第27話 成層圏への計算式
「――シミュレーション終了。……結果は、全滅だね」
無機質な電子音と共に、リィンが操作するホログラムコンソールに、無慈悲な赤い文字が浮かび上がった。
『LOST(機体大破)』
その文字は、数秒間空中に留まり、嘲笑うかのように霧散した。
ガレージの空気は重い。古い油と鉄の匂い、そして焦げた回路の臭いが澱んでいる。
整備を終えたばかりの『アイゼン・ツヴァイ(改)』――いや、参式の前で、僕たちは腕を組んで唸っていた。昨夜の試験飛行は成功し、高度と推力のデータは取れた。だが、そこから導き出された「本番」の予測データは、絶望的なものだった。
「くそっ、またかよ!」
ゼノが苛立ち紛れに、床に転がっていた鉄パイプを蹴り飛ばした。
ガシャァァァンッ!!
派手な金属音が、地下の閉塞感をさらに煽る。
「アイゼンは最強になったはずだろ!? エンジンも装甲もドラゴンの素材で強化して、出力は以前の10倍だ。なんで飛べねえんだよ!」
「機体の性能不足じゃないよ、ゼノ。……問題は『環境』だ」
僕は冷静にモニターのグラフを拡大し、彼に見せた。
指し示したのは、高度8,000メートルから1万2,000メートルにかけての領域。そこは、画面が埋め尽くされるほどの「赤」で塗りつぶされていた。
「ここを見てくれるかな。……『魔力乱気流』だ」
「あ? なんだそりゃ?」
「数千年にわたって地上から放出された魔力の残滓が、成層圏の手前で滞留し、巨大な嵐の壁を作っているんだ」
僕は両手を合わせ、雑巾を絞るようにねじ切るジェスチャーをした。
「今のアイゼンは頑丈な船だ。でも、これから突っ込もうとしているのは、無数の見えない刃物が高速で回転している『巨大なミキサー』の中なんだよ。ただ真っ直ぐ飛べば、3分で装甲を削り取られて鉄屑になる」
「……ミキサーかよ。笑えねぇな」
ゼノが顔を引きつらせる。
リィンが疲労の滲む指先で眼鏡を押し上げ、深いため息をついた。
「シールドの出力を最大にしても、魔力の消耗が激しすぎるわ。突破する前にガス欠になる……。どう計算しても、生存確率は0%よ」
僕たちの目的は、雲の遥か上にあるとされる「魔王城(軌道エレベーターの頂上)」への到達。
だが、そこへ至るには、この物理的・魔術的な「空の壁」を突破しなければならない。ただ頑丈なだけでは足りない。風を読み、嵐を御する「何か」が必要だ。
僕は腕を組み、モニターを睨みつけた。
(諦める? いや、そんな選択肢はない。カイルが待っているんだ)
技術屋にとって、壁とは乗り越えるためにあるものだ。計算式が合わないなら、合うまで変数を書き換えればいい。
「……待って。ここを拡大してみてくれるかな」
僕はシミュレーターの風速分布図の一点を指差した。
赤く塗り潰された乱気流の帯の中に、ごく僅かだが、青い線――風の弱いルートが、糸のように細く存在していた。
「これは……?」
「『風の目』だよ。どんなに激しい嵐にも、必ず力が拮抗して凪になる瞬間がある」
僕はリィンに指示を出した。
「リィン、過去50年の気象データを検索してほしい。この『風の目』が発生する周期と、次に現れる予測時間は?」
リィンの指がキーボードを叩く。
カチャカチャカチャ……ッ!
高速で打ち込まれるコマンド。彼女の瞳が、データストリームを追って左右に動く。
「……検索中。……出たわ。4年に一度、惑星直列のタイミングで、北半球の磁場が安定する瞬間がある。その時だけ、乱気流の中に『直線の回廊』が生まれるわ!」
彼女が顔を上げ、息を呑んだ。
「それが、いつだ?」
「……明日の正午。持続時間はわずか15分よ」
「15分だと? まるで俺たちを待ってたみたいなタイミングじゃねえか」
ゼノが口笛を吹く。
運命的な偶然。いや、これは必然だ。世界が「直してくれ」と悲鳴を上げているのだ。
「ああ。だが、この回廊も安全じゃないよ」
僕は新たな計算式を脳内で組み立てながら言った。
「幅はわずか50メートル。そこをマッハ3で駆け抜けるんだ。少しでもハンドル操作を誤れば、即座に嵐の壁に激突してバラバラだ」
僕は二人の顔を見た。
「要するに、針の穴に糸を通すような運転を、超音速でやればいいってことさ。……どうだい? 燃える展開だろう?」
方針は決まった。決行は明日の正午。
これが成功すれば空へ、失敗すれば死だ。
僕たちは機体の最終調整に入った。
「各部アクチュエーター、反応速度0.01秒短縮。……よし、これなら僕の反射神経についてこれるはずだ」
僕はアイゼンの関節部に、極薄の潤滑被膜を施していく。スパナを握る手が、微かに熱を帯びている。恐怖ではない。武者震いだ。
「リィン、ナビゲーション・システムの精度はどうだい?」
「完璧よ。誤差1メートル以内でルートを表示できるように調整したわ。……でもアルス、本当に手動操縦でやるの? 自動制御の方が安全じゃ……」
「機械の判断じゃ遅いんだ」
僕はスパナを回しながら微笑んだ。
「風は生き物だ。計算通りには動かない。最後は、パイロットの『勘』と『度胸』が頼りになるよ」
「へっ、度胸なら俺様の出番だな!」
ゼノが巨大なドラム缶(予備燃料タンク)を軽々と担いでやってきた。
「燃料満タンだ。これで宇宙の果てまで行けるぜ!」
「ありがとう、ゼノ。……重さは均等にしてくれよ? 重心がズレると命取りだからね」
作業は深夜まで続いた。
油と鉄の匂いが充満するガレージ。
かつて王宮の地下室で一人孤独に作業していた頃とは違う。工具を渡してくれる仲間がいる。背中を預けられる相棒がいる。
(カイル。……お前も、昔はこうやって夜遅くまで付き合ってくれたね)
ふと、懐かしい記憶が蘇る。
僕が徹夜で発明品を作っている横で、カイルは居眠りをしながらも、ずっとそばにいてくれた。
『アルスはすごいな。僕には何を作ってるのかさっぱり分からないけど……きっと世界を驚かせるよ』
そう言って笑ってくれた親友。あの日、僕の発明を信じてくれた、たった一人の理解者。
「……待たせたね。今度こそ、僕の発明でお前を驚かせてやるよ」
僕は最後のボルトを締め上げ、アイゼンの装甲をポンと叩いた。
そして、運命の正午がやってきた。
快晴。「星降る谷」の上空には、肉眼では見えないが、致命的な嵐が渦巻いているはずだ。
「――全回路接続。竜血ドライブ、臨界点まであと30秒」
リィンの声が、ノイズ混じりのインカムを通して鼓膜を叩く。
アイゼン・ツヴァイのコックピットは、異様な静寂に包まれていた。僕は身体をシートに深く沈め、全身を拘束する5点式ベルトの締め付けを確認した。背中には、冷たい汗がシャツを張り付かせている。
正面のメインモニターには、マスドライバーの長いレールが天を貫くように伸びている。その先にあるのは、分厚い雲と、そのさらに上にある「未知」だ。
「おい大将、漏らしそうだから早くしてくれよ」
助手席のゼノが軽口を叩くが、グリップを握るその手は白くなるほど力が込められている。
「安心しなよ。漏らす暇もなく、空の彼方へ弾き飛ばしてあげるから」
僕はスロットルレバーに手をかけた。
ドクン……ドクン……!
車体下部のリアクターが脈打つ振動が、脊髄を直接揺さぶる。ドラゴンの血が、今か今かと解放の時を待って暴れているのだ。
『磁場展開、最大。カウントダウン……3、2、1……』
リィンの声が、少しだけ震えた。祈るような響き。
「発射ッ!!」
ズドォォォォォォンッ!!
僕がトリガーを引いた瞬間、背後の世界が消失した。
マスドライバーの電磁加速と、竜血エンジンの爆発的な推力が同時に炸裂する。数トンの鉄塊であるアイゼン・ツヴァイが、砲弾となって空へ射出された。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅッ!!」
凄まじいGが全身の血液を下半身へと押し流していく。視界が黒く狭まる(ブラックアウトしかける)のを、歯を食いしばって耐える。
外の景色は流線型の光の帯となり、音速を超えた衝撃波が機体を激しく揺さぶる。
『高度5,000! 乱気流エリア到達まで、あと5秒!』
リィンの悲鳴に近い警告。
前方には、空を埋め尽くす赤黒い雲の壁が迫っていた。魔力乱気流。物理的な風だけでなく、数千年の呪いが渦巻く死の領域。
「見える……!」
僕の目は、混沌とした嵐の中に、一本の「青い糸」を捉えていた。
風の目。
計算通り、磁場の歪みが生み出した一瞬の静寂の回廊。だが、その幅はあまりにも狭く、そして生き物のようにうねっている。
「そこだッ!!」
僕はハンドルをミリ単位で操作し、スラスターの噴射角を調整する。
右へ、左へ。
アイゼンは荒れ狂う波間を縫うように、嵐の壁ギリギリを掠めて飛翔する。
ガガガガガッ!!
機体の側面を風の刃が削る音がする。シールドが青白い火花を散らし、悲鳴を上げる。少しでもズレれば、即座にミンチだ。
「大将! 右だ! 風が巻いてるぞ!」
ゼノが叫ぶ。
「分かってる! ……こいつで相殺だ!」
僕は左舷のスラスターを逆噴射させ、強引に機首をねじ込んだ。遠心力で内臓がちぎれそうだ。だが、アイゼンは応えてくれる。ドラゴンの心臓が、「もっと回せ」と咆哮している。
『高度10,000! 嵐の厚み、残り2,000メートル! ……抜けるわよ!』
リィンが叫ぶ。
あと少し。
あと数秒で、空の蓋が開く。
「いっけぇぇぇぇぇぇッ!!」
僕は最後の推力を叩き込んだ。アイゼン・参式が、赤い雲の天井を突き破る。
バシュゥゥゥンッ!!
……静寂。
嵐の轟音が、嘘のように消えた。
激しい振動も、Gの圧力も、すべてがふわりと解き放たれた。
「……は、ぁ……」
僕たちは息を呑み、目の前に広がる光景に言葉を失った。
そこは、音のない世界だった。
頭上には、どこまでも深く、吸い込まれそうな「濃紺の宇宙」が広がっている。そして眼下には、見渡す限りの白い雲海が、たった今まで僕たちを阻んでいた嵐が、まるで穏やかな綿菓子のように輝いていた。
成層圏。
鳥も、雲も、音さえも届かない、神々の領域。
「……すげぇ。これが、空の上かよ……」
ゼノが呆然と呟く。窓の外には、太陽が直接燃えているかのような強烈な光と、その反対側に広がる宇宙の闇が同居していた。
「見て、アルス。あれが……!」
リィンが震える指で前方を示す。
雲海から突き出るように、巨大な黒い影が聳え立っている。
地上のどこからでも見えた「逆さまの円錐」。その頂上に鎮座する、黒曜石の城塞。
「天空魔王城」
ついに、辿り着いた。
カイルが囚われている、世界の頂点へ。
「……待たせたね、カイル」
僕は静かに呟いた。
宇宙の青さに負けないくらい、僕の決意は冷たく、澄んでいた。
アイゼンはスラスターを微調整し、音もなく滑るように黒い城へと接近していく。
ここからが本番だ。
僕たちの「修理」は、この空の城で完結する。
第27話 完
※次話は明日18:00に更新予定です。




