第13話 解析の地下室、黒い聖剣
深夜の王宮は、巨大な生き物の死骸のように静まり返っていた。
特に、国宝級の聖遺物が安置されている「大聖堂」の周辺は、一般人の立ち入りが厳重に禁じられている。
そのため、冷たい石畳から立ち昇る冷気と、壁に染み付いた数百年分の古いお香の匂いだけが、澱みとなって漂っていた。
僕は作業着の上から闇に溶ける色のマントを羽織り、天井裏の通気ダクトを匍匐前進で進んでいた。狭いダクト内には灰色の埃が積もり、動くたびに舞い上がって肺を刺激する。
「……随分と埃っぽいね。掃除が行き届いていないのかな」
僕は口元を布で覆いながら、独り言ちた。
王宮の表側はあんなに煌びやかに磨き上げられているのに、裏側はこの有様だ。まるで、この国の歪な構造そのものを見ているようで、少しだけ気分が沈む。
目的の座標――祭壇の真上にたどり着いた僕は、格子状の排気口のネジを音もなく外し、ドライバーをポケットにしまった。
眼下には、巨大な祭壇が見える。
その中央、厳重な魔法結界のドームの中に、あの日持ち帰られた『聖剣アーク』が安置されていた。
カツ、カツ、カツ……。
回廊の向こうから、見回りの衛兵の足音が近づいてくる。二人組だ。規則正しいリズムは、彼らが優秀な兵士であることを示しているが、同時に「予測しやすい」ということでもある。
「少しだけ、あっちを向いていてもらおうかな」
僕はポケットから、ゴルフボール大の金属球を取り出した。お手製の「音響欺瞞ボール」だ。
コロン。
指先で回転をかけて弾くと、ボールは床に着地する寸前に音もなくバウンドし、反対側の回廊へと転がっていった。
そして十メートルほど先で、内蔵されたバネが弾け、ガシャン! と重厚な甲冑が倒れるような派手な音を立てた。
「なんだ!? 向こうだ!」
「曲者か!?」
衛兵たちが慌てて音の方へ走っていく。
その隙に、僕は音もなく床へと降り立った。泥棒なんて柄じゃないけれど、親友の命がかかっているんだ。不法侵入だろうが何だろうが、迷っている暇はない。
祭壇の前には、青白く発光する半球状の魔法結界が展開されていた。
物理的な接触を拒絶し、無理に触れれば高圧電流のような衝撃で黒焦げにされる、王宮魔導師団による最高レベルの防壁だ。フェイやミラが構築したものだろうか。術式があまりに複雑で、強固だ。
「まともに解除しようとすれば、解読コードの詠唱だけで三日はかかるね」
僕は結界の表面に手をかざし、その魔力の流れを感じ取った。
緻密で、隙がない。魔法使いなら絶望する壁だ。だが、僕は魔匠士だ。真正面から解く必要はない。
僕は肩から下げた鞄から、筒状のデバイス――「魔力波長キャンセラー(試作三号機)」を取り出した。
「魔法っていうのは結局、特定の周波数で振動するエネルギーの波なんだ。だから、ちょうど反対の形の波――『逆位相』の波をぶつけてやれば、波同士が打ち消し合ってゼロになる」
僕は独り言のように理論を確認しながら、デバイスのダイヤルを調整した。
「静かな湖面に石を投げて波紋を作るのと同じだよ。その波紋を、別の波紋で消してあげるイメージかな」
スイッチを入れると、デバイスの先端からキーンという人間には聞こえない高周波音が鳴り響く。
僕はその先端を、結界の表面にそっと押し当てた。
ジジジッ……バチバチッ!!
激しい火花が散り、青い光の壁に黒い穴が穿たれていく。結界が「異物」を排除しようと抵抗するが、キャンセラーがその力を中和し続ける。
「……よし、開いたよ」
パシュン。
風船が割れるような軽い音と共に、人間一人が通れるだけの穴が空いた。僕は手を突っ込み、台座に置かれた聖剣を掴んだ。
「……重いな」
ずしりとした重量感が腕にかかる。
物理的な重さだけじゃない。何かもっと、ドロリとした怨念のような重みが、剣の芯にこびりついている。以前、僕が研磨して渡した時の、あの羽のような軽やかさは見る影もない。
近くで見ると、その惨状は明らかだった。
かつて白銀に輝いていた刀身は、どす黒く変色し、表面には血管のような微細な亀裂が無数に走っている。
「……ひどい有様だね。どれだけ無理をさせられたんだい?」
まるで、油も差さずに限界まで酷使されたエンジンのようだ。剣が、音もなく泣いているように思えた。
感傷に浸っている時間はない。僕はその場に膝をつき、携帯用の解析端末(魔道コンソール)を広げた。
数本の細いケーブルを、聖剣の柄にある「魔石スロット」に直接接続する。
「同期開始。……っ、ノイズがひどいな」
端末の小さなモニターに、乱れた波形と大量のエラーコード(赤文字)が滝のように流れる。
『データ破損』
『魔力回路:焼き付き』
『ログ:読み込み不可』
表面上の戦闘データは全滅だ。これでは、最後にカイルがどうなったのか分からない。
「表面は焼かれているか。……なら、深層領域はどうかな?」
僕はキーボードを叩き、深層の記録領域へと潜った。ここは通常、使用者がアクセスすることのない領域だ。だが、この剣の回路を設計したのは僕だ。メンテナンス用のバックドア(裏口)は作ってある。
「……あった。直近の稼働ログだ」
僕は破損したデータを慎重に修復し、再生ボタンを押した。
モニターに、ノイズ混じりの断片的な映像が浮かび上がる。それは、聖剣が見た「最期の光景」だ。
ザザッ……『白亜の部屋』……。
どこまでも続く白い空間。そこに鎮座する透明な玉座。
ザザッ……『チューブに繋がれた老人』……。
そして、映像が切り替わる。
そこには、冷徹な目で見下ろすフェイ、ミラ、エリスの顔があった。彼女たちは笑っていなかった。悲しんでもいなかった。ただ、「作業」を見守るような無機質な目で、カイルを見ていた。
映像はそこで乱れ、最後に音声だけが再生された。カイルの声だ。悲鳴のような、絶叫のような。
『嫌だ……離せ……!』
『みんな、どうして……僕たちは仲間じゃ……!』
『逃げろ……アルス……! この世界は……狂って……』
プツン。
そこでログは途絶えた。
モニターの光が消え、再び薄暗い大聖堂の闇が戻ってくる。
「……は、はは」
乾いた笑いが、喉の奥から漏れた。
笑うしかなかった。あまりにも惨くて、あまりにも救いがなくて。
「これが……これがお前たちの言う『平和』なのか?」
僕は震える手で、端末の画面を握り潰しそうになった。
カイルは最後まで戦っていた。魔王と戦っていたのではない。「仲間」だと信じていた者たちの、冷酷な合理性と戦っていたのだ。そして、裏切られ、消費され、ゴミのように捨てられた。
僕は目の前の聖剣に視線を落とした。
どす黒く変色した刀身。最初は、血や油の汚れだと思っていた。だが、違った。
「……酸化じゃない」
僕は指先で、黒い刀身を撫でた。
その黒さは、金属の表面だけのものではなかった。内部の魔力伝導体が、カイルの絶望的な「負の感情」を吸い込みすぎて、物質的に変質してしまっているのだ。
聖剣は、カイルの断末魔を記憶していた。「助けてくれ」という叫びを、「痛い」という怨嗟を、その身に焼き付けて、白銀の輝きを自ら捨てたのだ。
これはもう、聖剣じゃない。世界を呪うための「魔剣」だ。
「……ごめんな。気づくのが遅れて」
僕はハンカチを取り出し、剣の柄についた汚れを拭った。だが、黒い色は落ちない。この剣が受けた傷は、もう二度と癒えないかもしれない。
「でも、聞こえたよ。お前の声」
僕は端末のキーボードを叩いた。
カイルの生体データ、最期の思考ログ、そして聖剣が記憶していた「世界の真実」。その全てを、僕の端末へと「転送」する。
『データ転送中……98%……99%……完了』
ピロン、という電子音が鳴る。
僕は聖剣の「魂」を抜き取った。ここに残るのは、ただの空っぽの抜け殻だけだ。
「この剣は置いていくよ」
僕は聖剣を、元の台座へと戻した。黒く染まった剣は、まるで死体のように冷たく横たわっている。
「兄さんたちには、この『死骸』を崇めさせておけばいい。……彼らが拝んでいるのが、自分たちへの『呪い』だとも知らずにな」
僕は端末を鞄にしまい、立ち上がった。
足元の音響欺瞞ボールを回収し、来た時と同じように結界の穴を修復する。痕跡は残さない。気づかれた時には、もう全ての手遅れになっているように。
通気ダクトへと戻る直前、僕はもう一度だけ祭壇を振り返った。
暗闇の中に浮かぶ、黒い聖剣。それは、僕に向けられたカイルからの「遺書」であり、世界への「宣戦布告」の旗印に見えた。
「……契約成立だ、カイル」
僕はゴーグルの位置を直し、闇の中へと消えた。
「お前の依頼、確かに引き受けた。……納期は未定だが、必ず『完遂』てみせる」
地下室に戻った僕は、すぐさまメインサーバー(自作の大型解析機)に端末を接続した。
カイルから回収した膨大なデータを、解析機が唸りを上げて読み込んでいく。
ブォォォォォン……!
モニターに映し出されるのは、魔王城の座標、勇者システムの構造図、そして三将星の戦闘データ。
これがあれば、勝てる。いや、勝つための「武器」を作れる。
「……さて、忙しくなるぞ」
僕は壁一面に貼られた設計図を、全て剥がし捨てた。
「聖剣の補助装置」も、「カイルの鎧の予備パーツ」も、もう必要ない。あいつはもう、勇者として戦う必要はないんだから。
代わりに、僕は一枚の新しい羊皮紙を広げた。
インク壺にペンを浸し、震える手で最初の一線を引く。
描くのは、剣ではない。盾でもない。
この腐った世界システムそのものを、物理的に破壊し、再構築するための――「規格外の兵器」。
「まずは仲間集めだ」
僕はカイルのログにあった、ある「未確認反応」の座標に丸をつけた。
魔王城の近く、廃棄された実験場。そこに、カイル以外の「廃棄物」反応がある。
「待ってろよ、世界」
ペン先が紙を走り、設計図が黒く埋め尽くされていく。その図面は、まるで悪魔の設計図のように禍々しく、そして美しかった。
「僕はこの手で、お前たちの『神話』を書き換える。……修理屋の流儀でな」
地下室の灯りが、夜明けまで消えることはなかった。
ハンマーの音が、再び響き始める。
カンッ、カンッ、カンッ……。
それは、新しい時代の幕開けを告げる、静かな、しかし力強い鼓動だった。
第13話 完




