20、俺が、死ぬまで、一生
見覚えのある部屋。昔、ラヴィーニアだったころ、よくこの部屋にやってきた。フラヴィオ様に手を引かれ、リリーシア姫様と一緒に。そしてかくれんぼをしたり絵本を読んだりと、護衛と言いながらもほとんど遊び相手のような感じで過ごさせた頂いた。懐かしい。
そのフラヴィオ様の私室に、今のわたしが足を踏み入れるなんて不思議。
懐かしさに浸っていたら「座れ」とフラヴィオ様に言われ、ちょこんとカウチの端に座った。同時に、フラヴィオ様がわたしのとなりにどさっと無造作に座られる。
このカウチの下に、幼い頃のフラヴィオ様は隠れられたのに、今では無理ね……などと、またぼんやりと懐かしさに浸りそう。
「手を、出せ」
「え?」
「いいから、貸せよ」
指と指を絡めるように、わたしの手に触れるフラヴィオ様。
……ちょっと顔が赤くなってきてしまう。
子どもの時の、小さくて柔らかな手ではない。わたしより、大きな手。筋張って、きっと剣の練習をたくさん為されているのだろう。固くなった男のヒトの、手。
「いいか、《見てろ》」
ん?見るではなく《見る》?
「これは……」
不思議な感覚が、わたしを包んだ。視界が歪み……いえ、光が揺らめいているような何かに包まれている。なに、これ……。
「俺の、元々の《魔道》だ。ラヴィーニアからもらった《炎》じゃないほうな。それでまず俺を見ろ」
見えたのは、新緑。風に揺れる草原。晴れた青い空を背にした大きな木の葉。青葉を吹く緑風。薫風。
フラヴィオ様の体の周囲にはそんな『色』が見えた。
まるで揺らめく炎のような碧。これってもしや、《魔道》の教科書なんかでよく書かれている「人体から発散される霊的なエネルギー」の可視化……なのだろうか?
「わかるか?これが俺の『色』だ」
「はい……」
「どうだ?」
「すごいキレイです……なんか、落ち着きます……」
深呼吸したら、森の深い香りまでかげそうな気がする。
「で、だ。そのままお前、自分を見てみろ。お前はどんな『色』を持つのか、その目で確かめろ」
言われたとおりにわたし自身を見る。
「うわっ!」
なに、これ……。
「なあ、キレイだろ?」
フラヴィオ様が笑う。子どもみたいに何の裏もない真っすぐな笑みで。白いものをただ白といっているように、当たり前に。
わたしはなんて言ったらいいのかわからなかった。
わたしの身体を取り巻くオレンジの光。朝や昼間の太陽のようにあたりを光り輝かせるというものではなくて……なんていうのか……暗闇の中のかがり火のよう。暗い夜の中、ゆらゆらと舞う炎、飛び散る火花。それともこれは夕方の空。沈んでいく太陽が、最後の力を振り絞るように、空を夕焼け色に染める。空のグラデーション。天辺は夜の暗さと青が入り混じり、地平線に向けて次第に紫、赤、オレンジ、黄金……と、色を変えていく。決して淡色でも単一な色でもない、暗さと明るさのくっきりとした対比。夕陽の光を受けて、周りのものが美しく輝いて見える夕映え。隣を歩く人が夕陽に照らされて茜色に染まる。
わたしはそんな『色』に包まれていた。
「同じ『色』を持つ者はいない。似た色だったとしても、人それぞれに固有の『色』を持つ。なのにラヴィーニアもラウラも全く同じ、この『色』を纏っている。だから、すぐに分かった。ラウラはラヴィーニアだとな。それで、な。ラウラ。この色を《見て》お前はどう思った?」
「きれい……です」
「そうだろ?だから俺は、嘘なんか言っていないし、社交辞令とかでも何でもない。見たまま素直にきれいだって言ったんだ。お前はそれ、真っ当に受け取らなかったけどな」
「う……」
仕方が無いなというふうに、フラヴィオ様が笑う。
「最初に見た時からきれいだと思ってた。それから……イラレア王妃の追手から逃げてた時もな。母が王妃に殺されて、呆然とした。俺もシアも死ぬのかと思って怖かった。ラヴィーニアが連れて逃げてくれなかったら、多分、あのまま死んでいただろ?そんなふうに、恐怖を感じながら逃げてた時。ラヴィーニアのこの『色』がな、俺とシアにとっては希望の光みたいに見えてたんだよ。暗闇の中でも無くなることなく灯される温かな光。昼間の太陽みたいに目が眩むみたいに眩しい光じゃないし、宝石みたいにキラキラしいわけじゃない。暗いけど、光がある。辛さとか痛みとか呑み込んで、それでも光を放つってイメージだ。そうだな、なんていうのか……暗闇の中の唯一の道しるべ、みたいにな。ずっと見ていたい。この明かりが無ければあたりが暗闇に閉ざされる。……それが、俺にとってのラヴィーニアだ。ラヴィーニアが死んで、もう、こんなにもあったかくて、強いものなんてないって思ってたのに。なのに、ラウラを見つけた。……なあ、ラウラ。お前がな、俺のために生まれ変わってきてくれたんだとか、そういうふうに神に感謝したくらいだぞ?」
フラヴィオ様が、わたしから手を離して……そうしてその手でわたしを引き寄せた。そっと、抱きしめられる。大切なものを、その両手で包むように。
「わたしは……」
俯いて、唇を噛む。
「うん」
「わたしは、転生なんてしたのは……謝罪を、するためと、思っていました……」
「謝罪?」
「はい」
「ラヴィーニアが俺に謝ることなんてあったか?ああ……先に死なれたのは辛かった。だけど、お前は俺とシアを庇って毒を受けたのだし……」
「その、死ぬときに、《魔道の炎》を《継承》してもらうためとはいえ……、わたし、殿下の唇に触れてしまいました……」
「ああ。それが?」
「それがって……不敬ですし、大罪でしょうっ!予告も何も無く、無理矢理唇奪うなんて性犯罪ですよっ!」
フラヴィオ様はぽかんとして、その後いきなり笑い出した。
「なんだ?お前そんなこと気にしてたのか?」
「気にしますよっ!い、行き遅れの大年増の女が前途ある王子様の口に触れるなんて、不敬罪になっても当然……」
わたしの言葉をフラヴィオ様が遮った。
「ばーか、不敬なんてことあるか。あの時、ラヴィーニアが倒れそうになって、絶望しかけたってのに、お前にキスされて、俺は一瞬舞い上がったぞ?」
「へ?」
「好きな女にキスされて、嫌がる男がいるものか。まあ、すぐに、《魔道の継承》ってわかって、ちょっとがっくりした気持ちも湧き上がって来たけど、そんなこと考える前にお前、死んだし」
「う……」
「シアは泣くし、それで追手に見つかって、お前から《炎》貰っていなけりゃ、俺もシアもきっと死んでた。それから……お前の《炎》を使わせてもらうたびに、お前を思い出していた。ラヴィーニアを失ったのは身を切るくらいに痛かった。だけど、お前の《炎》を使うたびに、ラヴィーニアが俺の側にいる……なんて思ったりもしてな」
「フラヴィオ様……」
「過去はな、変えようがない。ラウラが今俺の側にいるとしても、ラヴィーニアを失ったあの時を思い出せば俺の心臓は痛む。だけど、今お前はここにいる。ラヴィーニアがラウラになって、傍に。それで、俺は、十分だ」
わたしは何も言えなかった。
わたしよりも大きくご成長されてフラヴィオ様の、わたしを慈しむような瞳を黙ったまま見ていた。
ああ……好きだった。ううん、今も、きっと好き。
この翡翠色の瞳にずっと映っていたかったの、ラヴィーニアは。
そして、今のわたしも。
「お傍に……いても、いい、ですか?」
泣きそうになりながら、わたしはそれだけを言う。
「居てくれ。今度こそ、ずっとずっと……俺が、死ぬまで、一生」