夏休みの恋人「四」
おはようございます、作者です。
今日もいい寒さですね、投稿された時間から読んでくれている人たちはとてもわかるんじゃないでしょうか。
いえ、そんなことよりも今回の話と、あと一話でこの作品も終了となるのですが(何気に初出し情報ですね)、思えば、この作品を投稿し始めたのは、ちょうどこの辺りを書いていたときだったなと、しみじみ思っているところです。
なんて、どうでもよさげな話は、横道にでも生ごみのように捨てておくとして……。
今回の話は転の最終章です。
エピローグを除けば実質最終回ですね。
では、ごゆるりとお楽しみください。
十か月前──生徒会選挙後。
夕日が差し込む茜色の教室で夜野愛梨は一人、たそがれていた。普段の喧騒さが嘘のような教室に若干の寂しさを覚えていると。
ガ、ガラッ。
建付けの悪い教室のドア特有の開閉音が響き渡った。反射的に振り向くと、桃花が、新──本日の生徒会選挙で圧倒的な支持率で生徒会長に任命された──生徒会長、星見桃花の姿がそこにはあった。
「愛梨、待たせてごめん」
桃花はそう言って、にっこりと笑ったが、どうにもいつもと様子が違うような気がする。
(緊張しているのでしょうか?)
ガチガチに固まっているように見える。
「桃花、どうかしました?」
「せめて二人きりのときくらい……」
桃花が言っているのは言葉遣いのことだろう。自分のことながらどこからどう見ても、親友に対するものには見えない。それに桃花と話すのに使い潰したこの口調を使いたくないという思いもある。
こほん。とわかりやすい咳払いをして、
「桃花、どうしたの?」
(何度もやってきたことですけれど、やっぱりまだ慣れませんね)
「今日はちょっと……話があるんだ」
いつになく真剣な表情をしているものの、その体は未だに緊張でガチガチに固まっており、その目にはどこか迷いのようなものが含まれているように見えた。
「なに、聞かせて」
愛梨は優しく包むような声を意識しながら問いかけた。今の桃花に対してはそうしたほうが良いという不思議な確信があった。
「………………き」
「?」
「あたしはあなたのことが、好き。大好きなの」
とくん。心臓が飛び跳ねる音がした。
(いえ、待ってください。なにを早とちりしているのですか? そんなこと、あるはずが……ありま、せん……)
「それって、わたしと付き合いたいってこと?」
震える声で愛梨は言葉を紡いだ。いくらでも都合よく変換してしまう自分の心を閉ざして、目の前にいる桃花だけに集中する。
「うん。あたしは愛梨のことが好き……だから……付き合ってください!」
ゴクリ。自分の喉がそんな音を立てて息を呑んだのがわかった。そして次第に視界は水のなかに潜ったときのようにぐらついていく……。
(ずるいです。そんなこと言われたら、断れるはずがないじゃないですか?)
目からこぼれ出る雫を必死に手で拭い、自分自身の真なる心に従って、夜野愛梨は柔らかに、でも確かに空気を震わせるような強さで、言った。
「はい」
それは本来なら許されるはずのない恋だ。
いくら桃花が将来有望な少女であるとは言っても、そもそも桃花は「少女」だ。もっと言えば「女性」である。今現在この国では同性婚は認められているものの、愛梨の家は古きを重んじる伝統を受け継いでいる。伝統というのは今の変化に多様な時代から遅れることは多く、愛梨の家も同様である。
でも。
それでも夜野愛梨は星見桃花のことを愛している。
その気持ちにどうやって嘘をつけようか。
「桃花、わたしも、あなたが大好きです」
真っ赤な太陽が見るものすべてを侵食してしまうような、そんな日に、二輪の白百合は恋人となったのだ。
*
現在──森付近。
「久しぶりだな。元気にしていたか?」
先ほどまで座っていたベンチからのちょっとばかしの移動を経て人目のつかない森のほうへ移動した内海たち一行は、黒服の人も誰一人として同行させず、単騎で六人を相手にしようとしている夜野父へと、いぶかし気な視線を向けた。
「む? まあ、そうそう敵意をむき出しにするな。俺はただ娘と、愛梨と話をしに来ただけなんだ」
これほど信用に乏しい言葉はないだろう。ほんの数秒前まで「帰るぞ」なんて愛梨を連れ帰ろうとしていた。いくら娘と言えど、女子高生を強引に車に乗せるような暴挙を取らなかったことに内海は心のなかで胸をなでおろしていた。
「お父様、どうしてここに来たのか。聞いてもいいでしょうか?」
黒服の人を見つけたときのような激昂した態度は鳴りを潜め、幾分かの冷静さを保ってはいるが、未だ夜野父へ対する敵意はむき出しにしたままである。
「うん? 娘を心配して、親がちょっと覗きに来ることが、そこまで言われるようなことなのか?」
そう言った夜野父の表情は、冷徹でルールや価値観で縛る暴虐の王にも見えたし、娘に拒絶されてちょっぴり傷ついたただの父親のようでもある。いや、後者は明らかに内海の見間違いなのだろうが。
内海が場の雰囲気に合わずほのぼのとした思考を綴っている間にも、愛梨と夜野父の主張のキャッチボールは続いている。
「ごまかさないでください。なぜ、帰るなんてことを言うんですか?」
愛梨は夜野父へとつかみかかりそうな凄みをまといながら、問い詰める。この後輩とその父親との間にどんな確執があるのかを内海は知らないが、それでもとても根深いものだということは理解できた。
「俺がただそうする必要があると思ったからだ」
凄みのある愛梨の問いかけにも夜野父は一切の動揺もなく、整然と答えた。その目には確かな覚悟の炎が宿っていて、有無を言わせないような迫力がある。
「わたしのプライベートにまで踏み込んでこないでください……」
その迫力に押されたのか愛梨はその肩をびくっと震わせ、さきほどと比べるとずいぶん弱々しい声でそう言った。
そんな様子の愛梨に夜野父は畳みかけるように言葉を紡ぐ。
「お前はこいつらのもとにいるべきではない! それになんだ? 桃花という少女と付き合っているだと? ふざけるのもいい加減にしろ! お前にはもっと相応しい相手がいるはずだ。お前を幸せにしてくれるすばらしい相手がいるはずだろうに。いくら天才だと言っても、彼女は女だろうが! そんなのでお前はこれから先、幸せにやっていけるのか? どうなんだ!」
その言葉は一貫して愛梨の現状を否定するものだった。初めてできた恋人の存在を否定され、友人の存在も否定され、挙句には将来のことまで否定するものだった。語気強く、ドスの効いた声で、人の心を掌握していくような夜野父の言葉に内海も、隼も、優も、桃花も、そして愛梨も目を伏せ、乾いた土を見つめることしかできない。
と。
「その考えは古いんじゃないでしょうか?」
鈴の音よりもきれいな声で、ぽつりとつぶやかれたその言葉は、この場の全員の顔を上げ、視線を集めるには十分な効果を発揮した。
「なにかね、部外者は黙っててもらいたいものだ」
愛梨に語るよりは幾分かマシに思えるがそれでもやはりドスの効いた声で威嚇する夜野父。その声は精神的に弱い子供をひるませるに足るものかもしれないが、声高らかに反抗する英雄には届かない。
「部外者じゃありません。オレは愛梨の友達です」
臆面もなく、そう宣言する千尋だったが、
「だが、それでも君には関係のないことだろう?」
それでも。夜野父はバッサリと切ろうとする。
家庭の事情というものを内海も千尋もおそらく戸惑ったようにこちらを見ている桃花も知りはしない。
「友達ってのは、相手が困っていたらすかさず助けに入るもんですよ」
そう言って不敵な笑みを浮かべる千尋は夜野父の言葉でかすり傷一つ受けていないようで、千尋を見る内海の目は信頼に満ち溢れていた。
「愛梨のお父さん、オレはあなたの考えを全部が全部否定しようとは思いません。確かにあなたの考えは古いです。でも、オレが問題にしているのはそこじゃないんですよ」
千尋は言葉を入れる隙もなく、言葉を吐いていく。その姿は内海の憧れる優しい英雄の姿であり、目の前のぎくしゃくした親子関係をなんとかしたいと心から思う気持ちが表れたものだ。
「あなたが愛梨のことをなによりも大切に思っているのは言葉の節々から伝わってきていますよ。愛梨のことが心配で心配で、嫌われてもいいから間違った方向に進んでほしくないって願ってることくらい、あなたを見てればわかります」
愛梨と夜野父が千尋の言葉に目を見開いた。その動作のなかの小さな仕草まで一致しているのはさすが親子と言えるだろう。
(もし今、千尋が言ったことが事実なら、この親子喧嘩はたぶんあっさり解決する)
「ただ、あなたと愛梨はコミュニケーションが取れていないだけなんです。あなたが縛り付けすぎたせいで愛梨はあなたから距離を取るようになり、それによってあなたはさらに愛梨を心配する。ほら、単純な悪循環なんですよ。別にあなただけのせいではありませんし、愛梨の責任というわけでもありません。でも、あなたが愛梨と向き合えばそれで済む話なんだと思います。だから──」
そこには千尋の確かな思いが込められていた。そしてその想いを今、二人へと解き放つ。──その腰は四十五度に曲がっていた。
「だから、愛梨の話を聞いてください」
内海はそれを黙って聞いていた。いや、内海はただただ呆然と千尋のかっこよくてかわいい姿を見ていたのではない。それだけしかできない男に内海自身が千尋の隣にいることを許すはずがない。
(なら、俺「たち」がすべきことは……)
内海は脳内の思考回路すべてを使用し、今自分にできることを考えていた。誰かも知らない他人を助けるために命は投げ出せなくても、内海裕幸は身近にいる人間のためなら、勇気を出せる。
「愛梨!」
みんなが視線を千尋に向けるなか、内海は一人、愛梨の名前を呼んだ。一気に全員の視線が集まった感覚が内海を襲うが、羞恥の気持ちは起こらない。
考えて考えて相手を元気づけるような言葉を考えて、内海は愛梨に向けて言葉を放った。まるで小山内千尋がそうしたように不敵な笑みで、堂々と冷静に。
「お前の心のままの気持ちを話すんだ。思いを……伝えろ!」
視界の端で、千尋がにかっと花が咲いたような笑みを浮かべるのが見えた。そして内海を先達として、小山内千尋が口を開く。
「裕幸の言う通り、それが一番だぜ」
安心しろとでも言うようにサムズアップをする千尋だが、その幼い容貌のせいでなんともかわいらしく締まりのない感じに仕上がっている。まあ、それはそれで緊張を和らげてくれるのかもしれないが。
そして内海に釣られたのは親友である小さな少女だけではない。
「僕も応援する。君の思いを響かせて」
優しげな双眸でささやく、小日向隼も。
「なにかあっても私が守りますから、思いっきりね」
包むような慈しみのオーラで微笑む、小日向優も。
この場にいる全員が夜野愛梨の背中を押そうとしている。友人だから、後輩だから、お姉さんだから、各々が抱く思いを込めて、愛梨に一歩を踏み出してほしいと声を上げたのだ。
だが、あと一歩、足りていない。
愛梨の心はあと一押しで勇気を振り絞れるだろう。
まるで図ったようだと、内海は心のなかでひそかに苦笑した。この場で愛梨の心を開くことが出来る存在はたった一人しかいない。
ざっ。
草履が地面を擦れた音が、この場の全員の耳に届いた。
そして──。
「愛梨」
星見桃花が、やっと口を開いた。
やっぱり最後の一撃は、他の誰でもない、愛梨の最も愛する恋人の言葉でなければ──花がない。
「あたしは、愛梨とも、愛梨の家族とも仲良くしたい。どんなときでも愛梨には笑顔でいてほしいの!」
*
「皆さん………………ありがとうございます……」
優の、千尋の、内海の、隼のそして桃花の言葉を聞いて、父親の言葉にその心を閉ざされそうになっていた少女が再び立ち上がる。
「お父様」
でもそれは反抗するためにじゃない。
自身に愛が向けられていないなどと最低な勘違いをしていた自分はもういない。今の自分はちゃんと父親から愛されているのだと知っている──知らされかたのあまりの雑さに釈然としていない気持ちもある──から。
自分のことを愛してくれている父を納得させるために。
「お父様、わたしは、桃花が好きです。
「この世の誰よりも、桃花が好きです。
「一過性の感情なんかじゃありません。
「一時の気の迷いなんかじゃありません。
「わたしは桃花に、わたしの隣にずっといてほしいと思っているのです。
「これから先、どんなことがあろうともそれは変わりません。
「今のわたしとお父様のように、主張の違いや、意見の食い違いで喧嘩をすることもあるかもしれません。
「でもそれは、誰にだってあることです。お父様やお母様にだってあったことです。
「そんなことは当たり前のことですから。
「それに。
「女だから。
「男だから。
「女なのに。
「男なのに。
「お父様も、お父様の時代からさまざまなものが変化を遂げてきたことはわかっているはずです。
「わかっていても、いえ、わかっているからこそ、お父様は自分が幸せになった方法で、確実にわたしに『幸せに』なってほしいと考えているのでしょう。
「その気持ちは非常にありがたいと思っています。
「娘として、ここまで家族が自分のことを考えてくれることに感謝しています。
「ですが、今回ばかりは反抗させてください。
「わたしの反抗期の最後の狼煙を上げましょう。
「お父様、それは『大きなお世話です』! そんなのまったく必要ありません!
「わたしは女の子を好きになりました。
「他の誰でもない星見桃花という温かい少女のことが好きになりました。
「誰がなんと言おうとこの気持ちが変わることはありません。
「それがわたしの想いです。
「無論、世間の目を気にするなんてことはありませんし、むしろ──。
「世界で一番好きな人の隣で歩けることのなにを恥じることがありますか!
「ですから、お父様に宣言いたします」
愛梨は桃花の手を握り、愛おしげな表情で見つめたあと、覚悟を決めたように安定した声音で、優しく父を安心させるように、夜野愛梨は頬を赤く染めながら、はにかんだ。
「安心してください。今のわたしはとってもとっても『幸せ』です」
愛梨の言葉を最後に、ひゅうううと一陣の風が吹き抜ける間、沈黙が舞い降り、この場の人間を支配する。
やがて小さく息を吸う音が聞こえ、その音の発生源が自分の父親だと言うことに愛梨は気づいた。しっかりと視界に父の姿を見ている愛梨には父が自分ことを嫌ってなどいないのだと、確認することができた。娘のことが心配で、娘に拒絶されることを心から恐れているような、思っていたよりは幾分か弱々しく見える。
そして父がゆっくりと言葉を紡いだ。
「もう、好きにしろ。……ただし、幸せになれ」
今日この日、夜野親子のなかにあった確執は完全にとは言えないまでも、改善の一歩目を踏み出すことに成功した。