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第1話 輝ける出発と、微かな軋み

ガギンッ!!

 

――嘘だろ。

 

荒野に響いたのは、鋼鉄が砕ける硬質な音ではない。

 

俺の掌の中で、もっと生々しく、神経に障る音がした。それは俺の「相棒つるぎ」が、限界を超えた負荷に耐えかねて上げた、断末魔の悲鳴だった。

 

「くそっ……! またかよッ!!」

 

カイル・ロッドは、手の中で悲鳴を上げる愛剣を見下ろし、苦渋に顔を歪めた。

 

白銀の聖剣『アーク』。

 

女神の加護を受け、あらゆる邪悪を断つと謳われた伝説の剣。その鏡のような刀身には今、血管が浮き出るように無惨な亀裂が走り、切っ先が無残にも欠け落ちていた。

 

「おいおい、冗談だろ勇者様? もう剣が使い物にならねぇのか?」

 

目の前で嘲笑うのは、巨大な鉄槌を担いだオーク・ジェネラル。

 

その背後には、数百の魔物の軍勢が蠢き、殺意の波となって押し寄せている。鼻をつく獣臭と、血と泥の混じった不快な臭気が、戦場の熱気と共に押し寄せてくる。

 

本来なら、一撃で吹き飛ばせる相手だ。今の俺の出力レベルなら、造作もない。だが、今のカイルの手にあるのは、聖剣としての機能を停止し、ただの物質へと成り下がった「ひび割れた鉄屑」だった。

 

「黙れ……! まだだ、まだ折れてないッ!」

 

カイルは吠え、亀裂の入った剣を構え直す。

 

だが、強がりとは裏腹に、心の中には冷たい風が吹き抜けていた。

 

(……音がする。世界の関節が外れかけているような、嫌な音が)

 

剣だけではない。

 

纏っている聖鎧の継ぎ目が、限界を超えて軋んでいる。ブーツの底がすり減り、踏ん張りが効かなくなっている。どんなに強力な武器も、どんなに頑丈な防具も、彼の全力の戦闘には耐えられない。

 

彼は「勇者」だ。

 

圧倒的な力で敵を粉砕し、人々を守る希望の象徴。だが、その力は諸刃の剣だった。振るえば振るうほど、道具たちは悲鳴を上げ、壊れていく。

 

(俺には壊すことはできても、直すことはできない。……あの男がいなければ、俺はただの無力な破壊者だ)

 

脳裏に浮かぶのは、薄暗い地下室の光景。

 

猫背で背中を丸め、ブツブツと文句を言いながらも、繊細な手つきでハンマーを振るう、不機嫌そうな友人の顔。

 

「……アルス」

 

カイルは無意識にその名を呟いた。

 

会いたい。

 

今すぐ、あの油と鉄錆の匂いがする工房に帰りたい。そして、「また壊しやがって!」と怒鳴られながら、魔法のように剣を直してもらいたい。

 

ドォォォンッ!!

 

オークの鉄槌が、容赦なく振り下ろされる。

 

カイルは反射的に剣で受け止めるが、その衝撃で刀身の亀裂が一気に広がった。指先に、剣の死を感じる嫌な感触ノイズが走る。

 

パキィィィン……!

 

乾いた音が響く。

 

聖剣アークの刃が砕け散り、キラキラと輝きながら宙を舞った。それは、勇者の敗北を予感させる、残酷なほど美しい光景だった。

 

カンッ、カンッ、カンッ……。

 

一定のリズムで鉄を叩く乾いた音が、石造りの地下室に吸い込まれていく。

 

王城の地下三層。かつては食料庫として使われていたこの場所は、今やカビと機械油、そして鉄錆の匂いが充満する「ガラクタの墓場」となっていた。

 

華やかな地上の喧騒とは無縁の、薄暗い影の底。

 

そこで俺――アステリア王国第二王子、アルス・アステリアは、汗とすすにまみれてハンマーを振るっていた。

 

「……よし。歪み修正、完了かな」

 

俺は作業用ゴーグルを額にずらし、目の前の作業台に横たわる「それ」を見下ろした。

 

『聖剣アーク』の予備刀身。

 

神話の時代より伝わり、選ばれし勇者のみが扱えるという国宝のスペアだ。

 

だが、数時間前に俺の元へ持ち込まれた時、それは神々しい伝説の武具などではなかった。長年の放置によって魔力伝達路ラインが目詰まりを起こし、重心がコンマ数ミリずれた、ただの「手入れ不足の精密機器」だったのだ。

 

「まったく、ひどい有様だったね。……でも、これで息は吹き返したよ」

 

俺は油で汚れた指先で、白銀の刀身をそっと撫でた。

 

指先に伝わるのは、冷たい金属の感触と、微かに脈打つ魔力の鼓動パルス。まるで、長い眠りから覚めた赤子が、初めて空気を吸い込んだような初々しい反応だ。

 

金属の分子配列が整い、魔素がスムーズに流れる「音」が聞こえる。

 

「……おい、アルス。またこんなところで油まみれになっているのか」

 

呆れたような、しかしどこか温かい声が背後から降ってきた。

 

振り返ると、そこには豪奢な軍服に身を包んだ偉丈夫――第一王子であり、俺の兄であるレオン・アステリアが立っていた。

 

「兄上か。……ノックくらいしてくださいよ。精密作業中だったら、指が飛んでましたよ」

 

「王族が地下のゴミ溜めで作業していること自体が問題なのだがな。……明日の式典の準備はできているのか?」

 

「式典? ……ああ、カイルたちの凱旋パレードですか」

 

俺は興味なさげに肩を竦め、ウエス(布切れ)で手の汚れを拭った。

 

カイル・ロッド。

 

平民出身ながら聖剣に選ばれ、魔王軍の幹部を次々と撃破している、今をときめく救世の勇者。そして、俺の唯一無二の腐れ縁(親友)だ。

 

「あいつ、また派手に暴れたらしいですね。……昨日、ボロボロになった鎧が転送されてきましたよ。関節部分が焼き付いて、見るも無惨な状態で」

 

俺は作業場の隅に積まれた、スクラップ同然の聖鎧を顎でしゃくった。

 

普通なら廃棄処分になるレベルの損傷だ。装甲はひしゃげ、魔力回路は焼き切れている。だが、俺には聞こえる。その鉄屑の中から、「まだ戦える」「まだカイルを守りたい」という、道具たちの切実な悲鳴が。

 

「……お前が直したのか?」

 

「ええ。徹夜でね。……心臓部コアの魔力回路をバイパス手術して、なんとか動くようにはしましたけど。次に無茶したら、爆発しますよ」

 

俺は苦笑しながら、修理を終えたばかりの聖剣を鞘に収めた。

 

カチリ、と心地よい音が鳴る。完璧なクリアランスだ。

 

「……お前は、それでいいのか? アルス」

 

レオンの声色が、ふと低くなった。

 

そこには、弟への複雑な感情――哀れみと、苛立ちと、そして隠しきれない愛情が混ざっていた。

 

「カイルの活躍は、すべてお前の影の支えがあってこそだ。あいつの剣が折れないのも、鎧が砕けないのも、お前が夜な夜なこうして修理メンテナンスしているからだ。……なのに、世間はお前を『無能な第二王子』と呼んでいる」

 

「事実でしょう。僕は剣も振れないし、魔法も使えない。……持っているのは、この『解析アナライズ』と『修復リペア』のスキルだけ」

 

俺は自嘲気味に笑い、作業台の上の工具たちを見つめた。

 

スパナ、ドライバー、ハンマー。俺にとっての武器はこれらだ。華やかな表舞台で喝采を浴びるカイルとは違う。俺は、壊れたものを直すだけの、地味な裏方だ。

 

「それに、僕は嫌いじゃないんですよ。この場所が」

 

俺は地下室の天井を見上げた。

 

薄汚れて、カビ臭くて、誰も見向きもしない場所。

 

だが、ここには「壊れたもの」たちが集まってくる。誰かに見捨てられ、役目を終えたと思われたガラクタたち。それらに再び命を吹き込み、また誰かの役に立つように送り出す。その瞬間だけが、俺がこの世界に存在していいという証明になる気がした。

 

「……そうか。お前がそう言うなら、これ以上は言わん」

 

レオンは短く溜息をつき、背を向けた。

 

「だが、忘れるな。……明日の式典には必ず顔を出せ。父上も気にされている」

 

「はいはい。……善処します」

 

兄の足音が遠ざかり、再び地下室に静寂が戻った。

 

俺は大きく息を吐き出し、作業用の椅子に深く沈み込んだ。きしむスプリングの音が、やけに大きく響く。

 

「……無能、か」

 

その言葉は、思った以上に深く胸に刺さっていた。

 

分かっている。勇者カイルの隣に立つには、俺はあまりにも力不足だ。あいつは光。俺は影。その差は、どんなに修理を重ねても埋まらない。

 

だが。

 

それでも俺は、あいつの剣を研ぐ。あいつが安心して背中を預けられるように。あいつが、悲しい顔で壊れた道具を見つめなくて済むように。

 

「……待ってろよ、カイル。最高の剣に仕上げてやるからな」

 

俺は再びハンマーを握りしめた。

 

カンッ、カンッ、カンッ……。

 

地下室に響くその音は、まるで俺自身の鼓動のように、孤独で、けれど力強く、明日への時を刻み続けていた。

 

第1話 完


■本日(1日目)

07:00 第1話「輝ける出発と、微かな軋み」

07:00 第2話「凱旋パレードと、影に咲く花」

12:00 第3話

18:00 第4話

18:00 第5話


■明日(2日目)

08:00 第6話

12:00 第7話

18:00 第8話


■明後日(3日目)

12:00 第9話

18:00 第10話

20:00 第11話(真の物語、始動)


※以降は毎日、1話18:00に更新予定です。


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