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塩湯の銭湯

作者: GONJI

今週もありがとうございました!

来週もよろしくお願いいたします。

良き週末を!

私の父親は大阪堺の包丁鍛冶職人でした

なので、生家には鍛冶場がありました

では、母親は?

愛媛県伊予市の網元の娘でした

その昔は廻船問屋をしていたそうです


そんな母親の実家は海沿いにありました

母親は長女だったらしいのですが、上に3人兄がいて長男と次男は戦死したため、三男である伯父が実家を継いでいました

そしてこの伯父には二人の息子・・・つまり私の従兄弟ですねがいて、弟の方は同じ年でした

また、堺にも母親の弟が愛媛から出てきていて3人の子供のうち長男が私と同じ年でしたので、この堺の従兄弟とともに中学生の夏休みなどは、この母親の生家に泊まりに行ったりしていました


当時は家の裏口の扉を開けると道路が一本あってその向こうは低い堤防になっていてその先に砂浜が広がっていました

海までは30メートルぐらいでしょうか?

ただ、漁港の中なので遊泳は禁止されていたのです

従兄弟と3人で寝ていた部屋は2階にあり、窓を開けると海が広がっているのが見えました

そして夏場であるのに当時はエアコンも必要でなく、夜は窓を開けて寝ていたら朝方は寒いくらいでした

そして大阪ではありえない音で朝は起こされるのです・・・・

それはまだ夜明け前の薄暗い時間帯に一斉に漁船が漁にでるので、そのボンボンボンボンというエンジン音とたまに鳴る汽笛でびっくりしてしまうのですね


もうその頃の祖父は漁師を引退しているのですが、朝浜にはよく行っていて、何やらもらってきたとかで、魚を手に朝食前に帰ってきていたのを覚えています

そしてその魚が刺し身であったり、塩焼きであったり、煮付けであったりとして朝食に出てくるのです

その中でも一番驚いたのはふぐが煮付けで出てきた時でした

ふぐを煮付けで食べる?

でも、この辺の住人は普通にそうして食べていたようです


私達同じ年従兄弟三人衆の昼間と言えばよく釣りをしていました

なんせ地元の従兄弟が釣りの名手ですからね

いろいろ教えてもらいながらキスなんかを釣っていました

また、すぐ横の川には大量のボラの20センチぐらいになった幼魚・・・この辺りではイナと言っていましたね、が大量に遡ってきて手掴みできるぐらいのすごい状態になっていました

ただ、この辺りの人はこの魚を食べないらしいのでした

まあ、今から思えばカラスミの素なんですけどね・・・


昼間散々遊んで、夕方になると風呂に入ります

母親の実家の風呂は薪で炊く五右衛門風呂だったのです

これだと3人は別々に入らないといけなくなり時間がかかるので、裏口から浜沿いの道を少し行ったところにあった銭湯によく行っていました

見た目はなんの変哲もない普通の銭湯でしたが、湯船に浸かってみてびっくり!

なんとお湯が塩湯なんですよ!

塩辛い!

確かに母親の実家にある井戸も塩水なんですよね

多分この銭湯も浴槽の水は地下水なんでしょうね

まさに海沿いの銭湯の醍醐味です

でも、洗い場の湯水は真水でしたけどね

そうでないと体がねちゃねちゃのままになりますものね


単なる銭湯なんですけど塩湯温泉に入っている気分でした


母の実家の伯父も数年前に他界しましたが、伯母が家を守っています

今は埋め立てが進んで浜がなくなり、海まで数百メートルのコンクリートが繋がっています

風情がなくなりましたわ

あの銭湯もどうなったんでしょうかねぇ?


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