第16話 砂の海のエルフ、失われた色彩
上空三万五千メートルの魔王城へ至るためには、まず地上の準備が必要だ。
僕と、相棒になった魔族のゼノ、そして鉄巨人アイゼンを乗せた改造車『ノア』は、王都を離れ、北へと続く広大な――「渇きの荒野」を走っていた。
かつては緑豊かな土地だったらしいが、長引く魔王軍との戦争、そして何より先日の「魔王システム停止」の影響で環境魔素が枯渇し、今では風化した赤茶けた岩と砂だけの死の世界が広がっている。
「……色が、ないね」
僕はハンドルを握りながら呟いた。
空は青いが、どこか白茶けて見える。岩肌も植物も、彩度が落ちてモノクロームの写真を見ているようだ。
まるで、世界の画素数が落ちてしまったかのような、不気味な違和感。
「おい大将、あそこを見ろよ」
助手席で大剣を磨いていたゼノが、顎で前方を示した。
砂塵舞う街道の脇、巨大な岩陰に、何かが倒れているのが見えた。
ボロボロの灰色のローブを纏った、小柄な人影だ。
その周囲を、飢えた野犬のような魔獣「サンド・ウルフ」の群れが、舌なめずりをしながら遠巻きに囲んでいる。
「……死体かい?」
「いや、まだ心音が聞こえる。……だが、時間の問題だな」
ゼノが、竜人特有の鋭敏な聴覚で断言する。
僕はゴーグルを下げ、望遠モードで確認した。
ローブの隙間から見える肌は陶器のように白く、痩せ細っている。そして何より目を引いたのは、風に揺れる長い銀髪と、尖った耳だった。
「……エルフ、か」
珍しい。森の奥深くに住む彼らが、こんな不毛の地で何をしているのか。
しかも、彼女の周りだけ空気が歪んでいる。魔獣たちが飛びかかれないのは、彼女から漏れ出る「何か」に本能的な畏怖を感じているからだ。
「止めるよ、ゼノ。……拾うよ」
「へっ、大将は物好きだな。弱肉強食が荒野の掟だぜ? ……ま、乗りかかった船だ」
ゼノは悪態をつきながらも、絶妙なハンドリングで車体を滑らせ、魔獣と遭難者の間に割って入るように急停車させた。
キキィィィッ!!
「グルルルゥ……ッ!」
獲物を邪魔された魔獣たちが、牙を剥いて飛びかかってくる。
「散りなッ! 雑魚が!」
ゼノが車から飛び降りざまに、背中の大剣を抜き放つことなく「咆哮」した。
『失せろッ!!』
ビリビリと大気が震える。
それはただの大声ではない。魔族の中でも上位種である竜人だけが放てる、生物としての格の違いを見せつける威圧の波動だ。
「キャ、キャンッ!」
魔獣たちは恐怖に駆られ、尻尾を巻いて一目散に逃げ去っていった。
「……ふん。口ほどにもねぇ」
ゼノが鼻を鳴らす。僕は車から降り、倒れている人物に駆け寄った。
「大丈夫かい? しっかりして」
抱き起こすと、フードが滑り落ちた。
現れたのは、この荒れ果てた荒野には似つかわしくないほど整った顔立ちの少女だった。
だが、その肌には生気がない。
まるで、長い間水を与えられなかった花のように、唇は乾ききり、肌の表面には微細なひび割れのような紋様が浮き出ている。
少女はうっすらと目を開けた。
その瞳は薄いアメジスト色をしていたが、焦点が定まっていない。
「……っ、ニン、ゲン……?」
彼女は僕の顔を見るなり、恐怖で身を縮めた。
「来ないで……。野蛮な、短命種……」
枯れた声で拒絶する。
だが、次に彼女の視線がゼノに向いた瞬間、その表情は「絶望」へと変わった。
「……それに、マゾク……? 嘘でしょ……」
人間と、魔族。
エルフにとっての天敵が二種族同時に、しかも仲間のように並んでいる光景は、彼女にとって悪夢以外の何物でもなかったろう。
「殺すなら……一思いにやりなさいよ……。弄ぶのはなしよ……」
「威勢がいいね。……でも、今の君は迷子だ」
僕は彼女の手首を優しく掴み、脈を診た。
冷たい。まるで氷のようだ。
そして、脈打つリズムが不規則で、時折途切れそうになる。心臓が悪いんじゃない。全身を巡る「魔力回路」が、目詰まりを起こして循環不全に陥っている音だ。
その拍子に、懐から一冊の分厚い古書がこぼれ落ちた。表紙には『魔力循環論』と記されている。
「……なるほどね」
僕は全てを察した。
「君、『魔力欠乏症』だろう?」
「ッ……!?」
少女が目を見開いた。
魔力欠乏症。
大気中の魔素を肺で濾過して取り込むエルフ族特有の病で、体内の循環機能が壊れ、外部から魔力を摂取できなくなる症状だ。人間で言えば、肺が塞がって呼吸ができなくなるのと同じ。
「ほっときな、大将。そいつはエルフの不治の病だ。全身が結晶化して砕け散る。……助からねえよ」
ゼノが、いつになく真面目な声で言った。
彼は魔族として、魔力の扱いに長けている分、この病の残酷さを知っているのだ。
「……そうよ。だから、放っておいて」
少女も諦めたように目を閉じた。彼女の指先は、すでに白く硬質化し始めていた。
「あいにくだけど、僕は修理屋なんだ」
僕は彼女を抱きかかえ、車の荷台へと運んだ。
「壊れたものを目の前にして、『直せない』なんて言うのはプライドが許さないんだよ」
「……何をする気……?」
少女が怯える。
僕が取り出したのが医療器具ではなく、武骨なスパナやケーブル、そしてアイゼン用の予備バッテリー(魔力タンク)だったからだ。
僕は彼女の隣に膝をつき、目線を合わせて優しく語りかけた。
「怖がらないで。今の君の体はね、例えるなら『掃除をしていない煙突』みたいな状態なんだ」
僕は彼女の胸元――魔力回路の中心を指差した。
「煤が詰まって、煙が外に出られなくなっている。だから新しい薪を入れても燃えないし、苦しいんだよ。……分かるかな?」
少女はポカンとした後、小さく頷いた。
「……分かり、やすいわね」
「だから、その詰まった煤を掃除してあげればいいんだ」
僕はバッテリーから伸びる二本のケーブルを、彼女の両手首にある腕輪(魔導回路の端子)に接続した。
「ゼノ、電圧調整を頼めるかい? 僕が合図したらスイッチを入れてくれ」
「おいおい、華奢なエルフに高圧電流かよ? 焼きエルフになっちまうぞ」
ゼノは呆れながらも、正確にバッテリーのダイヤルを操作する。その手つきは繊細だ。
「大丈夫だよ。僕の計算を信じて」
「いくよ。……スイッチ・オン!」
バチバチバチッ!!
青白いスパークがケーブルを走り、彼女の体に流れ込む。
「あぁぁぁぁっ!?」
少女の体が弓なりに反る。
だが、それは破壊の痛みではない。詰まっていた不純物が高圧の魔力で押し流される、奔流の衝撃だ。
「――カット!」
十秒後、僕はケーブルを引き抜いた。
プシュウゥゥ……。
彼女の全身から、白い蒸気のような魔力残滓が立ち昇る。それは、彼女の体内に溜まっていた「死の毒」が抜けていく煙だった。
「はぁ、はぁ……」
少女は荒い息をつきながら、自分の手を見た。
ひび割れが消え、真っ白だった髪の毛先に、わずかだが本来の亜麻色が戻り始めていた。
「……体が、温かい。空気が、美味しい……」
「応急処置だよ。完治には時間がかかるけど、とりあえずエンストは免れたね」
僕は工具を片付けながら微笑んだ。
少女は信じられないものを見る目で、僕と、そしてバッテリーを操作していたゼノを見た。
「人間と、魔族が……協力して、私を治したの……?」
ありえない。
彼女の常識では、人間はエルフを売り飛ばし、魔族はエルフを殺す存在だ。なのに、この二人は。
「僕の名はアルス。こっちの強面がゼノだ」
「誰が強面だコラ。……まあ、礼には及ばねえよ。大将の気まぐれだ」
ゼノはぶっきらぼうにそっぽを向いたが、その横顔には「弱者を助けた」ことへの照れくささが滲んでいた。
「……リィン。私の名前は、リィンよ」
彼女は消え入りそうな声で名乗ると、自分の身体を抱きしめるようにして俯いた。
その視線は、僕たちの背後にある巨大な鉄の箱――『アイゼン・ツヴァイ』と、僕たちの顔を交互に行き来している。
「……助けてくれたことには感謝するわ。でも、理解できない」
リィンは唇を噛み、鋭い眼光を僕に向けた。
「人間と魔族。本来なら殺し合うはずの二人が、どうして一緒ニいるの? それに、その異様な鉄の乗り物はなに? ……貴方たち、本当にただの通りすがりなの?」
「通りすがりだよ。……ちょっとばかり、世界のてっぺんを目指しているだけのね」
僕は苦笑しながら、手元の端末を操作した。
アイゼンのセンサーが、周囲の環境データを収集し続けている。
『大気中湿度:12%以下。魔素濃度:危険水準。……推定原因:地脈の完全停止』
やはり、ただの干ばつじゃない。この土地自体が、魔王システムの停止によって「生命維持装置」を切られた状態にあるんだ。
「お嬢ちゃん。俺たちはこれから北へ行く。魔王城だ」
ゼノが焚き火の準備をしながら、ぶっきらぼうに言った。
「オメェの故郷、『水晶の森』もその途中にあるだろ? 送ってってやるよ」
「……魔王城?」
リィンは息を呑んだ。
「正気なの? 今、世界がどうなってるか知らないの? 勇者が魔王を封印してから、森も、川も、どんどん死んでいってるのよ! ……魔王城なんて、今はもう誰も近づけない『死の結界』に覆われているはずだわ」
「知ってるよ。だからこそ、行くんだ」
僕は彼女の隣に腰を下ろした。
砂漠の夜風が冷たい。けれど、焚き火の暖かさと、ゼノが焼いている干し肉の香ばしい匂いが、ここだけ世界から切り取られたような安らぎを作っていた。
「世界が壊れているなら、直さなきゃいけない。……僕の親友が、そのシステムの犠牲になって、今もあそこで凍えているからね」
「親友……?」
「勇者カイルだよ」
「ッ……!?」
リィンの顔色が再び青ざめる。
勇者カイル。その名は、エルフにとっても「希望」であり、同時に「破壊の象徴」でもあったのだろう。
「彼が……犠牲?」
「ああ。世間じゃ英雄として祀られているけどね。実態は、世界を維持するための『人柱』だ」
僕は焚き火を見つめながら、静かに語った。
地下室で見た真実。カイルが最後に残した悲鳴。そして、僕がこの旅に出た理由。
リィンは黙って聞いていた。時折、信じられないというように首を振り、あるいは悲痛な表情で自分の胸を押さえながら。
「……信じられない。あのカイル様が……」
「信じなくていいよ。僕が勝手にそう思っているだけだから」
僕は立ち上がり、アイゼンのハッチを開けた。
「でも、もし君が『このまま枯れて死ぬのは嫌だ』と思うなら、一緒に来るといい。……僕の旅には、君のような『繊細な目』が必要なんだ」
「……目?」
「ああ。僕には機械の構造は分かるけど、生物の痛みや、大気の微細な変化までは分からない。ゼノは力持ちだけど、大雑把すぎる」
「誰が大雑把だコラ」
「君のその目は、魔力の流れを見ることに特化しているんだろう? 壊れかけた世界の『どこが詰まっているのか』を見つけるには、最高のスキャン・デバイスだ」
僕は手を差し出した。
それは、王子としての手でも、勇者の手でもない。油と鉄粉にまみれた、ただの職人の手だ。
「一緒に来てくれないか、リィン。……君を直したように、この世界も直してみたいんだ」
リィンは僕の手を見つめた。
そして、自分の手のひらを見つめ返した。白く硬質化しかけていた指先には、今は微かに血の赤みが戻っている。それは、この男が繋いでくれた「命の回路」だ。
「……変な人」
彼女は小さく呟くと、おずおずと僕の手を握り返した。その手はまだ冷たかったが、確かな鼓動が伝わってきた。
「いいわ。……私の命、貴方が拾ったんだもの。使い道くらい、選ばせてあげる」
彼女は初めて、微かに微笑んだ。それは、砂漠に咲いた一輪の氷の花のように、儚くも美しい笑顔だった。
「へっ、決まりだな! これで『修理屋一行』は3人だ!」
ゼノが豪快に笑い、リィンの背中をバシッと叩いた。
「きゃっ!? ……ちょっと、痛いじゃない! この筋肉ダルマ!」
「あァ? 筋肉ダルマだと!? 俺様の筋肉は芸術品だぞ!」
「うるさい! 埃が舞うでしょう! ……もう、最低!」
ギャーギャーと言い合う二人を見ながら、僕は安堵の息を吐いた。
賑やかだ。地下室で一人、機械の音だけを聞いていた日々が嘘のようだ。
「……さて、出発しようか」
僕はアイゼンを再起動させた。
夜明けが近い。東の空が白み始め、世界に少しだけ色が戻ってくる時間だ。
「次は『機工都市ギア・ランド』だ。あそこなら、もっといいパーツが手に入るかもしれない」
アイゼンが重厚な駆動音と共に立ち上がる。その背中に、新たな仲間を乗せて。
僕たちは再び、色のない荒野へと走り出した。
だが、僕たちの周りだけは、確かな「熱」と「色彩」に満ちていた。
それは、反逆の狼煙の色であり、命が燃える色だった。
第16話 完
※次話は明日18:00に更新予定です




