うちの従者は過大評価がすぎる
「非常に面倒なことになりました」
ライルの合格通知から二週間が経ち、リガシュタイン学園への入学式典まであと一週間を切った八月下旬。
邸の外はうだるような暑さだが、ライルの視線は氷点下の温度で机の上の手紙に突き刺さっている。
手紙は王宮からのもので、学園が始まる前に婚約者として一度王太子と顔合わせを、という内容だった。
むしろ今まで一度も会ったことがないという方がおかしいのは、私も重々承知している。なにせ王太子と侯爵令嬢だ。
しかし私の男嫌いと社交嫌いのせいで、王宮のお茶会は全て母のみが参加していたし、甘い両親はそれを許してくれていた。
さらに何とか王太子との婚約を解消したかった私は、「心の整理がつかないから」とこの半年間の王宮からの呼び出しを全て拒否していたのだ。
おそらく王太子からの心象は最悪だろうけど、むしろそれは私にとっては都合が良い。こんな女と結婚なんてまっぴらだ、となることを期待してすらいる。
リディウス家に迷惑が掛からないよう王妃教育は頑張っているし、お父様が娘は恥ずかしがりやなのだとフォローしてくれているから今まで何とか騙し騙しやってこられたのだろう。
しかし、どうあってもあと一週間後には学園で顔を合わせることになる。心の整理云々という言い訳はもう通じない。
学園で王太子と婚約者が初めましてというのは体裁が悪い、という王宮側の気持ちも分かる。
「もうこれ以上断ることもできないし、仕方ないから行ってくるよ」
大丈夫、と笑いかけるが、やはりと言うべきか、ライルの表情が和らぐことはない。むしろ射殺さんばかりの表情で手紙を見ている。
「このまま入学して、先に王太子とリーナ嬢を合わせたとしても可能性は低かったのに。お嬢様が先に会ってしまうとなると、王太子がお嬢様と婚約解消する可能性は確実にゼロです」
「そんなことは……」
「ゼロです。お嬢様を好きにならない男などいません」
絶対にそんなことはないのに、ライルはこの話になると頑として意見を曲げない。
そんな風に思ってくれるということは、ライルにとって魅力的に見えているということだと思い嬉しい反面、学園に入学した後が怖すぎる。
え、お嬢様全然大したことない……とかなる未来が見える。怖い。幻滅されたくない。
「あぁ、そうだ。お嬢様、僕と一緒に領地へ行きませんか? 手紙と入れ違いで出発したことにすればいい。
王都から領地へは馬車で二日はかかりますから、戻って来る頃には入園準備で忙しく王宮に行っている暇はないと返事が出せます」
ライルはどこか空虚な瞳でふわりと微笑んだ。
入学一週間前に突然領地へ行ったなんてどう考えてもおかしい。ライルのことだから絶対そんなことくらい分かっているはずなのに、もう何をかなぐり捨ててでも私を王宮へ行かせたくない気持ちがひしひしと伝わってくる。
「ライルがそう言うなら、いいよ。一緒に行こう?」
しかし私の優先順位はとにかくライルが一番なのだ。ライルがそれで安心してくれるなら、多少王宮から嫌な顔をされるくらい何でもない。むしろライルと一緒に領地へ行くなんてとても楽しそうだし、最高でしかない。
お父様が嫌味を言われたりしないかだけが心配だけど、迷惑を掛けてしまうことは事前によくよく謝っておこう。
そう思いつつ頷くと、ライルは私の顔をじっと見つめて、観念したように息を吐いた。
「……すみません、我儘を言いました。分かっているんです、行くしかないことは。それでもお嬢様の婚約者なんて肩書きの男が、お嬢様を視界に入れると考えただけで殺意……いえ、何というか、苛立って」
こんなことで、僕は学園に入学したらどうなってしまうのでしょうね、とライルは自嘲するような笑みを漏らす。
やはり不安なのだろう。私は王太子の好みではないから大丈夫だと、何回も言っているのだが。
ライルは顔を上げると、私をまっすぐ見つめた。
「リディウス侯爵家の後継候補筆頭として、僕も一緒に行きます。いずれ宰相職を目指すのなら、どちらにしろ挨拶はしなければなりません。
……それに、相手の出方次第では牽制をかけておきたいですし」
ライルの表情が翳り、遠くを見るような眼になる。こういうときは何も言わない方がいいことを、私はこの短い期間で学んでいた。何を聞いても「お嬢様は知らなくていいことです」という返事しか返って来ないこともだ。
「懐柔が楽なタイプだといいんですが」
ふう、と息をつくライルは、年下とは思えないほど大人びている。私と同じく前世の記憶があるんじゃないだろうか。
それを言うと、今まで苦労しましたからと笑って言われるので、休暇を取るよう勧めるけれど、そう言うことではないと首を振られる。
しばらくしてライルの指示で王宮への返書が作成され、三日後私達は王宮へ向かうことになった。
◇
「ライル、気分悪い? 今日は中止にしようか?」
三日後、王宮へと向かう侯爵家の馬車の中で、ライルは今までにないくらい機嫌を悪くしていた。
「もう確実です。確実に婚約は破棄されません。まだ準備が整っていないのに。マキアには裏切られました。一応僕の協力者だと思っていたのに、それとこれとは別だとか言って、お嬢様にこんなに露出度の高いドレスを着せて」
ライルは窓から見える王宮を絶対零度の視線で見据えながら、ぶつぶつとつぶやいている。
どうやら私のドレスが気に入らなかったらしい。
今日は王宮への謁見ということで、フォーマルだけれどシンプルな白と黒のオフショルダードレスだ。もちろん露出が多いというわけでもなく、一般常識の範囲内だ。
華美でない程度に私の瞳と同じ淡い薔薇色の宝石が散りばめられていて、ネックレスやイヤリングといった装飾品も同じ色で統一されている。髪はサイドを丁寧に編み込まれ、ハーフアップのような形に整えられている。さすがマキアのセンスは高い。
これならライルと並んでも見劣りしないだろうと思ったのに、ダメだったのだろうか。思わずしゅんとしてしまう。
「私はこのドレス好きなんだけど……。似合ってないかな……」
「もちろん似合ってますし信じられないくらい可愛いです。王太子を誘惑する気ですか? 本当に婚約解消したいんですよね?」
思いがけない甘い言葉に目を見開くものの、私をちらりと見るライルの視線は冷たい。
王太子なんてこれまでたくさんの令嬢を見てきているのだから、私が視界に入ったところで気にするわけないのに。
また王宮に視線を戻したライルから、最悪のケースとか監禁とか不穏なワードが聞こえてくる。
「ライル、王太子様を閉じ込めたりしちゃダメだよ……?」
「え? ああ、その方向は考えていませんでしたが場合によってはありですね。男を監禁する趣味はないので、その場合は遺棄ですが」
こともなげに言い放つライルは驚くほどに無表情だ。
王宮へ行くことが決まってから、いや、正確には王宮からの手紙が届いてからずっとこの調子が続いていて、私は心配していた。
天使の形は潜め、とにかく笑わないし、苛烈な言葉が出てくるのだ。相当ストレスが溜まっているのだろうと思う。
私はライルが一緒にいてくれることで癒されるけれど、ライルはどうやって癒されればいいのだろうか。
「ライル、ちょっと手を貸して?」
私が手のひらを上に向けて差し出すと、ライルは一瞬不思議そうな顔をして、綺麗な手をその上に置いた。
私は両手でライルの手を包むと、親指で優しく手のひらのツボを押していく。
ライルは仕事で指先を使うことも多いし、後継教育でペンを握ることも多いから、ハンドマッサージで疲れを癒してもらおうと考えたのだ。これなら馬車の中でもできる。
「ライル、いつもお疲れさま」
普段仕えてくれている感謝の気持ちも込めて、精一杯笑いかけると、ライルは少し赤くなり戸惑ったような視線を向けた。
「……こんな風に異性の手に触れるのは感心しません。誘っていると思われますよ」
不意に手を引かれ、ライルの胸の中にぽすりとおさまる。ふわりと清廉な花の香りがした。
そのままぎゅっと抱きしめられて、おずおずと私もライルの背中に腕を伸ばし、抱きしめ返す。
あれ、また私が癒される側になってない?
せめて少しでもライルに癒しをと、安心させるように背中をぽんぽんと叩くと、ライルの抱きしめる力が少し強くなった。
「……もう、何があっても絶対に離してあげませんから」
私の肩に顔を埋め、ライルは小さな声ではっきりと呟いた。




