遊園地の姉弟「四」
四日目です。
思えばもう十一月ですね。作中の時系列はまだ夏なので季節差で風邪をひいてしまわないよう注意してください。
さて、今回はショッピングです。妄想を膨らませ、一緒に頂へと参りましょう。
木曜日──ショッピングモール。
隣町にある大型のショッピングモールにて、仲の良さそうな少女と女性が、楽しげに服を選んでいた。なにも知らなければただの姉妹に見えることだろう。
その少女、小山内千尋と女性、小日向優は現在、デート用に着ていく「優の魅力を最大限に引き出し、なおかつ隼の好みに合致した服」を探していた。
「優さん、こんな服、隼が好きですよ」
「どれですか?」
優が顔をのぞき込んでくる。その無自覚に男をドキドキさせてしまうしぐさに、少しもドキドキしなくなったのは、少女になった影響だろう。
「これです」
千尋が手に取ったのは、淡い桃色のワンピースだった。肩が完全に露出するオフショルダーだったが、千尋の知識によれば、隼の好みとばっちり合致していた。
「これは……隼くんって意外に業が深いんでしょうか?」
「男子ってみんなそんなもんですよ」
ワンピースを凝視する優に千尋は肩をすくめてそう言った。
「千尋くんもそうなのですか?」
「まあ、今はどう感じるのかわかりませんけど──少なくても一週間前まではそうでしたね」
TSは精神にまで影響を及ぼす。それがどの程度のものなのか、恥ずかしながらよくわかっていない。
「私にはわからないです」
首をフルフルと振る優の姿はとてもかわいらしくて、いつものすべてを包み込むような美しさとはまた、違うものがあった。
「わかる必要なんてないんですよ。優さんが今すべきことは、隼の心臓を撃ち抜くことです」
ばああん。優の心臓へ向け、左目を閉じて指でっぽうを撃つ。男の状態では問題があったかもしれないそんな動きですら、少女の前ではかわいい動作に様変わりである。
「恥ずかしいので、あんまり大声で言わないでください!」
真っ赤な顔であまりにも必死に訴えるもので、つい口元が緩んでしまう。
(こういういつもとは逆の状況もなかなか……)
にやにやとした笑みを浮かべながら、千尋は優に言った。千尋が少女の姿じゃなければ、警察を呼ばれていただろう。
「それじゃあ、試しに着てみてくださいよ」
こくり。優はしぶしぶといった様子で頷いた。
顔を真っ赤にしたまま周りをきょろきょろとし、ワンピースを握りしめて試着室のなかに入っていく。まだ着替えてもいないのに実に眼福であった。
試着室のなかの音に耳を立てると、布がこすれる音がして、千尋の妄想を掻き立てる。こういうところはまだ男子だった。
やがてカーテンが開く。
「…………おお」
おそらく、元男でなくとも見惚れていただろう。千尋の目に映るその姿は、小日向優の魅力を完全に引き出していた。
「ど、どうですか?」
普段まったく着ることのない服に羞恥心やその他諸々の言い表しようのない感情を刺激されているのか、妙にそわそわとした様子で、ほんのりと顔を朱に染めている。
「大丈夫。隼の趣味ど真ん中ですよ」
とびっきりのドヤ顔を添えてサムズアップをしてみせる。
(まあ、あいつなら優さんがどんな格好してたって、「かわいい」「女神だ」って言いだすに決まってるけどな)
なんて心の言葉は決して声には出さなかったが、その代わり千尋の視線は、ワンピースとベストマッチな女神・優にくぎ付けだった。
「あ、ありがとうございます」
かあああ、と顔を赤くする優は女神というよりは恋する少女のようで、千尋の口角も自然と上がっていた。
「これにします」
優は自身の服を愛おしそうに見下ろしながら、そう言った。
「隼、褒めてくれるといいですね」
千尋は自然な笑みを浮かべていた。青年だろうと、少女だろうと変わらない、ひまわりのような笑みを。
「はい」
そして優も。千尋の笑みにつられるようにして、聖母のような──聖女のような、美しい微笑みを浮かべていた。
「じゃあ、着替えます」
そう言って、優は試着室のカーテンを再び閉めて、服を着替え始める。もう一度、布がこすれる音を堪能してもよかったのだが、千尋とて布にそこまで執着する変態ではないので、ただ優が着替え終わるのを待つのみだった。
と。
「あれ? 先輩じゃないですか」
「こんなところで、珍しいですね」
聞き覚えのある声に振り向くと、案の定そこには二人の後輩がいた。
星見桃花と夜野愛梨。いつも一緒のような気がする二人だ。いつもと違う点を挙げるとすれば、よく見る制服や私服とは違って、かなりおとなしめの印象を与える服を着ている。
「一週間ぶりですか?」
桃花が膝を折り曲げ目線を同じ高さにして、質問してきた。
TSして身長が縮んだりしたことは十分に理解していたつもりの千尋だったが、実際にかがまれると、悲しいような、寂しいような気持ちになってくる。
そんな感情を振り払うようにして、二人に疑問をぶつける。
「どうしたんだ? 今日平日だぞ、それにここ隣町だし。あっちにもこんくらいのショッピングモールはあったと思うが……」
千尋も通っていた高校だが、歩いて二十分もない距離にショッピングモールがあったことを覚えている。千尋たちは洋服店と装飾品店の値段の安さから隣町のショッピングモールを選んではいたが、桃花たちにそれを気にする理由はない。
「期末考査日だったのと、それに知り合いに見つかりたくなかったので……」
「知り合いって……お前たちのほうから声をかけてきたような気がするんだが?」
愛梨のいまいち要領を得ない説明に、千尋の頭の上にハテナが浮かんでいた。
「先輩はいいんですよ」
(さっきから、会話が噛み合っていない感じがしてたまらないんだけど。なんか「オレが知らないことについて、知ってる前提」で話しているような……)
実際のところ、まさにその通りで、千尋は重要な情報を保有していない。
たった一つの題材をテーマに話していたはずなのに、その肝心なピースを知らないのでは会話が成り立たないのも当然である。
「? どうして?」
だから千尋は、なにも知らないなりに知らないことを表明するのだった。
「えっ」
「えっ」
「へ?」
言葉にすればそれぞれ一文字程度のものでしかなかったが、それ以上に千尋と桃花と愛梨はただただわけもわからず硬直してしまっていた。
なにもしないまま、ほんの少しの時が流れる。
「もしかして、先輩……」
「知らされていないのですか?」
「なにを?」
シリアスな雰囲気を醸し出す後輩二人に、戸惑いをあらわにすることしかできない。
「………………」
「………………」
(いや、黙らないで!)
沈黙を浮かべる二人に困り果てていると、救世主降臨の音が千尋の耳に届いた。カーテンが開く音。
「あれ? 桃花ちゃんに、愛梨ちゃんじゃないですか」
おっとり口調の心を落ち着かせるような響きの良い声が、小日向優の癒しの声が耳に届く。
「優さん⁉」
「いらっしゃったのですか?」
一方、優がこの場にいることをまったく知らなかった二名の後輩はこぞってびくっと体を震わせ、口々にそう言った。
二人の反応に思わず、息を吹き出して笑いながら、この光景を鑑賞することに決める。
「……いましたよ。今日は二人で洋服を買いに来たんです。二人は──」
優は二人の顔を交互に見つめるようにして眺め、微笑ましそうな温かい笑みを浮かべた。
そして、
「二人きりで、デートですか?」
………………。
「…………へ?」
恐る恐る二人の後輩へと視線を向ける。桃花と愛梨は特に反論することもなく、ほんのりと顔を赤く染めていた。
「えっと、マジ?」
こくり。二人はなんの迷いもなく頷き、まるでそのことを証明するかのように、桃花は左手を愛梨は右手を、お互いの存在を確かに感じようとする恋人さながらに、絡ませた。いわゆる恋人繋ぎである。
「えっと……いつから?」
「生徒会長に当選した日にあたしから告白しました」
「そろそろ一年じゃねえか!」
桃花の所属する学校で千尋たちの母校では、生徒会選挙が十月に行われ、十一月より世代替えとなる。ちなみに、桃花の前の生徒会長は隼だった。
「すみません。話さなくても気づいてくれるかな、と思って、実際、優さんは気づいてくれましたし……」
「悪かったな、鈍感で!」
「先輩が鈍感なのは今に始まったことではないです。気を悪くしないでください」
「愛梨、お前、今の言い方で励ましているつもりなの?」
「え、違いますか?」
天然の恋人たちに翻弄されまくってしまった千尋だったが、その姿は後輩たちと楽しく話をする優しく頼りになる先輩に他ならなかった。もっとも、はたから見ると、三人のお姉さんが少女のはしゃいでいる様子を温かく見守っているという尊い光景にならなくなるのが、千尋を悲しい気持ちにさせる。
「…………まあ、それは後日おいおい話していくとして。──二人はデートに来たのか?」
話を流したついでの、何気ない確認の質問。
「はい」
桃花は、恥ずかしそうに一気に顔を赤らめた愛梨との距離を縮めるようにして寄り添い、頷いた。
(動きがいちいち百合百合しいな。まあ、目の保養になるから特に問題もないが)
そのツッコミは空気を震わせることさえしなかったが、心を診る仕事をしている優にはなにかしら伝わってしまったのか。
「もともとこんな感じでしたけどね」
ぎょっとして、優のほうを見る。ただし千尋の関心は、心を読まれたほうにではなく、優の発言に向いていた。
「え、本当ですか? オレが気づかなかっただけ?」
「まあ、そうなりますね。たぶん隼くんも内海くんも気づいていると思いますよ」
優の容赦ない断言に、ガクっと肩を落とす。自分の記憶を振り返ってみると、確かに「今見れば」いちゃついているような場面が多量にあった。
「まあまあ、それが千尋くんの持ち味ですから」
「今度こそ、慰めてますか?」
「慰めてますよ」
そんな見捨てられそうな子犬のような声を出す千尋と、駄々をこねた子供をあやすかのような雰囲気の優は、どこからでも仲の良い姉妹に見えることだろう。
と。
「そう言えば、優さんと先輩はなんでここにいるんですか? デート……なわけがないですけど」
さっきまでお互いの頬をすりすりしていた、百合カップルの片割れが、今更のように質問してきた。
「大丈夫です。女の子同士に秘密はありませんよ」
「オレ、中身は男ですけどね」
とまあ、優の許可を得たところで、後輩たちに説明を始める。
カクカクシカジカ。
優から聞いた話を脚色なんてせず、当り障りのない範囲で百合カップルに懇切丁寧に伝えていった。
「──そんな感じで、ここに来たってわけだ」
記憶をさかのぼるために閉じていた目を開けると、
「優さん、頑張ってください!」
「わたしも、全身全霊で応援します」
桃花と愛梨が目をキラキラと輝かせて、「もっと詳しい話を聞かせてください」と優に詰め寄っていた。
生徒会長で、お嬢様で、百合で、カップルだったとしても、結局のところ、人の恋に興味津々で目を輝かせる普通の女子高校生で、千尋たちのかわいいかわいい後輩だってことに変わりはないのだった。