6、お目汚し、失礼します
「どういう事、ですか?」
低い声で、問う。だけど、エドアルド様は苦虫を潰したようなお顔のまま、答えない。
ジュリアが息を荒くして、追いついてきた。
「お、ねえ、さ……」
「ああ、ジュリア。大丈夫?」
わたしの腕にしがみ付きながら息を整える。まだ声も出ないのだろうけれど、「ぎっ」とエドアルド様をにらみつける。
「……いいから王城から南翼に戻れ。今すぐ、さっさとだ」
もう一度、どういうことですかと問う前に、廊下の向こうから幾人かが走ってくる足音が聞こえてきた。金属の鳴る音も。これは……。
わたしだけではなく、エドアルド様も、その音の方に顔を向けた。舌打ちをして、「始まったか……」とぼそりと呟いた。
始まった?何が?
エドアルド様は何かご存じなのだろうか?その疑問を口に出す前に、また腕を引っ張られた。
「ちょっとっ!エドアルド様っ!離してくださいっ!」
ジュリアごと、エドアルド様に引きずられるようにして廊下の突き当りの、階段の手前やってきた。そこでようやく腕を離してくれた。痛いなあもうっ!
「ここの階段を下りて回廊を進み、庭園を抜ければ南翼への近道だ。いいな?」
……何故、近道なんか知っているのだろう?王城なんて来たこともないだろうに。お爺様のドルフィーニ元・侯爵に聞きでもしたのかしら?
考えていたら、わたしはジュリアごとエドアルド様に突き飛ばされてしまった。
「きゃっ!」
「ジュリアっ!」
わたしはジュリアと一緒に階段から落ちた。と言っても踊り場までは十段程度だった。わたしはジュリアを下敷きにしてしまった。
「ごめんジュリア、大丈夫?」
「うぅ……、痛いですう……」
「手首とか、捻っていない?」
「《治癒》の魔道で治します……」
わたしの魔道は《身体強化》だけど、ジュリアは《治癒》。簡単なケガくらいならすぐに治せるけど……可愛い妹に怪我させたエドアルド様は殴ろうかしらね!とりあえずジュリアに手を貸して、ゆっくりと立たせる。手で軽くドレスのほこりを払う。
そうしている間に、エドアルド様はどこかに走り去ってしまった。
「……わたしに殴られることを察知したのかしら?」
だけど実のところ、わたしはエドアルド様なんかよりも、さっき聞こえた足音と金属音の方が気になっていた。足音は今わたしたちがいるこの階の一つ上から聞こえてくるみたい。それに「ぐわあ……」とかいう叫び声も聞こえて来た。ジュリアの体もビクリと震えた。
「お、おねえさま、今のは……」
「うん、わかんないけど、エドアルド様の『危ない』っていうの、あの声とかなのかしらね……」
あれから逃げろって、そのために、わたしの腕を引っ張ってきたのかしら?
「エドアルド様の命令に従うようで癪だけれど、ここは、避難した方が得策かしら……?ジュリア、歩ける?」
頷くジュリアの手を引いて、踊り場から階段を下りて行く。階段の下はホールのように吹き抜けになっている。さっすが王城。こんなところにまで豪華な壁画!天使像の彫刻なんかも置いてある。
そうして回廊の方へと向かおうとした時、階段の上から騎士の格好をした男が降って来た。男は首を切られ、血を流していた。
「ひっ!」
思わず後ずさり、天使像の後ろに隠れたジュリア。像に縋りついてへたり込む。
姉としてはジュリアちゃんの肩とか抱いて「大丈夫だよ」とか言ってあげたいところだったんだけど……、その前に、また一人、別の男が上から降ってきた。
今度は騎士服ではなく、顔を隠し、黒衣装族に身を包んだ大柄な男だった。首が変な方向に曲がっている。落ちた時、捻りでもしたかな?うん、まちがいなく、これは絶命していますね。
「護衛騎士と……襲撃者、かしら?」
わたしは男たちを見比べてから、ガタガタ震えるジュリアの側にそっと座る。
「ジュリア、逃げられる?」
ジュリアが天使像にしがみ付いたまま、首を横に振る。腰でも抜けたかな。うん、普通のお嬢さんにはきつい状況ね。
「こっちに来ないといいんだけど……、どうかな?」
いざとなったらわたしがジュリアちゃん守ればいいか……などと考えているうちに、もう一人上から人間が落ちて来た。今度は小柄で……、え、子ども?
わたしは慌てて立ち上がり、手を伸ばしてその子供を受け止める。《身体強化》の魔道持ちでよかった。普通なら間に合わない。
受け止めた子供は仕立ての良い服を着て……って、あれ?
「り、リリーシア様?」
幼い頃のリリーシア様そっくりなお顔。わたしは驚いて思わず声をあげてしまった。
「そ、れは、母の名だ」
子どもがケホンと少し咳をしたあと、かすれ声で言った。
母がリリーシア様。ということは……。
わたしは、そっと子どもを下ろすと、頭を下げた。
「ご無礼失礼いたします。王太子殿下でいらっしゃいますね」
「ああ、ジーノ・ルイジ・ヴィセンティーニだ。助けてもらったことを感謝する」
「上のあれは、襲撃者、ですか?護衛の方は?」
金属音。あれは剣と剣が交わる音だ。王太子殿下を、襲撃者からお守りしているのだ。けれど、ジーノ殿下が階段から落ちるとは……護衛の方が劣勢ということかもしれない。
殿下の返答を待たずに、わたしはジーノ殿下の手を引いて、へたり込んだままのジュリアの後ろに座らせる。
「こちらで身を隠していてください殿下。ジュリア、天使像と貴女で殿下を見えないように、隠して守って」
「お、お姉様?」
「……襲ってくる敵がいるというのなら……」
わたしはそのまましゃがみこみ、まずはネックレスのチェーンを引きちぎる。そうして右手にカイザーナックルを装着。それからドレスのスカートを捲る。顕わになるわたしの太ももとガーターベルト。
「ちょ、待て、何を……」
顔を真っ赤にされたジーノ殿下。うん、でも待っていられません。
「御前、お目汚し、失礼します」
やっぱり短剣を装着していてよかった。備えがあれば憂いはないって本当ね!あ、大広間に入る前に、ボディチェックは受けたけど、ご令嬢のスカートの中まではチェックされませんでした!その短剣で、わたしは自分のドレスのスカートを縦に裂く。うん、これで足も動かしやすい。
ラウラになってから、実戦なんて初めてだけど。上手く体が動くかな?一応訓練だけはしてきたけれど。大柄女と子りす体格では動き方も感覚も違う。アックスボンバーなんて、もう出来ない。
「まあ、いいや。元・護衛官ラヴィーニア。今は子りすの令嬢だけど、戦い方の記憶はある。じゃ、行ってくるわね!殿下とジュリアちゃんはそこで身を隠しててっ!」
天使像から小走りで少し離れる。わたしは視線を階段の上に向ける。金属音、そして誰かが倒れる音。……護衛が倒されてしまえば、襲撃者はこちらに向かってくるだろう。わたしは短剣を構えて、待つ。どくどくと、心臓の音がうるさい。直ぐに黒い影が見えた。
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登場人物紹介
■ジーノ・ルイジ・ヴィセンティーニ
ヴィセンティーニ王国王太子。八歳。
リリーシアの息子。弟が一人。
フラヴィオの甥
リリーシアのよく似た容貌