第10話 完成された世界、凍てつく英雄
世界の頂、魔王城最上階。
重厚な昇降機の扉が左右に開き、内圧調整のプシューッという音と共に、眩い光が僕の網膜を焼いた。
「魔王……!! 覚悟しろ!」
僕は反射的に目を細め、聖剣を構えて飛び出した。
だが、その叫びは、喉の奥で凍りついた。
そこは、僕が想像していたような、闇と瘴気に包まれた魔王の居城ではなかった。血の匂いも、腐臭もしない。
あるのは、目が眩むような「純白の空間」だけだった。
天井も、壁も、床さえも境目がない。どこまでも続く白い虚空の中に、幾何学模様の光のラインが浮遊し、複雑な図形を描いては消えている。
音がない。
風の音も、呼吸音さえも吸い込まれるような、完全な無音の世界。病院の手術室(オペ室)よりも清潔で、そして墓場よりも静かだった。
肌にまとわりつくのは、徹底的に濾過された人工的な冷気。有機的な温もりが一切排除された、管理された「保存庫」の空気だ。
「ここが……魔王の間?」
広大な空間の中央に、ポツンと一つだけ置かれた、クリスタルガラスのような透明な椅子があった。
いや、それは椅子ではない。
無数のチューブや極太のケーブルが複雑に絡み合い、脈動しながら中央の座席へと繋がっている、巨大な生命維持装置だった。
そこに、誰かが座っていた。
禍々しい角も、黒い翼もない。
灰色の肌をした、疲れ切った顔の老人が、体中にチューブを突き刺されたまま、静かに手元の分厚いファイルを閉じたところだった。
「――よく来たね、勇者一行」
老人は眼鏡の位置を直し、事務仕事の手を休めるように穏やかに言った。
「予定より3分早い到着か。優秀だ」
「……貴様が、魔王か!」
僕は震える声を張り上げた。
相手が老人だろうと関係ない。こいつが世界を苦しめている元凶だ。倒さなければならない。
「お前を倒し、世界に平和を取り戻す! ……行くぞ!」
僕は床を蹴り、一気に距離を詰めた。
聖剣アークが白銀の軌跡を描き、魔王の首へと迫る。
だが、魔王は動かなかった。武器を構えることも、魔法障壁を展開することもしない。ただ、淡々と僕を見つめているだけだ。
「行くわよ! これで最後なんだから!」
背後からフェイが叫び、杖を振り下ろす。
「『終焉の赤』!」
彼女の全魔力を込めた極大の熱線が、魔王へ向かって奔流となって襲いかかる。空間さえも歪めるほどの超高熱。
だが、魔王は片手を軽くかざしただけで、その熱線をガラス玉のように凝縮し、握りつぶしてしまった。
パリン。
軽い音がして、最強の攻撃魔法が霧散する。
熱さも、衝撃もない。ただ「データが削除された」かのように、現象そのものがキャンセルされた。
「出力係数、正常。火力の制御も申し分ない」
魔王は攻撃を防いだのではない。まるで出荷前の製品テストを行う検査官のように、淡々と評価を下したのだ。
「……捉えました」
エリスの放った矢が、音速を超えて魔王の眉間へと迫る。必中の因果を乗せた一撃。
魔王はそれを指先で摘み、ポキリと折った。
「素晴らしい因果操作だ。これなら、どんな障害も排除できる」
「な……っ」
僕たちは戦慄した。
圧倒的な実力差。いや、それ以上に不気味なのは、彼が僕たちの攻撃を「歓迎」していることだ。
「皆様、怯んではいけません! 私が支援します!」
ミラが杖を掲げ、聖なる光を降り注がせる。僕たちの疲労が一瞬で消え、身体能力が底上げされる。
「回復と強化の効率も最高値だ。……うん、合格だ」
魔王は満足げに頷いた。
「アステリア王国の育成プログラムは優秀だね。君たちなら、間違いなく世界を『管理』できる」
「管理だって……?」
僕は叫んだ。
「ふざけるな! 僕たちは世界を救うために来たんだ! 支配するためじゃない!」
僕は地面を蹴り、魔王へと肉薄する。
今度こそ、防がせない。
僕の全身全霊、アルスが研いでくれたこの剣の切れ味を信じて――!
――ザシュッ。
手応えがあった。
聖剣の刃が、魔王の肩口から心臓にかけて深々と切り裂いたのだ。
「……!」
魔王は避けなかった。防御さえしなかった。
傷口から血は流れない。代わりに、青白い光の粒子が溢れ出し、部屋中に舞い上がる。
「見事だ」
魔王は膝をつきながらも、慈愛に満ちた目で僕を見上げた。
「その剣技、その覚悟。君こそが、新しい『楔』に相応しい」
「くさび……?」
僕は聖剣を握ったまま後ずさった。
「そうだ。私は古くなった。この世界を固定するための力が衰えている」
魔王の体が、端から徐々に石化し、崩れ始めていた。
彼は自嘲気味に笑い、体に繋がれたチューブを引き抜いた。ブシュッという音と共に、彼の生命力が霧散していく。
「この世界は、膨大な魔力を消費して維持されている不安定な箱庭だ。放っておけば、勝手に変化し、成長し、やがて腐敗して死ぬ。だから誰かが時間を止め、美しいまま『保存』しなければならない」
彼は崩れゆく手で、僕の聖剣を握りしめた。
「そのための莫大なエネルギーを供給し続ける動力源……それが『魔王』という役割だ」
「バッテリー……? 何を言っているんだ?」
「そして、消耗しきった古いバッテリーを廃棄し、新鮮で強力な新しいバッテリーをここまで運び届ける運搬システム……それが『勇者』と『聖女』たちの正体だ」
思考が追いつかない。
僕がバッテリー? 運搬?
じゃあ、これまでの旅は? 魔物との戦いは?
「僕は……世界を救うために……」
「ああ、救うとも」
魔王は優しく、しかし残酷に頷いた。
「私はもう寿命(エネルギー切れ)だ。このままでは世界の維持システムがダウンする。だから君が必要なのだよ、カイル。歴代最高の魔力適合率を持つ、新しい『生体電池』がね」
サラサラ……。
彼は玉座から完全に崩れ落ち、ただの光の粒子となって消滅した。
残されたのは、主を失い、次の生贄を求めて脈動する、透明な玉座だけ。
「嘘だ……そんなの、嘘だろ!?」
僕は振り返り、叫んだ。
「みんな、何とか言ってくれ! あいつはデタラメを言っているんだろ!? 僕たちは仲間じゃないか!」
すがるような僕の視線に対し、フェイが一歩前に出た。
彼女は武器を下ろし、いつも通りの、無邪気で可愛い笑顔を浮かべていた。
「ごめんね、カイル。でも、これが世界を救う『唯一の方法』なの」
「……え?」
「魔王っていうシステムを維持しないと、世界は崩壊しちゃうの。だから、誰かがその椅子に座らなきゃいけない。今回はたまたま、カイルが一番『長持ちしそう』だっただけよ」
長持ち。
彼女の口から出た単語に、僕は耳を疑った。
「フェイ……? 何を言ってるんだ……?」
「おめでとうございます、カイル様」
ミラが歩み寄り、涙を流しながら聖杖を掲げた。
「貴方は世界を救う礎となられるのです。これ以上の栄誉はありません。……貴方の犠牲によって、世界は向こう数百年の安寧を約束されるのですから」
「カイル様、予定通りです」
エリスが時計を確認し、事務的に告げる。
「貴方の魔力なら、計算上500年は稼働可能です。その間に、私たちはまた次の『勇者』を育成すればいい。……完璧なサイクルですわ」
狂ってる。
みんな、狂ってる。
これが、僕たちが命懸けで守ろうとした世界の正体なのか?
誰もが幸せになれる世界? 違う。これはただ、誰かを生贄にして時間を止めているだけの、巨大な墓場じゃないか!
「嫌だ……! 僕は死にたくない! こんなの、間違ってる!」
僕は後ずさった。
逃げなきゃ。ここから逃げ出して、アルスに知らせなきゃ。
この世界は狂っていると。壊れていると。
だが、体が動かない。
左手の指輪が、かつてないほどの熱を発し、僕の全身を鎖のように締め上げていた。
『ターゲット、ロック。……搬入プロセス、開始』
「う、あぁぁぁ……ッ!!」
指輪が勝手に僕の体を動かし、透明な玉座へと引きずっていく。
「やめろ! 離せ! フェイ! ミラ! エリス! 助けてくれ!!」
僕は必死に叫んだ。
仲間の名前を。共に旅をして、共に笑い合った、大切な家族の名前を。
だが、彼女たちは動かなかった。
ただ、美しい笑顔で僕を見送っている。
「頑張ってね、カイル。あたしたち、ずっと感謝してるから」
「安心して眠ってください。貴方の名前は、英雄として永遠に語り継ぎますわ」
「さようなら、カイル様。……貴方は、最高のパーツでした」
僕の体は玉座に押し付けられた。
無数のチューブが、蛇のように伸びてきて、僕の首筋に、背中に、腕に突き刺さる。
ブシュッ! ズブブッ……!
「あがッ……!?」
激痛。
そして、それを上回る強烈な冷気が、血管を通って全身を駆け巡る。
血が凍るのではない。僕の血液が、無機質な冷却液へと置換されていく感覚。
指先の感覚が溶け、巨大な回路の一部として「同化」されていく。
ドクン、という心臓の鼓動さえも、電子的なシステム音に上書きされ、カイルという個我が世界からほどけて消えていく。
(寒い……暗い……)
視界が急速に狭まっていく。
最後に見たのは、仲間たちの笑顔と、その向こうに広がる真っ白な虚無。
『システム、再起動。……動力源、接続完了』
僕の意識は、世界を維持するための巨大な演算回路の一部へと組み込まれていく。
カイルという個我が消える。
勇者という機能だけが残る。
嫌だ。消えたくない。
まだ、何もしていないのに。
まだ、あいつに……アルスに、何も返していないのに。
「……ア、ルス……」
凍りつく唇が、最後にその名前を紡いだ。
「たす、けて……」
世界が完全に停止した。
僕の時間も、ここで終わった。
【SYSTEM ERROR: 勇者カイルの信号消失】
【メインサーバー、安定稼働モードへ移行】
【次回メンテナンス予定時刻:500年後】
ガシャァァァンッ!!
「っ!?」
王都の地下室。
俺――アルス・アステリアは、手元で整備していた精密な歯車を取り落とした。
硬質な音が、狭い工房の壁に反響し、耳障りに残る。
「……なんだ? 今の寒気は」
地下室の気温は一定に保たれているはずだ。オイルの燃える匂いも、換気扇の回る音もいつも通りだ。
だが、指先が震えて止まらない。
心臓の奥底に、焼け付くような、それでいて絶対零度のような「喪失」が突き刺さった。まるで、自分の一部が強制的に切り離されたような、不快な幻痛。
俺は油まみれの手で、作業台の隅に置かれた『通信機』をひったくった。
カイルに持たせた『指輪』と対になっている、俺だけが傍受できる特製の緊急回線だ。
いつもなら、ノイズの向こうから「アルス、また壊しちゃったよ」という、あの能天気で申し訳なさそうな声が聞こえてくるはずの回線。
「……カイル?」
返事はない。
ザザッ……という砂嵐の音さえしない。
完全な無音。
電気的な信号が途絶えたのではない。信号を送るべき「相手」が、この世界のどこにも存在しなくなったかのような、圧倒的な「虚無」がそこにあった。
「おい、カイル。……冗談だろ?」
俺は通信機を握りしめた。
ミシミシと筐体が悲鳴を上げ、指の関節が白く変色する。
嫌な予感が、確信へと変わっていく。
あいつが、いなくなった。
俺の最高傑作が。俺のたった一人の親友が。
「カイルゥゥゥッ!!」
俺の絶叫だけが、主を失ったガラクタだらけの地下室に、虚しく響き渡った。
第10話 完
【次回予告】
第11話 地下の魔匠士、予兆のノイズ
本日(日) 20:00 公開
勇者は死んだ。世界は救われた。誰もがそう信じて涙した。
――だが、たった一人。「彼」だけは、そのふざけた結末を認めなかった。
「返せよ……俺の最高傑作を」
※以降は毎日18:00に更新予定です。




