第20話 奈落の迷宮と守護者
エリスが逃げ込んだ岩の亀裂を抜けると、そこには予想外の光景が広がっていた。
外の荒々しい自然の風景とは一変し、冷たく、そして整然とした人工の世界が口を開けていたのだ。
「……おいおい、ここは本当に古代遺跡なのかい?」
助手席のゼノが鼻を鳴らし、不機嫌そうに周囲を見回した。
アイゼンのヘッドライトが闇を切り裂き、照らし出したのは、風化した石積みの壁ではない。幾何学模様の発光ラインが走る、継ぎ目のない金属の壁だ。
足元は土ではなく、冷たい金属製のグレーチング(格子床)がどこまでも続き、その下には底知れぬ闇が広がっている。
「カビ臭い墓場を想像してたんだが、まるでドワーフの工房みたいに油臭せえぞ」
その通りだった。
空気には、微かなオゾンの刺激臭と、古びた潤滑油の酸化した匂いが漂っていた。それは数千年の時を経てもなお、この場所が「生きている」ことを証明する、機械たちの体臭だ。
「ここは……神殿じゃないわ」
リィンが壁面のホログラム文字盤を読み解き、興奮した声を上げる。
「『古代魔導工廠』よ! かつての大戦期、対魔王用兵器を製造していた自動プラントだわ。文献でしか見たことがない……!」
「どうりで、構造が合理的だね」
僕は頷きながら、周囲の設計思想を観察した。
通路の配置、天井を走るパイプの配管、魔力伝達の効率を最優先したレイアウト。すべてが「祈り」ではなく「生産」のために設計されている。ここは迷宮ではない。巨大な生産ラインだ。
ザザッ……。
その時、天井のスピーカーからノイズ混じりの声が響いた。
『ようこそ地獄へ! まさか本当に追ってくるなんてね、ストーカーみたいで気持ち悪いわよ!』
エリスだ。
あの余裕のある口調、おそらくこの工場の「中央制御室」に先回りし、システムを掌握しているのだろう。
『この工場の防衛システム、全部起動しておいたから! 鉄屑になってリサイクルされなさい!』
ゴゴゴゴゴ……ッ!
エリスの宣言と同時に、アイゼンの足元の床が激しく振動した。
「うおっ!? 床が動いてやがる!」
ゼノが叫ぶ。
グレーチングの床全体が、凄まじい速度で後方へとスライドし始めたのだ。通路そのものが、巨大なベルトコンベアと化している。
そして僕たちが流されていく先――通路の突き当たりには、轟音を立てて回転する巨大な粉砕機と、その下で赤熱する溶鉱炉が口を開けて待っていた。
ギャギャギャギャ……!
金属を噛み砕く鋭い音が、逃げ場のない通路に反響する。死への一直線だ。
「ゴミ処理区画への直行便ってわけかい。手際がいいね」
僕は冷静にハンドルを握るが、タイヤは金属床の上で空転するばかりだ。摩擦係数がゼロに近い。このままでは数秒後にプレスされ、ドロドロに溶かされる。
「きゃあ! 止まらない! このままじゃプレスされるわ!」
リィンが壁の操作パネルに杖を突き立て、ハッキングを試みる。
「ダメ! エリスが制御コードを書き換えてる! 管理者権限がないと止められないわ!」
「コードなんていらないよ。……物理的に黙ってもらおうか」
僕はアイゼンのハッチを開け、流れる床の上へと飛び降りた。
「ア、アルス!? 何する気だ!」
「少し、血管を詰まらせてあげるんだよ」
僕は流されるまま、足元の床板を強引に引き剥がした。
その下には、脈打つように光る太いパイプが走っている。この床を動かしている動力伝達管だ。中には高圧の魔力流体が流れている。
「機械ってのはね、便秘になると動けなくなるんだよ」
僕はパイプに両手を押し当て、内部を流れる流体に意識を同調させた。
サラサラと流れる液体。その分子構造に干渉し、粘度を極限まで高めるイメージを送る。流れを止めるんじゃない。流れを「固める」んだ。
「醸造・循環阻害」
ギュルル……ガガガッ……プスン。
パイプの中で流体が泥のように凝固し、ポンプが悲鳴を上げた。循環不全を起こした動力系が過負荷を起こし、火花を散らす。
キィィィン……。
数秒後、警報と共に緊急停止装置が作動し、工場の駆動系全体が沈黙した。
「……止まった」
目前に迫っていた粉砕機の刃が、寸前で停止する。鼻先をかすめる熱気。ゼノが冷や汗を拭いながら、安堵の息を吐いた。
「あんた、本当に何でもありだな。機械の殺し方を熟知してやがる」
「ただのメンテナンス不良だよ。……さあ、先へ急ごうか」
停止したラインを走り抜け、僕たちは工場の最深部にある巨大な円筒形の広間に出た。
「あった……!」
リィンが指差す。
広間の中央、遥か頭上の天井ハッチに向かって聳え立つ、銀色の巨大な柱。あれこそが、物体を電磁加速して空へと射出する「マスドライバー」の基部だ。これさえあれば、アイゼンを空へ飛ばせる。
「だが、タダじゃ通してくれなさそうだね」
僕はアイゼンのブレーキを踏んだ。マスドライバーの前には、一体の巨像が立ちはだかっていた。
ズシン……ズシン……。
全身を艶消しの黒い複合装甲で覆った、四足歩行の機械獣。背中には二門の荷電粒子砲、顎には高速回転するチェーンソーを備えている。
体長は5メートル近い。その威圧感は、以前遭遇した野良の機械獣とは桁が違う。
「『重機動守護者』……ケルベロス型よ!」
リィンが青ざめて警告する。
「工場の最終防衛ラインね。気をつけて、あの装甲は自己修復機能付きよ! 生半可な攻撃じゃ、傷が塞がるそばから再生されるわ!」
『さあ、餌の時間よポチ! 悪いお客さんを噛み砕いちゃいなさい!』
スピーカーからエリスの冷酷な命令が飛ぶ。
機械獣のカメラアイが真紅に染まり、鼓膜を劈くような駆動音と共に、僕たちへロックオンした。
「グルルルアッ!!」
機械獣が咆哮と共に跳躍した。顎のチェーンソーが高速回転し、火花を撒き散らしながら、先頭にいたゼノへと迫る。
「チッ、元気な犬っころだぜ!」
ゼノが大剣を盾にして受け止める。
ガギィィィン!!
嫌な金属音が響き、ゼノの巨体がズザザッと後退させられる。竜人の剛腕をもってしても、押し負けそうなほどの重量差だ。
「くそっ、重てぇ! アルス、こいつ洒落にならねえぞ!」
「リィン、援護だ! 関節を狙ってくれ!」
「分かってる! 『雷撃』!」
リィンの杖から放たれた紫電が、機械獣の膝関節を直撃する。
バチッ!
装甲が黒く焼け焦げ、動きが鈍る――かに見えた。
だが、次の瞬間。焦げた装甲が生き物のように蠢き、瞬く間に元通りに修復されてしまった。
「嘘でしょ!? 再生が速すぎるわ!」
リィンが悲鳴を上げる。
「自己修復ナノマシンか……厄介だね」
僕は戦況を見極めながら、冷静に敵の構造をスキャンしていた。
真正面から破壊しようとしても、再生速度に追いつかない。消耗戦になれば、生身のこちらのほうが先に尽きる。
なら、どうする?
破壊しても直るなら、破壊しなければいい。
僕の視線が、機械獣の首の付け根、分厚い装甲の継ぎ目にある小さな「メンテナンスポート」を捉えた。
あそこだ。外部からデータ更新を行うための接続端子。
「ゼノ、リィン。あいつを殺す必要はないよ。僕が『脳みそ』を洗ってあげる」
僕は二人に指示を飛ばした。
「10秒だ。あいつの動きを完全に止めてくれるかな? 僕が背中に乗って、直接『接続』する!」
「10秒だな! 死んでも止めてやるよ!」
ゼノが吠え、剣を捨てて機械獣の懐に飛び込んだ。魔族としての本能を解放し、筋肉を隆起させる。
「オラァッ!」
回転するチェーンソーの顎を、なんと素手で、左右から挟み込むようにして強引に掴んで抑え込んだ。火花が散り、ゼノの腕から血が噴き出す。
「ぐぅぅ……ッ! 今だ、リィン!」
「『閃光』ッ!!」
リィンが杖を掲げ、至近距離で強烈な光を炸裂させた。機械獣のカメラアイが白く焼け、センサーが一時的に麻痺する。
「ギャウッ!?」
「ナイスだ!」
僕はその隙を見逃さず、ゼノの背中を足場にして機械獣の頭上へと跳躍した。
暴れる巨体にしがみつき、首元のメンテナンスポートのカバーをスパナでこじ開ける。露出した情報端子に手を押し当て、直接、自分の魔力を流し込む。
「暴れないでくれよ……今すぐ『良い子』にしてあげるから」
僕は魔力を通じて、機械獣の制御回路へと侵入した。
視界に、膨大な文字列と複雑な暗号化コードが壁となって立ちはだかる。エリスによって書き込まれた、「侵入者を殺せ」という絶対命令だ。
解読している時間はない。だから、僕はコードを解くのではなく、コードが書かれた「時間」そのものに干渉する。
「醸造・初期化」
回路の中で熟成された「敵対プログラム」の時間を巻き戻す。
殺意、命令、戦闘データ。それらが蓄積される前の、工場から出荷された直後の「真っ白な状態」へと還す。
そして、新たな「主」の情報を、優しく、しかし深く刷り込む。
『管理者:エリス』……削除。
『管理者:アルス』……登録完了。
「ガ……ガガッ……プシュー……」
激しく身をよじっていた機械獣が、糸が切れたように動きを止めた。
そして、赤く血走っていたカメラアイの光が消え、数秒後に、穏やかな青色へと変化して再起動した。
巨体はその場に大人しく伏せ、鋼鉄の尻尾をパタパタと振り始めた。
『はぁ!?』
スピーカーから、エリスの素っ頓狂な絶叫が響いた。
『ちょ、ちょっと! 何してるのよポチ! 食べなさいよ! 仕事しなさいよ!』
「悪いね、エリス」
僕は機械獣の冷たい頭を撫でながら、天井のカメラに向かって手を振った。
「飼い主が変わったんだ。こいつはもう、僕の忠実な番犬だよ」
『……っ、ふざけないでよ! 私の完璧な包囲網が、たかが修理屋ごときに!』
スピーカーから、エリスのヒステリックな金切り声が響く。モニター越しに見える彼女の表情は、余裕の笑みなど消え失せ、屈辱で歪んでいた。
『覚えてなさい。次はこんなオモチャじゃ済まさない。……勇者パーティ全員で、貴方を「処理」してあげるわ!』
プツンッ。
捨て台詞と共に通信が切れ、工場の照明が一瞬だけ明滅した。システム掌握権を放棄して逃走したようだ。
「……逃げ足の速いお嬢さんだ」
僕は肩をすくめ、足元の巨大な頭をポンポンと叩いた。
「よしよし、いい子だポチ。そこをお座りして、道を開けてくれるかな?」
「ワンッ!」
機械獣は、地響きを立てて嬉しそうに吠えると、従順に道を譲り、お座りの姿勢で待機した。その巨体と、無邪気な仕草のギャップに、ゼノが呆れたように口を開けている。
「……おい大将。お前、魔物使い(テイマー)の才能もあるんじゃねえか? まさかあの殺戮兵器が、尻尾振ってやがるぞ」
「ただのプログラムの最適化だよ。……さあ、急ごう。エリスが戻ってくる前に空へ飛ぶ」
僕たちはアイゼンに戻り、ポチに見送られながら広間の中央へと進んだ。
そこには、天を衝く巨大な銀色の柱――マスドライバーの射出カタパルトが鎮座している。
「リィン、座標計算は頼めるかい?」
「任せて。……でも、この施設、数千年も動いていないのよ? 本当に飛べるの?」
リィンは不安そうにコンソールを操作する。確かに、通常の起動手順では動かないだろう。魔力回路は干上がり、超伝導コイルは冷え切っている。
「だから、僕がいるんだ」
僕はアイゼンをカタパルトの台座に固定し、ドライバーの基部に直接触れた。
「起きろ。……長い昼寝は終わりだ」
ドクンッ。
僕の魔力を、施設の心臓部へと「輸血」する。
イメージするのは、止まっていた時計のネジを巻く感覚。錆びついた回路に油を差し、眠っていた巨人の血管に熱い血を流し込む。
「醸造・強制覚醒」
ズズズズズ……!
地底の奥深くから、重低音が響き始めた。工場の壁面に走る光のラインが、赤から青、そして眩い白へと輝きを増していく。
「うおぉぉっ!? すげぇ魔力だ! 空気がビリビリしてやがる!」
ゼノが身震いする。大気中のマナが渦を巻き、カタパルトの周囲に青白い雷光が走り始めた。
「エネルギー充填率、120%突破! 臨界点を超えます!」
リィンが叫ぶ。
「アイゼンの耐熱シールド、全開! 全員、シートベルトを締めて! 舌を噛まないようにね!」
僕は運転席に飛び乗り、メインスロットルを握りしめた。
目の前のハッチが螺旋状に開き、その向こうに、小さく切り取られた「青い空」が見える。
あそこだ。あそこへ行けば、カイルに手が届く。
「いくぞ、野郎ども! 空の旅だ!」
ゼノが雄叫びを上げる。
「カウントダウン! 3、2、1……!」
「発射ッ!!」
ズドォォォォォォォンッ!!!!
背後で世界が爆発したような衝撃。
凄まじいGが全身をシートに押し付け、視界が白一色に染まる。音すら置き去りにする超加速。アイゼンという数トンの鉄塊が、一瞬にして音速の壁を突破した。
キィィィィィン!!
大気が悲鳴を上げ、窓の外が流線型の光の帯に変わる。重力が消え、内臓が浮き上がるような感覚。
そして――。
バシュッ!!
不意に、全ての音が消えた。光の帯が弾け飛び、目の前に広がったのは、どこまでも深く、澄み渡った「蒼穹」だった。
「……すげぇ」
ゼノが息を呑む。
眼下には、雲海が白い絨毯のように広がり、その遥か下に、豆粒のような地上世界が見える。僕たちは今、鳥さえ到達できない高度、神々の領域に浮かんでいる。
「見て、アルス! あれが……!」
リィンが震える指で前方を示す。
雲海の彼方、空の頂に浮かぶ、巨大な逆さまの円錐形の浮遊島。その頂点に、禍々しくも美しい黒曜石の城が聳え立っている。
「天空魔王城」
世界の敵。そして、カイルが囚われている場所。
「……やっと見つけた」
僕はハンドルを握る手に力を込めた。
ここからは道なき道だ。アイゼンの翼を展開し、バーニアを噴射する。
「待ってろ、カイル。……今、行くぞ」
流星のように空を駆ける改造車。
その軌跡は、静止した世界に刻まれる、最初の一筋の傷跡となった。
第20話 完
※次話は明日18:00に更新予定です。




