遊園地の姉弟「三」
悲しいことに月曜日の始まりです。
拙作に関して言っても三日目を迎えました。
ところで、一話に投稿されたきりまったくついてないイラストですが、なんと朗報です。
この第二章にもどこかでイラストが付属することが決まりました。
先に本文だけ投稿し、のちにイラストが付く形になるかもしれませんが、楽しみに待っていて下さるとうれしいです。
火曜日──大学入口。
「大学」という文字の入ったダサさの極みともいえるTシャツにいかした黒いジャケット姿のアンバランスな少年と、微妙にサイズの大きい服を着た大人になり切れていない少女が──すなわち内海裕幸と小山内千尋が腕を引っ張りあっていた。
「裕幸。やっぱり無理、帰る。帰ります。帰らせてください」
「待て待て待て!」
そう言って足早に自分の家に帰ろうとする千尋の腕を掴む。
「裕幸、世の中には手を出しちゃいけないものが必ず存在するんだぜ」
世界の闇を見てきたような、なにも映っていない瞳を向けてくる千尋に、内海は小さくため息をついた。
「やっぱり……怖いのか?」
目線が同じ高さになるようにかがんでから、しっかりと千尋の目を見て問いかける。
「………………ああ、怖い」
内海から目を逸らすようにしてそっぽを向いた千尋は、目を合わせないまま、こくりと小さく頷いた。
その体はほんの少し震えていて、どこかおびえる小動物を想起させる。
「まあ、そうだよな。俺もお前の立場だったら、TSした姿なんて大学のみんなには見せたくない」
内海にとっては、精一杯のフォローだったが、千尋の思いとは違ったようで、すぐさま否定が入った。
「いや、違う。そうじゃない……オレが怖いのはもっと別の理由なんだ」
千尋の言葉に思わず首をかしげていた。
「今の姿を見られることが怖いんじゃないんだ……先週まで仲が良かったやつが、オレから離れて距離を取ったり、無関係な人間を装ったり──しょせんその程度のつながりだったって見限られてしまうことが……心底怖いんだ」
それはたぶん、千尋にしかわからないことだ。
内海ですら、なんて声をかけていいかわからず、千尋の顔を見ることしかできないでいる。
「千尋……」
(なにか、慰めの言葉は……。千尋を元気づけられそうな言葉は……)
脳内で千尋を慰めるあらゆる言葉が浮かんでは消えていく。
(…………いや)
内海はぶんぶんと頭を振って思考をリセットする。難しく考える必要なんてない。必要なのは、「内海は千尋の親友である」という事実だけ。
(千尋がこんなに悩んでいるんだ。俺が慰めなくてどうする? 動く理由を、勇気を与えなくてどうする? 目の前にいるのは、親友だ。他人のことは片っ端から助ける癖に、自分のこととなると、てんでダメな頼もしくて、ほっとけない親友だ。だったら、親友の憂いすら晴らせなくて、なにが一番の親友だ!)
内海は千尋の両肩に手をのせ、ただただ思いのままに言葉を紡いだ。
千尋を安心させるようにとびっきりの決め顔で。
「……だったら、無理しないでもいいんだ」
「え?」
顔を上げた千尋は、驚愕の表情を張り付けていた。驚愕が転じて唖然といった印象の間抜け面に思わず、決め顔が崩れそうになる。
「でもな、これだけは覚えておいてほしい」
ジャケットの内ポケットからスマートフォンを取り出し、そのまま右手で操作する。
今この瞬間のためだけに、あらかじめ作っておいたメールを、四人の友人とお姉さんと後輩たちに送信した。
千尋に視線を向けると、天使のような顔が、不思議そうにぽかんとしている。
そんな千尋の姿をずっと見ていたかったが、そういうわけにもいかない。
内ポケットにスマートフォンをしまいながら、千尋の肩を掴む左手にほんの少し力を込め、再び決め顔を作った。手ぶらになった右手を肩に乗せる。
「お前の背中を押してくれる『友』ってやつは、俺一人じゃないんだぜ」
内海のその言葉に合わせた、まさに完璧なタイミングで、ブーブーブーというメールの着信を知らせる音が、計四回、千尋のポケット内にあるスマートフォンから鳴り響いた。
千尋は小さな手でたどたどしく取り出し、届いたメールを開いた。すばやく千尋の後ろに回り、同じ画面をのぞき込む。
──小山内君、大丈夫だよ。みんなを信じて。
──千尋くんなら、やってくれると信じてます。
──先輩。案ずるより産むが易し、ですよ。
──先輩、嫌な思いをしたら、遠慮なく言ってください。消してごらんに入れますよ。
(おい! 前半の姉弟はともかくして、後半の後輩! 特に最後怖いっての)
内海の心のなかでのツッコミは声には出なかったが、どうやら千尋も同じ気持ちになったらしく、嬉しいような、困ったような、そんな中途半端な笑みを浮かべていた。
隼も優も桃花も愛梨も、そして内海も。決しては励ましかたや、応援がうまかったわけではない。そんなことなんて関係なく、紡がれ、綴られた言葉には確かに、千尋への思いやりがあったのだ。
「ふっ、ふふっ、ふふふっ」
内海の耳に、千尋の笑い声が響いた。心底楽しそうな笑い声で、思わずつられてほんの少し笑みをこぼしてしまった。
やがて、笑い声は消え、千尋の顔は、覚悟を決めたように引き締まっていた。もっとも、天使のような顔立ちにその表情がまったくもって似合わなくて、常に内海の腹筋を刺激し続けているなど、千尋は思いもしないだろう。
「……裕幸」
「おう」
「もう、うじうじするのはやめだ」
晴れやかな陽光を浴びているような、そんな聞くほうの心も温かくなれる言葉に、内海は心の底から安堵の笑みを浮かべる。
「行ってくる」
千尋は内海から背を向け、大学へと正面から向き合って、そう言った。
悩み多き主人公は覚悟を決めた。だったら、その親友にできることなど、もはや決まっているようなものだろう。
「行ってこい!」
内海はその言葉だけをつぶやいて、千尋を見送る。
たとえどんな姿かたちになったとしても、内海裕幸という親友思いの少年のあこがれは、優しい英雄、小山内千尋に変わりはなかった。
と。
「あの、すみません。お話いいですか?」
「はい、なんでし────⁉」
内海が爽快な気分で振り返ると、そこにはにっこりとした笑みを浮かべている、おまわりさんが立っていた。
「大学前で少女に迫っている学生がいるとの通報を受けまして、ちょっとお話を聞かせていただきたいので、そこの交番まで来てもらえますか?」
もはやうつむく以外の選択肢が残されていない、内海であった。
ちなみに、あとで迎えに来た千尋に聞いたところ、モーマンタイだったらしい。