第11話 地下の魔匠士、予兆のノイズ
プシューッ……。
頭上を走る太い蒸気配管から、熱い蒸気が漏れる音が一定のリズムで響いている。
ここはアステリア王国の王城地下三層。かつては食料や武器の貯蔵庫として使われていた場所だが、今は誰も寄り付かない「忘れられた区画」だ。
華やかなシャンデリアも、磨き上げられた大理石の床もない。あるのは、剥き出しの鉄骨と、湿気たカビの臭い。そして、鼻を突く焦げた――「機械油の芳香」だけ。
「……おや、またここのパッキンが緩んでいるのかな」
俺は作業用ゴーグルを額にずらし、油で黒く汚れた手を、ポケットから出した布で丁寧に拭った。
目の前の作業台には、分解された魔導回路の基盤と、大小様々な歯車が散乱している。
俺の名はアルス・アステリア。
一応、この国の第二王子ということになっているが、煌びやかな玉座や舞踏会なんてものは俺の指定席じゃない。
俺の居場所は、この薄暗い地下室の回転椅子と、愛すべきガラクタの山に埋もれた作業台の前だけだ。
「……カイルたちが旅立ってから、もう三ヶ月が過ぎたね」
俺はマグカップに手を伸ばした。
中身はすっかり冷めきった、泥水みたいに濃いコーヒーだ。それを一口啜り、壁に貼られたカレンダーに視線をやる。
兄である第一王子レオンは、俺を「魔力を持たぬ廃棄物」として地下へ追いやり、幼馴染のカイルは「救世の勇者」として光の中へ旅立った。
世間じゃ俺のことを「煤王子」だの「王家の恥晒し」だの呼んで嘲笑っているらしいが、結構なことだ。おかげで面倒な公務から解放されて、こうして好きなだけ機械いじりに没頭できるのだから。
俺はピンセットを優しく持ち直し、小指の先ほどの魔導チップをつまみ上げた。
『聖剣のアジャスター調整』
『遠隔魔力供給の効率化実験』
俺ができるのは、ここでカイルの装備を遠隔で支援するための道具を作ることぐらいだ。
「あいつ、無茶してなきゃいいけどな」
カイルは剣の腕は立つが、道具の使い方が少し荒い。
聖剣の刃こぼれや、鎧の魔力消費率を常にモニターし、ここから微調整信号を送るのが俺の日課だった。
俺の手は、民衆に手を振るためじゃない。「壊れたものを直してあげる」ためにある。それが俺の誇りだ。
コンコン、と重厚な鉄扉が控えめに叩かれた。
「アルス様、いらっしゃいますか?」
「開いてるよ。鍵なんてずっとかけてないんだ」
ギィィィ……。
錆びついた蝶番がキィィと悲鳴を上げ、扉が開く。
入ってきたのは、この城で古くから働く老メイドのマーサだった。彼女の手には、大きなスープ鍋のようなものが抱えられている。
「またですか、アルス様。こんな暗いところで根を詰めて……。それに、少しは換気をしてくださいな。油の臭いが染み付いてしまいますよ」
「僕にとっては香水よりいい匂いなんだけどね。……で、用件は?」
「ああ、そうでした。これ、厨房の『魔導保温鍋』なんですけど、また魔石が反応しなくなってしまって」
「貸してもらえるかい?」
俺は椅子を回し、マーサから鍋を丁寧に受け取った。
裏蓋のネジをドライバーで回し、内部を露出させる。複雑な魔力回路が刻まれた真鍮のプレートが見えたが、その一部が黒く焦げ付いていた。
「……やっぱり、また加熱回路の接点が焼き付いているね。みんなに、空焚きはしないでって伝えてあるはずなんだけどな」
「あら、私はちゃんと見てましたよ? きっと新人の子が……」
「道具は嘘をつかないよ。熱の跡がそう言ってる」
俺は苦笑しながら、棚から新しい銅線を切り出し、焼けた部分をバイパスするようにハンダ付けした。マーサが不思議そうに覗き込んでくる。
「何をしているんですか?」
「ああ、これはね。人間で言うなら『血管の手術』みたいなものだよ」
俺は分かりやすく例えて説明した。
「血が詰まってしまった血管の代わりに、新しい通り道を作ってあげているんだ。そうすれば、心臓に負担をかけずに血液が流れるだろう? それと同じことさ」
ただ直すだけじゃ面白くない。俺は回路の隅に、余っていたコンデンサを一つ噛ませた。
「はい、直ったよ。ついでに出力安定化の回路も組んでおいたから、これで多少無茶な使い方をしても、自動で熱源をカットしてくれるはずだ」
「ふふ、ありがとうございます。アルス様は本当にお口がお悪いですけど、腕だけは国一番ですね」
「『だけ』は余計だよ」
俺は鍋を返し、再びコーヒーを啜った。
「……で、地上の様子はどうだい?」
俺が気になるのは天気でも政治でもない。親友の安否だ。
「ええ、カイル様たちは順調に進んでいるそうですよ。もう魔王領の深部、最北の『極光の針』へ到達されたとか」
「……そうか」
順調、か。
だが、順調すぎるのが逆に不安だった。俺が組んだ聖剣の出力計算だと、もっと激しい損耗データが送られてきてもいいはずだ。
魔王軍との連戦ならば、カイルの魔力波長はもっと乱高下するはずなのに、ここ数日、モニターの数値は不気味なほど「平坦」だった。
まるで、誰かに管理されたテストコースを走らされているかのように。
その時だった。
ジジッ……ジジジッ……!
作業台の隅に置いてある、アナログの針式計器が、痙攣したように震え出した。
それは俺がカイルの聖剣『アーク』に極小の発信機を仕込み、その状態をリアルタイムで受信するための、手製の「共鳴ゲージ」だ。
「ん? なんだ?」
俺は作業を止めて計器を覗き込んだ。普段なら戦闘時に微弱に振れるだけの針が、まるで発作を起こしたように激しく左右に暴れている。
「魔力出力が異常上昇……いや、違う。逆流しているのか?」
カイルが魔力を放出しているのではない。カイルに向かって、外部から桁違いの魔力が流れ込んでいる反応だ。
キィィィィン!!
計器から、耳をつんざくような甲高い異音が響いた。
「なっ……!?」
パリーン!!
次の瞬間、ゲージの強化ガラスが内側からの圧力に耐えきれず弾け飛び、破片が床に散らばった。限界まで振り切れた針は、根本から無残にへし折れて動かなくなった。
「きゃあっ!」
マーサが悲鳴を上げて後ずさる。俺は呆然と、黒い煙を上げる計器の残骸を見つめた。
「……なんだい、今のは」
ただの故障じゃない。
向こう側で、強烈な負荷がかかって、カイルと聖剣のパスが「物理的に切断」されたんだ。
カイルの魔力が尽きた? 聖剣が折れた? いや、もっと気味が悪い感覚だ。
カイルという個人の存在が、何か別の巨大な回路に無理やり「直結」され、飲み込まれてしまったような、生理的な嫌悪感が指先に残っていた。
「カイル……お前、向こうで何をしたんだ?」
俺の背筋に、冷たい汗が伝った。これは戦闘の波形じゃない。「システムエラーによる強制終了」の手触りだ。
その直後だった。
分厚い天井と岩盤を隔てた遥か頭上、地上の王都から、重く低い音が響いてきた。
ゴーン……ゴーン……。
腹の底に響くような、王都の大鐘楼の音だ。普段は時報として使われるものだが、この鳴らし方は違う。連続して、高らかに、国中に勝利を知らしめるような連打。
これは「凱旋の鐘」だ。
「ああ……! 聞こえますか、アルス様!」
へたり込んでいたマーサが、胸の前で手を組んで立ち上がった。その目には涙が浮かんでいる。
「魔王が……魔王が倒されたのですわ! カイル様が、ついにやり遂げたのです! 世界に平和が戻ったのです!」
「……勝利、だって?」
地下の空気を震わせるほどの鐘の音に合わせて、遠くから「わぁぁぁッ!」という国民の歓声が、さざ波のように漏れ聞こえてくる。王都中が歓喜に沸いているのだろう。
だが、俺は素直に拳を突き上げることができなかった。
視線を落とす。作業台の上には、黒い煙を上げて沈黙した計器の残骸がある。
もしカイルが聖剣で魔王を倒したのなら、針は「最大出力」を指してからゼロに戻るはずだ。
だが、こいつは違った。外部からの異常な負荷で「焼き切れた」んだ。
勝利の瞬間に、勇者の接続が切れる? そんな馬鹿な話があるか。
「素晴らしい日です! すぐに祝いの準備をしなくては! レオン様もさぞお喜びでしょう!」
マーサは興奮して、鍋を抱えたまま足早に出て行った。
「アルス様も、早く地上へ! お祝いですよ!」
バタン。
鉄扉が閉まる。後に残されたのは、俺と、壊れた機械と、空虚に響き続ける鐘の音だけ。
「……勝利、だって?」
俺は立ち上がり、黒い煙を上げる計器に手を伸ばした。
熱い。ガラスの破片が指に刺さるのも構わず、俺は歪んだ針を拾い上げた。
この針が指し示した「逆流」。
それは、勇者が魔力を放出した痕跡じゃない。勇者の魔力が、外部からの干渉によって「堰き止められ、逆流し、回路ごとショートさせられた」痕跡だ。
「おいおい、カイル。……お前、本当に勝ったのか?」
俺は呟いた。
魔王を倒して、世界を救って、英雄になった。それは素晴らしいことだ。誰もが待ち望んだ結末だ。
だが、俺の「職人としての勘」が、けたたましい警報を鳴らしている。
『勝利の瞬間に、なぜ回線が焼き切れた?』
『なぜ、こんなに静かなんだ?』
いつもなら、カイルは大一番の後には必ず、俺に自慢話をしに来るか、壊れた装備の言い訳をしに来るはずだ。
通信機越しに、「やったぜアルス!」と叫ぶ声が聞こえてきてもいいはずだ。
なのに、この通信機は死んだように沈黙している。
「……確かめるしかないか」
俺は白衣を羽織り、ゴーグルを首にかけた。
本来なら、こんな煤けた格好で表舞台に出るなんてご免だ。だが、今はなりふり構っていられない。
この胸騒ぎの正体を突き止めなければ、俺の手は二度と震えを止められない気がした。
俺は地下室を飛び出し、螺旋階段を駆け上がった。
一段上がるごとに、地上の喧騒が大きくなってくる。歓声。ラッパの音。爆竹の破裂音。世界中が浮かれている。
王城の大広場に出ると、そこはすでに人で埋め尽くされていた。
色とりどりの紙吹雪が舞い、兵士たちが整列し、バルコニーには国王である兄上――レオン・アステリアの姿があった。
「国民よ! 歓喜せよ! 我が弟、勇者カイル・ロッドが、ついに魔王を討ち果たした!」
レオンの声が、魔法拡声器を通じて広場に響き渡る。
ドッと沸く民衆。涙を流して抱き合う者、天に祈りを捧げる者。誰もが幸せそうだ。誰もが、この平和な結末を疑っていない。
「……兄上」
俺は人混みをかき分け、バルコニーの下まで進んだ。
「カイルは!? カイルたちはどこにいるんですか!?」
大声で叫んだが、歓声にかき消されて届かない。いや、届いていたとしても、無視されただろう。
今のこの完璧な祝祭の場に、「煤王子」の不吉な声などノイズでしかないのだから。
その時だった。王都の上空に、巨大な転移魔法陣が出現した。
「おお! 見ろ! 勇者様の凱旋だ!」
光の中から現れたのは、フェイ、ミラ、エリスの三人。
そして――。
「……え?」
俺は目を疑った。
三人の中心にいるはずの、あの白銀の聖鎧を纏った青年の姿が、どこにもなかった。
代わりに、ミラの腕の中に抱かれているのは、巨大な「透明な結晶」だった。
「国民の皆様! 魔王は消滅しました! そして……」
ミラが悲痛な、しかしどこか恍惚とした表情で叫ぶ。
「勇者カイル様は、最後の力を振り絞り、世界を脅かす魔王の呪いをその身に受け……自らを封印の礎とすることで、永遠の平和をもたらしてくださいました!」
「なっ……!?」
広場が一瞬、静まり返る。
そして次の瞬間、悲鳴のような慟哭と、それ以上の熱狂的な「感謝」の声が爆発した。
「ありがとう勇者様! 貴方の犠牲は忘れない!」
「神よ! 崇高なる魂に安らぎを!」
人々は跪き、結晶に向かって祈りを捧げている。フェイもエリスも、神妙な顔つきで涙を拭っている。完璧な悲劇。完璧な英雄譚のフィナーレ。
だが。
「……ふざけるな」
俺の全身の血が沸騰した。
何が犠牲だ。何が平和だ。
あいつは死ぬつもりなんてなかった。出発前、「必ず帰ってくる」と、俺の作った装備を信じて笑っていたんだ。
あいつが、自分からそんな結晶になるわけがない。
俺はバルコニーを見上げた。そこには、満足そうに頷く兄レオンの姿があった。
そして、その隣に立つ宮廷魔導師たちが、何やら複雑な術式を展開しているのが見えた。
(……待てよ。あの術式は……)
俺はゴーグルの倍率を上げた。
彼らが展開しているのは、祝賀の魔法じゃない。「大規模記憶操作」と「認識阻害」の術式だ。
民衆に「カイルの死」を美談として刷り込み、疑問を抱かせないための、国ぐるみの洗脳工作。
「……そういうことかよ」
俺は理解してしまった。
カイルは死んだんじゃない。「処理」されたんだ。
使い捨ての電池か何かのように、世界の平和というシステムのために、生きたまま消費されたんだ。
「……返せ」
俺の喉から、唸り声が漏れた。
「返せよ……!! 俺の最高傑作を!!」
俺は叫び、バルコニーへ向かって駆け出した。だが、すぐに衛兵たちに取り押さえられる。
「なんだ貴様! 無礼だぞ!」
「離せッ! あの結晶の中には、まだカイルがいるんだ! 助けなきゃいけないんだ!」
「何を言っている! アルス殿下、ご乱心か!?」
「勇者様の安らかな眠りを妨げる気か! 恥を知れ!」
衛兵たちに組み伏せられ、泥に顔を押し付けられる。見上げると、バルコニーの上のレオンと目が合った。彼は冷ややかな瞳で、哀れな弟を見下ろしていた。
『……下がれ、アルス。お前の役目は終わった』
その口が、音もなくそう動いた気がした。
悔しい。力が欲しい。
魔法も剣も使えない、ただの修理屋の俺には、この巨大なシステムを壊す力がない。
だが。
俺の耳には、まだ聞こえていた。
あの結晶の奥底から。世界中の誰にも届かない、微かな、けれど必死な「ノイズ」が。
『……ア、ルス……』
「……聞こえてるぞ、カイル」
俺は泥を噛み締めながら、血走った目で空を睨みつけた。
「待ってろ。……必ず直してやる」
世界がカイルを壊したのなら。
俺がこの手で、世界ごと修理してやる。たとえそれが、王国の全てを敵に回すことになったとしても。
「……この『修理屋』を、なめるなよ」
俺の瞳に、地下室の溶鉱炉よりも熱い、復讐と決意の炎が宿った。
第11話 完
※次話は明日18:00に更新予定です




