第四話【邂逅】
「……これは恐らく、世界の外側に居る“司書”という人物が書いたものね」
「司書?」
「司書は全ての世界を観測する、全知の女性。幻と夢の神」
そして、と彼女は続ける。
「私──ジーは彼女のもとで知識を得ている時があった。面識がある、きっぱりとそう言えるわ」
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彼女は不思議な容貌をしていた。白い水彩紙に赤と青のインクを垂らしたような髪に、赤黒く目を引きつける妖美な瞳を持っている。カチューシャに着いている花は枯れず、そしてどこでも見かけたことのない固有種だった。
自身を星書庫の司書、或いは夢の神化者と名乗り、本を取り出せば永遠にページが埋まることも減ることもない不可思議なそれを操って戦うことのできる能力を持っている。ページを切り裂いて燃やせばそこに書かれた事象が消え、新たに書き足せばそこに最初からあったように物体が現れる。燃した紙も指先一つで元通りになり、紙に書かれたすべての知識が彼女の力といってもいい。
そんな人物に、私は六年前出会った。
「知を求めているの?」
私と出会った時、彼女は私にそう問いかけてきた。私は目を見張った。明らかに人間の形をしている彼女を、人間として感じることができなかったからだ。私はすぐに首を縦に振り、彼女からこの世界についての知識を教えてもらった。
彼女は嘘を吐かなかった。いや、正確には私の望んだ知識の中で、この世界にある物質と現象、歴史しか話さなかった。彼女自身のことも、この世界の外側も、何も口にしない。
ある日、パタリと姿を消してしまった。
でも、私の家に一通の手紙が入っているのに気付いたとき、私は心から安堵と高揚を覚えた。
手紙の内容はこうだ。
『知識への好奇心は、まだ消えずに燃えているのでしょうか。叶うなら、貴方が一生をかけ知りたいと思えるものと出会えることを祈っています。ミーはそろそろ、お暇しなければなりません。しかし、いつか帰ってくるでしょう。異邦人の来訪と共に』
※ ※ ※ ※ ※
「ジーさんは、司書と知り合い……筆跡に間違いは、無いんだよね?」
「えぇ。私は彼女の書いた手紙を良く読み返しているし、字の癖も理解しているつもりよ」
彼女は口を噤み、どう説明しようか──それか、俺達が次の質問をするのを待っているのか──どちらとも取れない表情で、考えを巡らせているようだった。
俺はすぐ横で座っているフェオンに目をやる。
彼女────ジーは桃色の髪を長く伸ばしていて、碧眼がキラリと輝いている。フェオンの話だと、魔法で自身の背に翼を生やし、空中からの戦闘を得意とする人のようだ。そして、同期の中で最も博識といえる人物でもある。
「おそらく、手紙に書かれていた“異邦人”というのが、貴方だと思い……スゥエン、で合っているかしら?」
俺は頷いた。
「……スゥエン、貴方は元々この世界の住人ではない、そう言ってたわよね? フェオンから伝えられた情報から推測するに、貴方は随分と彼女に気に入られているみたいだけど」
「曖昧だが直前の記憶は思い出したよ。俺は確かに別世界のただの人間だ。どうしてここに来たのか、麒麟の力が備わったのか、記憶が飛んだのか……わからないことが多すぎて、残念だけど、君の質問には答えられない」
「そう。それでも大丈夫。ただ、一つお願いというよりかは……そうね、私からの提案」
ジーは自分のデスクの上にある古びた本──俺達が持ってきたそれをフェオンに返し、立ち上がる。それから軽く背伸びをすると、
「貴方は旅に出て、彼女の居所を探り、彼女に直接真実を聞く必要がある」
目を伏せてそういった。
「…………旅、か」
「僕も付いていきたい! スゥエン、駄目かな?」
フェオンが目を輝かせて聞いてきた。俺は少し考えてから、仮ではあるが頷いておくことにする。ジーを横目で見たが、彼女から返ってきたのはちょっとした嫉妬のような眼差しであった。
「そういえば、もう基本的知識はついたの?」
「大丈夫だよ。スゥエンは凄く記憶力が良くてね、ジーから貰ってたやつと、この前くれたのを合わせて読んでたけど……覚えるのにたったの一年! 僕だって三年位読み返して結局君に聞きにいってたのに……」
「なら、心配は要らないわ。他にも何かあれば、好きなときに来てちょうだい。私はほとんどここから出ないから」
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「ねぇ、いつごろ旅に出るの?」
「……まずは、フェオンの両親に許可を得なきゃな」
えー、とフェオンが子供っぽく頬をふくらませる。
自分だけならともかく、フェオンも一緒に行くとなると、報告の必要性は高まる。親からすれば、六年前に来たばかりの詳細不明な男に息子を取っていかれたくないと思うのが普通だ、と思ったからだ。
少なくとも、俺は友人を知らない他人に引き剥がされることは嫌だった。……多分、そう感じる筈だ。
「…………旅に出るってなったらさ、狩りもきちんとやらないとね。スゥエン、最近剣の練習、父さんとしてるんでしょ?」
「え、……あぁ。フェオンも魔法に打ち込まないとな」
「そりゃ言われなくとも、僕達一族の花形とも言えるものですから」
扉を開き、家に帰って来た。暖かく鼻腔をくすぐる匂いにつられ、フェオンが我先にと靴を脱いで廊下を駆けていく。それを見ながら、俺は少し息を溜めてから吐いて、後ろの光景を見た。扉の先に広がっている、かつて俺が居た場所と全く異なる世界の光景を。
旅。この村以外の国や街へ、これから行くことになるのだと思うと、不安に胸がつかえる。
ただ、一人ではないのは有難かった。勿論、まだ決まったことではないのだが。眼前にさしかかった事でもないし。
フェオンがすぐさまついていくと言ってくれたとき、なんとなく救われた気分になったんだ。だからこそ、何か嫌な予感がして背筋が寒くなってしまう。
「スゥエン! ご飯冷めちゃうよー」
「分かった、今行くから」
司書、異世界、知識、旅。
俺が何者なのか、司書という人物は一体俺に何を望んでいるのか、靄のかかった記憶の中に、何があるのか。知らないことばかりで、わからなくてもいいこともあるのだと理解していても、好奇心というものは恐ろしい。
どうか願わくば、俺達の旅が、そして旅までのこの日常が、有意義で平穏な、素晴らしいものになりますよう。
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