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うちの従者の華麗なる塩対応




「おはようございます、お嬢様。今日のお召し物もとても素敵です」


 翌日。

 食堂で顔を合わせたライルは、朝食を準備する手を休めてにこりと微笑んだ。

 その声も笑顔も拍子抜けするくらいいつも通りで、模範的な従者そのものだ。

 ライルが忘れていった服がなければ、間違いなく昨日のことは私の願望が見せた夢なのだと結論付けていただろう。


「あの、ライル、服……」

「はい。昨日のドルヴィ伯爵夫人の授業のことですよね? 僕も参加できなかったので、今日の授業を受ける前に復習しておきましょう。

 朝食後、お部屋にお伺いしてもよろしいですか?」


 こくこくと頷く。

 そうだ、周囲に人はいないが、ここは食堂なのだ。そんな中、誰に聞かれてもいい理由ですんなりと私の部屋に来る状況を作り出すライルは、さすがとしか言いようがない。


「では、後ほど。紅茶とお菓子も一緒に持っていきますね」


 ライルはふわりと微笑むと、すぐにまた朝食の準備作業へと戻って行った。

 朝食準備はライルの仕事ではないのだけど、きっと好意で手伝っているのだろう。


 小さなことにもよく気がつき、どんな仕事も一度説明を受けただけで要領良くこなすライルは、使用人達から重宝され、慕われている。

 専属従者であることを鼻にかけることもなく、手が空いていれば進んで下の者の仕事もこなす人格者だ。

 その上あのように綺麗な容姿をしているのだから、当然一目置かれている。


 やはりライルが私のことを好きだなんて、勘違いか幻想だったんじゃないかと思えてきた。早く部屋に戻ってライルの服を確かめたい。

 朝食なんてパンだけでいいのにと思いつつ、料理長が悲しむことを考え、大人しく席に着いた。







「今朝、侯爵様と話をし、リディウス侯爵家の後継となることが正式に決まりました。今後は僕も後継教育が始まります。リガシュタインの一般公募試験対策も取らなければならないので、お嬢様と一緒にいられる時間は減ってしまいますが、一日一回は会えるよう努力します」


 期待に胸を膨らませ、自室でライルを待っていた私は、他でもない彼の信じられない発言に大いにショックを受けた。

 しかも本人は朝食時の天使の笑顔の面影は全くなく、ひたすらに無表情である。


「い、一日一回? どういうこと? そしてこの距離感はなに?」


 ライルは今、机を挟んで私の対角線上にあるソファに座っている。要するに斜向はすむかいだ。苦手な人と対面しないといけないときに選ぶ座席である。間違っても好きな人と二人きりのときに座る席ではない。


「とりあえず名目上は次期侯爵候補筆頭という形になりますが、入学が決定するまでは周囲に発表できませんし、お嬢様もまだ王太子の婚約者ですので」

「えっとそれは分かるんだけど、でも、私たち、その……恋人だよね?」


 必死で懇願するように見つめると、ずっと真顔を崩さなかったライルが、ようやく少し赤くなった。


「……まあ……」


 しかしその返事は、さっきまでの饒舌ぶりはどこに行ったのかと思うほどに歯切れが悪い。

 不安になった私は、手渡そうと持っていたライルの従者着をぎゅっと抱きしめた。


「あ、それ、すみませんでした。昨日急いで出たので忘れてしまって。返していただけますか?」

「絶対ダメ!!」


 手を伸ばすライルを断固拒否する。

 両思いになれたと思っていたのに、まさかこんなことになるなんて聞いていない。これなら思いを伝える前の方が、よほど距離が近かったではないか。

 こんな状態で心を通わせた唯一の証拠まで失ってしまったら、ライルが部屋から出て行った瞬間、昨日のことは夢だったのだと結論づけざるを得ない。


「お父様にでもマリウスにでも言って、ライルの新しい服を用意してもらうから!! これは絶対ダメ!!」

「……それは昨日一日着ていたので洗濯が必要です。従者着が必要ならそれこそ新しいものを用意させますので」

「ライルの匂いがついてないとダメなの!!」


 私の言葉に一瞬戸惑い、顔を赤くしたライルは、少し強い口調で手を差し出した。


「……本当に返してください」

「いやです」

「お嬢様は変態ですね」


 それでも私が応じないと分かると、腕を組んで軽く睨む。

 初めて言われた変態という言葉に、私の顔も赤くなった。


「ライルが好きなんだから、ライルの身につけたものが欲しいと思うのは変じゃないでしょ?」

「……」

 

 ライルはますます顔を赤めると、仕方がないというようにため息をついて顔を逸らした。そんな態度をとられるなんて、私の方がため息をつきたい。


「ライルは釣った魚に餌をやらないタイプだね?」

「……そんな言い方をされるのは心外です。そもそもまだ釣り上げていません」

「もうとっくに釣り上げられてるよ」

「売約済みの魚を手に入れても、食べてしまわないように離れたところに置いておくしかありません」


 よく分からないけれど、やはり王太子の婚約者というのが問題のようだ。一刻も早くヒロインと恋に落ちてもらいたい。


「それから先に言っておきますが、僕は釣った魚を完璧に水質・環境調整した水槽に閉じ込めて、どんな些細な変化も見逃さないよう観察するタイプです。逃げるなら今のうちですよ?」


 部屋に来て初めて見せたライルの笑みは、いつもの純粋な天使のものではなく、怪しく昏い光を湛えていた。少年とは思えない妖艶さに、思わずごくりと喉を鳴らす。


「……ライルは天使だけど、実は綺麗なだけの天使じゃないよね」

「そもそも天使ではなく、ただの人間ですから」


 その言葉とは裏腹に、今度は天使のようにふわりと微笑む。

 だんだんその笑顔が作られたもののように思えてきたのは、間違いではないはずだ。


「一般公募試験は一ヶ月後だそうです。過去問は入手できそうですが、制度利用者自体が少なく年月も立っているので、類似した問題は期待できないでしょう。とにかく学園で習得する範囲を包括的に勉強しておく必要がありますから、時間がありません」

「そこまでしなくても、ライルの知識量なら大丈夫だよ」


 私でドルヴィ伯爵夫人にあれだけ褒めてもらったのだ。私以上に授業内容を把握し、時には教えてすらくれるライルはそれ以上に優秀に違いない。


「ありがとうございます。期待に添えるように頑張りますね」



 ライルが一礼して部屋を出てしまうと、ひとりでいた時以上の静けさに包まれた気がした。

 ライルとあまり会えなくなることは確かに寂しいが、ずっとライルの傍にいるためには仕方がない。少しでも勉強の邪魔にならないように、自分自身もしっかりしなければと気合いをいれる。



 しかし現実は私の予想以上に残酷で、ライルはリガシュタイン入学試験の勉強に専念するため、一日のほとんどを自室で過ごすようになり、たまに後継教育の時間に本邸で見かける程度になってしまった。


 廊下ですれ違うと微笑んで挨拶をしてくれるが、少し痩せたような気もする。


 それでも頑張っているライルに何も言えない私は、合格通知が来る二ヶ月後まで心配を募らせる日々を過ごすことになるのだった。




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