第一話【ネブルの村】
「…………ん」
────眩しい。ここはどこだろう。……俺、何してたんだっけ?
体を起こしてみるが、特に異常は見当たらない。頭も冴えている、というか、妙に軽い身体だ。俺は軽く体を伸ばして、周りを見回してみた。……やはり、知らない場所だ。
木々が生え並び、草花が生い茂っている。森に迷い込んでしまったのだろうか。しかし、自身のこれまでをどうしても思い出せない。頭を振り、目の前に広がる森の奥へ目を凝らす。近くに村や看板、道も見当たらない。完全に迷子だ。
そも、ここに人は居るのだろうか? 猪や熊等の危険はあるのだろうか? 人気は全く無いが、叫んだら誰か来てくれるのだろうか。……いや、それこそ危ないだろう。
全く持ってどうすればいいか分からなくなり、俺は立ち止まることだけは避けようと、取り敢えず足を動かす。周りの音を聞き逃さないように、出口を見つけられるように、集中する。
気を張っている内、出処の無い不安が自身に巻き付き、足を重くするのが良く分かった。
鳥の声、葉の揺れる音、自分の息。全ての音が鮮明に、鼓膜をつんざく。このまま、歩いていても……出口についたとして、これからどうすればよいかも定まっていないのに。もし、もしも、森の外が島であったら? 草原が広がるだけだったら? 俺は、どうすれば良い?
「…………う」
視界が揺らぐ。目頭が熱くなって、しゃくり上げそうだ。
「誰か…………」
思わず、かすれた声が漏れる。足が震え、息が上がり、膝から崩れ落ちた。
「……うっ、うぅっ」
ポロポロと、地面に落ちる雫がそれを濡らす。
動けなくなって、これ以上歩くのを諦めようとした、そのとき────
「────っ」
顔を上げる。耳をそばだて、周りを凝視する。耳に入ったのは、オカリナに近しい楽器の音色だ。俺はゆっくりと立ち上がって、袖で顔を拭い、音の元を探す。
音色が近くなっていくに連れて、俺の恐怖心は希望に移り変わり、やがて一番大きく聞こえる場所までたどり着くと、音色が止まった。
「……あれ?」
俺は周りを見るが、それらしい人影は見当たらない。俺に驚いて、演奏をやめてしまったのだろうか? それとも、最初から俺の勘違いだったのだろうか。
不安でたまらなくなり、両手をしっかりと握りあわせて目を瞑る。
「────人間?」
「えっ」
突然、声がどこからか聞こえてきた。
「上だよ上、木の上」
言われるがままそこを見ると、一本の木の上、枝に座ってオカリナを持っている少年が居た。
「……あ」
「ね、君人間?」
「…………えと、……多分」
「そっか」とその少年は頷くと、軽い身のこなしで地面に着地する。俺は一歩後退するが、彼はぎゅんと距離を縮めて、俺の手を取った。首をかしげながら、俺の体をあちこち見て、やがて手を離すと、
「僕はフェオン! 君は?」
「…………えっ?」
今度は俺が首をかしげると、彼は「ん?」と不思議そうにこぼしたあと、納得したように俺の目をのぞき込んだ。
「もしかして、“キオクソウシツ”ってやつ?」
「記憶……喪失?」
たしかに、俺の頭に残っている記憶は無い。名前も、何者なのかも。
彼──フェオンはうんうん、と首を縦に振ると、自分の白髪を後ろで結び直し、灰がかった空色の瞳を瞬かせる。
「何も覚えてないんでしょ?」
「……うん」
「ねね、そしたらさ」
後ろ手に、彼は微笑んで、
「僕の村、来ない?」
※ ※ ※ ※ ※
「……わぁ」
「ここが僕達エルフの村。ルジャーダって呼ばれてる大木の下、綺麗な水と硝子の建築で出来た、まさに夢のような村だよ!」
意気揚々と、自分の村について語るフェオン。俺はあまりの美しさに息を呑み、村の全体を眺めた。
真っ白な家並み、それに巻き付いた蔓草や花。街灯にぶら下がる色とりどりのランタン。それから、フェオンと同じように尖った耳を持つ村の人達。自然と共生するエルフ……身に覚えの無い種族。
「……どうしたの? もしかして、何か思い出せた?」
「…………分からない」
「たっだいまー!」
青い屋根の家に入ると、フェオンによく似た夫婦が俺達を迎えてくれた。フェオンの家は全体的に青を基調とした内装になっていて、どことなく落ち着ける雰囲気がある。
「おかえりなさ…………あら、お客さん? フェオンのお友達かしら」
「お友達だよ! 森で迷子になってたから、村まで案内してきたんだ」
フェオンは俺の手を握り、俺の事情をかいつまんで説明してくれた。最初こそ怪訝な顔をされすぐにでも追い出されるだろう、と不安がっていたが、想像以上にフェオンの両親は優しく、終始心配そうに俺を見ていた。
「そう。そんなことがあったのね。……名前が無いというのは、さすがに不便よね……」
「記憶喪失か……それも、森の中で倒れてたって、中々気になるよなぁ……」
父親の好奇心むき出しな視線に、少し警戒する。そんなに見られても、記憶が戻ったときの事を考えるのは骨が折れそうなのでやめておきたい。
「名前……フェオンが付けてあげたら? 勿論、貴方がこれがいいっていうのがあるのなら、それがいいのだけれど」
「えっ、僕が? うーん……君はどう?」
フェオンが、俺にコップを差し出しつつ問う。俺はそれを受け取り、少し考えたあと、苦笑する。
「俺は、あまりいいものは思いつかないです。フェオン、任せてもいいでしょうか」
「…………分かった!」
※ ※ ※ ※ ※
「スゥエン、急いで! 遅れちゃうよー!」
「分かってる、少し待って」
急ぎ上着を羽織り、靴を履いて玄関をくぐる。夜空に映える光が、道を照らしている。俺達の他にも何人か同じように急いでいて、銅像に向かっていく。
フェオンが手を差し出し、俺はそれを取ると、強く握り駆け出す。
「うーん、やっぱりスゥエンは足早いなぁ!」
「…………転ばないでね」
「もちろん」
銅像前に着くと、村長と横に二人ほど、側近のような男性が並んでいて、その周りを囲むようにして、エルフの少年少女が立っていた。
フェオンから聞いた話だ。
エルフは十六歳になると、ルジャーダの木の下にある湖にて儀式を行い、そこに自身の願いを乗せるらしい。これからの人生に奇跡が起こるよう、幸が訪れるよう、ルジャーダの伝説に出てくる旅人のように、不屈の精神を得られるように。そして、エルフの特徴が不老であるように、彼等は自身の時間を最盛期に留められるよう、湖の力を借りるらしい。
俺はただの人間だから、この儀式においてフェオンの付き添いでしかない。
「十六の月日を歩んだ者達、よく集ってくれた。今宵は其方達の成長を願い、湖の元儀式を執り行う。冬場の寒さを乗り越え、儀式を成功させられるよう、祈っている」
村長は声を張り上げ、老木のようになった体をピシャリと伸ばして話す。
そういえば、村長や一部の人々は十六よりも上の歳の体でいる。どういう理屈なのだろう。後で聞いてみることにしようか。
「雪崩やもしもの危険性を考え、これよりここで、其方達の中から数人ずつ、湖へ赴く順番を決めよう。さぁ、命の石を掲げてみよ」
皆がそれぞれの色を放つ魂石を、夜空に掲げる。瞬間、仄かに光が放たれる。数個の石がより強い光を発したかと思うと、村長ら三人はその人達を連れて行く。それが何度か繰り返されるうち、俺とフェオンが残った。
「……もしかして、僕一人で儀式するやつ?」
「大丈夫、俺もついてるから」
といいつつ、自分の命の石を見る。すると────
「──────なっ」
眩しい光が、フェオンと俺の石から、放たれていた。