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うちの従者は忠誠心が高すぎる




「お嬢様、ライルです」


 いつもの柔らかなノックを受け、慌ててドアを開ける。甘い苺の香りが鼻腔を掠めた。


「今日はストロベリーミルクティーにしました」


 にこりと微笑むその顔は、天使そのものだ。日中の無表情とは違い、いつものライルのように見える。しかし私は、ドアの前から動かなかった。


「……お嬢様?」


 私が退かないと部屋に入れないので、ライルは廊下で首を傾げる。こんなことは今までなかったから当然だ。

 従者がせっかく暖かい飲み物を持って来てくれたのに、部屋に入れないなんて主人として最低だが、私はもっと最低なことをしていることに気づいてしまったのだ。

 そしてこれは、それに対するせめてもの罪滅ぼしのつもりだ。


「ライル。本当にひどい主人でごめんなさい。私を思い切り殴って、お部屋に帰ってくれる?

 そのミルクティーは、ライルが飲んで」


「……えっと。頭を打たれましたか?」


「打ってないよ。私は自分の傍若無人ぶりに腹を立ててるの。ライルには私を殴る資格があるから、遠慮しないで。

 そしてできれば、明日からはまた元の関係に戻れたら嬉しいけど、ライルが嫌なら専属の任を解くことも辞さないつもり」



 私は自分をライルに立場に当て嵌めて考えて、ようやく気づいたのだ。


 もしも私がメイドで、男の主人に「夜こっそり俺の部屋に泊まっていけ。同じベッドで寝たい。バレないから大丈夫」などと言われたら。

 完全に色狂いの主人がメイドの貞操を狙っているとしか考えられない。

 しかもたった十三歳の時にそんなことを言われたら、一生心の傷として記憶に残るくらいの恐ろしい経験になるだろう。


 そこまで考え至って初めて、自分がライルに何をしてしまったのかを思い知った私は、自分の主人としてあるまじき姿に絶望していた。

 


「えーと。何があったか分かりませんが、とりあえず話をしましょう?」


 ライルは眉を下げて困ったように笑い、中に入りましょうと私を部屋の内側へ促した。


 こんな恐怖体験をしたのだ、部屋に入れるべきではないと思っていたが、本人が促しているのならいい、のだろうか。

 確かに廊下で主人と従者が押し問答するのは、私にとってもだが、何よりライルにとって良くない。


 恐る恐る体を横にずらすと、ライルはするりと部屋に入ってきた。

 音も立てず、優雅にテーブルの上に紅茶のセットを置くと、私をソファに促す。


「お嬢様、熱いうちにどうぞ。

 ──そうだ、お嬢様がお茶を飲んでいる間に、寝衣に着替えてもよろしいですか?」


 どこに持っていたのか、ライルが寝間着を取り出して言った。

 ライルが忠実に私の言ったことを実行しようとしていて、もはや驚きしかない。いくらなんでも忠誠心が高すぎやしないだろうか。


「あの、その件なんだけど、私なりにライルの気持ちになって考えて、とても酷いことをしたと思って反省したの。だから、無理には……」

「僕の気持ちですか? それでなぜ、僕がお嬢様に手を上げるとか、専属を解くなんていう話になるんです?」


 ライルがきょとんとするので、私が自分をメイドの立場に置き換えたときの話をすると、ライルはお腹を抱えて笑い出した。


「あはははは!! あー、なるほど。それは考え至りませんでした。でもお嬢様、それは根本から考え方が間違っていますよ」


 余程おかしかったのだろう、ライルがこんなに思い切り笑う姿は初めて見た。

 いつもの天使のような微笑みとは違い、少年のような屈託のない笑顔もとても尊い。

 しかし、私なりに必死に考え、反省し、心を痛めたつもりが、本人にここまで笑われると無然としてしまう。


「間違ってるって、どういうこと?」

「まず、僕は男です。護身術も習得していますし、異性に──特に、お嬢様のようなか弱い女性にどうこうされるなんてことは、初めから心配してませんよ」

「そ、そんなの分からないでしょ。私はライルより二つも上なんだし──」


 言いかけて、ライルの目が細まり、からかうような笑みになったのを見て、思わず言葉を止めた。


「では、試してみますか?」


 見たことのないライルの表情に、思わずごくりと喉を鳴らした。

 試すとはなんだろう。まさか私にライルをどうこうしてみせろと言うのだろうか。

 完全に青少年保護法とか健全育成法とかそういうのに抵触している。


「僕はここから動きませんから、例えば──そうですね、キスをしてみてください。もちろんフリでいいですよ」


 にこりと微笑むライルは天使そのもので、だからこそ、その口から出た言葉が信じられなかった。

 私がライルにキス? フリだとしても、キス?

 いや、私はいいけど、嬉しい以外の感情がないけど、ライルはいいの?


「お嬢様。いつでもいいですよ?」


 両手を軽く上げて、僕は何もしませんアピールをするライルに、ちょっとした心配と悪戯心がわいた。


 確かにライルと私は今やほとんど体格差はないけど、むしろ身長は追い抜かされているけど、私だって高位貴族の令嬢として、それなりに護身術は習っている。

 条件も私に有利すぎるし、ライルがどうしてそんなに自信があるのか分からない。悲しいことだけど、世の中怖い女性もいるのだ。

 特にライルは天使のように可愛いのだから、警戒してしすぎるということはない。


「……本当にいくよ?」


 私は一歩一歩踏みしめるように、ゆっくりとライルに近づいた。

 ライルは笑みを深め、両腕を軽く上げたまま、身動きひとつしない。


 あの腕でガードするのだろうか。それなら腕を掴んでしまえばライルはガード出来ないはず。


 手を伸ばせば届くほどすぐ側まで近づいたところで、ライルの腕をそっと掴んだ。

 ライルの指先がピクリと動くが、力を入れる様子はない。


 そして私はぐいと顔を近づけて──ライルの蜂蜜色の瞳が至近距離まで近づき、お互いの唇が一センチも満たない距離になったところで──我に返ったように慌てて顔を離した。


 もう少しで、本当にキスしてしまうところだった。顔が茹で上がるように真っ赤になっているのが自分で分かる。

 

 ──え? これ、成功したのでは?

 

 思わずライルを見ると、ライルは片手で口元を隠していたが、耳は真っ赤だった。


「……すみません。こんなにストレートに顔を近づけてくると、思わなくて……抵抗できませんでした」

「だ、だから言ったでしょ! 女の人だって怖いんだよ?」

「いえ。他の女性なら半径一メートル以内に近寄らせません。

 ……あー。そもそも僕がお嬢様のすることに抵抗できるはずがありませんでした。ちょっと調子に乗っていたようです。申し訳ありません」


 ライルは顔を背けてしまったが、やはり耳は真っ赤だ。

 私のすることに抵抗できないっていうのは問題だけど、もしかして私を異性として意識してもらうという当初の目的はこれで果たせたのでは。

 反面、自分の部屋に従者を呼んで、ライルからの提案だとしても、実際にいかがわしいことをしようとした今の状況に申し訳なさを感じる。


「わ、私もごめんなさい。あの……嫌じゃなかった?」

「そんな訳ありません。先程も言いましたが、僕はお嬢様に何をされても嫌ではないんです」


 いやだから忠誠心高すぎじゃないだろうか。

 私がもし本来のロゼリアだったらと思うとぞっとしてしまう。


「……では、僕は着替えて来ますね。お嬢様はゆっくりお茶をどうぞ」

「えっ、本当にここで寝るの?」


 思わず耳を疑う。

 さっきの検証で女性は危ないということになったはずでは。

 ライルは私以外なら半径一メートル以内に入れないと言っていたけど、そもそも今は私が相手なわけで。

 いや、もちろん私はライルに不埒なことはするつもりはないが。

 あれ、なら問題はない……のだろうか。


 ぐるぐる考え込んでいると、ライルはそんな私を見てふわりと微笑み、衣装部屋となっている隣室に足を向けた。


「そういう約束ですから。 ……それに、内密でお嬢様に相談したいことがあるので」


 時間をいただけますか、と問われ、ようやく納得した私は、そういうことならと頷いた。



 

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