第18話 黒鉄の要塞、侵入作戦
夜の帳が荒野を覆う頃、僕たちは車を巨大な岩陰に隠し、冷たい風が吹き抜ける崖の上から眼下の光景を見下ろしていた。
闇の中に黒々と鎮座しているのは、巨大な金属の塊――魔王軍の残党が拠点とする「黒鉄の要塞」だ。
無骨な鉄板を溶接して作られた城壁の上では、強力な魔導探照灯が旋回し、無数の自律兵器が規則正しい機械音を立てて巡回している。さらに正門の前には、重戦車クラスの巨体が二体、門番として立ちはだかっていた。
「……うげぇ、厳重だな」
隣で双眼鏡を覗いていたゼノが、低い声で唸る。彼の背中からは、興奮した竜人特有の熱気が立ち昇っている。
「アリ一匹通す気はねぇってか。どうする大将、あのデカブツごと正面からぶち破るか?」
「無茶を言わないで」
リィンがタブレット端末――僕が道中で拾ったジャンクパーツから修理したものだ――を見ながら、冷静に却下する。
「あのゲートには、対城魔法障壁が常時展開されているわ。今のゼノの火力でも、傷一つ付けられない。無理に攻撃すれば、自動反撃術式で黒焦げよ」
「へっ、俺の大剣で千回叩けば割れるかもしれねえだろ?」
「その前にお前が千回死ぬことになるわ」
リィンとゼノの掛け合いを聞きながら、僕は双眼鏡を下ろし、穏やかに微笑んだ。
「安心しなよ、二人とも。馬鹿正直に正面から入るつもりはないよ」
僕は指先で、要塞の裏手に流れる暗い川を指し示した。
「どんなに堅牢な城にも、必ず『呼吸をする穴』があるものさ。……例えば、要らなくなったものを吐き出す場所とかね」
僕たちが選んだルートは、要塞の裏手、断崖に口を開けた排水路の出口だった。
鼻を突く汚水の臭気。生活排水と、機械油の混じった独特の匂いが漂っている。そこには直径二メートルほどの巨大なパイプがあり、侵入者を拒むように分厚い合金製の格子が嵌め込まれていた。
「……これも『魔法金属(オリハルコン合金)』ね」
リィンが格子の表面を指先で触れ、眉をひそめた。
「物理攻撃無効、魔法耐性特大。私の切断魔法でも、これを焼き切るには一時間はかかるわよ。そんなに時間をかけたら、巡回のセンサーに見つかってしまうわ」
「一時間もかけたら、せっかくの夜が明けちゃうね」
僕は格子の前に立ち、その冷たく、頑丈すぎる金属に掌をそっと押し当てた。
「切るんじゃないよ。『時間を進めてあげる』んだ」
「時間を?」
「ああ。どんなに強固な金属も、永遠にその形を保てるわけじゃない。雨風に晒され、酸素と結びつき、ボロボロに朽ち果てる未来が必ずある」
僕は魔力を集中させる。
イメージするのは、早送りされたフィルム。数百年、数千年という悠久の時を、この一点に凝縮して流し込む。物質の劣化を、僕の指先で加速させる。
「醸造・酸化促進」
ジジジジジ……ッ!!
微かな発泡音と共に、銀色に輝いていた合金が一瞬で赤黒く変色していく。
表面に赤錆が浮き、それが深部へと急速に侵食し、強固だった金属の分子結合を食い荒らしていく。魔法による防御など関係ない。これは物質そのものの寿命を、強制的に全うさせる技術だ。
「崩れてくれるかな」
僕が指先で軽く突くと、
ボロッ、ガラガラガラ……。
オリハルコンの格子は、まるで乾いた砂細工のように崩れ落ち、赤錆の山となって排水路の汚水に沈んだ。
「……うわぁ、エグいな」
一部始終を見ていたゼノが、顔を引きつらせて一歩下がった。
「あんた、絶対敵に回したくねえわ。俺の剣もそうやって腐らされるのか?」
「手入れを怠らなければ大丈夫だよ」
僕は肩をすくめ、ぽっかりと開いた暗闇への穴へと足を踏み入れた。
「さあ、行こうか。少し汚れるけど、我慢してね」
要塞内部は、無数の配管と蒸気が入り組む迷路のようだった。
壁や床は鉄板で覆われ、一定間隔で配置された魔導ランプが薄暗い通路を照らしている。定期的に噴き出す蒸気の音が、侵入者の足音を隠してくれた。
「リィン、足音を消してくれるかな」
「了解。『静音結界』」
リィンの魔法で、僕たちの気配は完全に遮断される。水音も衣擦れの音もしない、幽霊のような行軍だ。
通路の角を曲がった先で、見張りの兵士――骨だけの魔物が背を向けて立っていた。かつて魔王軍が使役していた残骸を、再利用しているのだろう。
僕が合図を送ると、ゼノが無音で走り寄った。竜人の瞬発力。風すら起こさぬ早業。
ガゴッ。
鈍い音と共に、ゼノの剛腕がスケルトンの頭蓋骨を握りつぶした。骨の兵士は悲鳴を上げる間もなく崩れ落ち、塵となる。
「いい腕だね、ゼノ」
「へっ、骨ごとき準備運動にもならねえよ」
頼もしい相棒たちだ。僕たちはアイコンタクトを交わし、さらに奥へと進んだ。
順調に進んでいた。だが、中央制御室へと続く大廊下に出た瞬間だった。
ビーッ! ビーッ! ビーッ!
突然、天井の赤色灯が回転し、けたたましい警報音が鳴り響いた。
『侵入者発見! 侵入者発見! 熱源反応アリ、直チニ排除セヨ!』
「なっ、トラップか!?」
ゼノが身構える。
「違う、熱源探知だ! 隠蔽魔法を上回る感度で監視していたみたいね!」
リィンが舌打ちする。
ガシャン、ガシャン、ガシャン!
通路の奥から、重い足音が響いてくる。床が揺れるほどの振動。
現れたのは、全身をフルプレートの重厚な装甲で覆った、高さ三メートルの「近衛ゴーレム」三体だった。その手には巨大な戦斧が握られている。
「チッ、よりにもよって一番硬いのが来やがったな!」
ゼノが大剣を構え、前に出る。
「下がっていてくれ、二人とも! 俺がやる!」
「待って、ゼノ!」
「強行突破だ! ゼノ、リィン、タイミングを合わせてくれるかな! 僕が『加工』するまで耐えてほしい!」
「了解!」
「任せな!」
「グルルルル……排除スル!」
先頭の近衛ゴーレムが、蒸気を噴き出しながら巨大な戦斧を振り下ろしてくる。
「遅せぇんだよッ!」
ゼノが正面から突っ込み、大剣でその一撃を受け止める。
ガギィン!!
凄まじい火花が散り、床の鉄板が歪む。ゼノの腕が軋む。単純なパワー勝負なら互角だが、相手は痛みを感じない鉄の塊だ。
「リィン! 援護だ!」
「分かってる! 『雷撃』!」
リィンの杖から放たれた紫電が、ゴーレムの背中に直撃する。
バチバチッ!
だが、装甲の表面で光が弾かれただけだ。焦げ跡すらついていない。
「嘘……! 魔法耐性が高すぎて通らない!」
「ただの魔法じゃ無理だよ! あいつの装甲は魔力拡散コーティングされている!」
「なら、そのコーティングごと『質』を変えてあげるよ!」
僕はゼノが押し合っているゴーレムの背後へ走り込んだ。
「ゼノ、一歩も引かないでくれ!」
「おうよ! 早くしねえと俺が潰れるぞ!」
僕は壁を蹴り、ゴーレムの巨体へと飛び乗った。狙うは、装甲の継ぎ目。背中の動力炉付近、最も負荷がかかっている一点だ。
僕の掌が、冷たい鋼鉄に触れる。
「少し驚くかもしれないけど、見ていてほしい」
僕は魔力を流し込んだ。
「醸造・脆化!」
魔力を通じて、分子結合の鎖を内側から解く。硬度を保っている結合力を奪い、代わりに極度の「脆さ」を与える。粘り気のある鉄を、衝撃に弱いガラスの性質へと変質させるイメージだ。
パキッ……。
微かな亀裂音が響く。装甲の色が、鈍い灰色から白く濁った色へと変わった。
「入った! ゼノ、今だ! 叩き割ってくれ!」
僕は背中から飛び退いた。
「オラァァァッ!!」
ゼノが渾身の力で大剣を押し返す。本来なら傷一つ付かないはずの装甲が、その衝撃を受けた瞬間――。
パリンッ!!
まるで薄氷のように粉々に砕け散った。
「ガ……ガガッ!?」
中身が剥き出しになったゴーレムの核を、ゼノの返し刀が貫く。
ドォォン!!
巨体は爆発四散し、残りの二体もその爆風と破片に巻き込まれて吹き飛んだ。
「……ふぅ。えげつないな、その魔法」
ゼノが肩で息をしながら、粉々になった残骸の山を見下ろす。物理攻撃も、魔法攻撃も通じないはずの最強の門番が、アルスの手にかかれば一瞬で「ガラス細工」のように砕け散ったのだ。その光景は、戦士であるゼノにとって、ある種の戦慄を覚えるものだった。
「魔法じゃないよ。ただの材料工学の応用さ」
僕は平然と言い放ち、手早く中央制御室の扉を開け(もちろん腐らせて)、中へ踏み込んだ。
誰もいない制御室。無数のモニターが、要塞各所の状況を映し出している。僕はメイン端末の前に座り、キーボードを叩いた。
「ビンゴだ。あったよ、『マスドライバー』の起動コード」
モニターに表示されたのは、北の遺跡「星降る谷」にあるとされる古代の射出装置へのアクセスキーと、正確な座標だった。これでアイゼンを空へ――カイルのいる場所へ打ち上げることができる。
「アルス、ちょっとこれを見て」
隣のモニターを見ていたリィンが、強張った声を出した。
「……なんだい?」
覗き込むと、そこには最新の通信ログが表示されていた。
『警告:カイル救出作戦、妨害部隊ガ接近中。 隊長:勇者パーティ・エリス』
「……エリスか」
僕の口から、自然と冷たい声が漏れた。
あの盗賊娘。カイルを騙し、裏切り、僕の喉元に刃を突きつけた女。あいつが、僕たちの動きを察知して動き出したらしい。
しかも、ただの追跡じゃない。画面には、彼女が率いる特殊部隊「黒猫」のエンブレムが表示されている。暗殺、隠密、破壊工作に特化した、王国の汚れ仕事を引き受けるエリート部隊だ。
「どうする大将? 逃げるか?」
ゼノが僕の顔色を窺う。相手は勇者パーティの一角。まともにやり合えば厄介な相手だ。
だが、僕は拳を強く握りしめた。怒りではない。静かな殺意と、親友を救うための決意だ。
「逃げる? まさか」
僕はニヤリと笑った。
「上等だよ。あいつらには、一度キッチリ『教育』してやる必要があると思っていたところだ。僕たちの邪魔をするなら、あのゴーレムと同じように粉々にしてやる」
「へっ、そうこなくちゃな!」
ゼノが嬉しそうに拳を鳴らす。リィンも、不安そうな表情を消し、決意に満ちた目で頷いた。
「行きましょう、マスター。貴方の敵は、私の敵よ」
警報が鳴り止まない要塞を背に、僕たちは走り出した。
次なる目的地は「星降る谷」。
そこで僕たちを待つのは、空への道か、それとも裏切り者の凶刃か。どちらにせよ、止まるつもりはない。
夜明け前の冷たい風が、僕たちの頬を叩く。その風の向こうで、何かが軋む音がした気がした。それは世界の悲鳴か、それとも運命の歯車が噛み合う音か。
「待ってろよ、エリス。……今度は僕が、お前たちの『完璧な計画』をぶち壊してやる」
第18話 完




