第12話 祝宴の影、英雄なき帰還
第12話 祝宴の影、英雄なき帰還
数ヶ月ぶりに地上へと続く長い螺旋階段を登りきると、暴力的なまでの太陽の光が網膜を焼いた。
地下の薄暗さと、オイルランプの心もとない灯りに慣れきった目には、この世界の明るさは刺激が強すぎる。眼球の裏側を針で刺されたような痛みに、僕は作業着の胸ポケットから愛用の遮光ゴーグルを取り出し、煤で汚れた顔に装着した。
「……随分と、賑やかだね」
地上に出た瞬間、鼓膜を物理的に叩いたのは、地響きのような大歓声だった。
王都アステリアのメインストリートは、通りを埋め尽くす群衆と、雪のように舞う紙吹雪で溢れかえっている。
鼻をつくのは、地下のカビや鉄錆の臭いとは対照的な、甘ったるい香水の匂いと、興奮した民衆が発する体温の熱気、そして祝砲の火薬の残り香。
それらが混ざり合い、むせ返るような「平和の悪臭」となって渦巻いている。
僕は路地裏の影に身を潜め、建物の隙間からパレードの列を見つめた。
「カイル様ー! カイル様ー!」
「英雄たちに祝福を! アステリア王国万歳!」
狂熱。
魔王の脅威が去り、平和が訪れたことへの純粋な喜び。それを否定するつもりはない。
だか、僕の胸の奥には、鉛を飲み込んだような重苦しい違和感が沈殿していた。
あの地下室で見た、計器の異常な反応。あれがただの「勝利」であるはずがない。
パレードの先頭、六頭立ての白馬が引く豪華なオープン馬車がやってくる。
その上には、見慣れた顔があった。
沿道に手を振る、宮廷魔導師フェイ。その表情は晴れやかで、満面の笑みを振りまいている。反対側では、聖女ミラが慈愛に満ちた微笑みで祈りを捧げ、弓使いのエリスがクールな表情で敬礼を返していた。
彼女たちは美しく、傷一つなく、まさに凱旋する英雄そのものだった。旅の汚れなど微塵も感じさせない、完璧な偶像。
だが、僕の目は、彼女たちの煌びやかな姿を通り越し、馬車の中央に向けられていた。
一番高い場所にある、最も豪華な装飾が施された「主役」のための席。
そこには、誰も座っていなかった。
代わりに、真っ白な百合の花束と、主を失った白銀の兜が置かれているだけだった。
「……やっぱり、そうなのかい」
僕は唇を噛んだ。鉄の味がした。
怪我をして療養中? いや、違う。そんな生易しい理由じゃない。
あの席の空白は、「不在」ではなく「消失」を意味している。カイルは帰ってこなかったのだ。
僕は人混みを避け、路地裏のマンホールから再び地下水路を経由して、王城の内部へと侵入した。
子供の頃、カイルと一緒によく抜け出した王族専用の隠し通路だ。埃っぽい狭い通路を這い進み、通気口の格子越しに「謁見の間」の様子を伺う。
広間には、着飾った貴族たちが列をなし、玉座の前には帰還したフェイたちが跪いていた。
そして玉座には、兄さん――国王レオン・アステリアが座っていた。
「よくぞ戻った、アステリアの英雄たちよ! 予の誇りだ!」
兄さんの声は震えていた。喜びと、そして隠しきれない不安がない交ぜになった声だ。
彼は視線を泳がせ、フェイたちの後ろ――誰もいない空間を探すように見た。
「……して、カイルは? 『救世の勇者』はどこにいる? まさか、重傷を負って療養中か?」
広間の空気が張り詰める。
フェイがゆっくりと顔を上げた。その瞳には涙が浮かんでいる。悲しげな、しかし完璧に計算された角度で、彼女は伏し目がちに答えた。
「……陛下、申し訳ありません。カイルは……」
彼女は言葉を詰まらせる演技をした後、絞り出すように言った。
「最後の戦いで、魔王と相討ちになりました。その身を犠牲にして、世界を救ったのです」
「な……っ!?」
会場中がどよめいた。貴族の婦人たちが悲鳴を上げ、ハンカチで顔を覆う。
すかさずミラが進み出て、胸の前で十字を切った。
「彼は光となって消滅しました。魔王の放つ絶望の闇を、その身一つで受け止め、浄化されたのです。遺体すら残らないほど、凄まじく、尊い奇跡の力でしたわ」
(嘘だね)
僕は柱の陰で、静かに首を横に振った。
あの地下室で、僕の計器が記録した反応は「消滅」じゃなかった。
あれは「接続」だ。
膨大な回路に無理やり繋がれ、システムの一部として組み込まれた時の波形だ。魔力が尽きて消えたのなら、反応はフェードアウトするはずだ。だが、あれは唐突に切断された。
彼女たちは何かを隠している。カイルの死を美談としてパッケージングし、何か別の事実を塗りつぶそうとしている。
「そんな……カイルが……」
兄さんが玉座から崩れ落ちそうになる。普段の冷静な兄さんからは想像もできない狼狽ぶりだ。
そこへ、エリスが恭しく進み出た。彼女の手には、白い布に包まれた長剣が捧げ持たれている。
「これだけが、現場に残されておりました。彼の魂は、この剣と共にあります」
布が解かれる。
現れたのは、聖剣アークだった。
「おお、カイル……! アステリアの誇りよ!」
兄さんはよろめきながら階段を降り、震える手で剣を受け取った。その頬を涙が伝う。
会場中が感動の涙と、英雄の死を悼む厳粛な空気に包まれる。
その中で、僕だけが、作業用ゴーグルのズーム機能を最大にして、その剣を凝視していた。
僕は職人だ。感情や雰囲気には騙されない。僕が信じるのは「モノ」が語る事実だけだ。
「……やっぱり」
息を吐く。
遠目でも、魔匠士の目にははっきりと見える。
刀身の根元、柄との接合部分に、微細な『亀裂』が入っている。
だがそれは、敵と切り結んでついた物理的な傷じゃない。内側からの過負荷――異常な魔力逆流によって、金属疲労を起こした痕跡だ。
それに、あの剣は僕が「カイル専用」に調整してある。
主人が死ねば、内蔵された魔力回路は完全に沈黙し、ただの鉄塊になるはずだ。
だが、僕のセンサーは捉えていた。
剣はまだ、微かに脈動している。
まるで、心臓を遠くへ置き忘れてきた体のように、微弱な信号を送り続けている。「主人はまだ生きている。……でも、ここにはいない」と訴えるように。
死んでいない。
カイルは生きている。だが、死ぬよりも酷い「何か」に巻き込まれている。
僕は拳を握りしめ、冷たい石の床を睨みつけた。
謁見が終わり、貴族たちが去った後の王宮回廊。
僕は通気口から降り立ち、聖剣を大事そうに抱えて私室へ戻ろうとする兄さん――レオンの前に姿を現した。
「……兄さん」
「アルスか」
兄さんは立ち止まり、赤く腫らした目を僕に向けた。いつもの冷徹な仮面は外れかけていた。
「お前も聞いたか。カイルは立派だった。世界のために、その命を捧げたのだ」
「……本気で信じているのかい? 彼女たちの話を」
僕は静かに問いかけた。
「遺体がないなんて、都合が良すぎるよ。それに、あの剣の状態はおかしい」
「何が言いたい?」
兄さんの眉間に皺が寄る。声に怒気が混じる。
「彼女たちは命懸けで戦った英雄だぞ。不敬なことを言うな。カイルの名誉を汚す気か」
「名誉なんかどうでもいい。僕が知りたいのは事実だよ」
僕は一歩踏み出し、手を伸ばした。
「その聖剣を僕に見せてくれるかな。僕が調整した剣だ、内部のログを見れば一発で分かる。本当に死んだのか、それとも『どこか』にいるのか……」
「やめろッ!」
パシッ!
兄さんは僕の手を、まるで汚らわしい虫でも払うかのように乱暴に払いのけた。
「触るな! これは国宝として聖堂に封印する! 油と煤にまみれたお前の汚い手で、カイルの聖遺物に触れていいはずがないだろう!」
「……っ」
僕は払われた自分の手を見つめた。爪の間には機械油が染み込み、指先はささくれている。
兄さんは怒っているんじゃない。怯えているんだ。
もしカイルが生きているなら、なぜ帰ってこないのか。もし死んでいないなら、どんな目に遭っているのか。
そんな残酷な真実に向き合うくらいなら、「美しく散った悲劇の英雄」として涙を流している方が楽だからだ。思考を停止して、綺麗な物語の中に逃げ込もうとしている。
「……そうですか。分かりました」
僕はゆっくりと手を下ろした。
これ以上、言葉で訴えても無駄だ。兄さんはもう、王としてではなく、物語の「観客」になってしまっている。
「お待ちください、アルス様」
背後から、冷ややかな声がかかった。
振り返ると、フェイ、ミラ、エリスの三人が立っていた。
華やかなパレードの衣装を纏ったまま、その瞳だけが氷のように冷たく僕を射抜いている。
「陛下を困らせないでいただけますか? ……カイルの死は、私たちにとっても辛いことなのです」
フェイが一歩前に出る。
その目には涙が光っているが、口元は微かに笑っているように見えた。
「貴方に何が分かるというの? 安全な地下室でガラクタをいじっていただけの貴方に、最前線で戦った私たちの悲しみが!」
「悲しみ、か」
僕は彼女たちを見据えた。
「悲しいなら、なぜそんなに『魔力回路が整っている』んだい?」
「……は?」
フェイの表情が凍りつく。
「君たちの装備だよ。杖も、ローブも、弓も。……激戦を潜り抜けたはずなのに、魔力の通り道が新品同様に綺麗すぎる。まるで、最初から『勝つことが決まっていた』シナリオを演じてきたみたいにね」
僕はポケットからスパナを取り出し、指先で弄んだ。
「それに、ミラ。君の聖杖の先端。……そこについている微細な結晶の欠片。それは魔物の核じゃないね。もっと高純度な、人間の魂を凝縮したような……」
「……黙りなさい」
ミラの笑顔が消えた。
彼女は聖杖を強く握りしめ、慈愛の仮面を脱ぎ捨てた。
そこにあったのは、無機質な殺意。
「不浄ですわ、アルス様。……貴方のその疑り深い目は、美しい世界に不要なノイズです」
「そうね。……やっぱり、カイルの言う通りだったわ」
フェイが溜息をつき、杖を構える。
「『アルスは鋭すぎる。あいつだけは、騙せないかもしれない』って」
「……カイルが、そう言ったのか?」
「ええ。最後の瞬間にね」
エリスが弓に矢をつがえ、僕の眉間を狙う。
「彼は自ら望んで贄となりました。世界のために、そして私たちを守るために。……貴方が騒ぎ立てて真実を暴けば、彼の崇高な犠牲は無駄になります」
「大人しく地下室に戻ってください。……さもなくば」
三人の殺気が、物理的な圧力となって僕を襲う。
英雄と呼ばれた彼女たちの本気。
魔力を持たない僕など、指先一つで消し炭にできる圧倒的な力。
だが、僕は一歩も引かなかった。
不思議と恐怖はなかった。
あるのは、静かな、しかし溶岩のように熱い怒りだけ。
「……やっぱり、お前たちには任せられない」
僕はゴーグルの位置を直し、彼女たちを睨みつけた。
「カイルは、世界のために死にたかったわけじゃない。……あいつは、ただ生きて、みんなと笑っていたかっただけだ」
脳裏に浮かぶのは、地下室でボロボロの剣を預けてきた時の、あいつの照れくさそうな笑顔。
『また頼むな、アルス』
そう言ったあいつの声を、僕は忘れていない。
「お前たちが壊したものを、僕が直す。……カイルも、この腐った王国も、全部だ」
「……交渉決裂ね」
フェイが杖を振るう。
赤い閃光が、僕の足元を焼き払う。
ドォン!!
爆風に煽られ、僕は後方へと吹き飛ばされた。
だが、それは逃走のための勢いだった。僕は空中で体勢を整え、背後の通気ダクトへと滑り込む。
「逃がしませんわ!」
エリスの矢が追ってくる。
だが、ここは僕の庭だ。
「……配管が古いんだ。少し圧力をかけすぎると、悲鳴を上げるよ」
僕は走りざま、壁を這う蒸気パイプのバルブを、すれ違いざまにスパナで叩き壊した。
プシュウウゥゥゥゥッ!!
煙幕玉など比ではない。高圧の蒸気が爆発的に噴出し、狭い通路を真っ白な熱気で埋め尽くした。
「きゃあっ!? 熱っ!?」
視界と熱による二重の壁。
「ちっ、小賢しい!」
「深追いは不要です。……どうせ、地下のネズミに何ができるわけでもありません」
彼女たちの声を背に、僕はダクトの奥深くへと滑り落ちていった。
地下室に戻った僕は、震える手で作業台にしがみついた。
恐怖で震えているのではない。
悔しさで震えているのだ。
「……待ってろ、カイル」
僕は壁に貼られた王都の地図を破り捨て、代わりに一枚の設計図を広げた。
それは、かつて僕とカイルが子供の頃に描いた、「最強の空飛ぶ船」の落書きを元にした、無謀で巨大な計画書。
「僕が必ず、お前を迎えに行く。……たとえ、世界の理を全て書き換えてでも」
地下室の暗闇の中で、僕の目は怪しく輝いていた。
修理屋の戦いが、今ここから始まる。
第12話 完
※次話は明日18:00に更新予定です




