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短編集・散文集

カプチーノ

作者: Berthe

 (まり)()は改札手前でふとおもてを上げて、天井からぶら下がる駅の時計に再度時間を見ると、待ち合わせ時刻には少しだけ余裕がある。ひと回りして行こうかと思い立ち、ほんとうなら北口から出るべきをすいすい南口へ行き、舗道で立ちどまったまま飲食店のつらなる飯時には随分騒がしい、細長い通りを何心なく眺めているとそれでもう満足して、ついと踵を巡らし北口を背に信号を華やかな方へと渡って、大通りに隣り合う歩道をまっすぐ進んで行くと、ほどなくあらわれた横道を折れて雑然と店が立ち並ぶ一廓のひとつにくだんのカフェを認めた。

 足を踏み入れると店内はひっそりまばらで、店の奥に離れて二組の男女が白壁のもと座を占めているばかり。選び放題に空いている。鞠子はそれを横目に二階へ通じる階段を上がって見渡すとこちらも好みの席に座れそうなので今一度階下へおり、森閑と誰も並ばないレジへ足を向けて三つ折りのメニューをひろげると、格別頼みたいものもなかったところへ、綺麗に写ったカプチーノが目に飛び込み、それでもまだいくらか迷った末結局最初に惹かれたそれにきめた。お釣りを受け取って二階にもどり、窓に程近い二人掛けのテーブル席にきめ、腰をかけて待っていると、ほどなくしてカップをトレイに載せて上がって来た女の子がきょろきょろしたかと思うとすぐに彼女を認めて、わずかに目礼するとそのままするすると来て、お待たせしました、カプチーノをお持ちしました、ご注文は以上でよろしいでしょうか、と言うのに、はい、とようやく聞こえるほどの声でつぶやいて頷き、トレイがそっと前に置かれると、その子が階段へ消えるのを待って口をつけた。

 知らない味じゃないし、カフェに来れば頼むことも時々ある飲み物ではあるけれど、かといって自宅でつくりはせず、また敢えてつくろうと思う事もないせいか久しぶりで味わうと、鞠子は不思議に新鮮さを覚え、二口三口、上唇の上に白と茶の泡をつけて楽しんでいると携帯電話がふるえたような気がし、ひざに載せたハンドバッグから出して見れば彼からの通知。ちょっと遅れるかも、という事に、ちょっと、というとどれくらいだろう、十分くらい? それとも三十分ほども遅れてくるのだろうか。

 手元には彼のことを想う暇もなく、自分勝手に何のためらいもなしに、頼んでしまって楽しみ味わっているカップがあるし、鞠子はお互い様と淡くほほえみながら、待ってるね、と簡潔に返事をしたためて携帯電話をしまい、代わりにブックカバーに包まれた文庫本を取りだした。

 彼女には出先で読むためばかりでなく、家で寝転がって読むときにも、もとのカバーや帯を外して自分で選んで買ったものにつけかえる趣味があり、常日頃から紺の合皮と緑の本革を文庫用に愛用しているのだけれども、今手にしている緑の本革は確か、高校二年に進級する折に母にねだって買ってもらったもので、使い始めはその鮮やかで深い緑に始終見惚れ、時折本を閉じてはその色合いに眺め入り指でなでたりしたものだけれど、それから幾年も共に過ごしたそれは経年と手擦れで往年の染色を失って、枯れかけた葉っぱのごとき情趣を醸している。

 彼女はしおりの挟んだページをひらき読みかけた折からふっと倦怠を覚えて文庫を閉じ、目を窓へ転じると、トレイとバッグを手に立って行って、窓際に腰をおろすと硝子越しに通行人がまばらに行きゆくなか傍ら彼を求めつつ目を彷徨わせているうちふと心づけば二人連ればかり。ハンドバッグを抱えてまだ暖かなカップをすすり、なおぼんやり眺めて時を移しているうちすっと振り向いて、もといた席に立ち戻り、バッグをそばに脚を組み、ふいと組み替えるまま頬杖した顔からおのずと見える階段が依然むなしい。とバッグがふるえて、すぐに確かめると、着いたとの事。

 鞠子は画面を消して、その暗がりの鏡に前髪をつまんで一筋一筋整えている折から忽然視界の端にいいひとの影が立ち現れるや否や鏡の後ろをつかつかこちらへやって来て座り、彼女の手もろとも機器をやさしく握り押しのけた。

読んでいただきありがとうございました。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 彼を待つ鞠子さんの女性らしい周囲に向けるささやかな興味が、上手に描かれていると思いました。題名は「カプチーノ」ですが、「カフェ」でも良いし、「ブックカバー」でも良い点が、この作品に思わず感…
[一言] こういう小説すきです
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