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幸せの中でも狂気は育つ




 入学が一ヶ月後に迫った八月上旬。


 リガシュタイン学園から、正式にライルの合格通知と入学許可証が届いた。

 その夜のリディウス侯爵家の晩餐は全ての使用人が呼ばれ、立食形式で豪華な料理が振る舞われた。


 ライルが後継となることは、入学が決まってから邸内に発表する予定だったが、ライルと最後に自室で言葉を交わした日の翌日には、ほぼ全ての使用人に知れ渡っていた。


 いつも私と一緒にいたライルが全く側仕えせず、自室に引きこもって勉強しているのだから、侍女達を中心に様々な憶測や噂が飛び交い、仕方なくライルのお父様であるエディルが事の次第を話したのだ。


 使用人が次期侯爵になるというシンデレラストーリーに、邸内は沸き立った。

 ライルの仕事を我先にと肩代わりし、使用人一丸となってライルが入学試験に専念できるよう協力したらしい。


 本当にこの邸の使用人は人格者しかいない。この家に生まれてよかった。


「ライル、おめでとう! いや、次期当主様か? なんて呼べばいいんだろうな? とにかくおめでとう! お前は俺たちの誇りだ!!」

「ライルでいいですよ。この二ヶ月、皆さんに支援してもらったおかげです。ありがとうございます」

「堅いんだよー!! こいつめー!!」


 先輩従者であるエルンとマッカスに肩を組まれ、頭をわしゃわしゃと撫でられているライルは、困ったように笑いながらも嬉しそうだ。


 入学試験が終わっても、まだ入学後の試験対策があるからと自室での勉強を続けていたライルだったが、今日こそはと彼らに引っ張り出されたらしい。


 久しぶりに見たライルの笑顔に、私もときめきすぎて心臓が悲鳴をあげる。


「お嬢様」


 そんな私に気づいたのか、ライルが身嗜みを整えながらこちらに歩いてきた。


 髪紐をはらりと解いてもう一度結い直す様は、神々しすぎて目に毒だ。

 久しくライル成分を摂取していなかった今の私には刺激が強すぎる。


「ライル、合格、本当におめでとう」


 何とか顔を上げ、精一杯気持ちを込めてお祝いを伝える。胸がつまって、声が震えた。


「ありがとうございます。自信はあったのですが、やはり正式な通知が来るとほっとしますね」


 二ヶ月ぶりに間近で話すライルは、以前よりも少し身長が伸びたのか、大人っぽくなった気がする。

 私ばかり置いていかれている気がして、焦燥感を覚えた。


「……自信があったなら、もう少し顔を見せてくれたってよかったのに」


 ぽろりと本音がこぼれてしまい、慌てて口を押さえた。

 今日はライルをただただ労おうと思っていたのに台無しだ。ライルと会えなくて寂しすぎて、かなり心が弱っているらしい。


 これ以上何か言う前にと、慌てて席へ向かおうとした私の手を、ライルがそっと掴んだ。

 振り返ると、熱のこもった蜂蜜色の瞳が静かに私を見つめていて、一気に心臓の鼓動が早くなる。


「今日の晩餐が終わったら、お嬢様が好きな紅茶をお持ちしますね」


 それだけ言うと、ライルはすぐに手を離し、いつもの微笑みを浮かべた。


 久しぶりにライルが部屋に来てくれる。


 嬉しくてこくこくと頷くと、ライルは一礼して使用人たちの輪に戻っていった。


 その後、ライルの学園卒業をもって正式に後継とすることがお父様から告知され、食堂は沸き立ち、大人たちは歓声を上げながら豪華な料理とお酒に舌鼓を打った。


 私は食事もそこそこに、マキアに一言告げて足早に自室に戻る。


 多分ライルはあと一、二時間はあそこから抜け出せないだろうけれど、先に部屋でライルを祝う準備をしておきたかった。

 もうしばらくすれば厨房の人手もまばらになるだろうから、軽食やデザートも取りに行きたい。


 ライルの好きな茶葉を選んでいると、不意に柔らかいノック音が響いた。

 ライルだと瞬時に分かったが、いくら何でも早すぎる。


 信じられない気持ちでドアを開けると、ティーセットを持ったライルが、嬉しそうに顔を綻ばせながら立っていた。


「お嬢様、部屋に戻るの早すぎです。そんなに僕と話したかったんですか?」


 珍しく軽口を叩くライルは、いつになく上機嫌だ。にこにこしながら部屋に入ると、慣れた手つきで机の上にティーセットとデザートを並べ始める。


「は、早かったね?」

「合格通知が来てほっとしたら一気に疲れが来たと言って、休ませてもらいました。急いで来たのであまり持って来られませんでしたが」

 

 ライルが持って来たデザートは苺のタルトとチョコレートのムースだ。抜け出して来るだけでもすごいのに、本当に抜け目がない。しかも私の好きなものばかりだ。


 やはりライルには敵わないと、少し悔しく思いつつも感心しながらライルをじっと見つめると、視線に気付いたライルと目が合った。

 戸惑ったように一瞬目を逸らされて、再び目が合う。心なしかライルの頬が少し赤い気がした。


「……ずっと自制していましたが、今日くらいは……いいですよね?」


 ふわりと引き寄せられたかと思うと、気づけばライルの腕の中にいた。


 ライルの腕は力強くて、優しくて、あの従者着と同じ、清廉な花の香りがした。


 心臓が高速で拍動しているのが分かる。真っ赤になっているであろう顔を見られないように、私もライルの背中に腕を回して顔をうずめると、ライルの鼓動も早いのが分かった。どきどきしているのが私だけじゃないと知って、嬉しくなる。


「……お嬢様、合格祝いにご褒美をもらってもいいですか?」

「えっ、あの、じゃあ、明日一緒に街に」

「物じゃありません」


 ライルはそっと体を離すと、私の頬に手を当てた。まだ顔が赤いことを恥ずかしく思いながらも、ライルの言う意味が分からなくて、そっと顔を上げライルの表情を伺う。


 やはり身長が伸びたのか、拳ひとつ分高い目線に視線を合わせると、黄金色に輝く瞳に釘付けになる。視界の端でライルの綺麗な髪がさらりと揺れた。


 不意打ちの二回目のキスは、触れるだけの一瞬だった。


「……頑張った甲斐がありました」


 顔を真っ赤にして固まる私を見て、ライルは嬉しそうに目を細めた。


 抱きしめてキスなんて、これむしろ私へのご褒美では。ライル成分供給過多過ぎる。幸せすぎてもうすぐ死ぬのかもしれない。


 そしてさっきから私がもてなしたりご褒美をあげたりする立場なのに、私ばかり嬉しくてどうするのか。ライルに申し訳なさすぎる。


「他に何かして欲しいこと、ない? 私にできることなら、なんでも」


 疲れているだろうからマッサージとか、と思いそう尋ねると、ライルは少し顔を赤くして思い切り眉を顰めた。


「……そういうことを軽々しく言わないでください」


 そんなことを言われても、重々しく言うにはどうすればいいのかと頭を捻らせていると、ライルは呆れたように笑って私を解放した。


 ソファに座るよう促され、大人しく腰を下ろすと、なんとライルは対面のソファに座った。思わず目を見はる。今まで頑なに対角線上の位置にしか座らなかったのに、すごい。やはり私は明日あたり寿命なのかもしれない。


「とにかく、これで卒業さえすれば名実ともに次期侯爵です。今後の展開が最悪のケースだったとしても、お嬢様を離さないで済む」


 こくりと紅茶を飲みながら、ライルは微かに闇を孕んだ表情で笑みを作った。その瞳はどこか遠くを見ているようで、不安になる。


「最悪のケースって?」

「王太子がお嬢様に好意を持ち婚約解消しない場合です。その場合でもいくつか策は考えているのですが、まあできれば穏便に、お嬢様が悲しまないようにしたいですから」


 ふわりと綺麗に微笑むライルだが、その眼は全く笑っていない。どういう策なのか聞きたいけど、聞いてもいいものなのか迷う。少なくとも場合によっては穏便に済まないということだ。


「えっと、私も王太子に嫌われるように頑張るね」

「へえ、どうやって嫌われるんですか?」


 ライルが面白そうに私を見る。そう、私だってこの二ヶ月必死に考えたのだ。


 なぜかライルは王太子が私を気に入ると確信しているので、それなら逆に嫌われるよう振る舞えばライルが不安になることもない。


 元々小説のロゼリアは王太子に視界に入れたくないほど嫌われていたのだ、難しくはないはず。

 むしろやりすぎて顰蹙ひんしゅくを買い、不敬罪とかにならないかの方が気がかりだ。


 私はこほんと咳払いをすると、小説のロゼリアをイメージし足を組んだ。扇子を取り出して口元を覆い、高らかに声を上げる。


「このわたくしにあなたのような青二しゃいが──」

「……」

「あ、青二才が、釣り合うとお思い?」


 しまった。噛んだ。恥ずかしくて最後は尻すぼみになってしまう。しかし何とか最後まで言い終えると、扇子をぱちりと閉じて組んだ足を下ろした。

 これでもそれなりに悪印象を与えられたのではないかとそっとライルを見ると、ひたすら無表情で無感動な目と視線が合った。


「王太子がなにか新しい性癖に目覚める恐れがあります。余計なことはしないでください」


 一刀両断された私は、これまでの本家ロゼリアっぽく振る舞うための練習の日々が全て無駄になったことを悟り、項垂れた。




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