0-3 魔法使いの風格(1/8)
それから1週間、僕は老爺の元で猟師に必要な知識や技術を実践形式で学んだ。
猟銃の手入れ、罠の作り方と見つけ方、丸腰で獣に襲われた時の対処法……どれもこれも、この雪原を歩く上で重要な事だった。
どうやらこの地域は雪が止まないらしいから、この知識があるのと無いのとでは大違いだ。
そして今日は七日目。知識の定着を示すため、僕はいま老爺が指示した区画でイノシシ狩りをしている最中だ。
教えられた事を思い返しながら罠を設置し、そこから遠く離れた場所で寝転び、猟銃に着いたスコープを覗きながら獲物が罠に掛かるのを待つ。
この姿勢を取り始めてから恐らく一時間は経っている。背中や頭の上には雪が積もり、体温はいつもより低くなっている。
「うぐ……」
――全身がズキズキと痛むけど、問題なし。試練の突破が、僕を七日間泊めた恩義に報いる唯一の方法だと思えば十分耐えられる。
「来るぞ、気を引き締めろ」
双眼鏡を覗きながら僕の隣に立つ老爺は、そう僕に呼びかける。飛びかけていた意識を再び集中させると、確かに猪が左側から罠のある方向へ駆けてきた。
トラバサミの向こう側には熊肉を仕掛けてある。猪は恐らく、その肉の臭いに釣られたんだ。
猪は勢いを落とさず肉に向かって直進している。そうして間もなく――
(掛かった!)
トラバサミは猪の右足首を挟み、その動きをビタッと止める。それと同時に僕は猟銃の引き金を引き、猪の頭に銃弾を喰らわせる。
すると猪はゆっくりと奥に倒れ、三回ほど跳ねた後で動かなくなった。
「やった! 獲ったぞ!」
「よくやったのスミレ、合格じゃ」
「よし……ううっ」
緊張が解けた瞬間、鈍っていた全身の感覚が戻った事で猛烈な寒気に襲われ、僕は激しく身震いしてしまう。
「獲物はワシが取ってくるから、お前さんはひとまず家に戻っておれ」
「わ、わわわわわかった……」
ガクガクと震えながら立ち上がり、老爺の家に向かう帰路に就く。
――体調は最悪だが、気分は最高だ。196年生きてようやく、実感出来る程の大きな成長を遂げられたんだから。
◇ ◇ ◇
布団を被りながら、老爺特製の猟師汁を飲む僕。
汁自体の味付けは塩のみだが、様々な獣の肉とキノコのダシが複雑な味わいを醸し出しており、なかなか美味しい。
(それにしてもお爺さん、遅いな。あれからもう一時間は経ってるのに)
僕が家を出てか狩りの準備を終えるまでの時間が20分ぐらいだから、往復したり解体の手間を含めてもそろそろ帰って来ても良いはず。
なのに、窓から覗いてみても誰の人影も見えない。
(あのお爺さんに限って道に迷うなんてあり得ないでしょ。何かあったに違いない)
急いでお椀の中身を平らげた僕は、壁に掛けてある藁で出来たジャケットを勢いよく羽織る。
もし向かった先で何が起きていようと、必ずお爺さんを救い出す。たとえ魔法使いバレして恐れられることになったとしても……覚悟の、上だ。
僕は咄嗟に探知魔法と防寒魔法を展開してドアを開け、感覚が示す方向へと全力で駆け出すのだった。
◇ ◇ ◇
がむしゃらに走り続けていると、徐々に老爺の気配が近づいていく。
方角は合っていたんだと安堵すると同時に――老爺が、想像以上に恐ろしい目に遭っているのが感覚で分かった。
(アレは災害だ。あの人は今、災害を目の当たりにしてる。早く助けてあげないと!)
足を速くする魔法を掛け、足早に老爺の元へ駆けていく。
それから程なくして老爺の姿を視界に捉える。老爺は尻餅を着いた状態で、20m程の背丈を持つ雪男を猟銃を抱えたままジッと見ていた。
「おじいさーん!」
僕がそう叫ぶと、老爺は猟銃を置いてこちらを向く。
「来るな、スミレ!!」
今まで見たことの無い剣幕で怒鳴られ、僕は思わず足を止める。
「丸腰の熊に会った時どう逃げるべきか、教えたよな! それと同じ要領で引き返すんじゃ!」
「で、でもそれじゃおじいさんが!」
「ワシの事は構わず逃げろ! お主は若い、ここで死ぬべきじゃない!」
――その言葉を聞いて、何かがプツンと切れる音がした。
もうこれ以上、若者で無力だって理由で守られてたまるか。オクタゴンを出る時は何もできなかったが、今は違うんだ。
沸々と湧き上がる怒りを抑えながら、僕は転移魔法を使って老爺の目の前にワープする。
「なっ!?」
「逃げるのはおじいさんの方だよ。ただデカいだけの獣なんて、僕に掛かれば一蹴出来るんだから」
「お前さん、一体……」
「――僕は魔法使いだ。覚えといて、おじいさん」
その時、目の前に居た雪男は僕に向かって振り上げた両方の拳を振り降ろす。
僕は一歩前に出て、右手を突き出し、赤く大きな魔方陣を展開して獣の拳を受け止める。
「ま、魔法使いじゃと!? じゃが魔法使いは、2000年前に滅びた種族のはずじゃぞ!?」
「そうなってるらしいね。でも、僕がそうである証拠は今見せてるはずだよ」
デコピンの要領で中指を弾くと、雪男の両腕全体に赤いヒビが入っていき、間もなく凄まじい血しぶきを伴って破裂する。
雪男は大地が揺れるほどの咆哮を上げながら、破裂した腕を空に向ける。すると腕の断面から赤い肉が煙のように生えてきて、あっという間に再生する。
「えぇ? こいつ、絶対普通じゃないよ」
「……コイツはこの雪原の主、『獣王』じゃ。頭をぶち抜いても関節を破壊しても即座に再生する、世間的には『魔獣』と呼ばれる類いの化け物じゃよ」
「あ、こいつ魔獣なの? ラッキー。じゃあ早く処理して、ここにくるまでに使った魔力の埋め合わせにしようっと」
僕は魔方陣を消し、魔法で作り出した黄金色に光る剣を構える。
絵本・石になった王子の中で、主人公が悪龍との最終決戦で振るった聖剣。創作上の産物を現実に持ち出すのは、僕だけが使える魔法だ。
「まさか、本当に……」
「情報ありがとう。じゃ、後は僕に任せてね」
呆然とする老爺を魔法で大きく後方に吹き飛ばし、僕は雪男と距離を取る。すると雪男は地面から巨大な氷塊を手に取り、僕に向かって投げつけた。
(いかにも雪男がしそうな攻撃。陳腐すぎ)
輝く剣を片手で横に薙ぐと、その軌跡は実体となって氷塊に飛んで行き、獣の手から離れる前に解けて無くなった。
その事実に獣が気を取られている隙を突き、咄嗟に詠唱して獣の肩に転移する。
ふさふさの毛に覆われた獣の肩は、気を抜けば滑り落ちてしまいそうなほどに悪い乗り心地だが、どうにかバランスを取っている。
――普通なら首を落とせばソレでお終いだけど、おじいさんが頭をぶち抜いても再生すると言った以上、他の方法を考えなきゃいけない。
(なーんて、普通の人なら考えるだろうね。でも残念! 僕は魔法使いだから、そんな理屈なんか通じないよ……たぶん)
しかし次の瞬間、雪男は素早く身を翻して僕を振り落とし、落ちていく僕めがけて固めた右拳を振りかぶる。
何故僕がわざわざアイツの肩に乗った理由は、この画角が欲しかったから。王子が悪龍に振り落とされ、龍を倒す決め手となる一撃を決めた時と同じ画角が。
「絵本のあの場面と完全に一致はしてないけど、頼む、決まってくれ……!」
――末路を定める魔法。武器の元となった物語の敵役を相手に押しつける事で、発動時に筋書き通りの最期を迎えさせる、文字通り必殺技だ。
構図や状況がその場面との一致率が高い程に魔法の成功率があがる……と、僕がこの魔法を使えると教えた同房のお姉さんは言っていた。
(だから、この時を待っていた。一致率は30%。時は今、仕掛ける!)
振りかぶった拳が振り下ろされようとした瞬間、僕は剣を雪男めがけて投げる。すると剣は雪男の眉間に刺さり、一人でに頭の中に吸い込まれていく。
程なくして雪男の全身が頭から塵に変わりだし、生まれた塵はすぐさま雪の中に降って消え、やがて一個の光玉を残して完全に消え去った。
「よし!」
ぶっつけ本番でも、ちゃんと決まるもんだな。ちゃんと主人公してるって感じがして、とっても嬉しい。
僕は着地してすぐ光玉を拾い上げ、右手で優しく握り込んで魔力を吸収する。
すると光玉は淡く青い光を放ち出し、僕の右腕全体を包み込む。
(込められた魔力量が多すぎて、一回じゃ到底使い切れないな。大切に保管しておこう)
光玉を握り込んだまま、僕は老爺を吹き飛ばした方を向く。
老爺の顔は見えないが、あんな異常過ぎる光景を見たんだ、なんとなくどんな顔で何を思っているかは想像がつく。
「……これで終わり、かな」
僕は意を決し、老爺の方に向かって走り出す。
(名残惜しいが、色無スミレの産みの親と別れる時が来た。どんな反応をされようと、きっちり感謝を告げて笑顔で別れよう)
心ではそう思いつつも、やはり拒絶されることが怖くて、僕の目は涙で潤んでいた。
それでも、乱雑に目を拭って走り続ける僕。そんな僕を待ち受けていたのは――
穏やかな顔を浮かべながら、拍手をして僕を出迎える老爺だった。