夏祭りの恋人「三」
おはようございます。
本来なら絶望に染まっているだろうこの憂鬱な水曜日も今週だけは違いますね。
感覚的にまだ二日です。そして最短の人はあと三日で終わります。
ということで主要キャラが会場に全員集合しました。
さて、転を楽しみましょう。
花火大会当日──花火が打ちあがるまで──あと二時間。
花火大会というのは本番の打ち上げ花火はもちろん、その余興である屋台巡りも同様に盛り上がるものである。
今日も、さまざまな屋台が神社の参道を起点として開かれていて、普段の清閑とした雰囲気が嘘のように、屋台の明かりで世界が彩られている。
そんななかで内海たちはなにをしているかというと……。
「さて、全員そろったことですし……どうしますか?」
この場の仕切り役を買って出た桃花が元気にハイっと手を上げて質問を促していた。いつもよりも不自然なくらい元気な桃花だが、祭りのときのテンションというのはおおよそ誰もがそんなものである。もちろん内海だって例外ではない。テンションアゲアゲだ。
「はい」
「では、千尋先輩」
「とにかく、おいしいものを食べたい」
真っ先に手を上げた千尋の提案は、千尋にしては珍しく食べものを第一にしたそれだった。すんすんと周りの匂いを嗅いでみると、今にもおなかがすいてきそうな屋台の香りが胸をいっぱいにした。
「そうですね。あとでみんな一緒に買いに行きましょう!」
桃花は元気よく、千尋の提案を受け入れた。左手で腹部をさすっているあたり、桃花もおなかがすいているのだろう。
「ほかになにかあります?」
カチっと欲望を切り替えて、司会役をしっかりと務める桃花。今度はつぶやくように優が発言した。相変わらず空気を柔らかくしてくれるような声だった。
「うーん、私は希望はありませんが、せめてみんなで楽しめるものがいいです」
「僕も姉さんの意見に賛成かな」
「隼くん」
「姉さん」
なにがトリガーか、急にいちゃつき始めた姉弟恋人たちに四つのジト目が突き刺さった。ついつい、六人のうち二組もカップルができているのは異常事態なのでは、と思ってしまいそうになるほど、内海の心は小さな嫉妬に燃えていた。
(いや、友達や後輩が幸せそうな顔でいてくれるなら、それはそれでいいんだけどな)
「内海先輩はどう思います?」
「? 俺か? 俺も楽しければそれでいいかな?」
みんなの意見を尊重するような言葉を述べているものの、内海はただ具体的になにをするか決めていなかっただけである。そんな心境を内海の雰囲気から察してしまったのか、じーっと桃花がジト目を向けてきた。
その視線から逃れるように視線をさまよわせると。
すっ。豪華に手を上げるわけではなく、かと言って声を出して存在をアピールするでもなく、夜野愛梨が静かに流麗なしぐさで手を上げていた。
内海やほかの四人のように、普段の親しげな姿やポンコツな姿で耐性等を付けていなければ、一目惚れ間違いなしの芸術品のような挙手であった。
「………………では、愛梨」
否。ここに一人、耐性を付けているにもかかわらず、愛梨の魅力にやられて頬を紅潮させながら鼻息を荒くしている少女がいた。その姿には知性のかけらも見受けられない。変態的な姿さらしているとは言っても元が美少女であるため無条件に引いてしまうようなことはない。それに、桃花的には愛梨に見られていないだけで僥倖だろう。
ともあれ。
議長桃花に発言を許可された愛梨は、先ほどの芸術品のような姿とは打って変わって、まるで──。
「わたし、今年もあれやってみたい!」
まるで子供のように瞳をキラキラとさせながら、そのお嬢様然とした白く細い指を、とある一つの屋台へ向けていた。
「……金魚すくい」
金魚すくい。
ポイという網に似た器具を使い、水槽の中にいる金魚を受け皿のなかに入れ、賞品として持ち帰る。単純ながらも非常に楽しい遊びだ。
「うん、じゃあみんな、それでいい?」
桃花と愛梨を除く四人が次々に首肯し、今回の祭りはまず金魚すくいから始めることになった。その決定に愛梨がキラッキラの笑顔で喜びを表現したことで、星見桃花は「ぐはっ」っと死んでいた。死体は見ていない。
金魚すくいに関して、この地域限定の特別ルールが存在するということもないため、特に余分な説明の必要もなく、内海たち一行は周りの屋台をくるくると見渡しながら、目的の金魚すくいの屋台へと向かうのだった。
(おっ)
やがて内海の視界に広く浅い水槽と、その目の前で客を待つ内海よりも五か六ほど上の青年が映った。
「よお、兄ちゃん。久しぶり」
気安く片手を上げながら内海が話しかけると、青年──日本大和が顔を上げ、「おお!」と心なしか嬉しそうな声を上げ、
「お前ら! 今年も来たか!」
先ほどまでの客に対する敬意はどこへやら人懐っこい声音で、そう言ってにかっと笑顔を浮かべた。
「内海、元気にしてたか?」
「もちろん、って何度か大学で会ってるけどな」
タンクトップに短パンとサンダルという夏の小学生男子三種の神器みたいなふざけた格好をしているが、日本大和、実は大学院で修士課程を学んでいるのだ。ありていに言えば先輩の立場にある。もっとも内海にとってはただの「金魚すくいの兄ちゃん」でしかないが。
この金魚すくいの屋台に関して、いつからやっているのかは内海も知らないが、少なくとも高校生のころにはもうすでにやっていた。
「お前らも、元気だったか?」
大和の言葉に全員がこくこくと首を振ったり、サムズアップをしたりした。この大和の前では六人のなかで最年長の優ですら年下である。
「兄ちゃん、今年も六人分だ」
各々の財布から百円ずつ取り出し、大和に手渡しする。そして十秒後には全員に受け皿とポイが渡された。ポイの素材はほどよく丈夫で、体長の大きい金魚でも十分に捕まえられそうである。
「それじゃあ、がんばれよ!」
大和は、まるで挑戦状を叩きつけるような不敵な笑みを浮かべて、内海たちにそう言い放ったのだった。
たぶんそれが金魚をかけた戦いの火ぶたが切られた瞬間だったのだろう。……なんて、なにかを匂わせるようなことを言っているものの、実のところ、ただ遊ぶだけである。
*
「おめでとさん。また来年も来てくれや」
大和はにかっと笑って金魚が二匹入った袋を桃花に渡した。自分ですくった金魚が袋のなかで生き生きと動いているのは、やっぱり何度見ても飽きることはない。
「ありがとうございます。お兄さん」
桃花はぺこりと頭を下げてお礼を言う。ちらっと隣を見ると、愛梨もほくほく顔で袋の中身を見ていた。桃花と同じ二つの赤色が──どれだけすくっても原則二匹までしか持って帰れないとのこと──そこにはある。
「ありがとうございます」
可憐な声で愛梨もお礼を言っていた。自分へのものではないにしてもそんな愛梨の姿に、桃花の胸はあったかい気持ちになった。
「おう、去年と違ってたくさん取れたな。よかったよかった!」
愛梨から向けられた感謝の言葉を──桃花の視界にはあらゆるバイアスがかけられています──さらっと受け入れて、豪快に膝を叩くその姿勢こそ、全員に近所にいそうな「お兄ちゃん」と言われるゆえんなのだろう。それに昨年一匹も取れずに頬を膨らませていた愛梨が、今年は三匹も取れたのだ。大和や愛梨以上に桃花もハッピーな気持ちだ。
「優ちゃんも隼に礼でも──って、言ってないわけないよな」
「もちろんです」
大和の質問にそう答えた優の手には金魚が一匹入った袋があり、優はそれを優しい目線で見つめた。残念ながら一匹もとることができなかった優に先ほど隼がかっこよく譲ったのだ。そいうところは桃花も見習いたいと素直に思った。
「姉さんの存在自体が姉さんからの感謝と言っても過言ではないですよ」
さっきから褒めているにもかかわらず、おかしなことを言っている人間が一人いるが、この際無視してしまっても大丈夫だろう。
と。
「それでだ……さっきからずっと気になってたんだけどよお、内海」
口角を若干上げ、笑うというよりは苦笑いを浮かべながら、大和はなにか言いにくそうに内海に声をかけた。当然、全員の意識がそちらに向く。
「なんだ?」
こてんと首をかしげて内海が問うと、大和はゆっくりとした動作で手のひらをある一定の方向に向けて──人差し指を向けないところが大和らしい──言った。
「この嬢ちゃん、おれ知らないんだけど、なに誘拐したん?」
手のひらが指し示すその先には、何度見てもかわいらしいという印象を受ける浴衣姿の千尋がいた。
「………………あ!」
全員の口からそんな息が漏れた。
そう言えば説明するのをすっかり忘れていたと、誰もが唖然とした。確かに何の説明も受けずにこんな高校生や大学生のなかの小学生みたいな状況を見れば、そう疑ってしまうのも仕方がない。
「えっと、兄ちゃん……こいつは、その……千尋なんだ」
慌てて内海がカクカクシカジカと説明するのをみんなでそわそわとした思いで見守る。昔ながらの付き合いではあるし、今更距離を取られるようなことはないと信じてはいるが、それでも一縷の不安もないと言えば嘘になってしまう。桃花でさえそうなのだ。当の本人である千尋にとっては毎回毎回裁判を受けているかのようだろう。
でも、そんな不安など意にも返さず、
「なるほど、そういうことか。ごめんな、千尋。嬢ちゃんなんて呼んじまって」
長いようで短い簡単な説明を受けた大和は、両手を合わせて頭を下げた。
「まあ、こんな体だし、しょうがないよ」
千尋本人がこういう一連の質問に対してどう思っているか、未だに知りえない桃花だがそれでも、笑って謝罪を受け入れることができるのは、この小さくなってしまった元少年がとてもとても優しいということなのだろう。
「じゃあ、また花火が終わったあとに来る」
やがて、楽しい会話は終わりを告げ──ただ、次のお客が来ただけである──桃花たち六人はもう一度ぺこりと四十五度で頭を下げた。
「おう、待ってるぜ!」
ちなみに、あとで内海から聞かされることになることだったが、どうやら千尋がTSする前から最近までずっと研究室に篭もりっぱなしだったようだ。道理で情報が回っていないわけである。
*
さあ、ここからの楽しい笑顔あふれる夏祭りの光景はダイジェストで進んでいく。
それから桃花たちは型抜きや射的などの夏祭りの鉄板と言える屋台で遊んだ。
型抜きでは隼がパキっと即座に割ってしまったり、射的では内海の軍隊みたいな掛け声でターゲットに向かって一斉射撃を行ったりした。
射的の結果については大きめのぬいぐるみ一つしか取れなかったものの、屋台の店主は「なんだかんだ面白かった」と言って小さいお菓子類を人数分桃花たちに渡してくれた。
そのあとも面白そうな屋台はだいたい回ったが、どの屋台もハズレなしの面白さだった。
それに容姿的にとても幼い千尋がいたおかげか、屋台の店主たちがみんな優しく対応してくれるという今までにない不思議な体験をすることもできた。程度で言えば、昨年は無表情と厳かな声だった店主が、人懐っこい笑顔と優しい声音で対応をしてくれるレベル。
そんな感じて一通り遊び尽くした桃花たちがなにをしているかと言えば──。
「次はどこに行く?」
現在は作ってもらった綿あめをみんなで食べている最中である。偶然にもおいしいものを食べたいという千尋の最初の提案が叶った形だ。
(さすがに、一気に遊ぶのは……疲れた)
なんて心のなかの桃花の発言を無視して──言ってないのだから聞こえるはずがない──内海が次に行く屋台の意見を募っていた。
「なんか、もっと面白みのあるやつがいいな」
「僕は楽しめる者であればそれでいいよ」
「私もそこまでこだわりはないですね」
「千尋、隼。お姉さんももっとちゃんと考えてくださいよ」
ぱくぱくと綿あめを食べながらほぼ無意識的に返事をした三人に内海が苦笑いを浮かべる。そもそもその三人にはどこかに行きたいなど積極的に意見を言うタイプではない。内海もそれをわかっているからこそ、これ以上なにも聞かなかったのだろう。
「それじゃあ、なにか食べたいものは?」
「焼きそば、とか?」
さっきまでふわふわとたくさんあった綿あめの塊はブラックホールのように甘いものを吸収する千尋の胃袋に収まり、残り残量も少なくなっていた。
「千尋、せめて今手に持ってるものを見てから次の食い物を選んでくれ。甘いもの食べたから、粉ものは時間が空いてからにしような?」
「えー、いいじゃねかよお」
なんて、はたから見ればまるで兄妹──会話の内容的にはむしろ親子に近い──みたいな会話を交わしている内海と千尋を、隼と優がほんのちょっといちゃつきながら見守り、またそれを後輩である桃花たちがため息をついたりしながら眺める。
桃花たちが出会った当初からの一番居心地の良い形であり、各々や環境が変わった今でも、それは絶対に変わることはなくて、とってもとっても優しい場所だった。
だからだろうか──。
(楽しい……)
この先輩も後輩も血縁も立場も超えたこの関係がずっと続けばいいなと、柄にもなく桃花はそう思った。
「桃花と、愛梨はなにか食べたいものあるか?」
そんな考えが、ただのフラグとも知らずに。
「ねえ、愛梨はどこ行き──」
そしてそのときは訪れる、無情にも。
「なんでここにあなたたちがいるのですか?」
喉元に突き刺さるような冷たい声が、桃花の耳に届いた。この世で一番愛していると言ってもいい少女の声だ。間違えるわけがない。後方でしたその声に桃花はくるりと半回転し、はっと息を呑んだ。
「もう一度、聞きます。どうしてここにあなた方がいるのでしょうか?」
夜野愛梨が今まで見たことのないような顔で、目で、雰囲気で、全身で、相対している黒服の人たちへの拒絶を示していた。
(あ、愛梨?)
そんな愛梨の姿に桃花も含めた五人全員が硬直してしまっていた。それくらいに今の愛梨は恐ろしかった。
「お、お嬢様、実は──」
黒服の一人が慌てたようになにかを言おうとしたが、その言葉が最後まで空気を震わせることはなく。代わりに、
「いい。俺が説明する」
威厳の詰まった低くて渋い声が道路のわきに止まっていた真っ黒な車から響いた。先ほどの愛梨なんて比較にならないほどの威圧感にぞわぞわと背中に危機的状況を知らせるような感触が伝わった。
黒い車の運転席から出てきた老練さを醸し出す男性が凛とした動きで後部座席の扉を開けた。
ざっ。
草履が地面に触れると、その周辺の空気がざわついた。その体から放たれる風格というオーラが、空気を揺らしたのだ。声の主がゆっくりと車から降りる。
声の主は、紺色と灰色の和服を身にまとい、かもしだすその圧倒的なオーラで瞬時にこちらの空気を変えた。ほんの少ししか残っていなかったほんわかとした祭りの雰囲気は完全に鳴りを潜め、しんとした静寂が訪れる。
和服の男性はゆっくりとした動作でこちらに向かって近づいてくる。歩く姿さえ威圧感を感じさせ、桃花は息をすることすら忘れていた。
ざっという音とともに和服の男性が愛梨のもとへたどり着いた。横目で愛梨のことを確認すると感情を抑えるように腕をプルプルとさせている。
そんな愛梨のしぐさなど気にも留めず、和服の男性は厳かな声で、
「帰るぞ」
と言った。それは先ほどから感じる愛梨との距離の近さをつまりそう、今愛梨の目の前で対峙している和服の男性の正体は──。
「いやです。お父様……」
桃花の恋人である愛梨は、和服の男性──夜野父の目を見て、若干トゲ冷たい声でそう言い放ったのだった。
そして物語は周囲を巻き込んだ親子喧嘩に突入する。
ちなみに、普段ワインを主食としていることを知らない桃花たちは夜野父のことを和に生きる人間だと壮大なる勘違いをしていた。もっとも、これが物語の伏線になることは、ない。