歪みは狂気に成り変わる ※ライル視点
翌日、お嬢様は誰かから僕の専属従者への昇格の件を聞いたらしく、庭で摘んだ花で花束を作って持ってきてくれた。
僕をイメージして作ったというそれは、黄色や橙でまとめられていて、勿体無いほど綺麗だった。
「ライル、昇格おめでとう! 昨日は私、自分のことばかり言って。本当にごめんなさい……。
お詫びも兼ねて、ライルのお祝いを買いに行きたいんだ。街に出るから、一緒に来てくれる?」
「そんな。お嬢様の方が」
お嬢様の方が辛いのに。そう言いかけて口をつぐんだ。
昨日、お嬢様は、辛いとか嫌だとか、心情を吐露するようなことは一切なかった。ただ静かに涙がこぼれるのを我慢していた。
それなのに、僕が勝手に心情を推し量って口に出すのは許されない。
「……申し訳ありません。もちろん一緒に行きます」
にこりと笑うと、お嬢様も笑ってくれた。
その後一緒に街に行って、お嬢様の瞳のような淡い紅色の宝石が付いたタイピンを贈ってくれた。
お嬢様は琥珀やトパーズが付いたものを推していたけど、僕はこれがいいと譲らなかった。
「ありがとうございます。毎日付けます。一生、大事にします」
お嬢様がいつも褒めてくれる笑顔で、ゆっくりと言った。
一生あなただけにお仕えしますと。
その意味は伝わらなかったかも知れないけど、お嬢様は大輪の薔薇のような笑顔で嬉しそうに頷いてくれたから、それでいいと思った。
──それから半年が経ち、お嬢様は十五歳になり、今に至る。
あの日贈ってもらったタイピンを外して眺めると、不意に昨日お嬢様が言っていたことを思い出した。
『大丈夫、私はこの婚約はなくなると思ってるの。王太子様にはきっともっと相応しい方が他にいるから』
どう考えてもありえない話だった。王族が婚約を解消したなんて聞いたこともない。
王都の貴族の動向や内情についても個人的に情報収集しているが、現状お嬢様より王太子妃に適任である高位貴族も見当たらなかった。
あの日からずっと考えている。お嬢様がこの邸を出て行った後どうするのかを。自分の行き場のないこの気持ちをどうしたらいいのかを。
あと三ヶ月もしないうちに、お嬢様は貴族学園へ入学する。
社交デビューする前の、貴族各家との繋がりを作るための場所であり、三年間だ。
それが分かっていても、どうしようもなく嫌だった。
お嬢様と過ごす時間が短くなるばかりではなく、あの学園には王太子も通うから、毎日顔を合わせることになる。
そして名ばかりの婚約者だったお嬢様と恋人になり、関係が深くなることを考えると、嫉妬で気が狂いそうだった。
半年前までは、いつか婿養子を取り侯爵家を継いだお嬢様を、その傍で一生お仕えしようと思っていたのに。
おそらく無意識に深く考えることを避けていたのだろう。
王太子相手でもこんなに嫉妬し憎悪してしまうのに、それ以外の人物がお嬢様を妻とすることに耐えられるはずがなかった。まして、従者として側で仕えられるはずがない。
「お嬢様。僕が一生天使で居続けるなら、あなたに何をしても許してくれますか?」
ぽつりと呟いたその問いは、誰の耳にも届かない。
お嬢様に仕えることができないのも、お嬢様が誰かと一緒になることを祝福しなければならないのも。正直、死ぬより辛かった。
侯爵家の侍従として、お嬢様のいない邸で同じ毎日を繰り返すなんで、生きながら死んでいるようなものだ。
お嬢様の後を追って、王宮で働くことも考えた。
リディウス侯爵家で従者として働いていた経歴があり、ガーナ家の嫡男と身元もしっかりしているため、王宮でも雇ってくれる可能性は高い。
それでも、王太子と過ごすお嬢様を近くで見て、平静でいられる訳がなかった。
王宮で過ごせば、そのうち僕は嫉妬に駆られて王太子を殺してしまうだろう。そんなことをしても、お嬢様と僕が結ばれるわけでもないのに。
──何度も考えていることがある。
もしお嬢様が、たとえ身体だけでも、一度だけ僕のものになってくれるなら。そしてその記憶が永遠にお嬢様に残るのなら、僕は狂わずに済むかもしれない。
その記憶だけを拠り所にして、お嬢様のいない侯爵家で、侍従として仕え続けることができるのかもしれない。
それは全ての人を裏切ることだと分かっている。それでも、それ以外に道はないとすら思えた。
お嬢様は僕が自分に劣情を抱いていると知ったらどう思うだろうか。
驚いて恐怖するだろうか。失望し軽蔑するだろうか。
純粋で天使のようなライルは虚像でしかなく、中身はこんなに卑しく穢れている。
それを知って欲しい一方で、一生知られたくないとも思っている。
──ふと顔を上げると、思いの外時間が経っていた。
お嬢様に就寝前の飲み物を持って行くため、身嗜みを整えて部屋を出る。
今日は暖かいラベンダーミルクティーをお淹れして、お嬢様の部屋をノックすると、珍しく返事がない。
そっと中に入ると、お嬢様はソファに寄りかかって眠っていた。
テーブルの上には貴族学園の入学書類と新入生及び在校生の一覧表があった。僕が来るまで、と書類に目を通しているうちに眠ってしまったのだろう。
そっとお嬢様を抱き上げると、ベッドへお運びする。お嬢様は小柄で細いせいか、とても軽い。一年半の年齢差は、体格的にも体力的にも全く意味を成さなくなっていた。
少し力を込めて押さえつければ、お嬢様がどんなに抵抗しても僕から逃げることはできないだろう。
ベッドですやすやと寝息をたてるお嬢様を見つめ、柔らかく薔薇のような唇を指でなぞった。
王太子との婚約が決まってからのこの半年間、僕は狂いそうな頭でお嬢様と体を繋げるための様々な計画を立てた。
侯爵家から、何よりお嬢様から絶対の信頼を得ている僕にとって、実行するのは簡単だった。
今この瞬間だってそうだ。
その気になれば、お嬢様は何も分からないまま、僕に身体を貪られ、抵抗も出来ずに処女を散らすだろう。
「……おやすみなさい、お嬢様」
静かにお嬢様から目を逸らし、ティーセットを持って部屋を出た。
どうしても実行に移せないのは、自分のその後の処遇が怖いからではない。
お嬢様に嫌われる決心がつかないからだ。
今日も今後についての結論は出ない。自己嫌悪に陥りながら、長い廊下を一人歩いた。