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うちの従者の様子がおかしい




「お待たせしました」


 ライルの声に振り向いた私は、この世に生まれて来たことを神に感謝した。

 普段のきっちりした従者着とは違い、ラフな寝衣を身に纏い、いつも一つに結えている髪をさらりと流しているライルは、あまりにも神々しい。まさに天使。いや、むしろ神が存在するなら、きっとこんな姿に違いない。


 ライルは対面にあるソファに腰を降ろすと、流している髪をひと掬い取ってつまみ上げた。


「大分髪が伸びて鬱陶しくなってきました。そろそろ切りたいのですが……」

「だ、だめだめ! 切ったら私も同じ長さにするからね!」

「……毎回そう仰るので、切れません」


 ライルは困ったように笑った。なんだかんだ私の意見を聞いてくれるところが、本当に優しい。そしてふっと息を吐くと、笑みを残したまま、どこか遠くを見るような目で呟いた。


「では……、お嬢様が侯爵家から出ていかれた後に切りますね」


 その寂しそうな声に、胸をぎゅっと掴まれる思いがした。

 ライルは私が王宮へ行くと信じている。思い上がりでなければ、親しくしていた姉が、二度と会えない場所に嫁いで行ってしまうように思っているに違いない。

 ライルが侯爵家に来てからずっと一緒に過ごして来たのだ、どんなにか悲しい思いをしているだろう。


 私が侯爵家を去ることはないと、どうしたらライルに納得してもらえるだろうか。

 この前も『私は王太子妃にならない』と言ったが、今の口ぶりからして全く信じていない様子だ。

 うまく説明する言葉が浮かばず考え込んでいると、ふと視線に気づく。

 顔を上げると、蜂蜜色の双眸がじっとこちらを見つめていた。


「……お嬢様は、リディウス侯爵家の後継(こうけい)についてどのように考えておられますか」


 思ってもいない話題に戸惑う。

 その真意を考えて、はたと気づいた。

 前世を思い出し、全て解決した気になっていたが、よく考えれば王都追放パターンになる可能性もあるのだ。

 その場合、私が侯爵家を継ぐことはできないので、誰か後継を立てなければならない。


「えっと……血筋で言えば、ベントゥス伯爵家だけど……。長男のウルグナンはもう婚約しているから養子になるのは難しいし、次男のアルベルト?」


 お父様は一人息子なので、侯爵家の血縁と言えば、お祖父(じい)様の弟の分家であるベントゥス伯爵家のみとなる。


「……先の会議でもその話をしていましたが、アルベルトが後継になれば侯爵家は衰退します。

 彼には我が侯爵家の偉大な権限も、広大な領地も、扱うことはできません。ただ湯水のように財を消費するだけでしょう。

 そのため、侯爵様は他に後継を立てるおつもりです」


 ライルの言葉は淡々としていたが、アルベルトのことを話す際に微かな冷たさが混じっているのに気づいた。

 アルベルトとは数えるほどしか面識がないが、小さい頃はよく酷いことを言われた気がする。

 ライルが侯爵家に来てからは、アルベルトに何か言われるたびにライルが私を庇ってくれるようになったから、内容はあまり覚えていない。私をその場から連れ出し、優しく涙を拭きながら「大丈夫ですよ」と言葉を掛けてくれたライルの尊さに全て記憶が上書きされている。


 それにしても、ライルの言うアルベルト以外の後継者候補が思い当たらない。どこかから養子をとるのだろうか。


「──その後継に、僕が選ばれました」


 ライルは私の目をじっと見据えて言った。その言葉の意味が飲み込めず、私も呆然と見つめ返す。

 ライルは私から目を逸らさず、先の会議での内容を淡々と話し始めた。


 リガシュタイン学園の一般公募枠については、私も知らなかった。小説に出ていたのかも思い出せない。

 しかし、確かにその制度をもってすれば、養子にして後継とする従来の方法よりも圧倒的に周囲を納得させることができる。

 ライルが次期侯爵となるならば、一番警戒すべきなのは間違いなく血筋であるベントゥス伯爵家だ。ライルの優秀さを見ようともせず、平民であり使用人の子であることを追及してくるだろう。

 ところが、リガシュタインに入学すれば、その才能と優秀さが国に認められ、卒業すれば爵位と王宮勤めが確約するのだ。それを蹴って侯爵家の当主になるというのだから、難癖などつけようもない。


 まさかこんな素晴らしい制度があったとは、と感嘆の息を漏らした。これなら私が万が一王都追放になっても安心だ。


「この話をお嬢様にしてもよいものか、悩みました。でもお嬢様に選んで欲しかったのです。

 僕にとっては正直どちらも変わらない。侯爵家の跡取りになるのも、お嬢様を追って王宮へ入るのも、どちらも辛い。

 それでも、お嬢様の命令ならば、僕はそれを全うします。どうか、判断していただけませんか」


 ライルの淡々とした言葉に息を呑む。ライルが俯いているせいか、蜂蜜色に輝いているはずの瞳は昏く澱んでいるように見えた。


「えっと、ライルは後継になりたくないの? 爵位について調べてたよね? 私を追って王宮へ行っても、爵位は……」

「お嬢様のいないリディウス侯爵家に、恩義はあっても興味はありません。それにお嬢様が王太子と結婚するなら、爵位なんてあっても意味がない。いらない。

 王宮の侍従になることを考えたのは、少しでもお嬢さまの傍にいられると考えてです。でも、それも、辛い」


 私は顎に手を置き、新しい情報が錯綜する中で必死に今の状況を整理した。ライルはいつも理路整然とした説明をするが、今日は混乱しているのか、いまいち要領を得ない。

 点と点の情報を繋いで、ようやく答えを導き出し、小さく頷く。


 つまりだ。ライルは私に忠誠を誓っているから、私の後を追って王宮へ行くことを考えていたけど、本当は侯爵家から出ていきたくないから辛い。

 かと言って侯爵家の後継になるのは、私に生涯仕えるという忠義に反するから辛い。

 だから、忠誠を誓った私に、どちらにするか選んで命令して欲しいということだ。それならば忠義に反することはないと。


「分かった。ライルは侯爵家の後継教育を受けて。王宮へ行く必要はないよ」


 ライルの気持ちを考えれば当然この結論になる。忠義よりライルが仕えたい場所にいてほしい。

 第一私は王宮へ行かないのだから、私の後を追って王宮へ行くという選択肢はそもそもないのだ。


「……ははっ」


 私の言葉を受けて、ライルの瞳が昏く光った気がした。口は弧を描いているが、いつもの優しい微笑みではなく、何かを嘲笑するような、諦観したような、薄ら寒い笑みを浮かべている。

 見たこともないライルの表情に、ぞくりと肌が粟立った。


「──本当に、どちらでも良かったのに。心の奥底で期待していたんですね。お嬢様が僕と離れたくないと、一緒に王宮に来て欲しいと仰ってくれることを。本当に──、あさましい」


 ライルは独り言のように呟くと、ゆっくりと立ち上がった。私のソファの傍まで歩みを進めると、立ち止まって私を見下ろす。


「僕が怖いですか?」


 いつもと全く雰囲気が違うライルに、勝手に体が震える。大好きなライルのはずなのに、見たこともない男の人のようで。

 さっきのライルの言葉を訂正したいのに、唇が動かない。


「かわいそうに、こんなに怯えて。でも、お嬢様の命令を全うするには、僕にも対価が必要なんです。理解して、くれますよね?」


 ライルはソファに膝を付き、体をかがめて目線を合わせた。肩にかかっていた綺麗な髪が、流れるように落ちる。

 ライルの少年らしい、それでも私より大きな手が頬に触れた。


「ライル」


 何とか名前を呼ぶ。しかしその瞬間、私の唇は何かに塞がれ、次の言葉をつむぐことはできなかった。




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