城……?」
助手席のゼノが、窓に顔を押し付けて呟く。その瞳には、恐怖よりも純粋な驚異の色が映っている。
「城ってよりは、デカい空飛ぶ要塞だな。……禍々しさは感じねえ。むしろ、妙に静かで綺麗だ」
「ええ。魔力反応も安定しているわ。攻撃的な波長は感じられない」
後部座席のリィンが解析モニターを見ながら報告する。彼女の声も、この圧倒的な光景の前では自然と小さくなる。
「着陸準備に入るよ。シールドの周波数を合わせて……突入する」
僕はアイゼンの先端から微弱な魔力波を放射し、ドームの結界に「鍵」を差し込むように同調させた。ピッキングのような繊細な操作。
ニュルッ……。
まるで水面を通り抜けるような、粘性のある感覚と共に、アイゼンはシールドの内側へと滑り込んだ。
フワッ……ズンッ!
無重力の浮遊感が消え、急激に戻ってきた人工重力が内臓を下に引っ張る。タイヤが車体重量を支える軋み音が、船底のような響きを立てた。
「大気圏内突入。……いや、『島内環境』を確認。酸素濃度、正常。重力、地上の0.8倍」
リィンの報告と同時に、僕はスラスターを逆噴射させた。
ガシュッ、ズザザザ……。
翼を折りたたみ、黒いゴムタイヤが地面を捉える。アイゼン・ツヴァイは、数千年の眠りを経て、異邦人の鉄の足音を天空の孤島に響かせながら停車した。
エンジンを停止させると、そこには圧倒的な「静寂」があった。
風の音も、鳥の声もない。ただ、空調設備の低いハム音だけが、永遠のように響いている。僕たちはハッチを開け、恐る恐る外へと足を踏み出した。
「……なんて場所だ」
ゼノが呆然と声を漏らす。
僕たちの目の前に広がっていたのは、無機質な要塞の内部ではなかった。白亜の廃墟と、それを優しく侵食する植物たちの楽園だった。
崩れかけた高い尖塔、幾何学模様が刻まれた回廊、そしてどこまでも続く白い石畳。
それら全てに、水晶のような透明な花弁を持つ巨大な花や、青白く発光する蔦が絡みついている。足元の苔を踏むたびに、ポゥ……と、柔らかな光の波紋が広がった。
空気は冷たく、どこか「滅菌室」のような清潔な匂いと、甘い蜜の香りが混ざり合った不思議な芳香に満ちている。
「カイルは……こんな綺麗な場所に閉じ込められているのかい」
僕は周囲を見渡した。
魔族の城というよりは、神話に出てくる「エルフの聖域」に近い。だが、ここにあるのは自然の温かみではなく、計算され尽くした人工的な美しさだ。命の気配がない。まるで、時間が凍りついたまま保存された標本のようだ。
カシャッ、カシャッ……。
花畑の奥から、規則的な音が聞こえてきた。
砂利を踏む音ではなく、金属が触れ合う硬質な音。
「何かいるぞ」
ゼノが大剣の柄に手をかける。
茂みをかき分けて現れたのは、錆びついた真鍮色の人型機械だった。頭部には目のかわりにカメラレンズが一つ。背中にはタンクを背負い、ハサミのような腕を持っている。
「……庭師、かな」
機械人形は僕たちを一瞥もしなかった。
ただ淡々と、ハサミのような腕で枯れた花を摘み取り、背中のタンクから肥料を与えている。その動きには迷いも、感情もない。
「おい、こっちは侵入者だぞ? 無視かよ」
ゼノが近づいて手を振るが、人形は障害物を避けるようにゼノの横を通り過ぎ、次の花壇へと向かっていくだけだ。
「プログラムされた命令を繰り返しているだけだよ」
僕はその背中を見つめ、少しだけ胸が痛んだ。
錆びついた関節。塗装の剥げた装甲。それでも彼は、動き続けている。
「この島が造られてから、何百年、いや何千年……彼らは誰もいないこの庭を守り続けてきたんだね。誰に見られることもなく、褒められることもなく」
それは、かつて地下室で誰にも気づかれずに壊れた道具を直し続けていた、僕自身の姿と重なった。孤独な職務。でも、彼はきっとこの庭を愛している。そう思いたかった。
「……ご苦労さま。邪魔はしないよ」
僕は小さく声をかけ、人形の肩(らしき部分)に積もっていた埃を、そっと手で払ってやった。
庭園を抜け、島の中央にそびえ立つ巨大な尖塔を目指した。
そこは、この島の他の建物とは異なり、黒い金属で覆われた異質な塔だった。おそらく、ここが制御中枢であり、カイルがいる場所だ。
「……ここまでは観光気分だったけど、ここからはそうもいかないみたいだね」
塔の入り口、高さ十メートルはある巨大なゲートの前に立った時、静寂が破られた。
『警告。未登録の生体反応を検知。コード・レッド』
『立ち去りなさい。ここは管理区域です』
頭の中に直接響くような、無機質な合成音声。
ズズズズ……!
門の両脇に設置されていた石像――いや、擬態していた警備用ゴーレムが起動した。
庭師とは違う。戦闘用に特化された鋭利なフォルム。全長3メートル。表面の装甲は鏡のように磨き上げられ、手には高周波で振動するブレードが握られている。
「庭師とは違って、こっちは愛想が悪そうだぜ」
ゼノが大剣を構え、前に出る。背中の翼を広げ、臨戦態勢に入る。
「やるかい、大将? 鉄屑にするのは得意だぜ」
「待ってくれるかな」
僕はゼノを制し、アイゼンのコンソールから引き出した解析端末を手にした。画面に走る文字列が、敵の性能を冷酷に弾き出している。
「あれは『自律迎撃型』だ。動きを見れば分かるけど、相当高度な戦闘ロジックが組まれている。正面からやり合えば、こちらの被害も無視できないよ」
「じゃあどうするのよ? 説得でもする気?」
リィンが杖を構えながら問う。
「説得に近いかな。……機械語での話し合いだ」
僕はポケットから、緑色の液体が入ったフラスコを取り出した。怪しげに発光するその液体は、僕が道中の暇つぶしに調合しておいた「切り札」の一つだ。
「ハッキングだよ。……と言っても、キーボードを叩くんじゃない。俺の魔力を込めた『術式浸食液』を、あいつの回路に直接流し込む」
「は? 液体でハッキング?」
「ああ。金属を溶かすんじゃなく、金属に宿る『魔力回路の命令系統』だけを溶解し、書き換えるための劇薬だ」
僕はフラスコを振り、不敵に笑った。
「ゼノ、リィン。あいつの注意を10秒だけ引きつけてくれるかい? その隙に、僕が『お薬』を注射してあげる」
「10秒だな! ……死んでも持たせるぜ!」
ゼノが吼え、大剣を構えて突進する。
ガギィィィン!!
金属同士が激突する轟音が、静寂な庭園に響き渡る。
ゴーレムの高周波ブレードと、ゼノの竜鱗の大剣が火花を散らす。力比べではゼノが互角以上だが、相手は痛みを知らない機械だ。一歩も引かず、精密機械のような連撃でゼノを押し込んでくる。
「くっ、重てぇ! こいつ、見た目よりパワーがありやがる!」
「援護するわ! 『雷撃』!」
リィンの魔法がゴーレムの関節を狙うが、鏡のような装甲が魔法を弾き飛ばす。魔法耐性コーティングまで施されている。隙がない。
だが、その一瞬の硬直があれば十分だ。
「……お邪魔します」
僕はその隙を見逃さず、ゴーレムの背後へと滑り込んだ。
狙うのは、装甲の隙間にある排熱口。そこへ、フラスコの液体を一気に注ぎ込む。
ジュワッ……。
液体が気化し、緑色の煙となって内部へと吸い込まれていく。物理的な破壊ではない。魔力回路そのものを溶かす「論理ウイルス」の侵入だ。
『警告。内部エラー発生。論理矛盾ヲ検知……』
ゴーレムの動きがぎこちなくなり、カメラアイが激しく明滅し始める。
『敵対対象……味方……? 排除……保護……?』
「混乱しているね。……おやすみ、番人さん」
僕が指を鳴らすと、ゴーレムは糸が切れた操り人形のように膝をつき、そのまま動かなくなった。完全に機能停止したわけではない。敵対プログラムだけを溶解し、「スリープモード」へと移行させたのだ。
「ふぅ……。危ないところだったぜ」
ゼノが肩で息をしながら大剣を収める。
「あんたの薬、相変わらずエグい効き目だな」
「ただの強制終了だよ。壊すのは忍びないからね」
僕は動かなくなったゴーレムの装甲をポンと叩き、塔の入り口を見上げた。巨大な扉が、重々しい音を立ててひとりでに開き始める。まるで、僕たちを招き入れているかのように。
「……行こう」
僕たちは暗闇に包まれた塔の内部へと足を踏み入れた。中は空洞になっており、壁面に沿って螺旋階段が遥か上まで続いている。そして、その最上階には、淡い光が漏れていた。
階段を登ること数分。ついに僕たちは最上階の広間へと辿り着いた。
そこは、天井がガラス張りになった巨大な温室のような場所だった。星空が天井いっぱいに広がり、床には水が張られ、白い睡蓮の花が咲き乱れている。
その中央。
水の上に浮かぶ小島のような台座に、一人の青年が座っていた。
カイル。
彼は玉座のような椅子に深く腰掛け、虚ろな目で星空を見上げていた。その身体には無数の管が繋がれ、背後の巨大な水晶柱から何らかのエネルギーを供給されているように見えた。
そして、彼の傍らには、一人の少女が立っていた。
「……ようこそ、予備王子。そして裏切り者たち」
鈴を転がすような、しかし氷点下の冷たさを帯びた声。
月光を浴びて振り返ったのは、黒いドレスに身を包んだ小柄な少女。
エリス。
彼女は優雅にスカートの裾を持ち上げ、皮肉げな笑みを浮かべて一礼した。
「まさか本当にここまで来るなんてね。……ゴキブリ並みの生命力だこと」
「久しぶりだね、エリス。……少し痩せたんじゃないかい?」
僕は軽口で返したが、視線は彼女ではなく、玉座のカイルに釘付けになっていた。
カイルは反応しない。僕たちの声が聞こえていないかのように、瞬き一つせず、ただ虚空を見つめている。その姿は、生きている人間というよりは、精巧に作られた「人形」のようだった。
「……カイルに何をした?」
僕の声色が低くなる。
エリスはくすりと笑い、カイルの頬を愛おしそうに撫でた。
「何も? ただ『完成』させてあげただけよ。余計な感情を取り除き、世界を救うための純粋な『機能』にね」
彼女は恍惚とした表情で続ける。
「今の彼は完璧よ。迷いも、痛みも、恐怖もない。ただ魔王を倒すためだけに存在する、神の代行者。……美しいとは思わない?」
「ふざけるなッ!!」
ゼノが激昂し、床を踏み砕いて前に出る。
「それが人間のすることかよ! カイルは道具じゃねえ!」
「あら、野蛮なトカゲさん。……道具で何が悪いの?」
エリスの目が冷たく細められた。
「世界を救うためには、誰かが犠牲にならなきゃいけない。彼一人で世界が助かるなら、安いものでしょう?」
その言葉に、僕の中で何かが切れる音がした。
違う。それは犠牲ではない。それは「修理」の名を借りた「破壊」だ。
人の心を壊して、システムの一部に組み込むなんて。そんなやり方は、僕が一番嫌いな「設計思想」だ。
「……交渉決裂だね」
僕は静かにスパナを構えた。
「悪いけどエリス、君のその歪んだ美学ごと、僕が解体させてもらうよ」
「やってみなさいよ、落ちこぼれの修理屋さん」
エリスが指を鳴らすと、空間から無数の「魔鋼糸」が出現し、殺意を持って僕たちを取り囲んだ。
星空の下、かつての仲間同士による、最後の戦いが幕を開ける。
第28話 完
※次話は明日18:00に更新予定です。




