第二話【ルジャーダの木の下で】
俺とフェオンは、同時に自分の命の石を見た。俺は短い上着の釦にぶら下がっているのが、フェオンは網状の糸で出来た足の飾りにぶら下がっているのが、二つとも光った。
戻ってきた村長等が目を丸くして、俺を見る。フェオンも同じように、口を開けたままこちらを見つめていた。
俺自身、この光景が何を指し示すのかわからなかった。何が起こっているんだ? 俺は反応しないはずだろ。エルフでは無いのに、何故。
しかし、村長はすぐさま平静を取り戻し、俺達に手招きした。横に居る男性二人が、顔を見合わせて何かを話し合っているのが見え、俺はフェオンと繋いでいない方の手を強く握りしめる。
警戒はするに越したことはない。常識を覆した俺に当てられるのがどんな感情なのか、分かったもんじゃない。
「スゥエン……?」
「……大丈夫だ。多分、何かの間違いで、村長が範囲を俺にも適用させてしまったんだろう。……俺は見てるから」
何もしないほうが良い。このしきたりに、俺が関与する必要性は無い。
村長達についていき、暗い森の中へ。
※ ※ ※ ※ ※
「貴様、何者だ」
村長が、重たい声色で俺に問うた。
「村長……申し訳ありません。俺自身、この状況の所以は、考え倦ねております。しかし、元より俺はただの人間…………このしきたり、儀式に望む意思はありません」
冷静に、口を開く。
村長は黙りこくって、顎下に手を添えている。やがて沈黙を破り、
「そうか」
とだけこぼした。
「ここだ。私は村の者達や子供らに状況を上手く伝えておこう」
「……ありがとうございます。お気をつけてお戻りください」
「貴様に心配される筋合いは無いな」
吐き捨てるように言い、村長は踵を返していった。
俺もフェオンも、とりあえず一安心、と息を吐いた。しかし、男性二人はまた、顔を見合わせ────今度はニヤリと笑う。思わず後退りするが、彼らは気づく様子も無く儀式の手順を手短にフェオンに教えている。
…………嫌な、予感がする。
「大丈夫そうか」
「うん。やってみる」
儀式を開始するフェオン。湖に反射した夜空が、不思議さと神秘的なものを感じさせる。
しかし、黙って眺めさせてくれるわけもなく、男性に方を叩かれた。
「お前、少しこっちに来い」
「…………」
何か言い返そうかとも思ったが、触らぬ神に祟りなし、口を一文字に閉じて頷く。腕を強く捕まれ、乱暴に歩かされる。
やがてフェオンから離れた湖の縁までつくと、男性は俺の胸ぐらを掴み、首を締め付けてきた。その顔が憎悪のような、黒々とした感情に埋めつくされているのを見て、俺は内心、先が読めた。
「なんなんだ、お前……! 化物が、人間を装って、あの方に媚び売って…………この、」
まるで鬼の形相だ。
首が締まって頭に血が回らず、寒さのせいもあって身体が小刻みに震える。芯まで冷えていく。ギリギリと、首を絞める力が強まる。
「フェオ──────っ」
そして、俺は湖に放り込まれた。
※ ※ ※ ※ ※
バシャン、と向こうで大きな波の音が聞こえて、丁度儀式を終えた僕は驚いて立ち上がった。湖に反射する自分の顔が、ひどく歪んでいるように見える。思わず、後ろに居た一人の男性に詰め寄る。
「今の音、何?!」
「あっちを見てみてください、よく分かりますから」
「は……」
言われるがまま、踵を返す。その向こうに、飛沫を立てて湖の底へ沈むスゥエンの姿と、落としたであろうもう一人の男性が見えた。
足に力を入れ、ギュンと走り出す。その直前に、男の首根っこも掴んで。そのままそいつを眼前の男に放り投げ、ぶつからせる。木の一本に背中を強く打ち付けた二人が、すぐさま立ち上がってこちらに来る。
「なんっ、なんてことを……! 何で!!」
しかし、二人は何も答えず、僕に素早く手刀を打った。湖に沈んでゆく友の手を、引けばよかった。こいつらに目もくれず湖に飛び込んで、彼を抱きしめて離さなければよかった。
どうして僕は……スゥエンのように冷静な判断ができないんだ。
※ ※ ※ ※ ※
ぷつりと切れていた液晶の光が戻ってくるように、意識が再び繋がれた。僕は目を覚ました。冷たくなっていた筈の、雪まみれだった筈の自分の体は暖められ、風邪もひかず、ただ寝台に寝転んでいた。放心状態、何かしようと思う気が起きない。目の前で、スゥエンが──────────
「────スゥエン!」
飛び起きた。少し冷えていた脳が活性化し、さっき目の前で起きた光景が鮮明に思い起こされた。そうだ、スゥエン、スゥエン。
「行かなきゃ、ぐすっ…………助けなきゃ、早く、しないと」
今度こそ。
親の声も無視して、僕は走り出した。扉を閉めず、ただ雪道を走り続けた。覚えている、道を走る。スゥエンの居るはず、あの湖に向かって、疲労の溜まった体に鞭打って、痛むのも構わずに。涙があふれる。冷え切って、動かなくなって、石に何も色を留めていなかったら? そんな嫌な妄想が過ぎる。
転んで、何度も傷を作り続ける。そしてやっとの思いで、湖に辿り着けた。
そこには、思いもよらぬ光景が一つ。
光を放つ湖。金色の光は範囲をすぼめて、こちらに上がってくる。そして、水面から数センチ、ここから視認できるほどの角先を出した。瞬間、大きく飛沫が立ち────なんと、麒麟が飛び出してきたのだ。驚いて尻餅をつき、獣の如き麟の並ぶ体を、雄牛の尾を、毛の生えた長い角を、上から下へと見る。けど、あの瞳の色だけは変わっていない。あの、眩しい色の瞳は。
麒麟は僕を見ると、眩い光を縮こまらせて、ブルル、と馬のような鳴き声を溢して頭を下げた。僕に瞳を合わせ、角を僕の頭に乗せて、そのまま暫く固まってしまった。
ゆっくり、こわばる腕で、麒麟を撫でる。
「スゥエン……なの?」
麒麟は目を細め、ゆっくり、また頭を上げてくるりと宙に浮く。思わず、手を伸ばして引き留めようとする。
「スゥエン! 待って!」
光が集束し、麒麟は体の形を変化させ、人の形へと成る。それは紺色の髪を思い切り靡かせながら、目を閉じて、地面に転がった。
死なないで、なんて言葉はきっと、もう聞こえない。麒麟が彼であれば、死にはしないだろうけど。どうしてもこの安らかな、綺麗な顔が、不安を煽ってくる。おぶって、急いで帰ろう。暖めないと、風邪を引いてしまう。そう、思って。
雪道を歩いてすぐ、僕は足がもつれて転ぶ。その途端、おぶっていたスゥエンが離れる。幸い木にぶつかって落ちるのは避けられたが、代わりにそのせいで足がぱっくりと切れてしまっていた。
「ごめっ……ごめん、スゥエン」
何となく、スゥエンを家の前に置いてノックをし、僕は森の中をまた歩き始めた。
「…………スゥエンは、一体何者なんだろう」
人間だと言っていた彼の姿は、あまりにもそれからはかけ離れている。嘘を言っているようにも見えなかったから、彼自身そう信じていたのだろう。そも、記憶をなくしているのだから、自身の推測が当たっている、なんて事のほうが稀なのかもしれない。
あの日、僕がスゥエンと出会った道を辿る。足音は最初から聞こえていて、話しかける理由が欲しくて、僕はオカリナを吹いたんだ。
あの暖かな瞳に、僕は惹かれたんだ。
「……ここ、かな」
スゥエンが目覚めたであろう地に着くと、そこには一つ、ポシェットが雪に埋もれていた。
「どうして、今まで見つからなかったんだろう? これまでも、何度かここに来たことはあるのに」
考えても仕方がない。きっと神の思し召しなのだろう。そう思うことにして、それを拾い上げる。
踵を返して、僕は家へ帰る。