7月16日(3回目)
窓ガラスに叩きつけられる雨粒の音で目が覚めた。
自室のカーテンを開けて外を見てみると、空から大粒の雨が降り注いでいた。
「やっぱり雨降っちまったか。だるいな」
思わず独り言が漏れる。
自室には俺以外誰もいないので、当然俺の独り言に反応するものはいない。
洗面所に行き、顔を洗う。寝起きで怠かった気持ちが少しだけ回復する。
朝食は基本的には食べない。寝起きはあまり食欲がないのと、いつも時間ギリギリに起きるのでご飯を食べる時間がないだけだ。
パジャマを脱いで制服に着替える。スマホで時間を確認すると、ちょうど7時だった。普段はもっと時間ギリギリに起きるのだが、何故か今日は早く目が覚めてしまった。
キッチンに行き、冷蔵庫を開ける。ミネラルウォーターを取り出してがぶ飲みする。全身に冷たい水が流れ込み、体にエンジンがかかったような気持ちになる。
登校するにはまだ少し早いが、せっかく早起きできたのだしもう学校に行ってしまおう。
「行ってきます」
リビングのソファでくつろいでいる母親にそう言って俺は学校へと歩き出した。
傘を差して歩いてはいるが、風によって斜め上から降ってくるすべての雨粒から身を守るのはさすがに不可能だった。
10分ほど歩いたところで、スマホに電話がかかってきた。いったい誰だろうか。こんな朝早い時間に電話をかけてくる人なんて誰も思い浮かばない。
スマホの画面を見ると、そこには“母”と表示されていた。
「母さん? いきなりどうしたんだろ」
先ほど俺は家を出たばかりだ。何か用があれば俺が家を出る前に言ってくるだろう。ということは、俺が家を出てからここまで歩いてくる10分の間に俺に何か伝えなければならないことが起きたということだ。それもかなり急を要するもの。もしそこまで急用ではないとしたら、今日俺が学校を終えて家に帰ったときに伝えればいい。いったい何なのだろうか。俺は母親からの着信に出た。
「あっやっと出た。もう学校着いちゃった?」
「いや、まだ着いてないよ。もう学校目の前だけどね。それでどうしたの? なんかあった?」
「それがね、今日学校休みになったんだって」
「え。どうしてそんな急に」
「それがね、よく分からないのよ。でもなんか大変な事件があったらしくて、休みになったんだって。連絡が遅くなってごめんなさいって担任の先生謝ってたよ」
「いやほんとに遅いな。もう学校目の前だよ。まあいいや、了解。わざわざ電話してくれてありがとう」
俺は電話を切った。
せっかく雨の中学校まで歩いたのに無駄になってしまった。珍しく早起きしていつもより早く登校したせいで担任が家に電話をかけてくる前に家を出てしまったのか。ついてない。これからは毎日寝坊しよう。
1回目の7月16日ではこんなことはなかった。これもパラレルワールドの分岐点による変化というものなのだろか。
まあ、理由は知らないが、どれだけ考えたところで分かるはずもないし、今日学校が休みになったという事実に変わりはない。
「しかしなあ。もうここまで歩いてきちゃったもんなあ。まあでも帰るしかないか」
雨の中、一人でそう呟いたとき俺のスマホに通知が入った。画面には【科学実験部‐美鈴】と表示されている。
『ちょっと、今日学校休みになったのみんな知ってた? 私知らなくてさ、もう学校来ちゃったんだけど!』
科学実験部のライングループで美鈴が嘆いていた。どうやら、彼女も俺と同じ被害者らしい。なんなら俺はギリギリ学校に着く前に知れたのに対して、美鈴はもう既に学校にいると言うのだから彼女の方がより可哀そうだと言える。
俺はスマホのキーボードに文字を打ち、彼女に返信する。
『俺も今さっき知ったところです。俺も学校の目の前まで歩いてきちゃいましたよ。最悪です』
『玉森も? ほんと最悪だよね。まあ学校休みになったのは嬉しいけどもっと早く言ってよって感じ』
『ですよね。せっかく雨の中歩いてきたってのに無駄になっちゃいましたよ』
『ほんとそれ! ねね、今から少しだけどこかで会わない?』
『えっ、まあいいですけど。急にどうしたんですか』
『だってせっかく学校まで来たのに誰とも会わないなんてあんまりじゃない? ちょっとだけ話してから帰ろうよ』
『確かに、俺もせっかくここまで歩いたのに何もせずに帰るのは嫌ですわ(笑) 今から学校行けばいいですか?』
『いや、学校だと先生にすぐに帰れって言われちゃうから、学校のすぐ近くにある公園に集合しよ!』
『了解です!』
俺はスマホをポケットにしまう。
学校裏にある公園はここから歩いて10分もかからない。そこにあるベンチには大きな屋根がついてあるので、この雨の中会うとしても良いだろう。
再び、雨の中を歩きだす。ズボンの裾はとっくに濡れてしまっているので今更多少濡れようが気にならない。
大量の雨粒が俺の傘を叩きつける。この音は案外嫌いじゃない。雨の匂いも、この音も、俺は嫌いじゃない。ただ、学校がある日に雨が降っていると萎えるだけだ。
少し歩くと、すぐに公園が見えてきた。
「おーい、たまもりー!」
この雨の中でも余裕で聞こえるほど大きな声で俺の名前が呼ばれた。美鈴だ。
「おはようっす。なんか、学校以外で会うと変な感じがしますね」
「おはよっ。そうだね、確かに今思えば学校以外で会ったことなかったね」
「まあ会う理由がないっすもんね」
「ちょっと、なんかそれひどくない? まあほんとに会う理由なんてないけど」
「そっすよね」
こうして学校の外で美鈴と会うのは確かに珍しい。更に言えば学校の中でも2人きりで話すことは意外と少ない。そもそも学年が違うから教室の場所が離れているのだ。それに、部室だと基本的に部長と結衣もいるので美鈴と2人きりで話す機会はあまりなかった。
彼女と2人きりになることはあまりないが、会話に困ることはない。なぜなら美鈴のコミュ力が異常だからだ。彼女はとにかく喋る。あり得ないほど喋る。4人で部室にいるときも8割方は彼女が話している。彼女の超高校生級のコミュ力のおかげで、俺は今彼女と2人きりでも全く気まずい思いをせずにいられるのだ。
「それにしても、雨強いね。いつやむんだろ」
「天気予報によると、今日は1日ずっと雨らしいですよ」
「まじ? だるいなあ」
俺と美鈴のどうでもいい会話が公園の中で交わされる。
天気予報では明日には止むと言っていたが、本当に止むのだろうか。さすがに2日連続雨はだるい。
大量の雨粒を落としてくる空を見上げると、視界の端にこちらに走ってくる人影が見えた。よく見ると、それは部長だった。こんな雨の中走ってくるなんてどうしたのだろうか。
「よかった。まだ帰ってなかったか」
部長は息を切らしながら俺たちに話しかける。
「そりゃ俺たちもさっき会ったばかりですもん。てか、どうしたんですか。こんな雨の中走ってくるなんて」
俺は、手を膝について、呼吸を整えている部長に聞いた。そのとき、何故か嫌な予感がした。
「結衣ちゃんが死んだ」
「え?」
部長の言葉に、俺は思わず聞き返す。
「結衣ちゃんが、死んだんだ」
部長は、額の汗を拭いながら、確かにそう言った。