表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

作者お気に入り異世界恋愛(短・中編)

番号札『9』の婚約破棄

作者: 木山花名美

☆コロン様作

『彼女はエリーゼ。嘘、大袈裟、まぎらわしい婚約破棄』

の設定から三十年後のお話となります。

https://ncode.syosetu.com/n6079ik/


※作者様から許可を頂いております。



挿絵(By みてみん)

*イラスト製作・コロン様*

 

「貴女の番号札はこちらになります。19時に広間中央の特設ステージにて婚約破棄宣言が始まりますので、書かれた番号を呼ばれましたら速やかにお越しください」


 ここ、ニーナ王国の王城で開かれたニーナ・ロウ学園の卒業パーティー会場の受付。

 おお……これが……

 私は初めて目にする、その金色の札を受け取った。



 今から三十年程前────

 同じくここ、ニーナ・ロウ学園卒業パーティー会場にて、『エリーゼ』という名前の令嬢を巡るまぎらわしい婚約破棄騒動があってから、人違いを避ける為に、こうして番号札が配られることとなった。


 そのパーティに出席していた、母『へリーゼ』から聞いた話によると……

 ある伯爵家の次男が声高々に、

『エリーゼ! 前へ出て来い! 今宵、私はお前との婚約破棄を申し渡す!』

 と迷惑な婚約破棄宣言をした為、母を含め三人もの令嬢が、私のことかしら? と彼の前に出て行ったらしい。

(『へ』と『エ』を聞き間違えたことに気付いた母は、早々に戻ったとか)


『今まで見た中で一番面白い婚約破棄だったわ~』

 と、母から何度も聞かされた、まぎらわしすぎるこの騒動。

 おバカ達は痛い目に、迷惑を被った人達はみんな幸せになったみたいだから、こうして笑い話に出来るんでしょうけどね。


 近頃、公の場ではめっきり減った婚約破棄宣言。だけどこの学園の卒業パーティーでは、未だに伝統として残っている。

 婚約破棄された令嬢が宰相夫人として幸せになったことで、この卒業パーティで婚約破棄されると、幸せを掴むというジンクスが生まれたからだ。

 今では本当の婚約者同士によるリアルな破棄宣言というよりは、偽の破棄宣言からの愛の告白、またはプロポーズなど、卒業生達の恋を盛り上げるイベントとして行われている。様々な宣言が何組も行われる為、番号札は必須だった。最近では女性からの宣言も行われる為、男性も銀色の番号札を着けている。



 さて、私の番号は何番かしらと札に目を落とした瞬間……嘘でしょ!? と二度見してしまう。

『6』かも……とよく目を凝らすも、ハート型の札のキュッとへこんでいる部分を上、尖っている部分を下だと考えるなら、これは間違いなく『9』だ。ハートじゃなくて……尻? と一旦ひっくり返してみるも、すぐにバカげた考えを振り切り、札と一緒に受け取った参加者名簿を広げる。


 ええと女性は……

 1、2、3…………『6』は学園一の美人、ジュリエッタ・ヴァイン。『9』の所には、確かに自分の名がある。男性の『9』も確認するが、そちらはやはり空欄になっていた。


 周りの男女が、札に通されたチェーンをきゃっきゃと手首に着ける中、私はさっき自分に札を渡した受付嬢の元へ戻り冷静に尋ねる。


「あの……この札、間違っていませんか? その、数字が……」


 口にするのも憚られ、すっと札を見せる。受付嬢は私と同じく、一旦札をひっくり返してみてから、名簿を指でなぞり照らし合わせた。


「お名前を伺ってもよろしいですか?」


 名前……

 露骨に嫌な顔をしてしまった私を見て、受付嬢は心情を察したのか、名字のみでさらりと確認してくれる。


「……ヴェン様ですね」


「……そうです。ヴェンです。ヴァン男爵家の娘です」


 気を遣わせてしまったことが申し訳なくなり、本人確認の為の情報を自ら追加する。


「確かに、ヴァン男爵家のご令嬢のヴェン様が『9番』で間違いございません」


「そんな……だって『9』は」


「はい。五年前から『9』は使用されなくなったはずですが……何故か今年は、女性の『9』だけが正式に登録されています。少々お時間を頂いてしまいますが、経緯をお調べ致しますか?」


 圧を感じハッと後ろを振り向けば、パーティの開始時刻が迫っている為か、さっきよりも長い受付待ちの列が出来ている。この学園の一大イベントである卒業パーティ。楽しみにしている他の卒業生達に、迷惑を掛けてはいけないと思い直す。


「……いえ、結構です。お手数をお掛けしました」


 受付を離れた私は人気ひとけのない柱の陰へ向かい、まあいいかと諦めて、番号札『9』のチェーンを手首へ着けた。



 受付嬢の言う通り、五年前から使われなくなった『9』の番号札。何故かというと、『9』はこの卒業パーティにおいて、最も不吉な番号と恐れられているからだ。


 番号札が配られるようになってからというもの、『9番』を受け取った令嬢は、ほぼ全員が不幸な目に遭っているという。

 たとえば……二股をかけていた令息を、令嬢同士で取り合う大喧嘩に発展。『9』番の令嬢が相手にひっ掛けたワインが、止めようとした王女殿下のお顔に掛かってしまい連行された恐ろしい事件。

 お腹を壊してしまった『9』番の令嬢。トイレから出て来るのを待っていた婚約者の令息が、可憐な受付嬢に『真実の愛』を感じてしまい、急遽婚約破棄されてしまった哀しい事件。

 結婚宣言確実と言われていた、学園一仲が良いと評判のカップル。ところが……『僕は男しか愛せない』と、衝撃の婚約破棄をされてしまう。傷心の『9』番の令嬢は、ヤケ酒を呷った挙げ句、『んじゃあ今から男になりまーす!』と腹踊りした恥ずかしい事件。


 他にも足臭事件やドレスビリビリ事件など、様々な事件が言い伝えられている。

 ただの偶然とは思えない、気味が悪いと恐れられ、この『9番』は男女共に使われなくなった……はずなのに……

 何故今年は? しかも女性だけ。


 何かの手違いだろうけど、仕方ないわね。

 勉強と研究一筋で、婚約者はおろか、恋人だっていない私。園遊会だのパーティだのも興味がなく、成人を迎えた時に一度だけ王室主催の夜会に出席したくらい。卒業後は結婚せず、教授の推薦で研究者として学園に残る予定だ。

 よくよく考えれば、『9番』だったところで何も起きないし、起きたところで何も困らない。

(あ、でもお腹が痛いのと腹踊りは嫌だ)


 そもそも……


 もう一度名簿を広げ、ため息を吐く。

 私には番号なんて要らないんだけどな。



「ねえ! 見て見て! 今年は9番がいる!」

「うそお! ……ほんとだわ! ええと……ヌ…………ぷっ」

「これ番号必要ないわよね?」

「要らない要らない! あっ、でもむしろ番号を呼んでもらった方がマシかも」

「何かの罰ゲームじゃないかしら」


 名簿を見ながら、うふふと笑い合う令嬢達。もう全く以てその通りなので、睨む気にもなれない。

 華やかに着飾った群れとは、少し離れた一角。研究オタクの友人達が集まる方へと、なるべく気配を消しながら歩を進めた。



 新しい研究の話で夢中になっている内に、いつの間にか『9番』のことは遠い彼方に追いやられていた。友人達も私と同じで番号札には興味がないらしく、特に何も言われることはなかった。


 パーティも中盤に差し掛かった頃、騒がしい会場に、チリンチリンと高いベルの音が響く。賑やかな波がすっと引き、何かを期待するような熱い囁き声へと変わっていった。


「ただいまより広間中央の特設ステージにて、婚約破棄宣言、及び婚約、結婚宣言が行われます! まずは予約札をお持ちの方の宣言タイムとなりますので、予約番号順にステージ横にお並びくださあい!」


 あんなに大きな声で……司会者も大変ね。大勢だし、会場も広いし。司会者すら居なかった昔、『へ』と『エ』を聞き間違えるのも当然だわ。


「では予約番号1番の方、宣言をお願い致します!」


 予約番号まで……何だかややこしいわね。

 いっそ番号じゃなくて、動物とか虫とかにしちゃえばいいのに。

『カバ! 前へ出て来い! ダンゴムシ! 婚約破棄を申し渡す!』とか。

 くだらない妄想でニヤニヤする自分を余所に、早速破棄宣言が始まった。



「6番! 前へ出て来い! 今宵、私はお前との婚約破棄を申し渡す!」


 青年の腕には、ピンク髪のかつらを被った大柄な男子学生がしなだれかかっており、どっと笑い声が起こる。


 皆の注目が集まる中、呼ばれた6番の女性……学年一の美人、ジュリエッタ・ヴァイン嬢が、照れくさそうにステージに上がる。

 ちなみに『6』の女性は、『9』とは反対に良い縁を掴めることが多く、男女共に大人気の数字だ。ひっくり返しただけなのにさ。ふん!


「アナンさまあ、ジュリエッタさんがヤキモチを妬いて、私を虐めたんですぅ。怖ぁい……」


 会場を笑いに包む、野太いピンク髪の迫真の演技。口に手を当てて上品に笑い続ける6番ジュリエッタ嬢の元へ、別の青年が近付き、王子様のように膝を突いた。


「ジュリエッタ・ヴァイン嬢。どうか彼との婚約破棄を受け入れ、私と結婚して欲しい」


 差し出されたのは、遠目でも分かる程大粒の石が光る指輪。あっ、確かあの人、ダイヤモンド鉱山を所有している大金持ちの伯爵令息だわ。

「はい、喜んでお受け致します」と答えたジュリエッタ嬢はすぐに手を取られ、その華奢な指に幸せが約束された。


「男性18番ルートヴィヒ・ヴォネ様、女性6番ジュリエッタ・ヴァイン様、ご結婚おめでとうございまあす!!」


 司会者から渡された小さなケーキを、ジュリエッタ嬢はわざとドレスに落とす。これも幸せになれると言われている謎のイベントで、ずっと続けられているらしい。宣言される心当たりのある令嬢は、わざわざドレスのスカート部分に汚れても構わない安い布を重ねて作るとか。

(※ケーキはスカートで受け止め、後でカップルが美味しく頂きました)


 温かな拍手の中、一人目の宣言は終了し、二人目へと移っていく。こんな風に、友人達におバカ令息やおバカ令嬢役を演じてもらいながら、恋人や意中の相手に幸せな宣言をするパターンが多いのだ。

『ジュリエット・ヴァニン』『シュリエッタ・ヴェイン』……似た名前が居ても、番号札のお陰で人違いすることなく、スムーズに進んでいった。



 ◇


「ただいまの宣言にて、予約の方による宣言タイムが終了致しました! これより、飛び入りによる宣言タイムと致しますので、お気軽に挙手でお申し付けください!」


 興奮にざわめく会場。そう、毎年一番盛り上がるのが、この飛び入り参加の宣言タイムだと言われている。予約者程手の込んだ演出は出来ないが、今日このパーティで恋に落ちたばかりの初々しい男女だったり、当日まで勇気が出なくて、やっと決断したピュアな告白だったり。恋愛小説さながらの光景が見られるからだ。


 急ごしらえの婚約破棄宣言、または破棄宣言なしの、ただの真っ直ぐな愛の告白が繰り広げられ、会場は玉砕した者への涙や、見事カップルとなった男女への感動に包まれる。

 パラパラと挙がっていた手が次第に少なくなり……もう終わりかなという雰囲気になってきた頃。


「他にはもういらっしゃいませんか!?」

 という司会者の呼び掛けに、すっと手が挙がり、無駄に派手な格好をした一人の青年がステージに立った。


 あれは……!!


 ニタニタとこちらを見下ろす毒蛇みたいな目に、嫌な予感がする。この場から避難しようと足を踏み出すより先に、男性にしては甲高く、よく通る声が響いてしまった。


「女性9番! 前へ出て来い!」



『9番』


 呼ばれたその番号に会場がざわつき、名簿をカサカサと開く音が連鎖する。


「おい! 9番! さっさと出て来い! そこのねずみ色の地味なドレスを着たお前! 9番のヌンドロドンヌ・ヴェン!!」



 ……会場の隅で、皿とフォークを持ったまま固まる私に、バッと視線が集まる。

 ああ、だから私は9番だったのか……と唐突に理解した。



『ヌンドロドンヌ』


 大嫌いな自分の名前を大声で叫ぶこの男は、あまり人の好き嫌いがない私が、世界で唯一大嫌いな男だ。



 ご生母の身分が低いことに、劣等感を抱いているらしい我が国のこの第五王子。同じ学部に所属しているのだが、何かにつけてプライドが高く扱いづらい。

 学部トップの成績を収めている私に腹が立つのか、試験の度に、『勉強しか取り柄のない女』だの『貧乏男爵家のくせに』だの嫌みを言ってくる。

 くだらないので無視しているけれど、あまりにもしつこいので、

『貧乏男爵家の女ごときを追い抜けない貴い男性はどなたですか? 第一勉学は人と競うのではなく、己と向き合う為のものです』

 と言ってしまい、かんかんに怒らせてしまったことがある。


 あ、あとこの間……研究仲間の可愛いピンク髪の後輩が、アイツに『王子の誘いを断るのか』だのなんだの壁ドンされながら絡まれていて。その明らかに怯えていたから、『上に立つ人間なら、下々の嫌がることすんな!』って……その……大切な部分に膝蹴りを入れちゃった。咄嗟に手(足)加減はしたけどね。

『不敬罪だ』って涙目で言われて、さすがにお縄を覚悟したけれど……周りで見ていたギャラリーや、先生がみんな私の味方をしてくれて。(特に女性)

 むしろ学園での肩身が狭くなったのはアイツの方だった。



 ……余程腹に据えかねていたのだろう。

 王城で開かれているこの卒業パーティ。王族の権限を悪用し、本来使われないはずの不吉な『9番』に私の名前を登録した。

 変な名前を大声で呼ぶだけでなく、破棄宣言の後で、私に婚約や結婚を申し込む男性ひとなど誰も居ないことを知っていて、恥をかかせるつもりなのだ。


「おい! ヌンドロドンヌ! 早く出て来い!」


 あちこちからくすくす聞こえる笑い声に、段々とモヤモヤしてくる。

 てかさあ……確かに変な名前よ? 付けた親を恨んだりもしたわよ? でも、

『名字がこの国で一番多い『ヴェン』なのだから、名前は珍しいのを付けたかったの。オンリーワンの名前で、まぎらわしい人生を送りませんように』

 っていう想いがね、一応込められているのよ。笑ったり馬鹿にしていいのは、名付けられた私だけでしょうが!


 気遣わしげに背を撫でてくれる友人に、大丈夫よと笑うと、私はそっと皿を置いた。背筋を伸ばし、しゃんと顔を上げ、大股でステージへ向かう。

 階段を上がり、おバカ王子の前へ立つと、毒蛇みたいな目を冷静に見据えた。


「女性9番、ヌンドロドンヌ・ヴェンですが。わたくしにどのような御用でしょう?」


 私の圧に王子は一瞬怯むも、フンス! と鼻の穴を広げながらお決まりのあのセリフを言う。……番号があるにも拘わらず、丁寧に名前で。


「ヌンドロドンヌ! 今宵、私はお前との婚約破棄を申し渡す!」


「わたくしは貴方と、破棄どころか婚約をした覚えは一切ありません。たとえお芝居でも、貴方の口から『婚約』などという言葉を聞くのは絶対に嫌です。大切な自分の名前を呼ばれることもね」


「うっ……うるさい! 大切なんて嘘だろう? 恥ずかしくて堪らないんだろう? やーいやーい、ヌンドロドンヌ~ヌンドロヌンドロ~ドロドロ~」


 コイツ……幼児並みの知能だわ。いや、幼児の方が賢いかも。

 くすくす響き続ける笑い声に、何かがプツンと切れる。私は王子ではなく、ステージ下を毅然と見下ろして、大きな声で言った。


「いいえ! とっても大切な名前よ! 上から読んでもヌンドロドンヌ、下から読んでもヌンドロドンヌ。楽しくて最高じゃない! 明日になれば、この名前が『エリーゼ』みたいに流行っているかもしれないし。『9』もひっくり返せば『6』になる。たとえ抗えないことも、自分を大切に強く在れば、笑われたって何も怖くないわ!」


 ピタリと笑うのを止め、顔を伏せる一部の令嬢達。別の場所では拍手も起こっている。

 私は満足げに微笑わらいながら、再び王子へ向き直った。


「という訳で。わたくしの大切な名前を気安く呼ばないでください。未来の旦那様が、なんと呼んでくださるか楽しみにしているのですから」


「……おっ、お前なんか、勉強しか取り柄のない、頭でっかちの凶暴女のくせに! お前を愛する男なんか、現れる訳ないだろう!」


 王子はそう言うと、ステージ下へ向かい大声で叫ぶ。


「おい! 誰かコイツと結婚したいヤツはいるか!? この、ヌンドロドンヌなんかと!」



 しんと静まり返る会場。気まずい雰囲気が漂う学生達の後方で、すっと長い腕が上がった。


 その腕の持ち主は、カツカツと長い足を繰り出し、こちらへ近付いて来る。隣の派手なだけの王子とは違い、シンプルだけど気品溢れる礼服を着こなす彼は、そのオーラや身のこなしからも、私達よりずっと大人であることが分かる。

 どこかで見たような気がするんだけど……誰だっけ?


 彼はステージに上がると、床に跪き私の手を取る。


「ヌンドロドンヌ・ヴェン嬢。私は貴女のことをずっとお慕いしておりました。公私共に幸せにすることを誓いますので、どうか私と結婚していただけませんでしょうか?」


 公私共に…………あっ!!


 耳の下で綺麗に切り揃えられた艶やかな黒髪に、ルビー色の瞳。その目尻にある、特徴的な小さなハート形のほくろ。ニヤリと上がった口角を見て、やっとその正体を確信した。


「せん……せい」


 あまりにも違うから、一瞬分からなかった。普段は厚い眼鏡を掛けていて、着古したよれよれの白衣で、伸ばしっぱなしの黒髪は無造作に束ねられているから。でもずっと可愛いなと思っていたほくろや、眼鏡の奥に時折宿る赤い光、少し意地悪だけど優しいその口元は、間違いなく研究室の教授『マイクス・ヴォイア』様だった。


 尊敬する師。ただそれだけだと思っていたのに……

 彼が傍に来たり、手が触れる度に感じていた謎の熱は、この胸のときめきと繋がっていたのだと初めて気付いた。


 心に導かれるままに、「……はい、喜んで」と返事をすれば、彼は私の甲に魅惑的な唇を落とした。


「マ……マイクス様……正気ですか? 王族であり、公爵令息である貴方が、こんな不細工で生意気な男爵女なんかと……!」


 そう、普段は『先生』だから、身分なんか全く気にも留めないんだけど。『マイクス・ヴォイア』様のお父上は、国王陛下の弟に当たる方。つまり信じられないことに、このおバカ王子と愛しの彼は、歳の離れた従兄弟同士なのだ。

 公爵家の次男であるマイクス様は、家を継ぐ必要がない。優秀な研究者として国に貢献しつつ、この学園で教鞭を執っているのだ。普段の見た目と女性に対するサッパリした態度から、研究が恋人なんて言われていたけれど……


 マイクス様は立ち上がると、頭一つ分高い位置からおバカ王子を見下ろして、冷たい言葉を放った。


「彼女は宝物のような女性です。私にとってもこの国にとっても。これ以上侮辱することも、大切な彼女の名を勝手に呼ぶことも赦しません」


「……叔父上は! 貴方のお父上は、この身分差婚をお認めになっているのですか!?」


「親に許可を取る必要などないでしょう。私は公爵令息と言えども、しがない次男ですし。それに成人してから十年も経つ、立派な大人ですからね。生涯の伴侶くらい自分の眼で選べます。まあ、こんなに魅力的な女性なら、両親もすぐに気に入ると思いますが」


 そう言いながら、マイクス様は私の腰を引き寄せる。


 宝物……魅力的……

 今までもこれからも、一生予定になかった言葉に、これは夢なんじゃないかと思い始めていた。


 それにしてはヤケにリアルなおバカ王子は、何か言いたげに口を開いてはいるものの、何も言えずにただパクパクしている。そんなのにはもう見向きもせず、彼は想定外の言葉を続ける。


「君は強くて賢くて……本当に可愛い。一生大切にするよ、ヌンドロドンヌ」


 遥か上から注がれるルビー色が、甘い針となり私を捕える。

 不思議ね……彼に呼ばれると、この名前もどこかのお姫様みたいに素敵に響くわ。


 マイクス様は腰を屈めると、ぼんやりする私の耳元に囁く。


「ずっとこの時を待っていた……『先生』と『生徒』ではなくなる時を。もう、好きにしてもいいか?」


 はい……好きにしちゃってください……

 腰がくだけそうになる私を、彼は両手でしっかりと抱き抱える。耳から頬、頬から唇へと、徐々に迫り来る吐息に期待していた時……

 終了時刻が迫っていたのだろう。最悪すぎるタイミングで、司会者が叫んだ。


「男性9番マイクス・ヴォイア様、女性9番ヌンドロドンヌ・ヴェン様、ご結婚おめでとうございまあす!!」


 ……ん? 男性9番?

 吐息を置き去りにし美しい瞳を覗くと、彼は、ああと得意気に言った。


「飛び入りで登録させてもらったんだ。男性の9番が空いていたからね。君と同じ番号で嬉しかったよ」


 悪戯っぽく笑う彼に、私もふふっと笑う。

『9番』

 不吉どころか、なんて素晴らしい数字なんだろう。


 見つめ合っていると、司会者から皿に載った小さなケーキを渡される。

 ええ~汚したくないなあ。お母様が卒業パーティで着た、大切なドレスなのに。落とさなくても幸せになれるかしらと考えていると、マイクス様は司会者に何かを伝える。

 しばらくして渡されたのは、大皿のプディングを取り分ける為の、柄の長い大きなスプーンだった。


「大きめのフォークがなくて……こちらでよろしいでしょうか?」

「ああ。どうもありがとう」


 彼はそれを受け取ると、ケーキを半分掬い私の口へ差し出す。


「幸せは落とすのではなく、美味しく食べてしまおう」


 そう……私は彼の、こういう所が好きなんだわ。

 素直に口を開け、生クリームとふわふわのスポンジを舌に送れば、甘い幸せが身体中に広がる。「貸して」と今度は私がスプーンを持ち、彼の口へケーキを運べば、嬉しそうに食べてくれた。


 二人でちょうど一口ずつ。綺麗に空になった皿に、会場から拍手が沸き起こる。

 ケーキは『落とす』から『食べさせ合う』へ────

 新たなイベントが誕生した瞬間だった。



 ◇◇◇


 あの卒業パーティから一ヶ月後────

 私は結婚式より一足早くマイクス様の妻となり、研究者として学園で働き始めている。

 妻として、部下として……公私共に一日中彼の傍に居られるなんて。『9番』のくせに、こんな幸せでいいのかしら。



 今日はいよいよ結婚式。

 あのケーキみたいな純白のドレスを着た私を見て、彼は苺みたいに顔を赤らめながら、愛おしげに言う。


「『9番』はさ、本当は不吉な番号なんかじゃないんだよ」

「え?」


「たとえば……王女にワインを引っ掛けた令嬢は、その気の強さが王女に気に入られて親友になり、後に紹介された王族と結婚して幸せになった。

 トイレにこもっている間に、婚約者に『真実の愛』を見つけられてしまった令嬢は、会場で腹痛の手当てをしてくれた医師と結婚。後にその医師は、あのキャンディタイプの画期的な整腸薬『コロコロン』を生み、億万長者となっている。

『僕は男しか愛せない』と婚約破棄された令嬢は、結婚を諦め、その後小さな酒造会社を設立。現在はやり手の社長として、国内売上シェアNo.1を誇る大企業へと成長させた。つい最近、若い秘書の男性と結婚したとか」


「そうなの……終わったと勝手に思い込んでいた物語には、ちゃんと『その後』があったのね」


「うん。『9』もひっくり返せば『6』になる。たとえ抗えないことも、自分を大切に強く在れば、笑われたって何も怖くない……だろ? 自分の幸せは、誰がどう思おうと、自分だけのものだよ」


 私達は、熱い額をコツンと合わせ微笑む。慣れた仕草で顔を傾け、私達だけの幸せな唇を重ねた。


「……じゃあ行こうか、ヌンちゃん」

「はい。マイクさん」




 私達はその後、普通に喋るだけで遠くまで声が聞こえる道具を発明し、大ヒット商品となった。

 今や『6番』より『9番』が人気となった卒業パーティ。その会場でもそれは使用され、声を張り上げなくて助かる~と、司会者に毎年感謝されている。

(ニーナ・ロウ学園を卒業された隣国の王妃様もすごく気に入ってくださって、高値で輸出出来たわ!)


 他にも新しい道具を幾つもこの世に生み出し、夫婦揃って偉人伝に名を遺す程の有名な発明家となるのだった。



 これは悲しい婚約破棄が、幸せを願うイベントへ変わった……そんな新しい時代の、まぎらわしくないオンリーワンの物語である。



ありがとうございました。


エリーゼ事件を覗いてみたい! という方は、

☆コロン様作

『彼女はエリーゼ。嘘、大袈裟、まぎらわしい婚約破棄』へ。

https://ncode.syosetu.com/n6079ik/


ラストに出てきた隣国の王妃様の学生時代のお話は、

☆コロン様作

『暇すぎる公爵令嬢はブリジットさんの邪魔をしている事に気づいていない』です。

https://ncode.syosetu.com/n5253ii/


どちらもさらっと読める面白い作品です♪

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 不吉な番号とされた「9」。でも、終わったと思っていた物語には続きがあって…というのがいいですね。そして、「9番」が今度は。何が良し悪しかは、常に移りゆく、だから考え方次第かも知れないですね…
[良い点]  色々あっても卑屈にならない彼女はとっても素敵ですね!  ちゃんと親御さんの愛情も伝わっているし。  流されずに自分もきちんと保つこともできる。  毅然と言い返す姿はかっこよかったです!…
[良い点] 名前!  ヌンちゃんに微笑んでしまいました(*´ェ`*) 確かにオンリーワンですね♪ リアルなおバカ王子さまは、好きな子をイジメる小学生男子のノリかと思ったら……(^_^;) コロンさ…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ