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プールの親友「二」

さて、今日は金曜日です。

花金です。

土日も投稿するのでよろしくお願いします。


 三日後──駅前広場。


 黒い地味目の服をまとった青年、内海裕幸は、腕時計に表示された時間を確認していた。千尋との約束の時間までまだ一時間もある。


(ちょっと早く来すぎたか?)


 内海の頭にそんな考えが浮かんだが、いや、と脳内で否定する。千尋と久しぶりに遊べるのだ。早く来るに越したことはない。

 内海はおもむろにスマートフォンを開き、昨日千尋から届いたメールに目を通す。



──明日、二人でプールに行かないか? お前が好きそうな水着を見せてやるよ。



 まるでデートでも誘っているかのような文面だが、決してそうではなく、遊びのお誘いメールである。人に頼みごとをするときに、無駄と思えるような後押しをするのは幼いころからの悪い癖だ。

 正直、自分好みの水着というのが気にならないわけではない。むしろ内海としては、それに釣られてこの場にいるのである。もちろん、千尋と遊びたいのも確かだが。


 スマートフォンを黒ズボンの後ろポケットに入れて、周りをきょろきょろとする。

 千尋がいるはずもないが、体が自然とそうしてしまう。待ち合わせをしたことは今までに何回もあったが、少女の姿になってからは何気に初めてのことになる。不思議と心臓がドキドキしてくる。


 そんな感じで待つこと十分、約束の時刻までまだまだ四十分もあるにもかかわらず、


「ごめん、待ったか?」


 鈴の音を想起させる可憐な声が喧噪のなかの駅に響き渡った。その音は内海の耳になじむようにして入っていった。後方から響いたその声に軽口をたたきながら振り返る。


「いや、大丈──⁉」


 妖精。


 隼が優に抱いた感想が、女神だったとしたら、内海が千尋に抱いた印象はその二文字に集約される。


 セーラー服のようなデザインの水色の服をまとった千尋は内海にとってのドストライクをついていた。本当にセーラー服を着ていそうな年齢であるだけに、一種の神秘性を感じさせ、千尋の幼く、元男ながらも整った顔立ちは内海の心臓を撃ち抜くには十分な殺傷性を保有していた。


 しばらく呼吸の止まったような感覚に陥った内海は遠慮のかけらもなく千尋の体をなめまわすようにじっくりと見て、その姿を眼球に焼き付ける。じっくりと、じっとりと……。


「ひ、裕幸?」


 なにやらおびえている様子の千尋に内海は平静に質問した。


(その服装でビクビクとおびえられると、なんかゾクゾクっと来るな。なにかに目覚めそうになる)


「千尋、お前、それ、わざと選んだだろ?」


 あまりにも内海の好みに合致しすぎているし、さっき確認したメールにもそんなようなこと──厳密に言えば、これは水着ではないが──が書いてあった。


「あ、やっぱわかるか?」


 おびえていた様子が一転、キラキラとした視線を向けてくる千尋。


「まあ、な。さすがに、そこまで俺好みの服で来られたら、気がつかないわけがないだろ?」


 ……はたから聞くと変態チックな宣言である。


「そっか、なら、わざわざお前好みの服を選んだ甲斐があったな」


 千尋は内海の言葉に安心したようにほっと息を吐いて、微笑みを浮かべた。これがアニメなら背景が黄色か、だいだい色に染まって視聴者をかわいさの餌食にしていたであろう。実際現実にもひと──。


「無自覚かもしれないから言っておくが、思わず惚れそうになるくらいのかわいさだからな。天使かと思ったぞ」


 今、考えたことを悟られてしまわないように、できるだけ正直にむしろ思考を半分ほど吐露して、ごまかした。


「かわいい? そ、そんなわけないだろ? お世辞はよせやい」


 テンパっているのか、コロコロ表情が変わる。かわいい。


「そんなわけあるだろうに。もともと男の時代から顔は良かったが、TSしてより磨きがかかったな。正直、ストライクゾーンど真ん中だ」


 まさか自分でもこんな言葉が出るとは思わず、内海としても驚愕だった。自然に口をついて出た言葉だけに、客観視してみれば少女に投げかける言葉としては明らかな選択ミスだ。引かれているだろうかと内心ビクビクして千尋のほうをちらりと見ると、


「え、あ、うん、ありがと。……えへへへへ」


 顔を真っ赤にして恥ずかしそうに照れている最も親しい少女の姿に、心の奥底から抱きしめたいという感情があふれそうになった。

 決してやましい気持ちはなく、純粋に心から抱きしめたくなったのだ………………やましい気持ちがなかったわけではないが、それでも千尋のことを本能に任せて抱きしめるようなことだけは決してしなかった。不思議とそうしたら負けな気がしたのだ。


 だが、その「不思議と」に内海は興味を持ち、ほんの少しの間だけでも考えてしまった。なまじ偏差値の高い有名大学に通っているだけに、それだけの時間があれば答えは導き出せる。


 そして、千尋の頭に一つの単語が浮かんだ。


(え、俺ってもしかして、ロリコン?)


 頭の隅によぎった考えに、心のなかでぶんぶんと首を振りながら否定する。現実に目を向けたくなくて、がっちりと目をつぶる。

 だがしかし、これがとどめを刺す最後の一手だったとは数舜前の内海には知りえないことだった。

 目をつぶってもまぶたの裏にはさまざまな光景が映った。


 男の千尋と過ごした日々や、千尋が女になって目の前に現れた日のこと、そして眼球に焼き付けた千尋の服装……。


(って、もう言い逃れできねえよ)


 数々の状況証拠に、内海裕幸はついに自身がロリコンであること認めた。実際のところ、内海は決定的な勘違いをしているのだが、それを気づくときは当分来ない。


(ああ、これからどう接していけばいいんだ……)


 視界の真ん中に映る内海にとっての最高の美少女とこれからどう接していけばいいのか、大学生にして初めて己の性癖を理解してしまった青年は悩みに悩み、頭を抱えていた。


「裕幸、どうした?」


 急に動かなくなったことを心配してくれたのか、自然な上目遣いがかわいいしぐさで千尋は声をかけてきた。


(服を見せてもらっただけでこれじゃあ……はああああ)


 水着を見せてもらったとき、死にはしないだろうかと心のなかで若干冷や汗をかくも、何事もないようにごまかした。


「い、いや、なんでもない。──それじゃあ、行こうか」


 明らかな強引さが目立っているが、内海はそれでも平然と自然体で、千尋の小さく幼い手を握り、これまた千尋の歩幅に合わせた一歩を踏み出した。


「え、ちょ、ま」


 なにやら千尋の顔が赤くなっているがそんなことを気にしている余裕は内海にはなかった。


 なぜなら──。


(や、柔らかくて、温かい……良き)


 内海は右手の手のひらに全神経を集中し、触覚から伝わるその感触に頬を緩めていた。

 内海裕幸は小山内千尋の知らないところでさらなる高みへと進化を果たしていた。


 それから少しの間、二人で仲良く歩いていると、唐突に後ろから声をかけられた。


「あれ? 内海君と小山内君じゃないか」


 聞き覚えがあるどころか、よく知っている声だった。瞬時に女性の心を射止めるイケてる声に内海がとある友人の姿を想起し、振り返ると、そこには案の定。


「隼……」


 イケメンがいた。


 小日向隼。義姉である小日向優と付き合っているということが公然の事実となったあともアプローチするものが未だに絶えない完璧美形男子大学生である。嫉妬の感情なんて湧きようもないくらい徳のある人間であるためか、最近は欠点を探すという秘密の遊びをしている。


 だが。


(ん?)


 だが、隼の隣には内海も知らない少女がいた。桃花や愛梨にも匹敵するレベルの容姿であり、美少女と言っても差し支えないだろう。容姿だけで言えばかわいい系なはずなのだが、なぜだか服装はボーイッシュなテイストだ。


「えっと、隼、誰?」


 意外にも、一定の信頼を勝ち取るまでは重度の人見知りを見せるシャイな人間である千尋は内海の体に隠れるようにして質問を投げかけていた。かわいい。男のときには感じなかったその感想に、内海は(やっぱり俺って……)とうかつにも思考を戻してしまいそうになってしまった。


「えっと、彼女は──」


 隼が紹介の言葉を言い切るよりも前に少女のほうからアクションがあった。少女は内海たちのほうへと近づいてきて、ちょうど千尋と目が合うくらいの高さまでしゃがんだ。千尋の体がほんの少しこわばるのがわかった。


「小山内千尋さん、ですか?」


 少女は確かめるような口調で後ろの千尋に問いかけた。千尋のほうに目をやるとこくりと頷いている。

 少女はそれを見て安心したかのように口を開いた。


「ボクは昼野空良。小山内くん、実際に話すのは初めてですよね」


 その口ぶりからすると、少女──昼野空良のほうは千尋のことを知っているようである。千尋はそのことに小首をかしげながらも、内海の体から出て自己紹介をした。


「オレの名前は小山内千尋……だ。……どこかで会ったことがあるのか?」


 少々言葉の間がおかしいところもあったが、千尋はいたっていつも通りに空へと話しかけることができていた。知り合いが二人もいれば、千尋にとって怖いものなしだろう。


「ほら、同級生だよ。小山内君ももしかしたら見たことくらいはあるんじゃないかな?」


(同級生……?)


 その言葉に思わず空良のほうに視線を向けてしまう。残念ながら内海の記憶にはこんな美少女がいた覚えは──そもそも大学生にして体が小さいためか、隼に言われるまで同じ大学生とは気づかなかった──ない。


 千尋に目を向けると、相変わらず首をかしげている。


「ごめん、わからないや」


「いえいえ、何度か講義で見かけたことがある程度だから、覚えていなくても無理はないです」


 申し訳なさげ表情でそう言った千尋に空良は大丈夫ですと両手をぱたぱたさせていた。


「えっと、空良……でいいか?」


「はい、大丈夫です。呼び捨て上等です」


「どうしてオレのことを知っていたんだ?」


 千尋が問いかけた質問の答えを内海は知っていた。小山内千尋を有名にした出来事など近々ではたった一つしか思い浮かばない。


「TS症候群……」


「はい、それです。世にも珍しいTS症候群という奇病を発症した同級生がいるとのうわさを聞いて、一度話してみたいな、と。顔の広い小日向君に相談していたんです」


 こくり、と頷きながら空良はそう説明した。だが、その言葉のなかには興味本位だけではないなにか別の感情や思惑があるようにも感じる。


「それくらいなら、いつでも話しかけてよかったのに」


 千尋はそう言うが、そう簡単ではないことを内海は知っていた。簡単ではないからこそ昼野空良は小日向隼を経由しては話をしようとしていたのだ。


「いえ、実はそれだけじゃないんです」


 空良の言葉は千尋の頭の上にハテナが浮かべるには十分なものだった。しかしそれを気にすることなく、空良は言葉を紡ぎ始める。


「小山内君、ボクと友達になってください」


 空良のしっかりと根を張りながらも、透明感を感じさせる声が、この場の三人の耳に入っていった。



 千尋と友達になりたい。



 内海の目から見ても、それ以上の感情なんて含んではいない純粋無垢な昼野空良が抱いた欲求だとわかった。


「お、オレと友達に?」


 千尋の声がわずかに震えている。悪性の感情によるものなどではない、善性のそれも歓喜の感情によってもたらされた震えだ。

 ここまでの歓喜を示すのは千尋が人付き合いが下手だからという面もあるにしろ、もう一つの外部的理由も存在しているのだ。


 千尋がTS症候群を発症してから初めて大学の門を通ったあの火曜日。


 千尋のことを受け入れた数十人もの学友たちは目の前にいるいたいけな少女を守ろうと思い、秘密裏に護衛隊を結成するに至っていた。興味本位や軽い気持ちで近づこうとする不埒物を徹底的に排除するのが隊の目的らしい。これが学友を思う善意から来ているのか、千尋に対する庇護欲なのかは知るところではない。


 この隊の行動のおかげで千尋は夏休みまでの一か月間、快適なキャンパスライフを送ることができていた。本当、護衛隊のおかげである。


 もちろん、こうやって情報を出すのも突然な突貫工事の護衛システムなだけに、数多くの欠点が存在するそのうちの一つがこれだ。

 千尋のことを無駄に神格化してしまったのである。小学校、中学校、高校数々の出会いを経て壁を壊し、地道にも友好関係を広げていった千尋の小さな野望は、自身を大切に思っている者によって阻まれた。なんとも皮肉な話である。


 その後、隼を通せば千尋に近づけるという救済措置が設けられた。これにより千尋と友達になりたいという人間が殺到するかと思われたが、運悪く夏休み突入である。つまり、これがTS後、「千尋の友達になりたい人一号」ということだ。千尋が目をキラキラさせるのも納得である。


 まあ、そういう感じで長々と解説したが、それはただの千尋が喜んだ理由の解説にしかすぎず、結局のところ、千尋の答えはいつだって変わることはない。たとえ初めて会う人間であっても、なにかを求められたらそれに精一杯応える。それが内海が愛した小山内千尋という親友だ。


「千尋でいいよ」


 気づかぬうちに、内海の陰から抜け出していた千尋は、空良に向かって優しい笑顔でそう言っていた。誰にだってわかる「よろしく」の証だった。


「じゃ、じゃあ、千尋君……よろしくね」


 空良がはにかみながら千尋の名前を呼んだ。それに釣られてか千尋も、太陽のような見る人の心を温かくさせるようなそんな実に千尋らしい笑みを浮かべた。


(よかったな。友達が出来て……)



 それから空良と連絡先を交換したり、みんなで隼にお礼を言ったり、もともとの内海たちの待ち合わせ時間が来るまで楽しく語り合ったのだった。


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