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第23話 焦熱の関所突破

宿場町クロスロードを後にし、南へひた走ること数時間。

 

世界の色が、唐突に変わった。

 

北側の穏やかな緑と土の色調は、峠を一つ越えた瞬間、暴力的な「赤」と「灰色」へと塗り替えられた。

 

「……暑いね。空気が重いよ」

 

僕はハンドルを握りながら、首元のタオルで噴き出す汗を拭った。

 

アイゼン・ツヴァイの外気温計の針は、既に45度を超え、赤い危険領域レッドゾーンに突入しようとしている。

 

目の前に広がるのは、大地そのものが高熱に浮かされているような、歪んだ風景だった。

 

地面から立ち昇る陽炎かげろうが視界をゆらゆらと揺らめかせ、遠くの岩山を液状化させているように見える。硫黄の混じった黄色い風が、アイゼンの装甲を乾いた音で叩き続けていた。

 

「ここから先が『焦熱の火山帯』エリアよ」

 

リィンが後部座席で地図を広げながら、汗ばんだ顔で告げる。その声も、熱気で少し掠れている。

 

「この先はさらに気温が上がるわ。通常の馬車なら車軸が熱で歪んで走行不能になるレベルね。人間が生身で歩けば、1時間で水分を抜かれて干物になるわよ」

 

「へっ、俺様は平気だぜ。竜人ドラゴニュートの皮膚は熱に強いからな」

 

助手席のゼノが余裕ぶって、窓のレバーに手をかけた。

 

「やめておいた方がいいよ、ゼノ」

 

「ちっとばかし風を入れたほうが涼しいだろ?」

 

僕が止めるのと同時に、ゼノが窓を少し開けた瞬間だった。

 

ボォォォォッ!!

 

「あちちちっ! なんだこの風! 火の粉が混じってやがる!」

 

熱風がドライヤーのように吹き込み、ゼノの自慢の赤髪をチリチリに焦がした。ただの風じゃない。熱そのものの塊が殴りかかってきたかのようだ。

 

「言っただろう? ここはもう、生物の住処じゃない。火の精霊の領域だ」

 

僕は慌てて窓を閉め、車内のエアコン出力を最大にした。

 

それでも、外からの輻射熱で室温はじりじりと上がり始めている。鉄の塊であるアイゼンは、今や巨大なオーブンになりつつあった。

 

そして、問題は「熱」だけではなかった。

 

切り立った峡谷の一本道。その行く手を完全に塞ぐように、巨大な人工物が鎮座していた。

 

溶岩石を積み上げて作られた堅牢な城壁。そして、その中央に構える鉄の門――「南壁の関所」だ。

 

「……やっぱり、張っているね」

 

僕はアイゼンの望遠レンズを起動し、関所の様子をモニターに投影した。

 

すすけた関所には似つかわしくない、純白の輝きがそこにあった。白銀の甲冑に身を包み、背中に真紅のマントを羽織った騎士たち。

 

「王都の近衛騎士団だ。カイルの取り巻きが、こんな辺境まで出張ってきているとはね」

 

関所の前には対戦車用の魔導杭パイルが設置され、城壁の上には魔導砲が並んでいる。完全に、僕たちを「狩る」ための布陣だ。

 

僕たちは関所から1キロほど手前の岩陰にアイゼンを停車させ、作戦会議を開いた。エンジンのアイドリング音が、熱気の中で苦しげに響いている。

 

「正面突破は無理だぜ、大将」

 

ゼノがモニターを睨みながら吐き捨てる。

 

「あの白い連中、ただの飾りじゃねえ。動きに隙がねえし、数が多すぎる。俺一人ならともかく、このデカい車ごと突っ込んだら集中砲火で蜂の巣だ」

 

「同感だね。アイゼンの装甲は頑丈だけど、数百発の魔法弾を受けきれるほどじゃない」

 

「じゃあ、迂回する?」

 

リィンが地図を指でなぞるが、すぐに首を横に振った。

 

「……ダメね。見ての通り、ここは峡谷よ。道の両側は数百メートルの断崖絶壁。そしてその下には……」

 

彼女が指差した先――街道のすぐ脇、断崖の下には、どろりと脈打つ赤い大河が流れていた。

 

マグマだ。

 

地下から噴出した溶岩流が、正規の街道ルート以外を完全に遮断している。関所を通る道以外は、すべてが死の領域だった。

 

「道は塞がれた。崖下は溶岩。……詰みだな」

 

ゼノが諦めたようにシートに背を預ける。

 

だが、僕はモニターの地形図と、窓の外の地獄絵図を交互に見比べていた。

 

詰み? 違う。

 

技術屋にとって、行き止まりとは「新しい道を造る場所」のことを指すんだ。

 

「なぁ、ゼノ、リィン。一つ質問していいかな?」

 

僕はニヤリと笑った。汗が目に入るが、拭う必要もない。心臓が高鳴っている。

 

「君たちは、『道』ってのは誰が決めるものだと思っている?」

 

「は? そりゃあ、国とか地図を作る奴らだろ?」

 

「いいや、違うよ」

 

僕は指先で、地形図の上の「赤いマグマ」をなぞった。

 

「僕たちが進める場所が『道』だ。たとえそれが、地図の上では『溶岩』と書かれていようともね」

 

僕の狂気の提案に、二人は絶句した。

 

「正気!? 溶岩の上を走るつもり!? タイヤが溶けるどころか、車体ごと蒸発するわよ!」

 

リィンが悲鳴に近い声を上げる。

 

「ああ、今のままならね。だから『着替える』んだよ」

 

僕は後部ハッチを開け、昨日クロスロードの宿場町で買い込んだ大量の「耐火粘土」を取り出した。赤茶色の土の塊。あの行商人から買った、火山地帯特産の素材だ。

 

「ゼノ、手伝ってくれるかな。この粘土をタイヤと車体下部のシャーシに、厚く塗りたくってほしいんだ」

 

「塗るって……泥遊びかよ? こんな泥んこで溶岩が防げるわけ……」

 

「ただの泥じゃないよ。僕が手を加えればね」

 

僕は粘土の山に両手を突き刺し、魔力を練り込んだ。

 

イメージするのは、陶芸家が窯の中で土を焼く工程。土の中に含まれるケイ素やアルミナといった耐火成分を魔力で励起させ、分子結合を密にする。

 

醸造ブリュー断熱被膜サーマル・コート

 

ジュワッ……。

 

僕の手の中で、粘土が変質していく。

 

ドロリとした土が、水分を飛ばし、黒曜石のような光沢を帯びた「セラミック質の硬質ゴム」へと変わった。

 

「すごい……。柔らかいのに、熱を通さないわ」

 

リィンがおそるおそる触れる。ひんやりとしている。灼熱の外気の中でも、その温度を保っている。

 

「これをタイヤの表面にコーティングするんだ。さらに、冷却水タンクの中身を『極低温の氷液』へと醸造し、それをタイヤの内部循環パイプへと直結させる」

 

僕は汗だくになりながら、四つのタイヤ全てにこの特製コーティングを施した。さらに、車体の底面にも分厚い断熱板を形成する。空気中には、化学反応による刺激臭と、焦げたような匂いが充満している。

 

「熱を外側で遮断し、内側から冷やす。これで数分間なら、直火の上でも走行可能だ」

 

僕は作業を終え、真っ黒になった手を拭った。アイゼン・ツヴァイの足回りは、黒光りする無骨な装甲で覆われ、まるで火口へ向かう探査機のようになっていた。

 

「……あんた、本当にイカれてるぜ」

 

ゼノが呆れたように、しかし楽しげに笑った。

 

「溶岩の上をドライブなんて、あの勇者様でも思いつかねえだろうよ」

 

「科学と魔法の悪魔合体ね……。分かったわ、もうどうにでもなれ! 命預けるわよ、アルス!」

 

リィンも覚悟を決めたようだ。

 

「よし、全員シートベルトを締めてくれ。エアコンは切るよ、全出力をエンジンと冷却系に回すからね」

 

僕は運転席に戻り、メインスイッチを入れた。

 

ヴォンッ!!

 

アイゼンのエンジンが、猛獣の咆哮のように唸りを上げた。目指すは関所ではない。その横に広がる、煮えたぎるマグマの海だ。

 

ドォォォォンッ!!

 

アイゼン・ツヴァイが岩場から飛び出し、宙を舞った。重力に従い、数トンの鉄塊が眼下の赤い大河へと落下していく。

 

「ぎゃあぁぁぁぁっ!!」

 

「うおぉぉぉぉっ!!」

 

リィンとゼノの絶叫が車内に響く。フロントガラスの向こう、視界いっぱいに迫るのは、煮えたぎる死の赤色だ。

 

着水――いや、着岩チャクガンの衝撃。

 

ズブッ……ジュワァァァァァァッ!!

 

水のような飛沫は上がらない。代わりに、重く粘り気のある流体が車体を押し返し、凄まじい蒸気の爆発音が轟いた。

 

タイヤが沈む。靴底のゴムが熱で溶けて床に張り付くような粘着音が響く。

 

吸い込んだ空気が熱すぎて、肺胞が焼け焦げる味がした。

 

だが、溶けない。

 

僕が施した「断熱被膜サーマル・コート」と、内部を循環する「極低温冷却水」が、数千度の熱を必死に食い止めているのだ。

 

「……沈まない!? 浮いてる!?」

 

リィンが目を見開いて叫ぶ。比重の重い溶岩の上で、アイゼンはアメンボのように浮いていた。

 

「グリップするぞ! いける!」

 

僕はハンドルを切り、アクセルを床まで踏み込んだ。タイヤの表面でセラミックが焦げる臭いがする。だが、アイゼンは確実に「道」を噛みしめ、前へと進み始めた。

 

「ハハハッ! マジかよ! マグマの上を走ってやがる!」

 

ゼノが狂ったように笑う。恐怖を超えて、あまりの非日常的な光景に脳がハイになっているようだ。

 

一方、関所の城壁の上。

 

王都の精鋭部隊「白銀の牙」の騎士たちは、信じられないものを見る目で眼下を凝視していた。

 

「隊長! あ、あれを見ろ! 崖の下だ!」

 

「なんだと? ……なっ!?」

 

彼らの視線の先。本来なら誰も通れるはずのない溶岩の川を、黒い鉄の塊が、白い蒸気を噴き上げながら爆走していた。それは船のようであり、戦車のようでもあった。

 

「バカな……! 溶岩の上だぞ!? どんな耐火魔法を使えばあんなことができる!?」

 

「撃て! 魔導砲、照準! 奴らを逃がすな!」

 

慌てて砲台が旋回する。だが、アイゼンの速度は彼らの予測を遥かに超えていた。溶岩流の流れに乗って加速した車体は、まるで渓流を下る魚のように、遮蔽物のない川面を滑るように駆け抜けていく。

 

ドォン! ドォン!

 

背後で水柱ならぬ「火柱」が上がる。砲弾が着弾するが、全てアイゼンの後方を虚しく叩くだけだ。

 

「遅いよ。……君たちの常識の物差しじゃ、僕たちの速度は測れない」

 

僕はバックミラー越しに、小さくなっていく関所を一瞥した。騎士たちの狼狽ぶりが手に取るように分かる。ざまあみろだ。君たちが作った「壁」も「法」も、ここには届かない。

 

「警告! 警告! タイヤ表面温度、臨界点ニ接近! 被膜崩壊マデ、アト30秒!」

 

ダッシュボードの警告灯が赤く明滅し、車内にビーッというアラームが鳴り響く。足元から伝わる熱が、靴底を焦がすほどになっていた。エアコンなど意味をなさない。車内はサウナを超え、灼熱地獄と化している。

 

「30秒!? まだ陸地まで距離があるわよ!」

 

リィンが温度計を見て悲鳴を上げる。

 

「保たせるさ! ゼノ、窓を全開にしろ!」

 

「はぁ!? 熱風が入ってくるぞ!」

 

「いいから開けろ! 爆発するぞ!」

 

ゼノが慌ててレバーを回す。

 

ボォォォッ!!

 

熱風が吹き込み、髪が焦げる。だが、それでいい。車内に充満した熱気を逃がさなければ、僕たちが蒸し焼きになるか、冷却タンクが破裂していた。

 

「あと少し……! 頑張れ、アイゼン!」

 

僕はハンドルにしがみつき、祈るように叫んだ。

 

前方に、なだらかな岩場の斜面が見えてきた。あそこなら上がれる。

 

だが、タイヤの感覚が変わった。ズルズルと滑るような、嫌な感触。コーティングが剥がれ始めている。

 

「いっけぇぇぇぇぇっ!!」

 

僕は最後の魔力をエンジンに叩き込んだ。ニトロ噴射。マフラーから青い炎が噴き出し、アイゼンが最後の加速を見せる。

 

ガガガガッ!!

 

前輪が岩場に食いついた。続いて後輪も接地する。溶岩の粘り気を振り切り、アイゼンは猛獣のように斜面を駆け上がった。

 

バシュッ!!

 

四輪全てのコーティングが砕け散り、黒い破片となって舞い散る。その下から現れたゴムタイヤが、白煙を上げて悲鳴を上げる。だが、車体は既に関所の遥か後方、安全な岩盤の上に乗り上げていた。

 

キキィィィッ……。

 

僕はブレーキを踏み、アイゼンを停車させた。エンジンを切ると、プスン、という音と共に、車体全体から凄まじい湯気が立ち昇った。

 

「…………」

 

車内には、荒い息遣いだけが響いていた。全員、汗で全身ずぶ濡れだ。顔は煤だらけで、髪はチリチリ。

 

お互いの顔を見合わせ、数秒の沈黙の後。

 

「……ぶっ、あはははは!」

 

ゼノが腹を抱えて笑い出した。

 

「死ぬかと思った! いや、一回死んだわ! なんだよ今の! 最高にクレイジーだぜ!」

 

「……信じられない。私、まだ生きてる……」

 

リィンは放心状態で自分の手をペタペタと触っている。

 

「へへっ、どうだい。……これが『職人』のショートカットだよ」

 

僕もハンドルに突っ伏して笑った。手の震えが止まらない。恐怖か、興奮か。生きている実感ヒートが、血管を駆け巡っていた。

 

僕は震える手でドアを開け、外の空気を吸った。まだ熱いが、溶岩の上よりは遥かにマシだ。後ろを振り返ると、遥か彼方に小さくなった関所が見える。騎士たちは、呆然とこちらを見送っていることだろう。

 

「さて、難所は越えた」

 

僕はボロボロになったタイヤを撫でた。よく耐えてくれた。交換用のタイヤはまだある。

 

「行こうか。……この先には、本当の『怪物理』が待っている」

 

前方に聳え立つのは、黒煙を噴き上げる巨大な活火山。その頂には、伝説の炎竜が眠っている。僕たちは関所を突破した。もう、誰にも止められない。

 

「次はドラゴン狩りだ!」

 

ゼノが復活し、拳を突き上げる。僕たちは煤けた顔で笑い合い、再び走り出した。道なき道を切り拓く、その熱狂のままに。

 

第23話 完

※次話は明日18:00に更新予定です。




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