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残雪  作者: ひめりんご
10/21

10話

 それを見つけたのは偶然だった。機関銃の掃射が一旦終わったあとだ。雪の上に赤い模様が咲いていて、その上に見慣れた自軍の制服をきた少女兵が倒れていた。


 白い髪が血で赤く染まっている。白い─美しい髪だと思った。雪の中では目立たなくて良いと常々思っていた。それが今、血溜まりの中に倒れている。


 「リリャ!」


 思わず、ミハイルは自分が隠密を常とする狙撃兵であることも忘れ、駆け寄った。あの日、自分が救い上げたはずの一筋の光がこの手からこぼれ落ちて行く感覚がする。

 

 ずしり、と体が寄りかかってくる。それを抱き上げた。力が抜けて重くなっていくはずなのに、まるで魂が抜けて軽くなっていくような錯覚を受ける。彼女を二十一グラムでも減らしてなるものか。ミハイルは抱きしめる腕に力を込めた。


 


******



 

 森の中から現れた機関銃兵が、リリャたちを亡き者にしようと射撃を開始する。イヴァンが倒れたが、「大丈夫、掠っただけだ!」とのことだった。リリャは素早く機関銃兵を射撃し、アレクセイも続けて射撃した。


 ミハイルはすぐさまイヴァンの元に這いずって行って敵からは見えない窪地のような場所に引きずっていった。二名の機関銃兵を殺害した後、リリャたちはすぐにばらばらに場所を変えることになった。情報共有のためとはいえ、大人数は目立ちすぎた。


 ミハイルはイヴァンをオクサーナがいる塹壕まで引っ張っていくという。ペアを組むのはアレクセイとだった。正直、ミハイルはペアを組ませるなら片方は経験豊富な自分かイヴァンとリリャたちのどちらかと組ませたかったようだが、今はイヴァンが負傷しまだ成長途中の10代の青年のアレクセイの体では大人であるイヴァンを塹壕まで運べないだろう。


 リリャがアレクセイと共に戦うのは最初の戦闘の時以来だった。悪竜ズメイに入ってからはアレクセイはイヴァンのパートナーのようになってしまっていたから。


 ベルンシュタイン軍はルフィーナ軍の猛攻により、ノンナ村まで撤退していた。要塞化している村で防衛戦になっていた。村の中心の広場には先程までは機関銃だけだったのが、迫撃砲陣地が形成されている。連携の強みはベルンシュタイン軍が洗練された軍隊であることを感じさせた。


 ルフィーナ軍の強さは圧倒的な数であるが、烏合の衆というような側面を持ち合わせる。全ての部隊がそうではないが、数が多ければ多いほど、取りこぼすものが出てくる。

 

 土嚢を積み上げた簡易のトーチカが出来上がっている。村の家屋も火から残ったものは改造されている。狙撃兵にトーチカの破壊は荷が重すぎる気がした。


 「戦車が来てくれればいいのに」


 アレクセイがやや不満げな呟いた。リリャたちはまだ援軍と顔を合わせていない。アレクセイ曰く、援軍の情報もフェドートからイヴァンが聞いただけだという。まだ孤立しているのではという不安と、本当に援軍が来たという実感が湧いていないのだ。


 「やるしかないわ」


 リリャは呻き声のような声を出した。痛みが思ったよりも体を蝕んでいた。こうなったら前時代的ではあるが、接近して銃眼に爆薬を投げ込むしかないのではないかという気がする。


 覚悟を決めようとしたその時だった。突如敵のトーチカが爆発した。空を見上げるとルフィーナ軍の飛行艇が爆弾を落としたのだった。


 「友軍だ」

 

 まるでアレクセイは喜びのあまり、踊り出しそうなくらいには頰を紅潮させていた。


 爆弾の被害からなんとか免れたトーチカの銃眼から突き出された機関銃が飛行艇を撃ち落とそうとするが、死角が多くうまく当たらない。飛行艇もうまく死角に隠れている。


 機関銃が限界まで上に向けられているのを確認して、アレクセイは銃眼の中に向かって弾を打ち込んだ。先程まで上を向いていた銃は疲れた牛の舌みたいにだらりと下がった。

 

 ルフィーナ軍の活躍により、ノンナ村のベルンシュタイン軍は壊滅。敗残兵が蜘蛛の子を散らしたように森林へと逃げ込んだが、そこはパルチザン部隊が潜んでいる。


 新たにベルンシュタイン兵の掃討を命じられた。ノンナ村の近くに流れる川の近くでリリャとアレクセイは待ち伏せをした。川を一望できる森に潜む。ノンナ村の方角から小隊規模の一団が筏で川を渡ろうとしていた。まだこれだけのベルンシュタイン兵が残っていたのかとリリャは驚愕した。


 筏は有り合わせのもので作られたのか、脆そうだ。それでも冬のルフィーナ共和国の川に入ることが自殺行為なのはわかっているらしく、皆が必死に筏にしがみついていた。長い木の棒を持った左右の2人が筏を操舵している。


 アレクセイとリリャは狙撃銃ではなく、近距離戦用のマシンガンを構えた。森の木陰から腹這いになって進む。背中には狙撃銃、そして手にはマシンガンがあった。


 もう少しで岸に着く。その時に、アレクセイとリリャはベルンシュタイン兵に向かってマシンガンを乱射した。筏から降りられずもたもたしている隙に全て撃ち殺していく。死体は川に落ちて流れて行った。土を踏む間もなく、川に落ちていく。もしかしたら、生きながら川に落ちる者もいるかもしれない。だが、助かる可能性はないだろう。


 そして全てのベルンシュタイン兵が倒れたとき、やっとリリャは息の吸い方を思い出したかのように呼吸した。アレクセイも同じだったようだ。二人で顔を見合わせて笑い合った。


 「すごいぞ! どれだけスコアが伸びたかな!?」


 アレクセイが子供のようにはしゃぐ。


 「わからないわ。60人くらいは居たように見えたけど」


 リリャもアレクセイにつられて少し興奮しているのか、息が上がっているようだ。後にわかったのだが、このノンナ村を取り巻く戦いにおいてリリャはスコアを59に伸ばし、アレクセイは60に達していた。


 戦闘が終わり、悪竜ズメイはまたもや次の戦場に転戦…となる前にリリャ、イヴァン、ヴェニアミン、フェドートの四人が入院することになってしまった。しばらく悪竜は活動を停止し、病院で休むようにと最高司令部からも言われてしまった。

 その他隊員も入院ほどではないが、負傷はしていた。まったく無傷でぴんぴんしていたのはオクサーナだけだ。彼女は病院でも看護婦たちとてきぱき仕事をこなしていた。


 最高司令部は悪竜の他にも特殊部隊を持っているらしいので、代わりの任務はその人たちが受けているのだろうとリリャはぼんやりと思った。


 リリャは血を垂れ流し、そして穴が開きっぱなしで戦ったため貧血になっておりオクサーナから絶対安静が言い渡された。撃たれた穴は塞がっており、その脅威の回復力は軍医も驚いていた。


 流石に、ベルンシュタインに誘拐され人体実験を受けていたということは黙っていた。この回復力が若さだけで説明がつかないから。味方にバラバラに解剖されるのは避けたい。


 リリャを嬉しくさせたのは、今回の入院では食事に何も制限がかけられていないことだ。前は栄養失調だったため薄いスープから始まったのだ。


 黒麦パンにチーズ、茹でたじゃがいも、脂身が入った粥など戦場での携帯食糧だけの味気ない食事より栄養満点で美味しかった。


 「病院でじっとなんてしてられん! 早く戦線に復帰させろ。軍医殿はなんと言っている?」


 たくさん並んだベッドの隙間をずしずしとフェドートが歩きながら看護婦に詰め寄る。看護婦は青い顔をして「きゃー」と叫ぶと「絶対安静です!」と複数人の看護婦を引き連れ、フェドートをベッドに無理矢理戻した。

 一昨日までは松葉杖がないと歩けないくらいの怪我だったように見えたが、今のフェドートは健康そのものに見える。足に銃弾を受け、歩けなくなるか否かだったと聞いたが間違いだったのだろうか。


 「もう! 隊長、次動き回るならベッドに縛りつけますよ!」


 リネン類を運んでいたオクサーナが駆け寄ってぴしゃりと冷水を浴びせるかのように言いつけた。


 「隊長の化け物っぷりはもう見飽きた」


 隣のベッドからイヴァンの声が聞こえてきた。悪竜ズメイの隊員たちは一区画に纏められて病院に収容されている。そのため入院中リリャが暇になることはなく楽しめた。暇になったら、隣のイヴァンが必ず何か話しかけてくれたから。


 「俺は今回も生き残った!」


 イヴァンが上半身を起こし、伸びをしながら言った。ふと、リリャはイヴァンやミハイルが何を支えに戦場にいるのか気になった。


 「イヴァン、戦場にいる時自分を見失うことはありますか? その時の支えはどうするんでしょう」


 急に難しい質問だったかもしれないとリリャは言った後に少し後悔した。イヴァンは顎に手を当てて少し考えると口を開いた。


 「自分の信念として持ってるのはやっぱり国防の意識だな。国を守るということは家族や大切な人を守るということだ。俺は『祖国を守れ!』だなんて大仰なスローガンに突き動かされているわけじゃない。正直言って家族が無事ならそれでいいんだ」


 イヴァンの言葉は中尉という軍人というよりは等身大の青年の言葉で、愛国心の演説を聞かされるよりよっぽどリリャの胸に入ってきた。


 「フェドート隊長は奥さんと子供のために戦うって言ってたし、ヴェニアミンは銃の鹵獲が支えみたいなもんだし、アレクセイはスコアが自信と支えだ。オクサーナは、なんだっけなぁ。自分の出来ることをしたい…だったか。」


 イヴァンの言葉で初めてリリャはフェドートが既婚者であることを知った。フェドートとイヴァンの信念や支えのようなものは似ていると感じる。家族を守りたい、は強い想いになるのだと知った。なら、守るべき家族がいないリリャはその代わりに何を支えとしなければならないのだろうか。


 燃えるような復讐心がそれにあたるのだろうか。しかし、リリャはあの村が襲撃された時に感じた強い殺意、復讐心が今はそれほどでもないことに気づいた。復讐心が別の何かに置き代わったわけじゃない。


 ただの村娘でしかなかったリリャにとって人を殺したいという思いは自分でも持て余すほど強烈なものだった。しかし兵士になってみて、殺し殺されが当たり前の世界に入ると殺意など当たり前すぎて馴染んでしまったのだ。


 「それにしてもミハイルもアレクセイも薄情だなぁ。見舞いにも来ない。なぁ、リリャもそう思うだろ」


 「え?」


 急に話題が変わったので、リリャは一瞬だけついて行けなかった。まだミハイルの支えについては聞けていない。


 「誰が薄情だ。こうして見舞いに来てやってるだろう」


 ミハイルの声がした。そこには、軍外套を着たミハイルとアレクセイがいた。アレクセイは申し訳なさそうに小さく手を振っていた。ミハイルの手には見舞いの品と思われる包装された箱がある。


 中身は干し無花果や干し葡萄が入った小分けにされたケーキとチョコレート菓子という戦時中には貴重な品だった。


 「悪竜ズメイの殆どが入院しているから、代わりに全ての記者をわたしが引き受けたんだ」


 リリャはここでミハイルの言葉に疑問を持った。記者? 悪竜はあまり表に出ないので、記者とは縁遠いものかと思っていた。


 「記者? それは悪竜関連で。 お前の家関連じゃないのか」


 その疑問はイヴァンも同じだったようでいつのまにか開封されたチョコレート菓子を食べながらイヴァンは尋ねた。


 「まぁ、家のこともあるだろうがな。──ああ、言い忘れていた。おめでとう、悪竜ズメイ全員に栄誉勲章が授与されることになった」


 さらりと付け加えられた勲章の話にリリャは驚いた。自分が勲章をなど信じられなかった。イヴァンの方は驚いておらず、「またかー」という反応だ。


 「リリャ、俺たちすごいよ。あの戦いで3級栄誉勲章だ。まぁ、そのほかの人たちは2級栄誉勲章なんだけど。オクサーナだけは医療従事者用の勲章だったっかな?」


 アレクセイが興奮して話しかけてくる。息継ぎ一つせずに話し終えた。


 「リリャ、とりあえずケーキでも食っとけ。きっとミハイルが家の伝手で手に入れてきてくれたやつだからさ」


 イヴァンが次はケーキを齧りながら、リリャにも勧めてくる。リリャもケーキを受け取り、しっとりとした甘さを堪能した。


 「ミハイルの家、そんなにすごい家なんですか?」


 ケーキをもくもくと小動物のように咀嚼し、飲み込むとリリャはそう尋ねた。


 「大した家じゃない」


 ミハイルはそう言ったが、イヴァンが大きく首を振る。


 「いやいや、こいつの家すごいから。代々軍人の家系で共和国成立時の革命で革命軍を率いた英雄が祖先にいるんだよ。やんごとなき血筋なの。家の方針で軍に入ったんだよな」


 「家の方針もあったが自分の意思で入った」


 そうしてミハイルはイヴァンの手からチョコレート菓子を数個抜き取るとリリャの方に渡してくれた。「こんないいものは次いつ食べられるかわからない」とイヴァンが次々食べてしまうのに先程から眉を顰めていたから。


 ミハイルの知らない一面を見れたような気がした。

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