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残雪  作者: ひめりんご
14/21

14話

 アレクセイが欠けても、悪竜は欠員を補充できなかった。支援部隊も最初の頃よりは随分欠けていたが、まだ足りるとして最高司令部は増援を見送った。ベルンシュタイン軍が包囲網を突破しようと躍起になっている西側に人員を割かなければならなかったからだ。


 「組み直しだな。ミハイルは負傷しているからな。リリャ、ヴェニアミンと組んでくれ。狩に出る時はイヴァン、俺と組もう」


 フェドートがアレクセイが亡くなった直後に指示を出した。フェドートだってアレクセイを息子のように可愛がっていたから悲しみだって大きいはずなのに、努めて悲しみを感じさせなかった。


 フェドートの指示を聞いた時、ヴェニアミンが舌打ちしたような気がした。気のせいだと思いたい。その日はヴェニアミンとアパートの守護に回った。リリャは狩に行けるとフェドートに進言したが、アレクセイの死がリリャに大きな影響を与えているとフェドートは思ったようだ。


 リリャはヴェニアミンと共に、狙撃でアパート攻略に乗り出す敵兵を撃つことが今日の任務だった。簡易ストーブでかろうじて暖を取り、壊れた装甲車から拝借した鋼板で作られた銃眼から狙撃をする。


 隣の銃眼から狙撃の姿勢のまま固まったヴェニアミンは今朝からピリピリとした空気を纏っていた。リリャがパートナーになったからだろう。


 「カチャノフ准尉」


 リリャは悪竜ズメイが階級に関わらず皆が仲良く名前で呼び合っていることを知りながらもよそよそしく名前を呼んだ。ヴェニアミンの名を呼ぶのはこれが初めてかもしれない。


 「何だ、アレンスカヤ軍曹」


 ヴェニアミンもリリャの棘に気付いたのかよそよそしく返した。リリャたちはリードグラードに来る前に勲章をもらった時点で階級をあげていた。軍曹という呼び名はまだちょっとむず痒い。


 「わたしのこと、嫌いですよね?」


 尋ねるというよりはほぼ確実なものを確認するためのような言葉だった。


 「俺はな、平等に女兵士というものが嫌いなんだよ」


 リリャは少しむっとした。今や女兵士はルフィーナ軍を支える柱の一部だ。まだ男兵士が大多数を占めてはいるが、炊事部隊や洗濯部隊、看護婦など女で成り立っている。それがなければ軍は機能しないとさえ思っていた。食事を作る人がいなければ飢えるし、洗濯する人がいなければ兵士は血まみれ、泥まみれのまま士気は下がるし、看護婦がいなければとても大勢の負傷者を治療しきれない。


 「何で嫌いなんですか?」


 少し怒りが混じった声が出た。ヴェニアミンは舌打ちをした。


 「何でお前に話さなきゃならない。お前だって、何でも話すわけじゃないだろ」


 ミハイルがリリャが年齢詐称していることについてはみんな気づいていてその上で黙っているだけであると言っていたことを思い出した。ヴェニアミンはリリャが年齢詐称していることを責めているのだと思った。


 ヴェニアミンはリリャが悪竜に助けられた時にはいなかった。その後に入ってきた隊員だろう。リリャが施設から助け出されたのは、悪竜の占領地の解放と捕虜奪還作戦の一環だったようだ。


 ヴェニアミンはリリャが何か年齢以外にも隠していると勘づいているのだろう。だが言うわけにはいかない。ベルンシュタインに誘拐されていたことなんて誰もが聞きたくはないだろう。


 「あー、でもそうだなぁ。お前は女兵士の中でも一等嫌いだよ。死にゆく兵士全員にキスしてあの世に送るのか? それはただの自己満足だ。偽善っぽいのが一番嫌いだよ」


 ヴェニアミンはリリャを怒らせたいのだろうか。しかしあまりにもさっぱり、正直に言うのでいっそのこと清々しいまであった。


 「誰にでもはしません。アレクセイは大切な友人だったから」


 「アレクセイとデキてるんならわかるよ。だがあいつの想いに応えられないくせに最後にだけ期待させるなんて、残酷だと思うぜ。ミハイルだって内心複雑じゃないか?」


 リリャは恥ずかしさやら怒りやら情けないやらが一緒くたになってやってきて、顔がりんごのように赤くなった。何で、そこでミハイルが出てくる? いや、あれだけわかりやすくミハイルが牽制していたからみんなもうわかっているのだろう。きっと支援部隊全員も何となくなら察しているだろう。


 ミハイルも複雑だったのだろうにリリャの行いは正しかったのだと肯定してくれた。


 リリャは今日はオクサーナと共に昼食を取った。外に狩に出ているときは、交代で素早く食べるため誰かと一緒に食べるのはやはり嬉しい。


 「オクサーナ、アレクセイを正しい見送りができたか不安なの。ミハイルは正しかったって言った。…カチャノフ准尉は自己満足で偽善で残酷だって…」


 リリャは粥を掬いながら、そうぽつりと溢した。オクサーナは泣きそうな顔になった。リリャはそんな顔させたいわけじゃないのに、と思った。


 「何人も負傷者を見ていると可哀想になってくる。死ぬ間際は誰でも手を握って摩ってやりたいと思うよ。でも戦場じゃ、そんなことできる時の方が少ない。私はアレクセイが最後に見たのがリリャで良かったと思うよ」


 オクサーナはそう言って粥を口に運んだが、吐き出しそうな顔をして無理矢理飲み込んだ。


 「でも、生きてる奴の自己満足に過ぎないって考え方もわかる。これから生きていくために少しでも罪悪感を減らして気持ちよくなりたいんだって。苦しみながら死んでいったんじゃない、安らかに仲間が逝ったって信じたいだけなのかもしれない。最後の最後に何を思ったのかはアレクセイだけしか知らないよ。リリャ、もう考えるのはやめときな」


 オクサーナはまだ粥が残っていたが、もうそれ以上口にはしなかった。アレクセイの話をしたから、彼の最後の時を思い出したのかもしれない。ぐちゃぐちゃになった内臓とむせ返るような充満した血の匂いが蘇ったのかもしれなかった。

 そんな時に食欲が落ちるのは当然で、オクサーナはまだ正常なのだとリリャは思った。囚われた施設で飢えと戦ったリリャはたとえ血の味がしようとも食事にありつきたいと考えただろう。


 次の日もリリャはヴェニアミンとペアだった。フェドートが組み変えを行う気配はなかった。フェドートとイヴァンは狩りに出かけ、リリャたちは昨日と同じくアパートの防衛だ。アパート近くまできた敵兵士の中隊を支援部隊が機関銃で薙ぎ倒してくれた。 


 リリャたちは狙いを定めているであろう敵狙撃手の出現を待った。きっと遠くからこのアパートに狙いを定めている。激しい戦闘が続くこのアパートは目立つのだ。

 

 じっとその時を待っていた。リリャはこのアパートを狙う狙撃兵の中に必ず、フィリップ・クーナウとそれに付き従う少女兵がいると確信めいたものがあった。

 フィリップ・クーナウは優秀な狙撃手だと聞いている。ならば、ベルンシュタインにとって必ず陥落させねばならないこのアパートの攻略に乗り出しているはずだ。


 コンクリートの上に積もった雪がスコープを反射させる。その印を頼りにリリャは狙撃兵を探した。ミハイルのようにスコープなしが自分が見つかる可能性を一番下げることができたが、リリャはミハイルほど目が良くなかった。


 機関銃を撃っている兵士が狙撃された。一瞬機関銃の掃射が止んだ隙に敵兵がアパート目掛けて突っ込んでくるが仕掛けられた地雷により吹き飛んでいった。それでも生き残った敵兵がアパートに辿り着こうとするが、迫撃砲を喰らわせた。その間に、死体を退け代わりの者が機関銃の位置についた。


 狙撃されたことにより位置を特定したリリャは、機関銃を撃っていた味方兵士を殺した狙撃兵を狙撃し返し、葬り去った。しかしその狙撃兵がフィリップ・クーナウもしくは少女兵であるはずがないと言う確信があった。


 凄腕の狙撃兵フィリップ・クーナウならリリャのような小娘の狙撃でやられるわけはない。クーナウに育てられたのであろう少女兵も簡単に殺せるはずがない。

 その時、銃眼の僅かな隙間から銃弾が飛び込んできた。リリャの頬をかすめ、床に穴を開ける。


 「おい!」


 ヴェニアミンが叫んだ。頰から滴る生暖かい血が自分がまだ生きていることを感じさせた。


 「これだから女兵士は嫌いなんだよ」


 リリャが怪我したことと女兵士であることは関係ないような気がするが、ヴェニアミンにとっては足手纏いになるのはいつも女兵士だかららしい。


 「さっきの銃眼の僅かな隙間を狙った狙撃ができるのは、フィリップ・クーナウか少女兵だけだ」


 「何故、わかる? 勘違いで別のやつかも知れないだろ」


  ヴェニアミンはあまり信じていないようだ。


 「わたしにはわかる。スコープ越しにだけどお互いを見た」


 「狙撃手のお前じゃなくて、観測手だったミハイルを撃ったやつだろ。狙いがズレた間抜けじゃないか。しかも、殺せてない」


 ミハイルが怪我をした位置である肩をトントンと叩きながらヴェニアミンは嘲笑した。


 「私を狙撃で殺す予定じゃなかったのかも。そのすぐ後に砲撃があった。わざと急所を外して撃つことで、負傷者を作り出しその場に留めておくことが狙いだった」


 無線でやり取りができる。自分たちの陣地を狙う狙撃兵を最終的には砲撃で葬り去るつもりだったのかもしれない。そしてもう一つ。これはあまりにも感情が入りすぎている説であり、きっと事実とは違うのだろう。

 少女兵は敵をできるだけ苦しめたかったのかもしれない。狙撃手の理想、一発一殺には程遠いが憎しみが目を曇らせたのかもしれない。スコープ越しにお互いを見ただけなのにどうしても他人のようには思えなかった。


 「おい、オクサーナに診て貰え。傷口から何か感染症でも貰ったらまた一人使えなくなるからな」


 ヴェニアミンが苛立たしげに言った。言い方は冷たかったが、心配してくれたようにも取れて複雑な気持ちになった。傷口がひりひりと痛い。ヴェニアミンの言う通りオクサーナに診てもらうことにした。



 

******




 その日も敵狙撃兵が現れるのを待っていた。まだアレクセイに関しての傷は癒えてはいなかったが、それで何もしない訳にはいかなかった。


 狙いはフィリップ・クーナウ。そしてベルンの戦乙女などと言われている少女兵。仰角が大きくなることを承知でリリャたちはアパートの地下室から地上が見える小さな窓を銃眼代わりにした。思いもよらないところに潜む必要があった。

 地下室は貯蔵庫となっておりアパートの周りに掘った塹壕とも行き来できる。フェドートの命令により邪魔な壁や床をぶち壊したからだ。


 しかしその日のベルンシュタイン兵のやり方は違った。いつもは砲撃の合間に歩兵が突撃してくるのだが、広場に市民を一列に並べて肉の盾とした。そして大音量のスピーカーで投降せよと呼びかけてくる。そして投降しなければ一人ずつ市民を処刑すると言った。


 やり方を変えてきたと、リリャはヴェニアミンみたいに舌打ちしたくなった。一列に並べられ、盾のようになっている市民たちの顔は怯えている。中にはパルチザンと思われる者もいた。きっとパルチザンの疑いがある者から順に連行してきたのだろう。


 「くそっ」


 ヴェニアミンが苛立たしげにつぶやいた。


 「ついに自力での攻略を諦めて、良心に訴えかけてきやがったか」


 ヴェニアミンの顔は皺が寄っていて、随分と老け込んだように感じた。守るべき市民を見捨てたくない。しかし、投降することもできない。投降すれば、敵は市民も兵士も皆殺しにしアパートを占拠するだろう。このアパートは防衛の要であり味方の希望。ここが陥落すれば士気の低下は免れない。


 一番端に並べられた少女が地面に膝をついた。その後頭部に拳銃を突きつけられている。機関銃手も躊躇っているのか音が聞こえない。敵兵ではなく味方の市民を撃ってしまうことが攻撃できない理由だろう。    


 奴らは本気でこんなことで投降すると思っているのか? とリリャは疑問に思った。全ての人を救うことはできない。ノンナ村でだって、リリャは割り切った。救えないと。


 アパートの兵士全員が、覚悟を決めて人の盾にされた市民は救えないと諦めれば、この作戦は意味を成さない。しかし覚悟が決まり切っていないのが大半だった。


 「俺が処刑人を撃つ。丁度膝をついてくれて助かった」


 ヴェニアミンが狙いを定める。確実に頭を撃ち抜けるように。ヴェニアミンは助けることを選んだようだ。敵兵だけを皆殺しにして、市民を救うと。機関銃や砲撃ではできない正確な攻撃ができる狙撃兵ならではの戦い方だった。


 しかし、嫌な予感がした。それはヴェニアミンが処刑人の敵兵の頭を撃った時にわかった。撃った次の瞬間には、ヴェニアミンは胸を撃たれていた。敵狙撃兵がずっとこちらを狙って探していたのだ。市民は狙撃兵を炙り出すための罠。


 「カチャノフ准尉!」


 胸を撃たれて倒れたヴェニアミンをリリャは奥へと引き摺る。早く上階まで階段を登ってオクサーナに手当てしてもらわらければ。その焦りがリリャの中を占めていた。血が止まらないのだ。ヴェニアミンの胸からどんどん血が広がる。


 リリャはヴェニアミンを背に抱え、足は引き摺るようにして階段を登った。


 「おい、俺はもう助からない。自分の体だ、それくらいわかる」


 息も絶え絶えに、リリャの耳にだけ聞こえるような囁き声でヴェニアミンは言った。そんなこと信じたくたくてリリャは無視した。苦手な人だが、死んで欲しくはない。戦力が減るなどの理由ではなく、もう目の前で死ぬ人を見たくなかった。そんなこと戦場では不可能に近いというのに。


 「聞け、アレンスカヤ。俺を撃ったのは少女兵だ。最後に見えた」


 リリャは胃に冷たいものが落ちてくるような感覚になった。


 「女を助けるために女に撃たれ、最後に見るのも女か…」


 ヴェニアミンはリリャの顔を見て諦めるように笑った。血を失いすぎて、意識が朦朧とし始めたようだ。


 「姉さん、兵士にならなきゃ死ななかったのに。何で志願したんだよ姉さん。女兵士なんて嫌いだ。女兵士なんていなけりゃ姉さんは…」


 ヴェニアミンはリリャをその「姉さん」と間違えている訳ではなさそうだ。ちゃんと死んだことを理解して、それでいて行き場のない怒りを同じ女兵士であるリリャにぶつけようとしている。


 しかしリリャは理不尽に怒りをぶつけられても怒りさえ湧かなかった。ただ今はヴェニアミンが喋り続けて生きていることを証明し続けて欲しかった。重くなっていく体に彼の魂が抜けていっていることを感じる。


 何てことはない階段が、とても長かった。

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