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第19話 星降る谷、裏切りの糸

「黒鉄の要塞」での騒動を後にした僕たちは、さらに北へ向かって改造車『ノア』を走らせていた。

 

数時間後、地平線の彼方に巨大な岩の裂け目が現れる。

 

「星降る谷」。

 

その名の通り、太古の昔に巨大な隕石が大地を削り取ってできたとされる、鋭角な断崖絶壁が両脇にそびえ立つ天然の回廊だ。

 

空は高く、細く切り取られた青空からは、時折「星の欠片」と呼ばれる魔力結晶の微細な粒子が、ダイヤモンドダストのようにキラキラと舞い降りてくる。

 

冷たく澄んだ空気が、エンジンの排気熱を瞬時に奪っていく。美しいが、生物を拒絶するような無機質な静寂が支配していた。

 

「……妙だね」

 

ハンドルを握るゼノが、バックミラー越しに眉をひそめた。

 

彼は魔族の中でも最強の種族とされる「竜人ドラゴニュート」だ。その鋭敏な聴覚と野生の勘は、精巧な計器類よりも早く異変を察知する。

 

「いつもなら『ロックリザード』とかいう面倒な硬いトカゲがうろついてる場所なんだが、一匹も見かけねえ。それに……風の音すらしねえぞ」

 

「生物が本能的に『天敵』を察知して逃げ出した後の静けさ……って感じね」

 

助手席のリィンが身震いをして、膝上の古文書を抱きしめ直す。

 

僕は後部座席から窓ガラスに額を押し当て、流れる岩壁を凝視した。

 

……確かに、違和感がある。

 

岩肌に張り付いた苔が、ある一定の高さで不自然な「直線」を描いて削ぎ落とされている箇所がある。それに、地面の小石が道の脇へ寄せられている。まるで、見えない壁に弾かれたように、不自然に整列しているのだ。

 

「自然界に『直線』は存在しないよ」

 

僕は低く呟いた。

 

風や水が作る形は、常に曲線だ。直線があるということは、そこに「作為」があるということ。誰かが意図的に環境を整え、獲物を待ち受ける「舞台」を作った証拠だ。

 

僕の背筋に、冷たいものが走る。これは「整備」された狩場だ。

 

「……止まってくれるかな、ゼノ! 罠だ!」

 

僕が叫んだのと、乾いた破裂音が響いたのは同時だった。

 

シュパパンッ!!

 

鋭い音が四回。

 

「うおっ!?」

 

ゼノがハンドルを取られる。四輪全てのタイヤが同時に切り裂かれ、車体はガクンと大きく傾き、火花を散らしながらコントロールを失った。

 

キキィィィィッ!!

 

ゴムが焼け焦げる臭いと、金属が岩を削る不快な音。ゼノの強引なブレーキングで、車体は岩壁に激突する寸前で停止した。

 

「チッ、舐めやがって! どこのどいつだ!」

 

ゼノが怒号と共にドアを蹴り開け、背中の大剣を構えて外へ飛び出す。

 

「待って、ゼノ! 出ちゃダメだ!」

 

僕の制止は、彼の突進速度には間に合わなかった。

 

ヒュンッ。

 

風を切る音がした瞬間、ゼノの巨体がピタリと静止した。

 

「……あ?」

 

ゼノが低く呻く。

 

彼の手足、そして太い首筋に、赤い線がジワリと浮かび上がる。皮膚が薄く切れ、血の玉が浮き出したのだ。

 

鋼鉄よりも硬い竜人の皮膚が、豆腐のように音もなく切れている。遅れてやってくる熱い痛みが、彼の表情を歪ませた。

 

「動かないで!」

 

僕は叫んだ。

 

「『魔鋼糸モノフィラメント』だ! 髪の毛より細いワイヤーが張り巡らされている。一歩でも動けば、身体がバラバラになるよ!」

 

目を凝らせば、空間の至る所に、陽光を反射して微かに光る極細の糸が、複雑な幾何学模様を描いて張り巡らされていた。

 

タイヤを切ったのもこれだ。僕たちは、巨大な見えない蜘蛛の巣の中に、自ら突っ込んでしまったのだ。

 

「あらあら。修理屋さんにしては、なかなか良い反応速度ね」

 

頭上から、鈴を転がすような、しかし氷のように冷たい声が降ってきた。

 

崖の上から、影が一つ落ちてくる。

 

スタッ。

 

音もなく僕たちの車のボンネットに着地したのは、黒い軽装鎧レザーアーマーに身を包んだ小柄な少女だった。

 

腰には二本の短剣。そしてその十本の指先からは、ピアノ線のような無数の糸が伸び、空間を支配している。

 

「久しぶりだね、予備スペア王子」

 

エリスだ。

 

かつてカイルの背中を守っていた弓使い。今は、王国の追手として僕たちの前に立ちはだかる「処刑人」。彼女は愛らしい顔立ちに、残忍な笑みを浮かべて僕を見下ろしていた。

 

「君の仕業かい、エリス」

 

僕は車から降りず、窓越しに彼女と対峙した。

 

「ええ。要塞の方からネズミが一匹逃げたって警報があったから、網を張ってみたの。まさか貴方だとはね」

 

エリスはクスクスと笑い、指先を少しだけ動かした。

 

「ぐっ……!」

 

ゼノが苦悶の声を漏らす。糸が竜人の強靭な皮膚に食い込み、肉を締め上げる。骨に達するギリギリの張力調整。指先一つで命を弄んでいる。

 

「やめなさいよ!」

 

リィンが杖を構えようとするが、エリスの視線だけで射すくめられる。

 

「動かないでね、メガネさん。貴方の首にも、もう一本巻き付けてあるから。魔法を詠唱する喉が潰れるのと、私が指を曲げるの、どっちが速いかしら?」

 

「ッ……!」

 

エリスは再び僕に向き直った。その目は、獲物をいたぶる捕食者の目だ。

 

「本当に、兄弟揃って馬鹿なんだから。カイル様も、大人しく死んでおけば『悲劇の英雄』として綺麗な銅像になれたのに。……貴方も、王都の地下でゴミ拾いでもしていれば長生きできたでしょうに」

 

「……カイルを『様』付けで呼ぶのはやめてくれないかな。反吐が出るよ」

 

僕は静かに返した。怒鳴り散らしたりはしない。ただ、腹の底で冷たい炎が燃え上がるのを感じていた。

 

「あら、厳しい」

 

エリスは嘲笑う。

 

「でも感謝してほしいくらいよ? 私たちは彼を『完成』させてあげたんだから。世界を救うための、感情も迷いもない、完璧な生体部品パーツとしてね」

 

部品。

 

その言葉が、僕の中で最後の一線を切った。

 

プツン、という音が聞こえた気がした。

 

怒りではない。もっと冷たく、鋭い、技術者としての「解体意思」だ。

 

こいつは人間じゃない。壊れた不良品だ。人の心を失い、友を道具としてしか見られなくなった、哀れな欠陥品だ。

 

なら、修理(解体)してあげる必要がある。

 

「……一つ、授業をしてあげるよ、エリス」

 

僕は懐に手を入れながら、教師が子供に語りかけるように静かに口を開いた。

 

「僕たち技術屋って人種はね、目の前に『配線ライン』があると、つい電源を接続したくなる習性があるんだ」

 

「は? 何を訳の分からないことを……」

 

エリスが眉をひそめた瞬間、僕は懐から手のひらサイズの黒い箱を取り出した。

 

先ほどの黒鉄の要塞で、破壊したゴーレムから抜き取っておいた「高出力コンデンサ(蓄電池)」だ。内部には、落雷一回分に匹敵する電力が圧縮されている。

 

「君のその糸、魔力伝導率は悪くない。ミスリルを編み込んだ高級品だね。……でも、電気抵抗が高すぎるよ。これじゃあエネルギー効率が悪い」

 

僕はコンデンサの端子を、車の窓枠に引っかかっていた見えない糸の一本に、強引に押し当てた。

 

「なっ、何をする気!?」

 

エリスが危険を察知して糸を切ろうとする。

 

「遅いよ。……回路閉鎖クローズ。あばよ」

 

僕は魔力を糸の内部へ流し込み、物質としての性質を一瞬で書き換えた。

 

絶縁体に近い魔鋼糸の分子配列を整列させ、電気抵抗を限りなくゼロに近づける。例えるなら、詰まっていた水道管を一気に拡張し、奔流を通すようなものだ。

 

醸造ブリュー伝導率過剰オーバードライブ

 

バチィッ!!

 

コンデンサに蓄えられていた全電力が、一気に解放された。

 

「超伝導」と化した糸は、雷の通り道となって青白い閃光を放つ。電気は正直だ。抵抗の少ない方へ、そして発生源へと、光の速さで逆流する。

 

その電流が向かう先は、全ての糸を束ねているハブ――エリスの十本の指先だ。

 

「きゃあぁぁぁぁぁッ!?」

 

エリスの悲鳴が渓谷に響き渡る。

 

「あ、が……ッ!? うそ、私の絶縁手袋が……効かな……ッ!?」

 

バチバチバチッ!!

 

紫電が彼女の全身を駆け巡る。防御魔法を展開する暇もない。彼女自身の武器が、彼女を焼くための導線になったのだ。

 

焦げたオゾンの臭いが立ち込める。白目を剥き、痙攣しながら、彼女はボンネットから弾き飛ばされ、地面を転がった。

 

「僕の『過剰伝導』は、絶縁体すら導体に変える。……君の自慢の糸が、君自身を縛る鎖になったわけだ」

 

僕はコンデンサを投げ捨て、冷たく言い放った。

 

エリスが糸の制御を失ったことで、ゼノとリィンを縛り付けていたテンションが緩む。

 

「オラァァァッ!!」

 

ゼノが咆哮と共に力を込め、緩んだ糸を引きちぎる。

 

ブチブチブチッ!!

 

「よくもやってくれたな、このアマ!」

 

ゼノが大剣を掴み、殺意に満ちた形相でエリスに迫る。リィンもまた、杖を構えて詠唱を始めた。

 

「……殺す?」

 

ゼノが僕に問う。

 

エリスはまだ痺れて動けない。今なら確実に首を落とせる。王国の追手であり、カイルを裏切った張本人。ここで殺しておくのが「正解」だ。

 

だが、僕は首を横に振った。

 

「いいや。……伝言役が必要だ」

 

僕はエリスの前に歩み寄り、彼女を見下ろした。

 

焦げた装備、乱れた髪。かつての可憐な英雄の姿はない。彼女は屈辱に顔を歪めながら、僕を睨みつけていた。

 

「……殺せばいいじゃない。情けのつもり?」

 

「違うよ。君たちはカイルを『部品』と呼んだね」

 

僕は彼女の目の前にしゃがみ込み、その目を覗き込んだ。

 

「なら伝えておいてくれ。その部品の『所有権』を主張しに行く、とな」

 

「……は?」

 

「カイルは僕が作った。僕が直してきた。だから、彼をどう使うかは僕が決める。……王国にも、勇者パーティにも、指一本触れさせない」

 

それは宣言だった。

 

国に対する、世界に対する、そして勇者というシステムに対する宣戦布告。

 

「……ふふ、あはははは!」

 

エリスは突然、狂ったように笑い出した。

 

「面白い。本当に面白いわ、予備王子。……いいわ、伝えてあげる」

 

彼女はよろめきながら立ち上がった。まだ足元はおぼつかないが、その目には再び冷徹な殺し屋の光が戻っていた。

 

「でも、覚えておきなさい。……今のカイル様は、貴方が知っている『人間』じゃない。もう心なんて残っていないのよ」

 

彼女はニヤリと笑い、懐から転移水晶を取り出した。

 

「次に会う時は、貴方のその生意気な喉を切り裂いてあげる。……楽しみにしていなさい」

 

ヒュンッ。

 

空間が歪み、エリスの姿がかき消えた。後に残ったのは、静寂と、焦げたオゾンの匂いだけ。

 

「……逃がして良かったのかよ、大将」

 

ゼノが不満げに剣を収める。

 

「ここで殺しても、次の刺客が来るだけさ。それより、今の彼女の言葉が気になる」

 

『もう心なんて残っていない』。

 

その言葉が、棘のように胸に刺さっていた。カイルの心が壊されていることは分かっていた。だが、エリスの口ぶりは、もっと決定的な「何か」が行われたことを示唆していた。

 

「……急ごう。カイルが完全に『モノ』になってしまう前に」

 

僕はパンクしたタイヤを見つめた。スペアはない。だが、直すのは得意だ。周囲に散らばる岩を砕き、錬金術でゴムと融合させて即席のタイヤを作る。

 

「行くよ、二人とも。ここから先はノンストップだ」

 

「へっ、望むところだ!」

 

「ええ、マスター。どこまでも付いていくわ」

 

再び動き出した『ノア』は、星降る谷を疾走する。

 

空から舞い降りる星の欠片が、僕たちの行く手を祝福するように、あるいは警告するように輝いていた。

 

次の目的地は、アイゼンを空へ打ち上げるための古代遺跡。そこで僕たちは、空への切符を手に入れる。

 

(待ってろ、カイル。……どんなに壊れていても、必ず直してみせる)

 

僕はハンドルを強く握りしめた。

 

その決意に応えるように、ポケットの中のボルトが、確かに熱く脈動した気がした。

 

第19話 完

※次話は明日18:00に更新予定です。


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