いらっしゃいませ、お客様
ある夏の夜、その日は雨が降っており、外を歩く人はいませんでした。
しかし、けっこうなどしゃ降りの中、一人の男が足早に歩いていました。
男は大柄でしたが、雨で濡れて寒いのか、体を丸めています。
彼の名前は、大熊しげる。
大熊は、震えながら宿を探していました。
すると、いくつか明かりが見えたのです。
「あっ、あれは宿に違いない。早く行ってあたたまろう!」
大熊は、急いで明かりに向かって走りました。
やがて現れたのは、少しボロボロのホテルでした。
「ホテル? だが、名前がわからんな」
大熊が首を傾げるのも、当然です。
なぜなら、ホテルの前の文字が、汚れて見えづらかったからです。
ですが、今の大熊にとって、それは関係ありませんでした。
中に入ると、外の見た目と違い、そこそこきれいでした。
「中は意外ときれいなものだな……」
「いらっしゃいませ」
「うわっ、びっくりした!」
突然声をかけられ、大熊は驚きます。
振り返ると、背中の曲がった老婆が立っていました。
「ようこそ、お客様。おひとりですか?」
「あぁ、外は雨がすごくてな。すまないが、一晩泊まりたいんだが」
「それは構いませんよ。本日はお客様だけですから」
「そうか、ありがとう」
「さぁさ、こちらへ」
そして、老婆に促されるまま、一番奥の部屋に案内されました。
「なにかございましたら、遠慮なくお呼びください」
「わかった」
老婆は一礼して、静かに去っていきました。
大熊はドアを閉め、部屋を見回します。
部屋は物が少なく、小さなテーブルと、ベッドがあるだけでした。
「まぁ、雨をしのげればいいか。文句は言うまい」
大熊はため息をつき、ベッドに横になりました。
疲れていたのもあり、そのまま眠ってしまったのです。
しばらくして、隣からコンッコンッと、壁を叩く音が聞こえました。
「なっ、なんだぁ?」
寝ぼけていた大熊は、壁を叩きました。
すると、今度は少し強い音が響きます。
「だっ、誰だ、壁を叩く奴は!」
眠れないと思った大熊は、やり返すようにまた叩きます。
少しの間、部屋に静寂が流れます。
「ふぅ……向こうもあきらめたか」
大熊は得意気に笑い、壁に背を向けて、また寝ようとします。
ですが、ふとある疑問が浮かびました。
「待てよ……ここって一番奥の部屋じゃなかったか?」
そう、大熊がいるのは、ホテルの一番奥の部屋。
隣がいるわけがないのです。
大熊は顔を引きつらせ、ゆっくりと壁に振り向きます。
すると、連打のごとく、壁を叩く音がしました。
それはいつまでも続き、大熊は慌てて大声を出します。
「だっ、誰か来てくれーっ!」
「お客様、どうかされましたか?」
ドアから聞こえたのは、さっきの老婆の声でした。
大熊は助けを求めるように、急いでドアを開けます。
そこには、確かに老婆がいました。
ですが、首から上だけです。
大熊は驚き、顔を少しだけ出しました。
「首が、伸びてきている?」
大熊の言う通り、老婆の首は長く長く伸びていました。
「ぎゃぁーっ!」
「おや、お客様どちらへ?」
「なんだい、騒々しいねぇ」
「わぁ、人間のお客様だよ!」
「ひぇーっ!」
大熊が逃げている間にも、猫耳の生えた女性や、目がひとつしかない少年も出てきました。
「なんなんだ、ここは……お化けしかいないじゃないか!」
「失礼だね、おじさん」
大熊が文句を言っていると、目の前におかっぱの少女が現れました。
「ここは、『妖怪ホテル』だよ。知ってて入ったんじゃないの?」
「よっ、妖怪だって?!」
青ざめた大熊は、一目散にホテルを出ていきました。
「おやおや、お客様はどこに行ったんだい?」
「もう、出ていっちゃったよ」
「あらあら、せっかくのお客様だったのに……」
首を戻した老婆は、外に出て傘をさします。
そして、大熊が逃げた原因をつきとめます。
「こら、小鬼たち。お客様を驚かせたら、ダメじゃないか」
「ごめんなさーい……」
そこには、頭に小さい角が生えた子どもが何人もいました。
彼らが、壁を叩いていたのです。
「まったく……せっかくの晩飯だったのにねぇ」
老婆はそう言うと、傘をたたんで空を見上げます。
いつの間にか雨はやみ、星空が広がっていました。
ここは、妖怪ホテル。
ろくろ首や猫又、ひとつ目小僧や、座敷わらしが住んでいます。
「それでは、またのお越しを、お待ちしております……」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!