その選択肢に拒否権はない ※ライル視点
侯爵様の執務室は、普段顔を合わせることがほとんどない、そうそうたるメンバーが一堂に会していた。
侯爵様・侯爵夫人を筆頭に、家令であり執事長のマリウス様はもちろん、侯爵様の執事である父を含む上級使用人のみが集められている。
侯爵家の運営や領政についての会議が数ヶ月に一度開かれているのは知っていたが、僕が参加するのは初めてだった。
専属従者とはいえ、従者は上級使用人ではない。まして十三歳の子供がこの場にいることを許されるはずがなかった。
しかし本日は侯爵様より直々にお呼び出しを受け、お嬢様の専属従者として席に着いている。
呼ばれた理由には心当たりがあった。おそらく今日の議題はお嬢様に関すること──つまり後継者についてなのだろう。
「周知のことであるが、ロゼリアはリガシュタイン学園卒業後、王太子妃として王宮へ召される。我がリディウス侯爵家の後継者は現時点でアルベルト・ベントゥスが最有力候補である」
重々しく口を開く侯爵様は、思った通りの議題を口にした。
リガシュタイン学園とは王立貴族学園の正式名称だ。
学園で貴族各家とのパイプを作り派閥を理解させ、王太子の婚約者として周囲に知らしめた上で、卒業後に正式に王太子妃として発表する。王家らしく忌々しい算段だ。
それにしても後継がアルベルトとは。いよいよお嬢様が去った後の侯爵家に未練がなくなってきた。
アルベルト・ベントゥスは前侯爵様の弟が分家してできたベントゥス伯爵家の次男だ。年齢は僕と同じ十三。
何度かリディウス家の茶会に招待されているが、明らかにお嬢様に思慕の念を抱き、相手をして欲しくて低俗な言葉を投げつけていたクソガキだ。お嬢様の側近として仕える僕にも敵意を向けていた。
あんなのが当主になったらリディウス家は終わる。思慮深い侯爵様のことだから、いくら血筋であろうとあのバカを後継にすることはないと思っていたのに。
お嬢様が出て行った後、本気で王宮入りなりなんなり、侯爵家を出て生きていく算段をつけるべきかもしれない。
「だが、アルベルトは侯爵家はもちろん、ベントゥス伯爵家の後継としての教育も一切受けていない。
まだ若く伸び代はあるが、勉学にも領政にも興味を示していないらしく、当主としては心許ない」
当たり前だ。あれを後継にするくらいなら、血縁関係のない優秀な他家の子息を選んだ方が百倍マシだろう。
「ライルはアルベルトと同年代だったな? 忌憚なく意見を聞かせてくれないか。君はどう考える?」
「……率直に申し上げますと、時期当主としてはお嬢様の比較対象にも値しないかと。
侯爵家の王都での地位、立場を理解しているとは思えず、領政に至っては、責任を果たすどころかマリウス様に一任して放棄してしまわれる恐れがあります」
不意に意見を聞かれ、忌憚なくという言葉通りバッサリと切り捨てる。
お嬢様についてではなくアルベルトについて聞かれるのは予想外だが、リディウス侯爵家の未来を考えると遠慮している場面ではないし、したくもない。
「そうか。マリウスはどう思う?」
「僭越ながら……ライルと同意見です」
「ふむ」
侯爵様は腕を組んで考える様子を見せると、もう一度僕の方を見て言った。
「ライルは幼いながら我が侯爵家の従者として非常に優秀だ。いずれはマリウスの跡を継ぎ家令になる人物だと思っている。
当主となったアルベルトを補佐し、我がリディウス侯爵家を支えてくれないか?」
どんな地獄だそれは。
絶対に嫌です、と本音が口をついて出そうになるのを抑え、静かに笑みを浮かべた。
「そのように評していただき恐縮です。しかし、僕にマリウス様のような才覚はなく、侯爵家を支えるという重責に足りうる者ではないと存じます」
結局遠回しに嫌だと言っているようなものだ。
父であるエディルがハラハラしながらこちらを見ているのに気づいたが、無視する。
「なるほど。ライルの意見は分かった。
しかし、仕えるのがアルベルトではなくロゼリアだとしたら、お前の意見は違っていたのではないか?
ロゼリアが次期当主なら、いずれは執事、ひいては家令となり侯爵家を支える為粉骨砕身働いてくれたはずだ」
侯爵様の想定外の返しに、笑みが消える。
もちろんお嬢様を支える為ならどんな努力も厭わない。
しかしお嬢様が当主になることはないのだ。それを決めたのは他でもない侯爵様なのに、今更何の話をしているのだろうか。
「あまり知られていないが、リガシュタイン学園には一般公募枠がある。
高位貴族の推薦状があり、未だ数える程しか突破した者のいない難関な入学試験に合格することが条件だが、それさえ満たせば出自を問わず入学することができるのだ」
突然の話題転換に眉を顰める。
お嬢様が通うので学園についてはある程度調べたが、その制度の存在は把握していなかった。だがそれが何だと言うのだろうか。まさか僕に学園に通えと? 何のために?
「そして、一般公募枠で入学した者は、納めた成績に応じて卒業後爵位を授与される。
元々は出自に関わらず優秀な者を王宮内の要職に着け、安寧な治世を行うための制度だったが……。
私はライルを学園へ入学させ、卒業後の爵位授与をもってロゼリアと婚姻を結び侯爵家を継いでもらうつもりだった」
一瞬、呼吸が止まった。
爵位授与? お嬢様と婚姻?
侯爵様の話は確かに耳に届いているのに、脳が麻痺しているかのように理解が追いつかない。
いや、この後の侯爵様の言葉を予測して、理解を拒んでいるのだろうか。
「ロゼリアには十三を過ぎたあたりから数え切れないほどの縁談が来るようになったが、先の考えがあり全て差し止めていた。
しかしそれが良くなかった。王家との縁談が来てしまったのだ。
侯爵家当主として以前に、国の宰相として、王家の忠臣として、王太子との婚約を断ることはできなかった」
「…………」
言葉が出ない。
王太子との婚約がなければ僕はお嬢様と結婚して、侯爵家の後継になっていた?
そのためにお嬢様の後継教育に僕が同席することを許した?
お嬢様付きの従者になるのを許したのも、早すぎる専属従者への昇格も僕を後継にするため?
いや、お嬢様の婚約が決まったのはその前だったはずだ。侯爵様の計画が頓挫したのに、なぜ僕を専属従者に昇格させた?
「ロゼリアは王家へ行くことになったが、私は当初の予定通り、ライルをリガシュタインへ入学させ、侯爵家を継いでもらおうと思っている。
もちろん本人の意思を尊重するつもりだが、ライルが拒否するなら次期侯爵候補の筆頭はアルベルトになる。良く考えてくれ。
──では、次に領政についての議題に移る」
ライルはもう下がってよいと伝えられ、茫然としたまま執務室を出た。
僕が当主にならなかったらアルベルトって。もはや脅しだ。
侯爵様の私室ではなく、上級使用人が全員揃っている会議の場でこの話をしたのも、ただの一使用人である僕が当主となることを皆に認めさせるための布石なのだろう。
僕はお嬢様と一緒にいたいだけで、当主になりたい訳ではない。むしろお嬢様のいない侯爵家で当主になっても意味がない。
どこか家柄の釣り合う令嬢と結婚し、後継を産ませる義務も出てくる。
そんな人生を送るくらいならまだ王宮へ行った方がマシだ。
しかしそうなるとアルベルトがリディウス侯爵家の当主になってしまう。
王宮に召されたとして、生家であるリディウス侯爵家の悪評が出て来れば、妃としてのお嬢様の立場も悪くなる。
──侯爵様もそこまで考えてこのような行動に出たのだろうか。
僕が断ることの出来ないように。
お嬢様の元へ戻ることもできず、自室に戻った僕は、混乱した頭でしばし考え込んだ。
答えが出ないまま、気付けば夜になっていた。