第24話 炎の海と、黒き影
溶岩の川を強行突破し、対岸の街道へと着地した僕たちは、そのままアイゼン・ツヴァイを走らせて火山の山腹へと分け入っていた。
だが、標高が上がるにつれ、周囲の環境はさらに過酷さを増していた。
バサッ、バサッ……。
アイゼンのフロントガラスを、強化ワイパーが重苦しい音を立てて往復している。
払っても払っても積もるのは、雪ではない。空を覆い尽くす分厚い噴煙から降り注ぐ、灰色の「火山灰」だ。
真昼だというのに、世界は夕暮れのように薄暗く、死んだような灰色に塗り潰されている。
「……最悪の天気だぜ。肺の中まで真っ黒になりそうだ」
助手席でゼノが咳き込み、布で口元を覆った。
車内の空気清浄フィルターはフル稼働しているが、それでも微細な硫黄の臭気と、焦げたような匂いが侵入してくる。魔族の中でも強靭な肉体を持つ竜人のゼノでさえ音を上げる環境だ。
後部座席のリィンは、冷却魔法を維持しながらぐったりとしていた。
僕はコンソールの計器類に視線を走らせた。
『吸気効率低下。フィルター目詰まり率30%』
エンジンが、ゴフッ、ゴフッ……と苦しげな咳払いのような音を立てている。酸素濃度が薄く、灰が燃焼を阻害しているのだ。
「人間だけじゃない。機械にとってもここは地獄だね」
僕は冷静に状況を分析し、コンソールを操作した。
「燃料の噴射混合比を希薄側に調整するよ。少しパワーは落ちるけど、これでエンストは防げるはずだ」
「頼むぜ大将。こんなところで止まったら、俺たちこそ燻製になっちまう」
車外の景色は単調な岩と灰の砂漠。だが、その足元には無数の亀裂が走り、血管のように赤いマグマが脈打っている。
一歩ハンドル操作を誤れば、地殻の裂け目に飲み込まれ、今度こそ帰らぬ人となるだろう。僕はステアリングを握る手に力を込め、慎重にアイゼンを進めた。
「ストップ。……アルス、あれを見て」
灰のカーテンの向こう、リィンが鋭い声を上げた。
彼女が指差した先。
街道脇の岩陰に転がる巨大な黒い塊だ。岩のように見えるが、その形はあまりに不自然で、生々しい。
僕はアイゼンを徐行させ、その「塊」に近づけた。
「これは……『黒曜石の亀』かな」
僕は呟いた。
全長5メートルはある巨大な魔獣だ。その甲羅はダイヤモンドに匹敵する硬度を持ち、火山地帯の岩盤すら噛み砕くと言われている。
だが、今のそれは、ただの物言わぬ死骸だった。しかも、その死に様が異常だった。
「……真っ二つだ」
ゼノが窓越しに目を細める。
自慢の超硬度の甲羅ごと、頭から尻尾まで一刀両断にされていたのだ。
「切り口が新しいな。……まだ断面が溶けてやがる」
僕はアイゼンのセンサーで切断面を解析した。
爆発や打撃による破壊ではない。鋭利な刃物による切断だ。しかも、切断面が高熱でガラス化している。
「物理的な斬撃に、高火力の熱魔法を上乗せしているね。『魔法剣』の使い手だ」
僕の分析に、リィンが顔を曇らせる。
「この硬度の甲羅を一撃で……? まさか、王都の近衛騎士団の中でも精鋭中の精鋭、『白銀の牙』隊が来ているの?」
「白銀の牙……。レオン兄さんの親衛隊か」
僕たちは顔を見合わせた。
関所にいた騎士たちは、ただの足止め役か、あるいは陽動だったのかもしれない。ここには既に、僕たち以外に「ドラゴン」を狙う、極めて危険な捕食者が入り込んでいる。
「先を越されるわけにはいかないね。急ごう」
ズズズズズ……ッ。
不穏な予感を肯定するように、地面が不気味な振動を始めた。
「噂をすれば影、かな。……でも、こいつは騎士団じゃなさそうだ」
僕がハンドルを強く握り直すと同時、前方のマグマ溜まりが爆発したように跳ね上がった。
ドバァァンッ!!
灼熱の飛沫と共に現れたのは、全身が燃え盛る炎と岩で構成された3体の巨体だった。
二足歩行をする巨大なトカゲ。その体表は溶岩そのものでできており、周囲の空気が歪むほどの熱気を放っている。
「『溶岩蜥蜴』! しかも変異種よ、でかい!」
リィンの警告が終わるより早く、リザードの一体が口腔を大きく開けた。喉の奥で、マグマが圧縮され、輝きを増す。
「ブレスが来るよ! 衝撃に備えて!」
ボォォォォッ!!
放たれたのは巨大な火球だった。僕はハンドルを切り、岩陰に車体を滑り込ませて直撃を避ける。
ドォン!!
背後の岩が砕け散り、高熱で溶解する。
「あちちっ! おい大将、車内温度が上がってるぞ!」
ゼノが叫ぶ。
敵は3体。包囲するように展開し、じりじりと距離を詰めてくる。アイゼンの断熱装甲も、至近距離からの連続攻撃には耐えられない。
「ここで止まったら蒸し焼きだね。……ゼノ、ちょっと運動してくれるかな?」
「へっ、望むところだ! あのトカゲ野郎どもを刺身にしてやる!」
ゼノが大剣を掴み、ルーフハッチに手をかける。
「待って。普通に斬ってもダメだよ」
僕はゼノを制止した。
「あいつらの体は流動する溶岩だ。剣で斬っても、すぐにくっついて再生してしまう。物理攻撃は相性が悪い」
「じゃあどうすんだよ! 素手で殴るか!?」
「いいや。……熱いなら、冷やせばいいんだよ」
僕はコンソールを操作し、アイゼンの屋根に格納されていた重機関銃を展開させた。
「僕が弾幕を張る。その隙にトドメを頼めるかな?」
「へっ、任せな!」
ゼノがルーフハッチを蹴破るようにして身を乗り出し、ガトリングのグリップを握った。
「オラオラァ! 涼しくしてやるぜぇ!」
ダダダダダダダッ!!
轟音と共に放たれたのは、通常の鉛弾ではない。弾頭に「氷の魔石」の粉末を封入し、僕が特別に醸造した『氷結弾』だ。着弾した瞬間、弾丸が砕け、極低温の冷気が撒き散らされる。
ジュワッ、パキパキパキッ……!
リザードの灼熱の皮膚が急激に冷却され、熱膨張と収縮の差に耐えきれず、ひび割れていく。
「ギャアアアアッ!?」
魔物は悲鳴を上げ、動きを鈍らせた。マグマの体が黒く硬化し、自由を奪う岩の檻となる。
「効いてるわ! 装甲破壊を確認!」
リィンが叫ぶ。
「よし、リィンは右の奴を牽制してくれ! 左は僕が車体ごとぶっ飛ばす!」
僕はアクセルを踏み込み、アイゼンを巨大な質量兵器として、ひび割れた魔物へと突っ込ませた。
ドォォォォォン!!
金属と岩石が激突する重たい衝撃音が、火口の谷底に響き渡った。
アイゼンの車体重量に加え、加速による運動エネルギーを乗せた体当たり。その一撃は、冷却されて脆くなっていた溶岩蜥蜴の巨体を粉砕するには十分すぎた。
「へへっ、ストライクだ!」
ゼノが歓声を上げる中、黒曜石のように砕け散った魔物の破片が、スローモーションのように宙を舞う。
だが、残る最後の一体――群れのボスと思われる一際巨大な個体が、仲間の死に激昂した。
「グオオオオッ!!」
ボスの全身が白熱し、周囲の空間が陽炎で歪む。奴は自らの体温を一気に引き上げ、こちらの攻撃が届く前に蒸発させようとしているのだ。
ピーッ! ピーッ!
車内に警告音が鳴り響く。
『室温上昇、50度突破。冷却系、限界』
「まずいわアルス! 冷却が追いつかない! このままじゃエンジンが熱暴走するわ!」
リィンが悲鳴を上げる。
アイゼン自身もまた、溶岩の上を走ったダメージと、今の戦闘で限界を迎えていた。体内に溜まった熱を排出しきれないのだ。
「……熱すぎるなら、捨てればいい」
僕は冷静に、シフトレバー横にある赤いカバーのついたスイッチを弾いた。
「ゼノ、準備はいいかい? アイゼンの『廃熱』をお前に預けるよ」
「あぁん? 何の話だ?」
「受け取ってくれ! ……醸造・熱量転写!」
僕がスイッチを押した瞬間、アイゼンのエンジンとタイヤ、そして装甲に蓄積されていた「過剰な熱エネルギー」が、魔力回路を通じて一気に吸い上げられた。
行き場を失った熱は、太いケーブルを伝い、屋根の上にいるゼノの持つ大剣へと流し込まれる。
「うおおっ!? なんだこりゃあ!?」
ゼノが目を見開く。
彼の大剣が、内側から燃え上がるように赤熱し、刀身の周囲に青白いプラズマのような光を帯び始めたのだ。
アイゼンの熱を、武器の攻撃力として転用する。それは車体を冷却し、同時に最強の一撃を生み出す、一石二鳥の荒技だ。
「持って行ってくれ、俺たちのお古(熱)だ!!」
「へっ、最高に熱いプレゼントだぜぇッ!!」
ゼノが吼え、アイゼンの屋根を蹴って高く跳躍した。眼下には、白熱するボスの姿。
「燃え尽きなッ!!」
ゼノが灼熱の大剣を振り下ろす。圧縮された数千度の熱波が、巨大な炎の刃となって蜥蜴を頭上から両断した。
ズバァァァンッ!!
「ギャァァァァ……!」
自らよりも高温の一撃を食らい、魔物は抵抗する間もなく炭化し、崩れ落ちて溶岩の中へと沈んでいった。
「ふぅ……片付いたかな」
戦闘が終わり、アイゼンの水温計が正常値に戻っていくのを確認して、僕は息を吐いた。
ゼノが煤だらけの顔でハッチから戻ってくる。手にした大剣はまだ赤熱しており、湯気を上げている。
「やったな大将! 今の連携、最高だったぜ!」
「君がタフで助かったよ。普通なら剣ごと腕が溶けてるところだ」
「へっ、俺様を誰だと思ってんだ。……にしても、腹減ったな」
緊張が解け、いつもの軽口が戻る。だが、その安堵は一瞬でかき消された。
ザァァァァァッ……。
突如、周囲の気温が急激に下がったように感じた。いや、違う。「光」が消えたのだ。
灰色の空に、さらに濃く、巨大な影が落ちた。風向きが変わった。硫黄の匂いだけでなく、もっと濃厚な、圧倒的な「獣」の気配が降ってきた。
「……上だ」
僕たちは反射的に空を見上げた。
「……嘘、でしょ……?」
リィンが震える声で呟く。
そこには、ただでさえ薄暗い灰色の空を、さらに巨大な翼が覆い隠していた。
全長100メートルを超える、漆黒の巨体。
鱗の一枚一枚が鋼鉄のように輝き、その口からは溶岩のような唾液を滴らせている。灼熱の空気を纏い、王者の如く悠然と滑空するその姿。
『古代竜』
火山の主であり、神話の時代から生きる伝説の生物。僕たちが探していた「素材」そのものだ。
その圧倒的な質量と存在感に、ゼノですら言葉を失っている。
だが、僕が息を呑んだのは、その大きさだけではない。
「……見ろ。あいつの首を」
僕が指差した先。
ドラゴンの太い首元には、巨大な「白い首輪」のような機械が嵌め込まれ、不気味な赤い光を点滅させていた。その首輪から伸びる数本の鎖が、ドラゴンの背中に食い込んでいる。
そして、その背中には、豆粒のように小さいが、見間違えるはずのない「白い甲冑の集団」が張り付いていた。
「近衛騎士団……! まさか、ドラゴンを狩るつもりじゃない。あいつら、ドラゴンを『捕獲』しようとしているのか!?」
リィンが双眼鏡を覗き込み、愕然とする。
本来なら、人間ごときが古代竜を使役することなど不可能だ。だが、あの首輪がそれを可能にしているらしい。強制的に脳へ干渉し、自我を破壊して操る「隷属の首輪」。禁忌とされる古代のアーティファクトだ。
グオォォォォォォォォッ!!!
ドラゴンが咆哮を上げた。
だがそれは、王者の威厳ある叫びではない。自由を奪われ、尊厳を踏みにじられ、強制的に従わされている獣の、悲痛な悲鳴のように僕の胸に響いた。その目は虚ろで、涙のように赤いマグマが溢れている。
「……気に入らないね」
僕はハンドルを強く握りしめた。指の関節が白くなるほどに。
あんな首輪で、誇り高き竜を縛り付けるなんて。それは「道具」への冒涜であり、「命」への最大の侮辱だ。カイルを「部品」として扱った連中と、同じ臭いがする。
「ゼノ、リィン。……予定変更だ」
僕は冷たい声で二人に告げた。怒りが、静かに腹の底で燃え上がっていた。
「素材を貰う前に、少し『修理』をさせてもらうよ」
「……へっ、言うと思ったぜ」
ゼノがニヤリと笑い、大剣を肩に担ぎ直した。
「気に入らねえ鎖を引きちぎるのは、俺たち『反逆者』の仕事だからな」
「ええ。あんな趣味の悪い首輪、この私が解析して無効化してあげるわ!」
リィンも杖を構え、力強く頷く。
黒い影が頭上を通過し、火山の火口へと降下していく。僕たちはその背中を追って、アイゼンを走らせた。
火山の戦いは、まだ始まったばかりだ。
単なる素材集めではない。これは、奪われた尊厳と、汚された誇りを取り戻すための戦いだ。
「待ってろよ、デカブツ。……今、そのふざけた首輪を外してやる」
アイゼンのエンジンが、呼応するように低く唸った。灰色の空の下、僕たちは決戦の地である火口へとアクセルを踏み込んだ。
第24話 完
※次話は明日18:00に更新予定です。




