王太子との接見 ※ライル視点
結論から言うと、王太子との接見は十分にも満たない時間で終わった。
帰りの馬車の中で泣きじゃくるお嬢様の頭を撫で、背中を優しくぽんぽんと叩きながら、それでも却って良かったかもしれないと、先程の顛末を思い返す。
王城に着き馬車を降りると、迎えに出ていた護衛騎士に広く豪華な客室へ案内された。
中で待っていた王太子はお嬢様を見るなり顔を真っ赤にし、視線を逸らしたかと思えば、所在なさげに視線を彷徨わせながら口を開いたり閉じたりしている。
まあそうだろうな。
当然の反応だと、冷めた目で王太子の一目惚れを観察する。
自分以外の男がお嬢様に思慕の念を抱くことに我慢できるか不安だったが、王太子の反応があまりに僕の想像通りだったからか、意外と冷静に見ていることができた。
王太子は輝くようなプラチナブロンドに透き通るような碧眼の、端正な顔をした男だった。まさに庶民が想像するところの王子様そのものだ。
もしもお嬢様がこの男を好きだったら、僕は自分の気持ちに蓋をして、王宮へ召されるのを黙って見送っていたのかもしれないとすら思えた。
もっとも、お嬢様は前世の知識で知っているためか、単に好みではないのか、王太子を前にしても平然としている。
そんなお嬢様を見ていると、なぜ自分などがお嬢様に選ばれたのか、本当にこれでいいのかと逆に不安になった。
お嬢様の言う小説とは違い、明らかに王太子はお嬢様を気に入っている。きっと大切にしてくれるだろう。婚約破棄も起こらず、お嬢様の幸せは約束されている。
そこまで考えたところで、お嬢様が心配そうにこちらを見ているのに気付いた。どうやら迷いが顔に出ていたらしい。
大丈夫です、というように微笑むと、お嬢様もにこりと笑って微かに頷いた。
「……自己紹介が遅くなった。私がレンドリアス・フォン・マグノリアだ」
「殿下、ちゃんと顔を上げてロゼリア嬢を見て言わないと。すみせん、殿下は貴方のあまりの美しさに緊張してしまっているようで」
「ウィル、余計なことを言うな」
王太子のぶっきらぼうな自己紹介の後に、王太子の側近で乳母兄弟だという、文官見習いの男がにこやかに会話を繋げた。ウィルシュ・ザッカスと名乗り、多少そばかすはあるがこちらも整った顔をしている。
この男も一週間後から学園へ入学するらしい。年齢はお嬢様や王太子の一つ上で、王太子の補佐のため去年から王宮で暮らしているのだという。
王太子の側近で文官ということは宰相狙いだろう。僕が宰相職を継ぐ上でどれだけの障害となり得るか、その言動から静かに実力を推し量る。
「それにしても、リディウス侯爵家の後継にあなたのような方が選ばれるとは。まあ、ロゼリア嬢が王太子妃になれば、リディウス家に楯突く者などいなくなりますから」
ザッカスは笑顔を貼り付けながら、しかし全く笑っていない目を僕に向けた。
なるほど、意外に分かりやすい攻撃をしてくる男だ。僕は薄く笑みを浮かべた。
直訳すれば、平民で、元使用人の、何の後ろ盾もない人間を後継に選ぶなど、娘が王太子と結婚するからできることだと非難しているわけだ。
そう言えば、侯爵家の後継にと、ザッカス伯爵家から養子の提案の手紙が来ていたのを思い出した。それがこいつか。僕のような平民に立場を奪われたと逆恨みでもしているのかもしれない。
どうからかってやろうかと考えていると、すぐ隣から凛とした声が響いた。
「どういう意味ですか?」
はっとして横を見ると、お嬢様はまっすぐにザッカスを見据えていた。その瞳には、珍しく怒りの色が見える。
「ライルは非常に優秀です。我が侯爵家の後継になるべくしてなった人物です。ライルが日々どれだけ努力しているか知りもしないで、出自だけで彼と我が侯爵家を貶めるなど。わざわざ挨拶に来ましたのに、非常に不愉快です。私達はこれで失礼させていただきます」
お嬢様はすぐさま立ち上がると、出入り口の扉に向かって歩き出した。
予想外の行動に一瞬呆然としたものの、すぐに僕も続けて立ち上がり、一礼する。
「せっかくの機会を設けていただいたのに申し訳ありません。確かに僕には何の権力も後ろ盾もありませんが、侯爵家のために、ひいては王家のために力を尽くしたいと思います。では、失礼いたします」
顔を上げにこりと微笑むと、王太子が非難がましい目でザッカスを睨んでいるのが視界に入った。ザッカスは顔面蒼白で俯いている。
確かに呼び出しておきながらこの言い方は失礼だろうが、おそらく平民で十三歳の僕に皮肉など伝わらないと思っていたのだろうし、お嬢様があそこまで怒るのも予想していなかっただろう。
自業自得で浅慮なあの男を少し哀れに思いつつも、足早にお嬢様の後に続いた。
お嬢様と共に部屋を出ると、お嬢様は眉根を寄せたまま元来た廊下を戻っていく。おろおろした護衛騎士が後を着いてくるのを無視しながら、お嬢様は我慢できないというように口を開いた。
「何あれ! 本当に失礼! あんな、階級に支配された前時代的な人が側近なんて、今後この国──」
「お嬢様、お気持ちは嬉しいですが、声を抑えましょう」
それ以上は不敬罪に当たると、慌てて人差し指を口にあてて「ね?」と微笑む。お嬢様は口を尖らせるが、やはり大人しく口を閉じてくれた。
お嬢様が僕のために怒ってくれるのは嬉しいが、ここは王宮だ。誰が聞いているか分からない……というか実際護衛騎士がすぐそばにいる。
まあこの護衛騎士も、馬車から降りるお嬢様を一目見て顔を赤くしていたから多少は何を言っても聞こえないふりをしてくれそうだが。
侯爵家の馬車を止めたところまで歩くと、護衛騎士は一礼し、お嬢様と僕も目礼した。
「ライル、ごめんね。嫌な思いさせて。傷ついたよね……」
馬車に乗った瞬間、お嬢様の目から涙が溢れた。
さすがにそれは予想外で、焦りながらもハンカチを出して眦に当てる。
おそらく、自分が連れてこなければこんなことは言われなかったと後悔しているのだろう。明らかに悪いのはあの側近なのに、本当にお嬢様は優しい。
「お嬢様が気にすることはありません。後継の話を受け入れたときから、このように言われるだろうことは分かっていました。今後学園に入ればこんなことは何度もあるでしょうし、その度に泣いていてはお嬢様の体が持ちませんよ?」
少しおどけたように言ってみるが、お嬢様は顔を上げない。
大丈夫、と言うように、お嬢様の頭を優しく撫で、背中をぽんぽんと叩く。
「それに前にも言いましたが、僕はお嬢様以外の人間になら、どう思われても何を言われても本当にどうでもいいんです。もうそれこそ虫同然というか。あ、さすがに侯爵家の人々は違いますが……あー、でも、やっぱりお嬢様以外はどうでもいいかもしれません」
心底思っていることを正直に話すと、お嬢様はようやく顔を上げた。涙で目が潤んで、少し赤くなっている。
僕のために泣いてくれたことが嬉しくて可愛くて、愛おしい。
なぜお嬢様が僕を選んでくれたのかは分からないが、お嬢様が僕を本当に大切に思ってくれていることは痛いほど分かった。
それならもう躊躇わない。
お嬢様の頬に手を当て、軽く触れるだけのキスを落とす。
お嬢様と結婚する道が完全に閉ざされない限りは、一線を越えることはしないと決めた。大切にしたいし、できれば結婚してからお嬢様の理想の初夜を迎えたい。
それだと最短でも卒業まであと三年はかかるから、正直理性がどこまで保てるか怪しいところはある。まあ不用意に近づき過ぎなければ大丈夫だろう。
「私がライルを守るからね。学園でも、どこでも」
僕に強い眼差しを向けるお嬢様に曖昧に微笑みながら、それより僕からお嬢様自身を守ってほしいと思ったが、口には出さなかった。




