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プールの親友「四」

さて、日曜日です。

最近曜日の名前を淡々と語るだけの前書き欄になっているような気がしますが、まあ、置いておくとしますか。

第三章最終話です。とりあえずのひと段落である第四章まで皆さん一緒に駆け抜けましょう。

追記、申し訳ありません、第四章の校閲や投稿処理をしていたところ、再来週までの二週間の間ぱんぱんに予定が詰まってしまい、予約投稿すらままならない状況になりそうです。ですので第四章の投稿は再来週の月曜日からになりそうです。すみません。


(※内海裕幸はウォータースライダーに関する記憶を意図的に忘れようとしており、説明が不十分です。なにがあったかはご想像にお任せします。)



 ドキドキドキドキ。

 ドキドキドキドキドキドキドキドキ。


 心臓がさっきからずっと高鳴りっぱなしでうるさい。あまりのうるささに目を閉じると、途端に数分前の記憶がよみがえってくる。ウォータースライダーを滑り、プールのなかへ水しぶきを上げながら飛び込んだ。なぜそうなったのかよくわからないが、次の瞬間には薄桃色の布と、顔面に感じた青い果実の感触、そして鼻腔に漂う甘いミルクのような肌の香り。



(思い出すな、思い出すんじゃない。忘れろ、忘れるんだ……子供でも意外に柔──っ!)



「裕幸、どうした? ぼーっとして。なにかあったのか?」


 いつの間にか千尋がのぞき込むようにして、こちらをうかがっていた。あまりの距離の近さに、心臓が止まりそうになったが、それも一瞬のことまた即座に元の心拍数に戻った。やっぱりうるさいくらいドキドキだ。


「い、いや、なんでもない。次行こう。次」


 それから内海と千尋は楽しい楽しいプールで思いっきりデートっぽいことをした。


 プールのアトラクションを楽しみまくって、たくさんの思い出を製造していく。流れるプール。波のプール。温水プールなどなど、たくさんのところに行って、心の向くままに遊んだ。


(楽しかった。……十分に楽しかったと思っていいんだけどな)


 内海は千尋のほうを見る。現在はアトラクションではない普通のプールでその体を水で濡らしていた。自分の容姿の力をわかっていないかのように無防備な姿に、内海は目を逸らすことしか──この状況で内海にガン見するなんて勇気はないのだ──できない。そんなヘタレだが紳士な内海はプールで遊びを楽しみながらも、千尋の楽しそうな姿や水に濡れたあまり見ることのない貴重な姿から必死に目を逸らしていた。


「それっ」


 バシャアアアッ!


 元気の良いかわいらしい声に顔を上げると、ちょうど顔面に千尋の上げた水しぶきが直撃した。プールの縁で足だけつかっていて、すでに乾いていた上半身はすっかり濡れていた。数秒経って状況理解した内海はにやりとした笑みを浮かべている千尋に向かって、


「ちーひーろおー!」


 千尋でも十分に肩が出るくらいのプールに入り、お返しとばかりに水しぶきを浴びせる。


「きゃっ」


 先ほど内海も味わった水の冷たさをしかと味わったらしく、年相応なかわいらしい悲鳴を上げた。


「やったなあ」


 ばしゃっ。今度は軽めに、じゃれているような勢いで水しぶきを飛ばし、一撃目で十分に濡れた黒いボブカットをさらに深く濡らしていく。


「なにおー」


 千尋がさらに仕返しとして、その両手の手に収まりきるくらい少ない量の水をかけてくる。こうなれば無限ループの始まりだ。もちろん、この行為が世間一般的にどういった関係の二人が行うものなのかに内海裕幸も小山内千尋も気がつかない。


 しばらく水のかけ合いが続いていたが、その終わりは唐突に訪れた。運動不足の大学生と子供の体力は底をつきやすいため、両者ともにただ疲れただけである。

 先ほど内海がしていたようにプールサイドに腰かけ、足だけを水のなかに入れる。プールのなかから出た千尋はその白い肌に水玉を滴らせていて、いつもよりも幾分か扇情的に感じる。フリルが水に濡れてビキニにぴたっとくっついているのが、さらにその印象を強くしているのだろう。

 なんて千尋の横で、その横顔と体を見ながらそんなことを思っていると。


「オレさ」


 ふいに千尋が声を発した。その視線はどこか遠くを見つめていて、内海の角度からでは正確な表情は読み取れない。


「こうやってお前と二人きりで出かけるのが好きなんだ」


 そんな千尋の言葉に内海は自分の心臓がぴょんと跳ねたのがわかった。頬のあたりに熱が集まっていく。内海が言葉を返す前に、千尋はさらなる言葉を紡いでいく。


「お前との関係はこんな体になってからって変わるものじゃあなかった」


 内海の脳内に一か月ほど前の会話がよみがえる。


「オレはお前のことを親友だと思っているし、お前もそう思ってくれてると、そう信じてる」


 遠くを見ていたはずの千尋の目はいつの間にかこちらに向いていた。内海と千尋の視線が交差する。千尋の目は先ほどまでの輝きはなく、どこか暗いものが浮かんでいる。内海は自分の心のなかにあるプラスの感情が、千尋のなかにあるマイナスな感情を感じ取るのが分かった。


「さっきまですごく楽しかったんだ。ずっと裕幸とこんなふうに過ごしていきたいってそう思ったんだよ」


 だんだんと悲痛じみた言葉に変わっていく千尋の声は、ほんのちょっとかすれていた。いつしかその顔は伏せられていて、その表情はよくわからない。


「オレはお前との関係を壊したくなくて、守りたいってそう思ってて。だから──」


 なんの情報も持っていない内海にとって千尋の言葉はわけもわからない難解な言葉でしかなかった。たぶんそれは千尋も承知の上だろう。見方を変えれば、自分には話せないことがあると面と向かって言われているようなものだ。内海は心のなかにぽうっと現れた寂しいという感情から必死に目を逸らし、千尋の言葉の続きを待つ。


 千尋はこちらを向き、その薄紅色の唇がそっと開かれ、空気を震わせた。



「諦めてもいいか?」



 そう言った千尋の声はもう誰にでもわかるくらい苦痛に満ちていて、内海裕幸の心をぎちぎちと締め付ける。今まで悩んできたどんなことよりも強大なのだろうそれが千尋の心に巣くっているのだ。

 千尋の苦痛に満ちた表情をまぶたの裏に焼き付けるようにじっと見てから、内海裕幸はまるで物語の主人公のように単純な思考回路で、ここまでの過程を一切無視するように、決断した。


(そんな顔は……見たくない)


 内海裕幸が小山内千尋だけの英雄となるには、きっとそれだけで十分なのだ。

 言葉なんて考えない。


「俺もさ、お前とどう接していいかわからなくなっちまうことが度々あるんだ」


「……え」


 千尋は予想外とも言わんばかりに目を見開いた。そんな愛くるしい反応に微笑みながら言葉を続ける。


「あんなセリフを言った俺が言っていいセリフじゃないんだけどな。俺もまだお前との距離が埋められてないんだと思う」


「………………」


「お前がなにに悩んでるのかなんて知らないよ。俺が知ってるのは俺好みの服や水着を着て、俺に視覚的癒しを与えてくれる天使がいることと、楽しそうに俺との一日を楽しんでくれる妖精みたいな少女のことだ。少なくとも、今みたいに唐突にわけもわからないことで悩んでる、らしくもない少女のことは知らない」


 内海ももう自分がなにを言っているかよくわかっていない。でも、やることは一つ、いつも通りに心の底から言いたいことを、言いたいだけ相手にぶつけるだけだ。


「お前が俺との関係を大切に思ってくれてるのは十二分にわかった。でも俺は、お前にそんな顔をさせてまでなにかを諦めてほしくない!」


 おそらく今この状況は物語のように正しい手順を踏んでいない。内海裕幸の視点では普段通りだったとしても、小山内千尋の視点ではきっと、今日の間ずっと考え続けて、悩み続けていたのだろう。本当につらい悩みをひた隠そうとするのは昔からの千尋の悪癖だ。

 小山内千尋のそんなところまでを知っている内海はニヒルな笑みを浮かべて、いかにもな悪友オーラで、親友のように、頼もしくはないだろうが、とびきり親しく、こう諭すのだ。


「お前が俺との関係を壊したくないってそう言うなら、俺はお前にこう言ってやる。『俺とお前はなにがあっても親友だ!』ってな。だから千尋──」


 物語の主人公みたいに苦しんでいる女の子を救えるわけじゃない。


 内海はそんな、かっこいいみんなのヒーローなんかじゃない。


 でも。


 それでもいいと、思えるから。


 目の前にいる少女を元気にしてあげたいと、そう思えるから。


 内海裕幸は小山内千尋の最高のヒーローとして、立ち上がるのだ。



「諦めんなよ……」



 数秒、いや数十秒だろうか、二人の親友の間には沈黙が舞い降りていた。お互いがお互いの瞳のなかにいる自身を見つめることができるほどじっくりと、ずっと視線を交わしている。


 やがて、千尋が蚊の鳴くような小さな声で、内海にしか聞き取れないような微かな声で、つぶやいた。


「……諦めなくてもいいのか?」


「ああ」


「お前を傷つけるかもしれないんだぞ?」


「お前が悲しい思いをするよりは百倍マシだ」


 千尋の迷いを打ち消すように一つ一つの言葉に思いを込めて、ただ「大丈夫だ」と安心させたいがために、内海裕幸は言葉を紡いでいった。補足するまでもなく、紡がれた思いは一直線に悩める親友のもとへ届いたようで、うつむきながらで表情はわからないものの、確かにいつもの元気で明るい声で、「わかった」とそう言ったのだった。


 ガッツポーズをしたい気持ちを理性でこらえながら、千尋に応援の言葉を送ろうとしたが、タイミングが悪かったのか先に千尋が言葉を発した。男の時代からもともと綺麗な声ではあったが、少女になってからの鈴の音のような声は、誰をも引き込むような魅力がある。


「なあ、裕幸」


「ん?」


 うつむいていた千尋の顔はいつの間にかこちらを向いていた。幼いながらも完璧と言わざるを得ないその容姿に心臓が高鳴っているのがわかる。


「オレさ。今なら、この体になってよかったなって、そう思えるような気がするよ」


 ありがとう。

 そう言った千尋の顔はなんだか、青年にも少女でもない内海の知らない表情をしていて、無意識にその意味を問いかけようと──。



「だ、誰か! 助けっ!」



 でも。


 運命のいたずらはどんなときも主人公を逃さない。


 内海裕幸のターンが終わり、小山内千尋の独壇場が始まる。そして内海の思考もリセットされ、忘却の彼方へ姿を消した。



   *



 急に響いた助けを求める女性の声に、周りの喧騒が嘘だったかのように静まり返った。


 はっとして声のした方向に目を向けると、そこには悲鳴を聞いた瞬間脳内に浮かび上がったイメージの通り、パニックになっておぼれている女性がいた。


(ま、マジか……)


 誰もが立ち尽くし、全身と脳を硬直させた数秒間。本当に誰も動かなかったのかと言えば、「否」と答えるしかないだろう。


 視界の端で、小さな影が動いた。


(まさか……千尋⁉)


 小さな影──千尋はなんの迷いもなく、プールのなかへ飛び込んでいた。勉学の成績こそ優秀なものではなかったが、スポーツの観点で言えば、あの小日向隼ですら届かなかった領域にいるのが、小山内千尋という人間である。


 少女になっても様々なスポーツで賞入りを果たしていたその技術や経験はそう簡単に消えるものではなかったのだろう、千尋はなんの不安さも感じさせない流麗なフォームでおぼれている女性のもとへ駆けつける。


 ガシッ。


 千尋の小さい手が水中に沈みかけ、さらに狂乱し暴れている女性の手首を掴んだ。そして、その小さい体のどこから出てるのか見当もつかないほどの力で女性をプールの端まで引っ張っている。


 火事場の馬鹿力とはこういうものなのかと、場違いながらも関心の念を抱く。


(千尋……やっぱりお前は──)


 内海の瞳には、こんな状況でいの一番に動き出した勇気ある優しい英雄の姿が映っていた。


 英雄。

 内海裕幸にとって小山内千尋は最高の英雄なのだ。困っている人や、助けを求めている人、助けを求めることすらできない人を物語の主人公のようにいつだって迷いなく救って、笑顔にしている。


 それはいつかの内海がなしえなかったこと。


 今でも羨望のまなざしを向けてしまうほど、焦がれたもの。


 小山内千尋が手に入れ、内海裕幸が妥協した──英雄たる覚悟そのものだった。


 見ず知らずの人にも自身を顧みず向かっていく覚悟。それを持っている千尋は今も必死に泳いでいる。


 一人の女性を救うため、内海にはできないことを千尋はしているのだ。


 いつの間にか千尋の周りには心配そうな目を向ける大人たちが集まっていた。千尋が女性の手首を引っ張りながらプールの端にたどり着くと、プールの中から女性を引っ張り上げ、その縁に横たえた。


「里保!」


 女性──里保の関係者だろうか、里保と同じ年齢ほどの女性が座り込んで様子を見ている。あまり近いとは言えない距離でも里保ががほがほと口から水を吹き出してるのが見えた。


(容態は思いのほか大丈夫そうだな)


 プールサイドに座りながらそんなことを思っていると、耳に聞きなれた鈴の音が大音量で入ってきた。


「ひーろーゆーきー!」


 内海の名前を大声で呼びながら思いっきりピースサインを作る千尋はなんだか、子供のときのころを思い出させるような懐かしい顔で、けれどその顔は達成感に満ち溢れた最高にかっこいいものだった。


 そして、そこまで内海の思考がシフトしたとき、ついに物語への最後の扉が開放され。


(ああ、そうか。俺は、あいつのことが……)


 まるで運命に支配されているかのように、内海裕幸は己の心のなかにある二文字の感情を理解したのだった。



   *



 深夜──とある執務室。


 一人の男がワインを片手に半月輝く夜空を鑑賞している。

 美形に分類されるだろう男の、どこか憂いているような表情が月明かりとマッチして非常に様になっている。


 すると、執務室の扉がノックされた。控えめだが、それでも確かに男のもとへ届く音量で、男も特に驚いた様子もなく、


「入れ」


 わずかに扉が開く音がすると、男に対してひざまずいた若者風の男がすでにいた。


「ご当主様に報告させていただきます」


 その声もだが、若者には存在感というものがほとんどなかった。いつでもそこにいて、いつもそこにいないような圧倒的矛盾をはらんだ特に印象の残らない人物だ。現在はその所作に似合わず、探せばどこにでもいるような「THE一般人」のようないでたちだ。


「どうした?」


 慣れていなければ、それだけで震え上がってしまいそうな厳かな声で男は問いかける。


「お嬢様のことについて、ご報告があります」


 若者は未だ頭を垂れたまま、淡々とした声で男の質問に答えていく、若者の使命は監視と報告、ただそれだけである。


「ほう」


 娘のことになり、男の表情がほんの少し動いたが、暗い部屋では誰でも些細な変化の内容まではわからない。


「お嬢様のことですが、どうやら依然あの少女と交際関係にあるようでして……」


 あの少女、自他ともに認める日本最高峰の天才の一人であり、それゆえに手を出しがたい存在であるというのが若者の認識である。昔気質の人間である男にとって、娘が同性の少女と交際関係にあるというのがどれほどのものなのか、推して知るべしと言ったところか。


「さらには、今月行われる花火大会に、ご友人の方々とともに参加するそうです。どうなさいますか?」


 若者の言葉に男はしばらくの間考えるように黙り込んだのち、若者にも聞こえないほどに小さな声で、「そろそろ潮時か……」とつぶやいた。

 それから豪快に手元のワインを飲み干し、


「今回は私が動く」


 空になったワイングラスを小気味いい音を立てて机に置きながら、男──夜野父は丸々とした満月を見上げたのだった。


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