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残雪  作者: ひめりんご
6/21

6話

 雪によって泥でぬかるんだ道をリリャたちは行進していた。三十キロはありそうな荷物を抱え、自分の背丈より少し低い狙撃銃を背負っていた。結局リリャの背丈は栄養が十分じゃなかったのか低いままだ。髪は少し伸び、羊のようになっている。


 軍用機関車を乗り継ぎ、延々と歩き、リリャとアレクセイは悪竜ズメイと合流するまでは第103歩兵師団で組織された狙撃小隊と共に行動することになった。同級生の姿もちらほらあり、まだ学校の訓練のような気持ちから抜け出せないでいた。


 合流地点は2キロメートルは先のアナスタシア村である。そこは要塞として作り替えられているらしい。

 

 リリャは周りと歩幅を合わせることに苦労した。なぜなら、男たちはリリャより背丈もあり足も大きい。気を抜けば、リリャは置いて行かれてしまう。それにぶかぶかのブーツは詰め物をしたとはいえ、ぬかるみに足を取られて歩きにくい。


 針葉樹に粉砂糖のような雪が掛かっている。少々、季節外れだが、ベリーを摘む時に歌う歌を鼻歌でリリャは奏でていた。周りの兵士たちはそれに怒ることはなく、「ピクニックに行くんじゃねえんだぞ」「余裕だなぁ」と笑ってくれている。


 ──森にベリーを摘みに行くわ


 ──熟したベリーをたくさん持って帰る


 ──ジャムにしてもいいけれど


 ──そのまま食べるのもいいわ


 夏のベリー摘みは女性の仕事とされていた。歌いながら摘む光景は女性的で柔らかな空気を纏っている。男だらけの兵士たちの中で歌うには少し異様ではあった。しかし、軍歌よりもずっとリリャに馴染む。


 ずっと変わり映えのしない森の中を歩いていく。ルフィーナ共和国の夏は短い。すぐに冬の女王が到来してしまう。御伽話では夏の王が妻である冬の女王の尻に敷かれているからとある。


 「リリャ」


 隣を歩いていたアレクセイが囁くように話しかけてくる。


 「僕らは最前線(ピクニック)に行くようなものだね」


 アレクセイの瞳には自信が溢れていた。自分が今まで培って来たものをやっと発揮できるという自信に。


 「わくわくするわ」


 戦場に行く時の会話に相応しくないとは思う。しかし、二人とも敵を倒したくて仕方がなかった。早く培った実力を発揮したいと願うのはアレクセイだけではない。

 リリャは戦場に出たら、やっと子供達の恨みの声が聞こえなくなるような気がしていた。復讐をその手で遂げる時、子供たちはそこで安らかな眠りが得られるのだ。


 その時、ぬかるんだ泥の道を歩く足音以外に静寂が一瞬訪れたように感じた。嫌な予感、とでもいうのだろうか。リリャは足を止めてしまった。泥に深く嵌っていく。


 「リリャ?」


 アレクセイが振り返った。リリャのせいで隊列が乱れる。「おい」と後ろの兵士がリリャ背を小突いた時だった。砲声と共に泥の飛沫が跳ねた。


 「伏せろ!」と誰かが叫ぶ。数メートル先の地面が爆発した。もう少し先を歩いていたら、泥と一緒に吹き飛ぶのはリリャたちだった。爆風に吹き飛ばされ、泥の中を転がる。木に後頭部が激突したところで、リリャは鈍い痛みを放つ頭を抑えながら顔を上げた。

 口の中には雪とも泥ともつかない水っぽいものが入り込んでいたので唾液とともに吐き出した。


 一番最初に目に入って来たのは倒れている味方の兵士たちだ。全く無事だったり、体を欠損していたり、もう体の原型を留めていない肉の塊と様々だった。血の臭いが辺りに広がっている。


 「リリャ、走るんだ!」


 その時雪と泥を跳ねさせながら、アレクセイがリリャの元へ駆けてきて腕を乱暴に引っ張って立ち上がらせた。

 

 「何処へ!?」


 リリャは訳が分からず叫んだ。


 「砲撃されてるんだ!」


 アレクセイもまだ訳が分からないようだ。しかし、周りで全速力で走る兵士たちに着いていく。この先にはアナスタシア村があるはずだ。そこは要塞化されていて味方が戦っている。塹壕まで走らなければならない。


 木々の隙間を走って切り開かれた土地に出る。真っ白な雪原が見えて、そこに集まる家々は壁に囲まれている。転がるようにリリャは塹壕に滑り込んだ。すぐさま隣にアレクセイが滑り込んでくる。


 「状況は!?」


 父親くらいの年齢の兵士が、丸眼鏡をかけた気弱そうな兵士を怒鳴りつける。


 「敵軍の反撃です。戦車大隊が来ました」


 丸眼鏡の兵士は握る銃が震えていた。


 「こっちの戦車は?」


 「ぬかるみにはまってまだ来ません!」


 状況は不利だった。戦車を人の身で止めなくてはならない。このままではこちらが負けてしまう。リリャは銃を構え塹壕から低く身を乗り出した。照準の向こうに敵兵の顔が見える。戦車の周りから一斉に射撃をしてくる歩兵共が煩わしい。

 戦車はまるで王様のように一定の間隔で砲撃を続けている。地面が爆発して抉れ、視界を煙で覆っていく。


 怒りで戦車周りの歩兵を一人、二人と、連続で頭に命中させだが三発目はずれたのか戦車の装甲に当たり弾は跳ね返された。ゴゴゴ、と音を立てて砲口がリリャの方向へ向く。


 周りを飛び回る蠅のような狙撃手の存在に気づかれたようで、リリャは慌てて塹壕に引っ込んだ。そのすぐ直後に砲声が響き、地面が揺れた。このまま死んでしまうんじゃないかと思うほどだった。

 次弾が装填される前にまた銃を構える。アレクセイも負けてられないと銃を構えた。


 戦車を無力化するには、リリャたちの狙撃銃では足りなかった。歩兵の頭を撃ち抜くには最適だが、火力が足りなさすぎた。銃弾の雨は止まらず、降り注いだ。


 あの戦車の砲台が生きている限り、無闇に突撃はできない。リリャたちの攻撃が焼け石に水だとしても、やらなければこちらに敵兵が突っ込んできてしまう。


 リリャは覚悟を決め、戦車の砲口に狙いを定めた。穴なら空いている。内部を機能させないようにすればいい。その一発に自分の生死がかかっていると思った。

 バシュン、と一発打ち込むと戦車の動きが止まった。しかしまだあったもう一台がリリャを狙う。戦車一台という大きすぎる代償を払い、狙撃兵を見つけ出したのだ。


 その時、幾重にも重なったエンジン音と地面を唸らす咆哮が聞こえてきた。


 「やっとか!」


 誰かが叫んだ。その声が誰から発されたのか気にする余裕はなかった。味方の戦車が遅れて戦場に到着したのだ。敵の戦車が大爆発する。ルフィーナ軍の最新型の戦車は次々と敵を薙ぎ倒し、戦車を砲撃によって無力化していった。


 次第にその砲声に味方の兵士たちの歓声が乗っかっていく。戦車の中から這い出た敵兵が炎を纏いながら、のたうち回っている。リリャはそこに照準を合わせると、頭らしき部分を狙って撃ち抜いた。放っておけば焼け死ぬかもしれなかったが火を纏ったまま、決死の覚悟でこちらに飛び込んできても困る。


 ルフィーナ軍の戦車が前進していく。その戦車に衛生指導員の少女がキャタピラに足を巻き込まれぬよう必死にしがみついていく様子を見た。リリャは何故か胸を突き動かされた。戦場にいる女が自分だけじゃないという励ましを貰った気がする。


 リリャも負けていられない、と口を引き結び、残って逃走しゆく敵兵たちの頭を後ろから撃ち抜いた。これにはアレクセイも負けじと追随した。


 「すごいぞ、君はこの少しの間で十二人倒した!」


 丸眼鏡の兵士がリリャの記録を数えていてくれたようだ。その時、リリャの左頬に熱い何かが掠った。慌てて頭を引っ込めると、弾丸が掠ったということに気づいた。あと少しずれていたら頭に直撃していた。

 

 同じ場所から目立つ狙撃を繰り返していたことに気づく。


 「アレクセイ、場所を変えよう」


 頰の傷から垂れた血を拭うと、リリャは林に場所を移動させることにした。まだ残っている敵兵たちがあがくように銃を連射している中を潜り抜ける。


 草木で身を覆い偽装する。アレクセイには観測手を務めてもらうことにした。双眼鏡を手にアレクセイは丘陵の上にある林の木の上に登る。リリャも木に登り、銃を構えた。


 リリャを狙った敵の狙撃手がいる。まずはそいつを何とかしなければ。


 針葉樹の葉の隙間に、同じように偽装した人間を見つける。スコープの反射により、見つけることができた。しかし、それはこちらも同じで、目が合ったと思った瞬間にこちらを捕捉されていた。破裂音がして、アレクセイの持っていた双眼鏡が粉々に砕かれた。その反動でアレクセイが木から落ちる。


 「アレクセイ!」


 すると下から声がした。


 「俺は大丈夫だ、落ち着いて! 君ならできる」


 首の骨でも折ってないか心配だったが喋れるなら大丈夫だろう。雪がクッションになってくれたのかもしれない。リリャは素早くスコープを覗き、狙撃手の頭を撃った。


 「ダミーだ」


 その時、何処からか声がした。深く雪中迷彩服のフードを被り同じく狙撃銃を構え、撃つ。スコープを覗いた先に、先程の場所より少し離れた場所で何かが木がら落ちる音がした。


 狙撃手が同じような位置に潜むのは悪手ではあるのだが、この人がリリャたちを助けにきてくれたのだと感じ取っていた。下の方ではアレクセイがもう一人の味方の兵士に助けられている。


 「よぉし、どこも骨折ってないな。大丈夫!」


 「はい。助かりました」


 アレクセイは少し恥ずかしそうに助け起こされていた。リリャも木から降りると狙撃手の男も木から降りる。最初、リリャはその人が一緒に来た狙撃小隊の仲間だと思っていた。


 「あなた方は?」


 アレクセイが尋ねる。


 「俺たち? 俺たちは人呼んで悪竜ズメイだよ」


 その茶髪の兵士にリリャは見覚えがあった。もしかして、と声をかけようとしたところで雪中迷彩服に身を包んだ男がフードを脱ぐ。金髪碧眼の──


 「ミハイル!」


 思わずリリャは名前を呼んでいた。その顔、忘れるはずがない。灰色の汚い世界から救い出してくれた神様にも等しい人。抱きしめられたかいなの温もりと、湿った涙、乾いた唇、ビロードのような金髪、空のような瞳、全て忘れなかった。


 「……リリャ?」


 ミハイルはすっかり短くなったリリャの髪に驚いているようだった。飛び込んだリリャをミハイルが慌てて受け止めてくれる。


 「私、貴方を追ってここまで来ました」


 ミハイルはリリャのその勢いに戸惑ったようだった。


 「本当に…なるとは」


 ミハイルは短くなった髪を優しく撫でてくれた。まるでそこにあった質量を惜しむように。そのとき、茶髪の兵士が咳払いをした。


 「あー、お二人さん。熱い抱擁のところ申し訳ないが」


 そう言われゆっくり、ミハイルはリリャの体を離した。

 

 「知り合いだったの?」


 アレクセイが不安そうに尋ねる。彼だけが状況についていけなかった。


 「ああ、彼女とちょっとした知り合いなんだよ。彼は。俺もその場にいたんだけど、覚えているかな」


 茶髪の兵士がリリャを懐かしそうに眺める。


 「イヴァン・スタニスラーヴォヴィチ・マヤコフスキーだ。よろしく。そっちはミハイル・エドゥアルドヴィチ・ヴォルコフ」


 よろしく、とミハイルとイヴァンはそれぞれアレクセイと握手を交わした。イヴァンは「久しぶりだな」とリリャの手を掴んで上下に激しく振る。握手のつもりなのだろう。


 「ちょうどよかった、俺たち悪竜ズメイに新しく配属されることになったアレクセイ・フセーヴォロドヴィチ・コロリョフとリリャ・イーゴレヴナ・アレンスカヤです」


 アレクセイがそう言うと、イヴァンは「新入りが初戦闘で死ななくてよかった」と笑った。

 

 戦場の音は遠ざかっていた。戦場となったアナスタシア村近くの丘陵は雪の上に血が混じって汚くなっていた。不利に転じた敵兵はしばらく粘ったものの、蟻の行列のようにぞろぞろと投降し始めた。それに銃を向けながらルフィーナ兵が指示を出している。


 ミハイルたちは先程倒した狙撃兵を含め、二十一人を倒してきたようだ。彼らの戦果は軽く百を超え、二百に届く勢いだという。それでも彼ら悪竜ズメイの本業は普通の兵士のように殺しではなく戦場での暗躍。


 最高司令部の命令のままに各地を転戦するらしい。──らしいというのは悪竜ズメイに入るはずのリリャたちですら詳しい内容は入るまで知り得なかったからだ。


 「とりあえず俺たち悪竜ズメイの本隊に合流しよう」


 イヴァンとミハイルにはスキー板があったが、持っていない二人に合わせて雪を踏みしめながら歩き始めた。


 「リリャ」


 囁くような声でミハイルがリリャを呼ぶ。顔を見ると、何か葛藤しているような複雑な表情で、もしかして本当に志願兵としてやってきたことに小言を貰うのではないかとリリャは思った。


 「悪竜ズメイにようこそ」


 しかし、次の瞬間にはミハイルは柔らかな笑みを浮かべていいた。

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