7月19日(2回目)
目を開けると、いつもと変わらぬ部室の風景が視界に入ってきた。
周りには部長、美鈴、結衣が先ほどと同じように立っている。
「え、さっきと何も変わらない気がするけど…」
美鈴は困惑した表情を浮かべながら周りを見渡す。
「ほ、本当に24時間前に戻ったんですか?」
「ああ過去に戻ってるはずだ」
部長はあくまで過去に戻るのを失敗したとは言わない。しかし、俺はこの時点で少しだけがっかりしていた。24時間前に戻ったというのに何一つ違和感が無いなんてことがあるのか? 単に過去に戻るのを失敗しただけなんじゃないのか?
俺はなんだか急に馬鹿らしくなり、ポケットに入っていたスマートフォンを取り出した。
「えっ」
「どうしたの?」
俺が思わず声に出してしまったのを、隣にいた結衣は不思議な表情を浮かべて問うてくる。
「こ、これって…」
俺は結衣にスマホのロック画面を見せた。そこには、ただいまの時刻【16:30】と表示されている。そして、スマホのロック画面には時間ともう一つ表示されているものがある。
「7月19日」
結衣は驚いた表情をして呟いた。そう、俺のスマホは7月19日と表示していたのだ。
「ほんとだ! 私のも7月19日ってなってる!」
どうやら偶然このタイミングで俺のスマホがバグったわけではないらしい。
「だから言っただろ、24時間前に戻るって。まあでもどうせなら学校の人にも今日が何日か聞いてみたらどうだ。そっちのがより信じられるだろう」
「ちょっと私クラスの友達に聞いてくる!」
美鈴はそう言って部室を飛び出して行った。
10分後、美鈴は息を切らしながら部室に戻ってきた。
「ちょっやばいって! 本当に1日前に戻ってる!」
「私もスマホでニュースとか見たんですけど、一番新しい記事でも19日のしかありませんでした。20日の記事はどこにも見つからなかったです」
「私もさ、めっちゃ教室まで全力疾走して友達に、今日って何日?って聞いたから友達にすごい笑われちゃったんだよね。美鈴ったら急にどうしたのって」
美鈴は少し恥ずかしそうにしながら言った。そりゃ友達が急に、今日って何日?と、焦って聞いてきたら笑いたくもなるだろう。急にどうしたお前って。
しかし、これで部長の作ったタイムマシンは本物だということが証明された。物理においては天才だと知っていたけど、いくらなんでもこれはやばすぎるだろ。このタイムマシンを学会? とかよく分からんけどそういう頭のいい人たちが集まる場所で発表したらいったいどうなるんだろうか。きっと部長は歴史に名を残す偉人になるだろう。もしかしたら将来、森草進太郎という名前は教科書に載っているかもしれない。
「シンタローさん、このタイムマシンをいったいどうするんですか?」
「どうするって?」
「いや、だってこれ世紀の大発明でしょ。ちゃんとした場所で発表すれば大変なことになるんじゃないですか?」
「確かにそうかもしれないね。でも、俺はまだこいつをどこかに出す気はないかな」
「えっなんでですか。もしかしたら大金持ちになれるかもしれないじゃないですか」
「まず第一の理由に、これはまだ完璧なタイムマシンとは言えなくて改善の余地がたくさんあるからだ。ボタンを押せば24時間前に戻れるが、一気に1週間前に戻ったりすることはできない。まあ、7回ボタンを押せば戻れるっちゃ戻れるんだけどね。あと、これはボタンを押す前にも言ったがこのタイムマシンでは未来に行くことはできない。どうせタイムマシンを発明しましたよって世間に発表するなら、過去にも未来にも行ったり来たりできる完璧なタイムマシンを発明してからにしたいね」
「なるほど、シンタローさんなりのプライドってやつですかね。では第二の理由は?」
「第二の理由はもっと簡単さ。単純に、俺は目立つのがあまり好きじゃないし金にも興味がない」
部長の言葉に、俺は言葉を失った。確かに彼の言う通りこのタイムマシンにはまだまだ改善の余地があるのかもしれない。だが、それでも過去に戻れるのだ。大金持ちになるのも夢じゃないだろう。
「いや、でも本当にすごいね! 私マジでびっくりしちゃった。シンタロー、疑ってごめんね?」
美鈴はそう言って部室の椅子に座った。
部室の椅子は一つだけ壊れかけている。脚のネジが外れかかっているが、気を付けてゆっくりと座れば壊れることはない。そのことは部員全員が把握している。
しかし、今の美鈴はタイムマシンのことで興奮していて完全にそのことを忘れていたのだろう。美鈴の体重が思いっきりかけられた椅子は、バキっという大きな音を立てて崩れた。
「いったあ。あっやば。どうしよ、これ」
「美鈴さん大丈夫ですか?」
「う、うん。私は大丈夫だけど。どうしよ、これ。椅子壊れちゃった」
尻もちをついた美鈴は、スカートについた埃を手で払いながら立ち上がった。額に汗を浮かべて、明らかに焦っている。
「そんなに焦らなくても大丈夫なんじゃないですか? だってこの部室の椅子は元々壊れかけていたじゃないですか。それはこの部員全員が知っていたはずです。今回この椅子が壊れたのは美鈴さんのせいじゃないですよ」
俺がそう言っても、美鈴にとって何の慰めにもならなかったようだ。さっきまでのハイテンションと打って変わって明らかに落ち込んでいる。
「みんながそう言ってくれても、先生がなんて言ってくるか…。特に、うちの顧問ってあれだしさ」
「杉崎先生は厳しい人ですもんね…。でも、さすがに今回のことは許してくれるんじゃないですか? なんなら美鈴さんは怪我をしてもおかしくなかったんですから」
「確かに結衣ちゃんの言う通りなんだけどね。でも私、指定校推薦で大学行くつもりなんだよね。それでさ、やっぱり指定校推薦ってめちゃくちゃ審査厳しいんだよ。だからその、少しでも不安材料はなくしたい、みたいな」
金子美鈴は決して優等生というわけではない。分かりやすく言うと、俺をもっと明るくして女にしたような人だ。分かりにくいな。
こんな明るくて活発な人が科学に興味があってこの部活に入ったというのは少し意外かもしれないが、お察しの通り理由は不純なものである。
第一高等学校は1年生の間は絶対にどこかの部活に所属しなければならないという決まりがある。しかし彼女はどこの部活にも興味がなかった。なので、科学実験部に入部することにした。偏見しれないが、運動部より文化部の方が幽霊部員になりやすいイメージがあったからだ。
しかし、彼女にとって予想外だったのは科学実験部の顧問の杉崎雄平先生は厳しい人で、幽霊部員になることを許してはくれなかったことだ。なので、彼女はしぶしぶ1年生の間は真面目に部活に行き続けた。2年生になったら速攻で部活を辞めるつもりだったが、思いのほか科学実験部は彼女にとって楽しいもので、そのままずるずると辞めることなく気付いたら3年生になっていたというわけだ。
彼女曰く、部活を3年間続けていた方が進学するときに有利なので結果的にオーライということらしい。
美鈴は決して頭が良い方ではなかったが、運はいい方だった。たまたま地元の大学の指定校推薦枠が一つ余っており、運よくその枠に入り込めたのだ。
「確かに、指定校推薦枠は普通の推薦よりも条件が厳しいですもんね。とは言っても、さすがにこれだけでそれが取り消しになることはないと思いますけど」
「で、でもさあ、杉崎って厳しいじゃん。ねえ、もう1日だけ過去に戻ることはできないかな」
なるほど。確かにここから更に24時間前に戻ればこの椅子は壊れる前に戻る。つまり、美鈴がこの椅子を壊したことをなかったことにできる。
「確かにもう一度このボタンを押せばまた24時間前、つまり7月18日の夕方に戻るわけだけど、それには少しリスクが伴うよ」
「リスク? シンタローさん、そのリスクってなんですか?」
部長の発言に結衣は質問した。部長は更に発言を続ける。
「パラレルワールドっていう言葉を知ってるか? ある世界から分岐し、それに平行して存在する別の世界のことだ。つまり、また更に24時間前に戻っても、俺たちが既に1度経験した19日と20日が全く同じようにやってくるとは限らないってことだ。例えばで言うと、この4人の中にもしかしたら19日か20日に誰かに告白されて恋人ができた人がいるかもしれない。しかし、また同じようにその人が告白されるとは限らないってことだ。本当だったら最初にボタンを押す前に言っておくべきだったんだけど、すまない忘れていたよ」
絶対に嘘だ。そんな大事なことをこの人が忘れるわけがない。きっとこの人はそのことを俺たちに言ったら、もしかしたら過去に戻るのを反対されるかもしれないと思って黙っておいたのだ。だが、悲しきかな、あいにく俺にはここ最近で誰かに告白された経験はなかった。本当に悲しい。
「俺は別に構わないですよ。美鈴さんが進路の心配をするのは当然ですし、残念ながら俺はここ数日誰からも告白されてないんでね」
「私も大丈夫ですよ。懸念材料は少しでも減らした方がいいです」
「まあ、みんながそういうなら俺も別に構わないけどな」
「ほ、ほんとに? みんなありがとう!」
美鈴は飛び切りの笑顔で感謝を述べてきた。彼女の細い指によってタイムマシンのボタンが押される。
俺たちの視界は再び光に包まれた。