17、【挿話 リリーリア視点】
行われなかったデビュタントの翌日。わたくしはお兄様の執務室に怒鳴り込んだ。
「フラヴィオお兄様、愛妾をお迎えるとは一体どの様なおつもりなのですかっ!!」
「……リリーシア、耳が早いな」
いつも呼んでいるように『ヴィオ兄様』ではなく、敢えて、わざとらしく『フラヴィオお兄様』とあえて低い声で告げれば、何か思うところがあったらしく、ヴィオ兄様はわたくしに苦笑を向けた。いつものようにわたくしを「シア」とは呼ばず、「リリーシア」と呼んで。
「早いも何も、城中で噂が回っておりますわよ」
「アイツが断れないように、わざと公衆の面前で命じて、頬とはいえキスまでしてやったからかな……」
それも当然か……などと頷くヴィオ兄様を、わたくしは睨み付ける。
「ヴィオ兄様はラヴィーニアを思い続けていらっしゃるからこそ、妃も娶らず後継もわたくしのジーノとしたのでしょう?」
国王であるヴィオ兄様は結婚などしないという誓いを立てていらっしゃいます。
だからわたくしの息子のジーノを王太子としたのです。
それはヴィオ兄様がラヴィーニアのことを思い続けている証のようなもの。なのに何故……。
「ああ、もちろん。だから敢えて愛妾にした。アイツに王妃などという重責など押し付ける気はないし、自由にしていて欲しい。だから、もし俺とラウラの間に子が出来ても継承権は与えない」
「わたくしが問うているのはそういうことではございません。ヴィオ兄様はラヴィーニアの事をもうお忘れになられたのですかとお聞きしているのですっ!」
別にわたくしはわたくしの息子を王にしたいわけではない。本心ではジーノが王太子になろうがなるまいが、どうでもいい。
だけど、ヴィオ兄様は国王という立場にある。普通なら一国の王が妻帯せず、独り身のままというのは不可能だ。だけど、ヴィオ兄様はあの時からずっとラヴィーニアのことを慕っている。だから、わたくしが、わたくしの息子を王太子とすることで、ヴィオ兄様は妻帯せずに居られるのだ。
なのに、今更、どうして?
ラヴィーニアのことを忘れ、別の女を愛すると言うの?
わたくしにとってそれは裏切りに等しい。
非難を込めてヴィオ兄様を睨めば、お兄様は苦笑しつつわたくしの頭をくしゃりと撫でた。ラヴィーニアが、生前にわたくしにしたように。
「ラウラに会ってみろ。シア、お前になら分かる」
ヴィオ兄様はそれ以上のご説明はしてくれなかった。
会えと言うのなら会ってやる。
それで納得がいかなければラウラなどという女は、ヴィオ兄様が何と言おうと王城から叩き出してやる。
そういうつもりで、わたくしはラウラとかいう女を待った。
緊張した面持ちのラウラがわたくしの宮にやってきた。
多少可愛らしい顔をしているけれど、小柄でなんの特徴も無いような、小娘。いえ……髪の色はラヴィーニアと同じ燃えるようなオレンジ。まさかヴィオ兄様は髪の色が同じだからといって、こんな女を傍に侍らすつもりなの?馬鹿じゃないのっ!?
こんな女のせいで、ヴィオ兄様がラヴィーニアのことを忘れたかと思えば、胸の中が怒りでいっぱいになった。
叩きだしてやる。
わたくしとヴィオ兄様とお母様と……ラヴィーニアが過ごしたこの西離宮に、こんな女を一歩でも踏み入れさせてやるものですかっ!
そう思ったのに。
ヴィオ兄様の《魔道》の能力。それによって、ラウラとかいう女を《見せ》られた。
ヴィオ兄様によれば、人はそれぞれ固有の『色』を持つ……らしい。ヴィオ兄様はそういうものを見る《魔道の力》をお持ちなのだ。
ヴィオ兄様の色は深い森のような碧。瞳の色の翡翠色。魔物から身を守るエメラルド。そんな色がヴィオ兄様の体の周りには取り巻いている。
わたくしの色は若草色。萌え出ずる春の野の色。
カルーゾのお義父様は、マグマのように燃えさかる野心を奥底に秘めて、平面上は青い海のように凪いでいるという複雑な色。
人それぞれの、性格とか魂とか、そういうものによって纏う色は異なる。
そして、ラヴィーニアの色は……とてもきれいで、とても不思議な色だった。懐かしくて暖かい。秋の澄み切った空の夕焼けのよう……とでも言えばいいのだろうか。ううん、それだけじゃ足りない。もっとずっと、そのままその『色』を見続けたいと思うような……ああ、うまく表現できないわ。そのくらい、本当にきれいなの。わたくし、自分の表現力の無さに悔しくなるくらい。
でも、最初、わたくしがラヴィーニアに会った時思ったのは、他の護衛が言う通り、不細工で可哀そうなご面相の女性だ、だったわ。これじゃ嫁の貰い手もないだろうから、護衛として優秀にならざるを得なかったのね……という同情だ。
だけど、ヴィオ兄様はそのラヴィーニアを見ていきなり「きれいだ」とおっしゃられて。そうして皆に笑われた。わたしも、最初は笑っていたの。だけど、ヴィオ兄様はわたくしにラヴィーニアの『色』を見せてくださった。
太陽が沈んでいくときの夕暮れの色。雲の乱反射。
冬に、暖炉で燃えるオレンジ色の炎。
その時々の感情によって、たまには異なるけれど。お兄様がわたしに《魔道》でラヴィーニアの『色』を見せてくださる時はかならずそんなふうにきれいでたまらなくなる『色』を纏っていた。
それが、ラヴィーニア。
いつまでもぼんやりと見ていたい。そんな色。落ち着いて、身を任せられるような。安心して包まれるような。
ラヴィーニアのそんな『色』を見ていると不思議に落ち着くの。優しくて穏やかできれいで……強い。宝石のような濁りの無い透明感ではなくて、夜の帳がすぐそこに降りて、暗さも内包するのにそれを飲み込んで光を放つ。
そのラヴィーニアと同じ『色』を、ラウラという女が纏っていた。あんな『色』、ラヴィーニア以外の誰が持つというの。なのに、ならば、このラウラという少女は……。
「ラ……、ラヴィー……?」
ラウラは、ラヴィーニアなの……?だから、ヴィオ兄様はここに連れてきた。ラウラを……ラヴィーニアだった女を。
「シア姫様……あっ!し、失礼致しましたっ!」
無意識に、わたくしの名をそう呼び……、そして今のラウラではわたくしを『シア』と呼ぶのは不敬だと、慌てて頭を下げた。
今はもう、ヴィオ兄様以外、誰も呼ぶことがなくなったその呼び方で、ラウラはわたくしを呼んだ。
ああ、フラヴィオお兄様。
会えば分かるとはこういうことだったのですね……。
わたくしはふらふらとラウラに近づいていく。
わたくしより頭一つ分小柄なラウラ。
背は低い。顔は違う。
だけど、わかった。
震える手をラウラに伸ばす。触れた瞬間、感じたラウラの鼓動に涙が出た。
生きている。
わたくしも、ラウラも。
「ねえっ!生き延びたわっ!わたくしもヴィオ兄様もっ!」
初対面であるはずのラウラに、いきなりこんなふうに叫ぶなんて。でも、それ以外には言えなかった。
生きたの。わたくしもフラヴィオお兄様も。
カーティアお母様がお亡くなりになり、追手に追われ、森を彷徨い、魔物に襲われ。ラヴィーニアがわたくしとヴィオ兄様を守って死んだ後、ヴィオ兄様と一緒に、二人で。生き抜いた。
あと数日でもカルーゾ侯爵家にたどり着くのが遅かったら、そして、カルーゾ侯爵がわたくしとフラヴィオお兄様を保護してくださらなかったら。きっとわたくしたちは生きてはいない。死の瀬戸際で、ぎりぎり生き延びたような状態だったのだから。
「ラウラ、は、ラヴィーなのね……」
後はもう、声にならなかった。ラウラにしがみ付いて号泣するしか出来なかった。
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登場人物紹介
■カルーゾ侯爵
フラヴィオの後見。
息子のダリオをリリーシアの夫とした。
あだ名は「狸親父」
愛嬌のある顔をしているのに、腹の中で何か悪だくみをしているような感じ。
元・宰相ギド・デ・ドルフィーニを蹴落として、ヴィセンティーニ王国の宰相となった




