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瀬戸内ナイトウォーク

作者: 夢与温

 「すまんねぇ、出払っとるんですわ」

国営公園で催されたナイトウォークイベントは、運営想定外だったのか壊滅的な混雑で、終了したのは夜10時を過ぎていた。

ホテルで教えてもらったタクシー会社へ電話を入れたが、配車はすげなく断られた。お盆明けのこの時期は、まだ売り手市場なのだろう。

ホテルのある港付近と公園をつなぐバスは、2時間前に最終が出てしまっているし、歩くにしても1時間以上かかる。歩いたとしても、島内は電波が入らない地域もあるので、街灯の無いこの瀬戸内の島で女二人ハイキングは…無謀だろう。

それに単純に暑い、疲れた。90分以上も山の中を歩いて、行列に並び、はしゃいで写真も沢山撮ったのでスマホの電池も赤くなっていた。

参加者は皆待ち時間が長かったので、足早に複数ある駐車場へ散っていく。ファミリー層も多く、各所で眠気と空腹に耐えきれない子供が泣き叫ぶ声もした。


途方に暮れていると、案内の老人が一人ぽそっと呟いた。

 「メイン駐車場ならタクシー来とったで、1台」

何の保証も無いが、駐車場間の移動バスに乗り込むことにした。


ここが何処なのか全く分からなかったが、カーブをいくつか抜け、猛スピードで突っ切ったマイクロバスは、真っ暗な駐車場へ到着した。

松の木の下、暗闇に浮かぶタクシーのランプ。

ふぅと安堵の息が漏れた。

真っ先にバスを降りると、黒いセダンに走り寄った。ガコン と音がして。ドアが開く。ビニールレザーに白いレースのカバーと年季が入ってそうだが、こんな時間まで待っていてくれたのはありがたい。

 「〇港の、〇〇ホテルまで」

 「んぁ?」

 「〇〇です。大阪に向かうフェリー近くの」

ああ、と運転手はうなずき、車はすーっと闇夜に走り出した。


 「こんな時間まで何してたの」

運転手の、少し中央線をオーバーするような走り方が心配だなと思いながら、私が答える。

 「お客さんたくさん来るんじゃないですか? アニメのイベントですよ」

……沈黙。

片耳に付けた有線イヤフォンからジリジリと音が漏れ聞こえる。

回答がないので、私の隣に座っていた友人が口を開く。

 「散歩です」

ほうへぇ、そりゃ結構なことで…と、口の中でもごもご言いながら、運転手はそれきり話しかけて来なくなった。

私たちは「無線のせいで聞こえないのかもね」と小さく声を交わし、ソファの背に体を預けた。

車内はクーラーが効いていなかったが、半分開けた窓から涼しい風が吹き抜けて来る。さっきまで額に汗してスタンプを集めていた身としては、天国のような環境だ。


帰りの足が捕まったので安心したのか、自然とイベントの話題になった。今回は人気アニメの期間限定企画で、作中で命を散らした各キャラクターを偲ぶ、という内容だった。公園内数か所に設置した巨大スクリーンで印象深いシーンを流し、プロジェクションマッピングで効果を追加する。広い公園内をスタンプラリーしながら歩くという単純な仕掛けだが、都会には無い静けさと相まって、素晴らしい出来だった。

全てのスタンプが揃うと、キャラクターのうち、誰か一人の御霊が浮かび上がる…という仕掛けも良かった。私は押しキャラを見事お持ち帰りでき、わざわざここまで来た甲斐があったと小躍りしたのだ。でも、友人はスタンプを何処かで間違えたらしい。

 「嫌になっちゃう、これ…手のひらみたい」

 「急いでたから、仕方ないよ」

それでも、各ポイントについての評論に花が咲く

 「さすが!あのシーンを選んでくれて嬉しかった!」

 「私だったらこの演出を加えるけどな」

 「あのキャラ、もう少し生きてて欲しかった…」


タクシーは程なく私たちのホテルに着いた。

豆電球が車内に点き、ダイヤル式の料金メーターが目に入った。

今でもこの形式なのかと驚いたが、行きと比べて半額以下の料金に、車両の減価償却が終わっているから安いのかなぁ…と、納得しながら車を降りた。バタンとドアの閉まる音が響き渡る。


ホテルの入り口は、最低限の常夜灯のみで足元も見えない程だった。重い扉を押して入ると、自分たちの部屋に続く階段へ向かう。フロントに人は居ない。

ふと違和感がして振り向くと、友人が何?と聞いてきた。

――自分でも分からない。だけど、何かが違う。

気を取りなおして、話題を振った。

 「部屋にあったビール飲んじゃおうか、700円するけど」

あはははそうだね、明日売店で買って補充しとけばバレないかもね。

と声を抑えながら笑いあって階段を登り、部屋に着いた。ちょっとレトロが売りの、重いホルダー付きルームキーで扉を開ける。今すぐに、汗くさい服を脱いでシャワーを浴びたかった。


ぎゅぅうううう。

浴室から出て髪を乾かす間もなく眠りに落ちた私は、夜半に激しい頭痛で目が覚めた。最初に熱中症を疑ったが、直ぐに部屋の寒さに気が付いた。大きな冷凍庫の扉を開けたかのようだった。

そう言えば、部屋がなかなか冷えなかったので極端な温度に設定したのだ。戻すのを忘れてたなと思いながら、入口あたりに向けてスマホ画面の光をかざした。空調コントローラーがその辺りにあったと記憶していたのだ。

が、

 「どうしたの?」

友人が、正座したまま頭を垂れて、土下座の恰好で身を伏せている。なんて格好で寝てるのよ、と笑いそうになった瞬間、彼女が小刻みに震えているのが分かった。

 「帰れない…」

のどから絞り出すような声が響く。

 「……一人で生きるなんて、できなかったの。

  周りは“女のくせに”って笑うし、

  結婚できない女は欠陥品みたいに言われて……」

とても、彼女の声とは思えない。

 「……どうして私だけ、……

  あの年、あの人は家族と楽しそうに万博に行って……

  わたしとの時間が一番だって信じてたのに」

ズクンと胸が痛んだ。

不倫?彼女の性格からは想像できない。

 「でも、女一人じゃ…生きられなかったのよ……」


私達は趣味を介して知り合い、互いの世界を語り会う壁打ち相手として機能していた。

だから、プライベートな話題はさわり程度で、例えばどんな仕事をしているかは休日や遠征予算のレベル感を合わせる為に必要な情報だったが、恋愛や家族構成はあまり話題には挙がらなかった。

意図的に避けていたとも言える。私たちは、非日常を楽しむ友人として一緒に居たかったのだ。

だからこの唐突な話題はルール違反だ。私は少し頭に来ていた。

 「世間の目? 私も似たようなもんだよ。

  いまだに“女は気が利くね”とか、“結婚はいつだ”とか、平気で言ってくるおじさんいるし。

  私は苦笑いで誤魔化して、若い子からは“ショーワの女”って言われてるみたいだけどさ…」

彼女の伏せていた顔がゆっくりをこちらを向いた。

 「……でも、あなたは生きてる。」

ひゅっと息が止まる。顔が、別人だ。

 「不完全だし、生きづらいし、理不尽なことたくさんあるよ」

私は、誰と話してるのだろう?

 「外野が何て言っても、私達は勝手に一緒に自分の好きなことしようよ。

  だから……もう、そこに縛られなくていいんじゃない?」

うつろな目をした友人の体からフッと力が抜け、その場で崩れ落ちた。

急ぎ駆け寄ると、友人は暢気に静かな寝息を立てていた。

まったく…情緒が不安定にもほどがある。


翌朝、ヨーグルトだけで良いと早々に部屋に引き上げた友人に取り残され、私は二周目のモーニングビュッフェを楽しんでいた。

特に、焼きたてのクロワッサンと生乳ソフトクリームの組み合わせは背徳の旨さだ。

70代前後の給仕が、コーヒーポットを持って持って近づいてくる。私はありがたくお代わりを頂戴した。

 「昨夜は、よくお眠りになられましたか?」

 「ええ、おかげさまで。ただ…夜中、なんだか妙な感じでしたね」

 「……ああ、やっぱり気づかれました?」

少し声を潜め、老婆は私の方に身をかがめた。

 「このあたり、夜はねぇ…ちょっと、出るんですよ」

 「出る、って……幽霊ですか?」

 「ウフフフ…まあ、そういう話もあります」

彼女は遠くを見るような目で山の方を見た。

 「前の万博の時にねぇ、あの公園でねぇ、ちょっとした騒ぎがあったんですよ。

  ここに泊まってたお客さんで、四十代くらいの女性だったんですけどね」

 「……何があったんです?」

 「不倫でね。相手は会社の上司だったらしいんですけど、奥さんにバレて、もう生きていけないって…。

  ある晩、夜中に散歩するって出てったっきり、戻ってこなかったんです」

 「え……?」

 「ええ、公園の松の木で首を…ね」

老婆は言葉を選ぶようにして、一瞬口をつぐんだ。

 「でね、それからなんです。

  たまに…深夜になると、タクシーの運転手さんから聞くんですけどね」

 「……タクシー?」

 「“公園から女の人が乗ってきて、このホテルまで送った”…って」

 「……え?」

 「でもね、ここまで来るとその女の人、いつの間にかいなくなってるんですって」

給仕はわざとらしく笑ってみせるが、その目には薄い怯えが残っている。

 「まあ、あたしは信じませんけどね。

  ただ、夜中に窓を開けっぱなしにしてると、時々…ねぇ」

 「……時々?」

 「窓の外で、タクシーのドアが“バタン”って閉まる音がするんですよ。

  車、止まってないのにね」

ソフトクリームが溶け、カップからあふれ出していた。


早々にチェックアウトして、私達は万博会場の夢洲へ向かった。フェリーが沖へ出ると、鈍いエンジン音とともに船体が揺れ、白い波しぶきが窓にゆっくりと流れ落ちていく。

 「瀬戸内の橋はどれも立派ね」

友人がつぶやくのを聞いて、昨夜の違和感に気付いた。

そうだった、昨日あの階段からは瀬戸内の2つのシンボル、明石海峡大橋と⼤鳴⾨橋の光が見え無かった…


 なぜなら、

 どちらも1970年の大阪万博当時には、まだ完成していなかったから…


背筋をひやりとした潮風が撫でる。

濡れた窓に映る自分の顔。

その輪郭に、ふいに別の女の面影が重なった気がした。

目元の形も、口元の結び方も、見知らぬ誰かのものだった。


(完)

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

~本作はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は実在のものとは一切関係ございません。~

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