第26話 帰還、そして新たな翼
世界から、暴力的な「赤」が消えていく。
アイゼン・ツヴァイが火山の外縁部を越えた瞬間、フロントガラスを埋め尽くしていた灰色の雪と、肌を焼くような熱気が嘘のように引いていった。
代わりに飛び込んできたのは、拠点である「星降る谷」特有の、肺の中まで凍らせるような澄み切った冷気と、満天の星空だった。
「……戻ってきたね」
ハンドルを握る僕の手から、無意識に入っていた力が抜ける。
車内は静かだった。
過酷な環境で酷使されたエンジンが、一定のリズムで疲れたような駆動音を奏でている。後部座席ではリィンが毛布にくるまって寝息を立て、助手席のゼノも窓枠に頭を預けて爆睡していた。
無理もない。灼熱地獄での連戦に次ぐ連戦だ。魔族でタフなゼノも、魔力制御で神経をすり減らしたリィンも、限界だったのだろう。
僕はダッシュボードに置いた耐熱ケースに視線をやった。
その中には、あの古代竜が去り際に残した『竜血の結晶』が収められている。
分厚い鉛ガラス越しでも分かる。
ドクン、ドクン……。
それは単なる鉱物ではなく、凝縮された「生命」そのものだった。ケース越しに伝わってくる熱量は、アイゼンの暖房がいらないほどだ。
(こいつを使えば、マスドライバーの心臓部を修復できる……いや、それ以上のことができるかもしれない)
僕の職人としての血が、疲労を忘れて騒ぎ始めていた。
マスドライバーはあくまで射出機だ。弾丸となるアイゼン自体が脆弱では、空の圧力に耐えきれない。
だが、この素材があれば。「鉄」と「竜」を融合させることができれば、物理法則をねじ曲げる翼を作れるかもしれない。
「……ふふ。忙しくなりそうだね」
僕はバックミラーに映る寝顔たちに小さく微笑み、アクセルを優しく踏み込んだ。
星空の下、傷だらけの黒い鉄の箱は、希望という名のガレージへと滑り込んでいった。
拠点である「旧時代の塔」に戻った僕たちは、休息もそこそこに制御室へと直行した。
「おいおい、休まなくていいのかよ大将」
ゼノが欠伸を噛み殺しながら荷物を運ぶ。
「君たちは休んでいていいよ。僕は、少し『下ごしらえ』をしておきたいんだ」
「……そんな顔をされて、寝てられるわけないでしょ」
リィンが呆れながらも、白衣を羽織って端末の電源を入れた。
「手伝うわ。どうせ一人じゃ、魔力供給が追いつかないでしょう?」
頼もしい仲間たちだ。
僕は作業台の上に機材を展開し、最後に耐熱ケースを開いた。
カッ……!
深紅の輝きが部屋中を照らし出し、ムワッとするような濃厚な魔力臭と熱気が広がる。
『竜血の結晶』。外気に触れた途端、周囲のマナを貪欲に吸収し、高熱を発し始めたのだ。
「うわっ、すげえプレッシャーだ! 近づいただけで鱗が焦げそうだぜ」
竜人であるゼノでさえ、顔をしかめて後ずさる。同族の源流に近い力ゆえに、その凄まじさを本能で感じ取っているのだろう。
「離れていて。……これから、こいつの『分子配列』を書き換える」
僕は両手に魔力を集中させ、暴れ狂うエネルギーの塊に触れた。
バチバチバチッ!!
激しい火花が散り、部屋中の照明が明滅した。
まるで、ドラゴンがまだ生きていて、僕の支配を拒絶しているかのようだ。指先から腕へと、神経を焼き切るような痛みが走る。
(……いい度胸だね。王者のプライドってやつかな?)
僕は痛みを逃し、さらに深く魔力を浸透させた。
力ずくでねじ伏せるのではない。暴れ馬の手綱を握るように、相手の特性を理解し、流れを誘導し、あるべき形へと導く。
「醸造・伝導率過剰」
瞬間、僕の手の中で赤黒い結晶が、ドクンと脈打った。
流し込まれた過剰な魔力が、内部構造を焼き切る寸前で循環し始める。
硬質な結晶は、熱を帯びたまま、ゆっくりと粘性を帯びた黄金色の液体へと融解していった。
暴れだそうとする膨大なエネルギーの奔流を、僕は指先で優しく撫でるように制御する。
「落ち着いて。……君の力は奪うんじゃない。新しい『器』に移してあげるだけだよ」
僕が語りかけると、結晶の抵抗がふっと緩んだ。
個体だった結晶が、ドロリとした液状へと変化していく。ルビーのように透き通った、粘性のある液体。
『高濃度魔力燃料:ドラグ・ドライブ』の完成だ。
「きれい……。さっきまでの禍々しさが嘘みたい」
リィンが試験管の中で揺れる赤い液体を、うっとりと覗き込む。
「へぇ、美味そうだな。酒に混ぜたら精がつきそうだ」
「やめておきなよ、ゼノ。内臓が溶けてドラゴンになっちゃうよ」
僕は冗談を返しつつ、完成した液体を慎重にシリンダーへ封入した。
「で、こいつをどうするんだ? マスドライバーの燃料タンクにぶち込むのか?」
ゼノの問いに、僕は首を横に振った。
「いや。マスドライバーの完全修復には量が足りないし、一度きりの使い捨てにするには惜しすぎる素材だ」
僕は視線を、ガレージで待機している愛車『アイゼン』へと向けた。
「この燃料を、アイゼンの『心臓』に直接組み込む」
「……はぁ!?」
二人の声が重なった。
「アイゼンに!? ただでさえ魔力食いのあの機体に、ドラゴンの心臓を載せるって言うの!?」
「その通りだ。マスドライバーはあくまで『発射台』として使う。……飛ぶのは、アイゼン自身だ」
僕は空中でホログラム設計図を展開した。
そこに描かれているのは、従来のアイゼンではない。
タイヤハウスを可変式のスラスターに換装し、リアクターにドラゴンの血を循環させ、背中には折りたたみ式の翼を備えた姿。
地を這う重機から、空を翔ける翼への進化。
「……最高にイカれてるわね」
リィンが呆れながらも、口元に笑みを浮かべた。
「質量と推力の計算がギリギリよ。でも……理論上は可能だわ」
「へっ、俺は力仕事担当だな。やってやるぜ、世界初の『空飛ぶ作業車』作りだ!」
ゼノが腕をまくり、力こぶを作る。
「ありがとう。……さあ、始めようか。夜が明けるまでに形にするよ」
僕たちの「夜なべ」は、三日三晩続いた。
太陽が昇り、沈み、また昇る。
その間、制御室の灯りが消えることは一度もなかった。
カンッ! カンッ! カンッ!
ガレージには、ハンマーで鉄を打つ音が絶え間なく響き渡っていた。
僕とゼノは、もはや言葉を交わすことさえ少なくなっていた。必要なのは、工具を渡すタイミングと、魔力を流す呼吸だけ。
汗まみれの身体、油で汚れた顔。だが、その目は少年のように輝いていた。
「……出力安定。魔力循環、全回路オールグリーン」
リィンが目の下に隈を作りながら、それでも満足げに端末を操作する。彼女の計算がなければ、この複雑怪奇なシステムは動かなかっただろう。
「最後の仕上げだ。……ゼノ、頼む」
「おうよ! 魂込めてブチ込んでやるぜ!」
ゼノが巨大なレンチを回し、真紅のリアクターをアイゼンのエンジンルームへと固定した。
その瞬間。
ドクンッ……。
アイゼン・ツヴァイの巨体が、まるで生き物のように一度だけ大きく震えた。
ドラゴンの血を動力源としたことで、無機物であるはずの車体に、擬似的な「鼓動」が生まれたのだ。
「……完成だ」
僕はふらつく足で一歩下がり、愛車の全貌を見上げた。
かつての武骨な装甲車の面影は残しつつ、そのフォルムはより攻撃的に、より流麗に進化していた。車体側面には折りたたみ式の可変翼。後部には四基の大型スラスター。そして心臓部には、赤く脈打つ「竜血エンジン」が鎮座している。
『アイゼン・ドライ(参式)』
地を這う獣から、天を翔ける竜へ。
僕の最高傑作だ。
「すっげぇ……。こいつはもう車じゃねぇ、怪物だ」
ゼノが惚れ惚れとした様子で装甲を撫でる。触れただけで、指先がピリピリと痺れるほどの魔力が溢れている。
「早く試運転したいわね。……でも、その前に」
リィンが苦笑しながら、部屋の隅にあるソファを指差した。
「まずは『人間』としてのメンテナンスが必要よ。私たち、もう限界だわ」
言われてみれば、強烈な睡魔と空腹が一気に押し寄せてきた。三日間の高揚感が引くと同時に、膝から力が抜ける。
「……そうだね。まずは寝よう」
僕たちは泥のようにソファへ倒れ込み、数秒で深い眠りへと落ちた。
夢の中でも、僕たちは空を飛んでいた。青い空を、どこまでも高く、自由に。
目が覚めたのは、翌日の正午だった。
たっぷりと睡眠を取り、ゼノが作った豪快な(少し焦げた)肉料理で腹を満たした僕たちは、万全の状態でガレージに立った。
「さあ、行こうか。……空へ」
僕が運転席に座り、メインキーを回す。
ブゥゥゥゥン……!!
以前とは比較にならない、重低音の咆哮が響いた。エンジンの回転数が上がるにつれ、リアクターの赤い光が強まり、車体がふわりと浮き上がる。反重力制御。もう地面に縛られることはない。
「全システム正常。スラスター、点火準備よし!」
リィンがナビシートで叫ぶ。
「高度制限解除! いつでもイケるぜ大将!」
ゼノが窓から身を乗り出し、風を感じて吠える。
「よし。……アイゼン、発進!」
僕がスロットルを押し込むと、背中のスラスターが青白い炎を噴いた。
ズドォォォォンッ!!
爆発的な加速Gが身体をシートに押し付ける。
アイゼンは矢のようにガレージを飛び出し、そのまま垂直に上昇した。重力を振り切り、風を切り裂き、雲を突き抜ける。
バシュッ!
一瞬で雲海の上へ出た。
目の前に広がるのは、見渡す限りの蒼穹。
そして、遥か彼方に浮かぶ黒い影――「天空魔王城」だ。
「……速い」
僕はハンドルを握る手の感触に震えた。
これなら、追いつける。
どんなに遠くへ行ってしまったカイルにも、この翼なら届く。
「待ってろよ、カイル。……今度こそ、本当の迎えに行く」
僕は魔王城に向けて、アイゼンの機首を向けた。
もはや、僕たちを遮る壁は何もない。最強の翼を手に入れた「修理屋」たちの、最後の旅が始まった。
第26話 完
※次話は明日18:00に更新予定です。




