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遊園地の姉弟「二」

さて、本日二本目の投稿です。

一時間ずらした意味は……特にありません。

そう言えば、拙作に対して文句がある人はどんどん言ってください。知名度もないような拙作ですが、どんなものでも読んでくれた人の声はわたしにとても力を与えてくれますから。

末永く拙作とのお付き合いをしていただければなと思っています。


 日曜日──TSの翌日──小日向心療内科クリニック診察室。


「それじゃあ、始めましょうか」


「よろしくお願いします」


 だぼだぼジャージの少女と白衣の女性──小山内千尋と小日向優はお互いに穏やかな笑みを浮かべている。


「どうです? 体には馴染みましたか?」


 カウンセラーとしての優の質問に千尋は安心させるような表情をして、


「はい、大丈夫になりました」


「…………本当に、ですか?」


 だがしかし、帰ってきたのは千尋の予想とは異なる厳しい、責めるような冷たい声だった。たぶんカウンセラーとしては失格な声だ。


 だが、その言葉は千尋へ向けて放たれたもので、困ったことがあっても誰にも相談できないような、そんな優しい英雄に向けてのものだ。


「ごまかしてはいませんか? 自分の心に嘘をついたりしていませんか? 痛いことや、悲しいこと、苦しいことを、我慢してはいませんか?」


 優はもう一度、言葉を発した。おっとりとした優しい声で、先ほどまでの責めるような口調ではない。でも、その声のなかに強さを感じた。

 優の目はすべてを見透かしているように、まっすぐに千尋を見つめている。


(ああ、優さんってやっぱりカウンセラーなんだな)


 改めて、目の前の白衣の女性が、侮れない人物であることを思い出した。


「すみません。強がっていました」


 ぺこりと頭を下げ、そしてもう一度微笑みを浮かべた。強がりなんて一滴たりとも含んでいない、情けない笑みだった。


「……昨日こんなことになってからずっと悩んでいることがあるんです。……この十二歳の少女の体は、本当のオレの体じゃないんだって……その考えがどうしても頭から離れなくて」


 千尋は自分が、わけがわからないことを言っているのを実感していた。それでも、自分のなかにある違和感を誰かに相談したかったのだ。


「よく言ってくれましたね。お疲れ様です。ありがとうございます」


 その笑顔は慈悲を与える女神そのものに見えた。ゴシゴシと目をこすっても、まったく同じ後光が見える。


 千尋は隼が優に惚れた一端を垣間見た気がして、一人勝手に納得した。


 そして、女神は口を開く。


「私もTS症候群の人を相手にするのは初めてなのであまりわかりませんが──そんなこと気にしなくていいんじゃないんでしょうか?」


「気にしない?」


 千尋はこてんと首をかしげ、言葉を繰り返した。


「はい、気にしなければいいんです。たとえどんな姿だって、千尋くんは千尋くんです。内海くんもそう言っていたじゃないですか。だから大丈夫です。──それに、私もTS症候群について調べてみましたが、どうやらDNAは同じものらしいですよ。安心してください」


 相も変わらない女神っぷりを発揮している優に、千尋はぷるぷると感動に打ち震える。


(やばい、まぶしすぎる。直視できない)


「最後のを最初に言ってくださいよ」


 だから千尋はジト目を向けて、ツッコミを入れることにした。もう大丈夫だと、心配することはないのだと、目の前の優しいカウンセラーに伝えるために。


「すみません、私自身内海くんの言葉に感動したので、つい」


 優さんがおっとりとした性格でなければ、テヘペロという表現が似合っていたであろうその言葉に、千尋は小さく声を出して笑って、


「まあ、アレは感動しないわけがなかったですけど……」


「私もあんなこと言われてみたいです」


 優の瞳はキラキラと輝いていて、やっぱり優も乙女なんだと実感した。


「隼、言ってくれますかね」


 なにげなくぽつりとつぶやいた言葉だったが、優ははあ、と大きめのため息をついた。


「言ってくれませんよ。なんかわかりま──」


 す。その言葉が優の口から出ることはなかった。


 ぎぎぎ、という似つかわしくない音を立ててこちらに顔を向けてくる。


「どうしてここで隼くんが出てくるんです?」


 こてんと首をかしげてみせる優の表情は、本当にどうしてかわからないとでもいうような、純粋無垢さが見て取れた。


「え、だって優さん、隼のこと好きなんじゃないんですか?」


 ピキッ。


 いくら鈍感で危機管理能力のない千尋でも、空気が凍りついた音くらいはわかる。


(あ、これ触れちゃいけないやつだ……やばい)


「………………」


 沈黙を保ったままの優に、千尋はどうしたらいいかわからず、ただただ固まることしかできない。


 他人の地雷原を意図せず踏み抜いたことなら数えきれないほどある経験豊富な千尋だが、今回ばかりは白旗を上げたい思いだった。

 でも、安易に白旗を上げてはいけない。自分の尻は自分で拭く、千尋はそれを実行する性格である。


 どうして優が黙りこんでいるのか、千尋の脳内でさまざまな推測が浮かんでは消えていく。


(あ、もしかして……)


 そして、優の心境に最も近いであろう推論が生み出された。

 脳と口が七割くらい直線でつながっている千尋は、残り三割の冷静な脳でしっかりと考えて(もう地雷は踏みたくない)、口を開いた。


「好きって自覚なかったんですか?」


 こくり。優は頷いた。それ以上の動作も言葉もまったくない。


「ま、まあ、そんなこともありますよね。はっはっは!」


 雰囲気を明るくしようと、そう思いながら軽快な笑い声をあげたが、驚くことに、軽快どころか乾いた声しか空気を震わせなかった。

 それでも優には千尋の気づかいがしっかり伝わったようで、ふふふ、と小さくだが笑ってくれた。


「どうしてそう思ったんですか? お姉さんに教えてください」


 しかしながら、優のなかにあるであろうもやもやとした言語化できない疑問は消えることはなく、千尋に向けられるほかなかった。


 自分のなかに湧いた気持ち悪くなるほどのもやもや……それは偶然にも、千尋が先ほどまで抱えていた感情そのものであった。だからだろうか、千尋の口からは驚くほど簡単に、言葉が出てきた。


「……優さんが隼に抱いている好きは、オレが思うに姉弟間のそれではないんですよ」


 千尋の言葉に、こてんと首をかしげる優。言っている本人ですら、自分がなにを言っているのかわかっていないのだから、無理もない。


「恋をしている人に共通していることと比較すれば簡単じゃないですかね?」


「例えば、どういうのですか?」


「一緒にいるときがいちばん楽しかったり、急接近したときにいつもよりドキドキしたり、会えないときに相手のことばっかり考えるようになってたり、そういうのを一般的には恋って言うんだと思います」


(まあ、オレも恋なんてしたことはないんだけどな)


 しかし、千尋とてかつては映画で見るようなロマンティックで甘い恋を夢見た男だ。少なくとも内海よりは恋に詳しい自信がある。


「……隼くん」


 ぽつり。消え入るような声だったが、五感だけは、なにかと優れている千尋が聞き逃すはずもなく。


「心当たりがあるんですね」


 こくり。再び優は頷いた。


「今までは私がブラコンだからだと、そう思っていたんです。でも実際は。私、隼くんのこと好きだったんですね。……まったく、自分の心もわからないなんて、カウンセラー失格もいいところです」


 言葉だけを見れば、それは悲観したものだっただろう。でも千尋の耳には、なにか悩んでいるような、そんな声に聞こえた。そしてそれは、恋をしていない人でもわかるような、明らかな恋煩いだった。


「優さんは、隼のことが大好きなんですね」


 こくり。三度、優は頷いた。


(もうこれ、どっちがカウンセリングしてるのかわからないな)


「オレの悩みは優さんが解決してくれました。ですから、今度は優さんの番ですよ。なにか悩んでいることはありませんか?」


「悩んでいることですか?」


「はい、俺に手伝えることなら喜んでします」


 千尋は優を真似た優しげな笑みを浮かべる。


「……聞いてくれますか?」


 そっと唇を湿らせ、再び笑みを浮かべた。


「もちろんです。存分にぶちまけてください。小さな体ですけど、受け止めて見せますよ」


 それは太陽のような、すべてを明るく温かく照らすような、そんな千尋らしい満面の笑みだった。


 千尋の耳に小さく息を吸う音が聞こえた。


「……実は隼くんからデートに誘われているんです」


(………………ヘ?)


「………………優さん、今なんて言いました?」


 千尋は自分の耳がおかしくなったのかと思い、聞き直した。その目は、ありえないことを目の当たりにしたかのように見開いている。


「隼くんから一緒に遊園地に行こうって誘われたんです」


 顔を極限まで真っ赤に染めて、聞いたこともないような甘い声を出した優に、千尋は意識して半歩あとずさっていた。


「そういうのは、早く言ってくださいよ!」


 診察室に千尋の絶叫が響き渡った。


「すみません」


 ぺこりと優が軽く頭を下げる。千尋と優にとってはいつものことだが、千尋の心のなかはなんとも言えない気持ちになる。


「いや、別に謝る必要はないです……。そんなことよりも優さん、デートっていうのは?」


 千尋の言葉はいつだって直球で、余計な回り道なんてなにもなくて、だからこそ千尋は誰にでも愛されるのだろう。


「昨日の夜ご飯を食べてるときに、姉弟デートしようって言われました」


 トマトを超えたトマトな優に、千尋はその小さい口でひゅーと笛を鳴らした。


(両想いってのは知ってたけど、「姉弟」デートか……そりゃ、そんなアタックの仕方しかとってなかったら、優さんに好きっていう自覚も芽生えないわけだ。いやもしかしたら自覚はあったのかもしれないけど、どうせ優さんのことだ否定で終わる……)


「それでです、千尋くん」


 優しげ口調ではあったが、その目はまっすぐに千尋を見ている。

 そして言葉が告げられる。

 なにか覚悟を決めたような、そんな力強い声だった。


「私に隼くんの好みの服を教えてください!」


 感嘆符がつけられた言葉である通り、今度は小日向優の声が診察室にこだました。


 防音加工のあるその部屋から決して漏れ出ることのないその声は、必然のように千尋の耳に届いた。


「わかりました」


 ちなみに優、二日連続の休日返上だった。献身的なカウンセラーである。


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